4月1日
会社と駅を結ぶ大通りから少し脇道に入った所。こぢんまりとした、雑貨屋。
そこは、少し変わったオーナーのいる、杏奈の行きつけの店。
4月1日。
多くの会社がそうであるように、杏奈の会社も年度初めの仕事に追われ、業務は繁忙を極めていた。
(まだ、間に合うかな。)
クタクタに疲れてはいたが、ひとつ大きな山を乗り越えた達成感もあり、杏奈は腕時計を確認すると、自分へのご褒美の意味も込めて、いつものように雑貨屋へと向かった。
いつもの脇道が見えてきたところで、杏奈はふと足をとめた。
脇道の入り口あたりに、人影が見える。
(・・・あれは?)
ゆっくり近づくと、やがてその人影が真咲であることが分かった。
真咲が大通りまで出ている事は、珍しい。
他に店員がいない雑貨屋では、店を閉めてどこかへ出かけることはあっても、店の外に立っている姿は、見た事が無い。
「どうかされました?」
杏奈は、思わずそう呼びかけていた。
と。
「あっ!主任さんっ!待っとったんやで~!」
「えっ?ちょっとっ!!」
あっけに取られる杏奈に構わず、真咲は杏奈の腕を取って店までの道を足早に歩き、そのまま店の中へと連れ込む。
「いきなり何をするんですか!」
抗議の声を上げた杏奈だったが、いつの間にか真顔でじっと見つめる真咲に、怒りが消え、不安が頭をもたげてきた。
「どうか、されたのですか?」
「ん~、実はな。」
話し始めた真咲の声は、気のせいか、いつもよりも暗い印象。
「今日、どうしても、主任さんに伝えなならんことがあるんや。」
「・・・・なんでしょう?」
ただならぬ真咲の様子に、杏奈も真剣に真咲の言葉に耳を傾ける。
「この店、閉める事にしたんや。」
「えっ・・・・」
思ってもみなかった言葉を耳にし、杏奈は絶句した。
ようやく巡り合えた、お気に入りのお店。
そのお店が、無くなってしまう。
(そんな・・・・ここが、無くなってしまうなんて)
入り口に立ったまま、店内へとゆっくり視線を移す。
それだけでも、杏奈にとっては心躍る場所であったのに。
「・・・って、おーい、主任さん。俺の話、聞いてたん?」
あまりのショックのせいで、どうやら現実逃避してしまっていたらしい。
杏奈は真咲の声で、ようやく我に返った。
「えっ、あっ、すみません、全く聞いていませんでした。」
「全く、ってっ!」
あからさまに、真咲が落胆した様子で肩を落とす。
「頼むで、主任さん。今めっちゃ大事な事話してたんやから。」
「すみません、よろしければもう一度お願いできますか?」
「もちろん、聞いてもらうまで何遍でも言うつもりやけど。」
そやないと、意味ないし。
小さな声で真咲がボソリとつぶやく。
「は?」
「いやいや、こっちの話や。それでな。今度はちゃんと聞いといてや。」
「はい。」
改めて背筋を伸ばし、杏奈は真咲の声に耳を傾けた。
「ここ閉めるっちゅーことは、主任さんともそう簡単には会えなくなってまう、っちゅーことやんか。」
「そう、ですね。」
言いながら、杏奈は突如として沸き起こる言いようのない感情に、戸惑っていた。
それは、このお気に入りの雑貨屋が無くなってしまうというショックとは、また別の感情。
(この人にも、会えなくなってしまう・・・・そうか、そうよね。だってこの人はこのお店の・・・・)
「でもな。」
再び遠くへ行きかけた杏奈の思考が、真咲の言葉に引き戻される。
「また店開くことがあるかも分からんし、そしたらまた主任さんには絶対来て貰いたいし。せやから、主任さんの連絡先、教えて貰いたいんやけど・・・・」
「えっ?」
ショックが抜けきらず、ぼんやりとしたままの杏奈に向けられる真咲の瞳は、珍しく不安げに揺れている。
「あかん、かな?」
「連絡を、いただけるんですか?」
考えるより先に、言葉が口から出ていた。
「連絡先をお伝えしたら、必ず、連絡をいただけますか?」
「もっ、もちろんやっ!決まっとるやんかっ!」
顔を輝かせる真咲の前で、杏奈は鞄から手帳を取り出し、白紙ページに自分の個人的な連絡先を記入して切り取ると、真咲に手渡す。
「おおきに、主任さん!ほな、早速・・・・」
ポケットからスマホを取り出し、真咲はメモを見ながら素早く操作を行う。
ほどなくして、杏奈のスマホからコールを知らせる着信音が鳴り始めた。
「それ、俺の番号や。登録しといてや。」
「はい。ありがとうございます。」
見覚えの無い不在着信を眺めながら、杏奈は幾分ショックが和らいでいる事に気付いた。
早速、電話帳に登録をする。
登録名は、もちろん『雑貨屋さん』。
「なぁなぁ、主任さん。俺も登録したいから、主任さんの名前・・・・」
「『主任』でお願いします。」
「はぁ?それ、本気で言うてんの?」
「はい。その方がお互いに馴れているので、分かりやすいのではないですか?」
「・・・・そら、そうかもわからんけど・・・・」
まぁ、ええか。
小さく呟き、真咲は笑った。
「ほんま、おおきにな、主任さん。」
淡いブラウンの優しい瞳に、杏奈も笑顔で小さく頷いた。
自宅に戻ってすぐに、杏奈のスマホからコールを告げる着信音が鳴り始めた。
見れば、発信者名は『雑貨屋さん』。
(どうしたのでしょう・・・・あっ、そういえば、いつ閉店か聞いていない!)
「もしもしっ」
慌てて電話に出た杏奈の耳に聞こえてきたのは、どこか楽しそうな真咲の声。
”あー、主任さん。今、ちょっとええか?”
「はい、今ちょうど帰ったところです。あれですね、閉店の時期のお話ですね?」
”ん~、まぁ、その話なんやけど、な。”
「はい。」
相変わらずの明るい口調が気にはなったものの、杏奈はメモ帳とペンを取り出し、真咲の言葉を待つ。
”実はな。”
「はい。」
”ウソや。”
ひと際明るくそう告げた真咲の言葉。
「・・・・は?」
”せやから、店閉める言うんは、ウソや。”
(・・・・ウソ?えっ・・・?どういうこと?)
すぐには理解することができず、ただ【ウソ】という単語だけが、グルグルと杏奈の頭の中で踊っている。
”今日はエイプリルフールやんか。主任さんに連絡先教えて貰う絶好のチャンスや思てな。何日も前からめっちゃ考えてたんやで、どないしたら教えて貰えるやろか~って。せやから、今日来てくれへんかったらどないしよ、って思っとってん。で、待ちきれんと、大通りで待ってたんや。あっこなら、帰りに絶対通るはずやて思て。な?こないな時にも、連絡先分かった方が、便利やろ?せやからな・・・って、あれ?主任さん?聞いとる?!”
(・・・・ということは。)
ようやく、頭が整理できた時。
(またこれからも、お店に行けるのね。)
真咲の声を聞きながら、ようやくジワジワと喜びが広がってくるのを杏奈は感じていた。
(お店に行けば、会える・・・・)
”なぁ、主任さんってばっ!”
だが、嬉しさの半面、すっかり騙されてしまった口惜しさもあり。
「聞いていません。」
そう短く告げて、杏奈は通話を切った。
いくらも経たない内に再び、コールを告げる着信音が鳴る。
”怒ってしもたんか?堪忍やで!ほんま、堪忍っ!でもっ、今日はエイプリルフールやしっ!”
慌てて謝る真咲の声からは、その場で頭を下げているであろう姿が容易に想像できる。
怒る気も無くなり、杏奈は思わず笑って言った。
「ウソです。」
”えっ?”
「エイプリルフールのお返しです。」
”・・・・なんやぁ。はぁ~、良かったぁ。嫌われたらどないしよって思ったわ・・・・”
「いい年をして、今時エイプリルフールなんて・・・」
”え?せぇへんの?俺、毎年楽しみにしとるんやけど。”
「毎年、ですか?!」
”みんなやっとるんちゃうの?楽しいやん、エイプリルフールの騙し合い!来年も、楽しみにしとってな!”
「お断りします。」
”え~っ、なんで・・・・”
話途中の真咲にお構いなく、杏奈は通話を切って溜息を吐く。
(やっぱり、おかしな人。)
だが、気分はこの上ないほど晴れやかだった。
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