triangulate 前編

天水二葉桃

第1話



 triangulate


 

[形]三角の(から成る)


[自動]三角法を用いる、三角測量する


[他動]~を三角法で測る/~を三角形にする/~を三角形に分ける


[分節]tri・an・gu・late


  


  


  


  私には黒歴史がある。以前住んでいた家の隣には同じ年の双子の兄弟がいて、幼い頃、私はその兄弟とよく遊んでいた。彼らは大学までエスカレーター式の私立学園の幼稚園に通っていて、毎日お手伝いさんに送り迎えをしてもらっているようなお坊ちゃまだったが、普通の家の子供の私とも近所の子供たちとも仲良く遊ぶようないたずら好きの楽しい子供たちだった。私の家の裏手は彼らの家の敷地である裏山につながっていて、私たちはそこでよく一緒に遊んだ。鬼ごっこ、缶蹴り、かくれんぼ、宝探し、海賊ごっこなど。家でゲームをしたりするよりも外で遊んだ。それがいつから始まったのかは覚えていないが、双子が親戚のお兄さんの家で仕入れてきた知識から始まったのは間違いない。彼らと私との付き合いは、私が引越しをする小学三年生の秋まで続いた。


 双子の兄弟は兄がかい、弟がりくといった。


 母親が舞台女優さんで父親が映画監督といった背景もあり、母親似の二人は子役のように可愛らしく、ちょっとアーティスティックでもあった。それは遊びの中にオリジナリティあふれる創意工夫を凝らすというところに顕著けんちょに現れていた。わざわざ自作のシナリオをつくって舞台を演じ、互いに演出家のようにロールプレイのチェックをしあったり、この角度での方がいい、とか、この声のトーンがいい、とか生意気にも自分たちの魅せ方をよく熟知しているようなところまであった。


 そんな彼らと一緒に遊ぶ私まで指導され、ダメ出しされたりやる気はあるのかとか発破をかけられるはめに何故か陥ったが、それはまあそれで楽しめた。たまに本気で泣かされたけど。


 それがいつから始まったのか、気づいたらそれはいつのまにか海賊ごっこだったり探検家ごっこだったり竜の騎士ごっこだったりと形を変えながらも常にゴールは一緒という不変のシステムになっていた。


 入り口は様々でも結局、二人が囚われのお姫様を救い出して終わる。


 そこまでは可愛い子供の遊びと思えると思う。


 問題は、その最後の結末よりちょっと前にある盛り上がりどころ?の危機場面にあった。遊びは基本的に一人二~三役やるために、兄弟は救い主のヒーロー役と悪者役も兼ねていた。私もそっち側をしたいと言ってヒーロー役や悪者役をやらせてもらえることもあるが、囚われの姫役はいつも私。よって悪者にいじめられる役も私。それは大抵たいてい、木に縛られるとか洞穴に閉じ込められるとか落とし穴に落とされるとかで、いじめ役は海と陸の二人、救い出す役も二人なわけで、最後にお礼のキスをヒーローの二人にしてハッピーエンドとなるときにいつもなんか納得がいかなかったのも今思えば当たり前だと思う。


 小学三年生の秋に私は父の実家へ家族で引っ越しすることになり、仲良しの双子兄弟と涙のお別れをして父の実家のある都会の小学校へ転校した。それ迄住んでいたところは父の実家のあるところよりずっとのんびりしたところで、都心に出るまでに電車で一~二時間かかる。ド田舎ではないがそれほど都会というわけでもなかった。裏山にはたぬきがいたし、蛇もいた。子供たちが悪戯をしに畑に入ると鎌を持って追いかけ回す、足切りじじいと呼ばれるおっかない爺さんまでいた。しかし新天地はコンクリートで固められた道ばかりが続いてちょっとだけ気持ち程度に残してくれたような緑地はあるけれど、臆病な動物や怖がられる蛇や虫たちが隠れられるスペースがそもそもないようなところだった。通りはいつも明るく、24時間営業のお店がたくさんあるから人の通りも途絶えることなく何となく常にあるくらいだった。公園もきれいに整備されてあるが小さい、しかもボール遊びは禁止で暗くなる前の時間に閉鎖されて鍵がかかるようなところだった。


 子供たちの遊び場は家か家の前かコンビニの周辺がほとんど。つまりいつもどこかしら大人の目があるところでしか基本遊ばない。だから新しい学校での友達と遊んだりおしゃべりしているときに、あれ、と思うことがいくつかあった。でもすぐになれた。


 小三の女子にしろ男子にしろ以前の学校の友達はまだまだ子供コドモしていたのに、引越して来たらこっちの子供たちは普通にませていて、大人がするようなおしゃれや芸能人の真似なんかをしていて大人っぽかった。それで私も必死におしゃれをしたりしてがんばってみたりした。あまり面白いとは思えなかったけれど、そのうちにだんだん面白くなってきてそれもなれた。ごっこ遊びはこっちの子供たち同士でも人気だった。ただそれは海賊ごっことか竜の騎士ごっことかではなく、好きな芸能人が出演している流行のドラマとか恋愛映画とか人気の恋愛マンガの登場人物になりきって遊ぶというシロモノで、言ってしまえば恋人ごっこだ。それは男の子とではなく女の子だけで彼役と彼女役とに分かれて演じるロールプレイで、壁ドンして甘い言葉で決めゼリフを言ってロマンチックに口説かれるとか、二人以上の男役に取り合いされるとか、女子のお姫様ドリーム全開なものが殆どだったが、たまにきわどいのもあった。でも女子同士なのでふざけっこで終わるけど何となく秘密めいた感じはある。私は、はじめそれがキワドイものだという認識がなかった。けれど彼女たちの素振りで何かこれは秘密めいた物事に属しているのを薄々感じてはいたがいまいちよくわからなかった。そして友達に貸してもらった恋愛マンガや雑誌、DVD、そして専ら耳年増の彼女たちからのレクチャーによって初めて性についてのあれこれを知ることになったのだ。


 それは、まだ子供じみた遊びが主流の脳内お花畑世界にいたあか抜けない私からしてみたら、けっこう衝撃的な目覚めだった。


 何が衝撃って、それは、実は知らずに双子兄弟とのごっこ遊びの中でもじゅうぶん演じられてきていたものだったからだ。無邪気な遊びだと思っていた海賊ごっこ遊びや竜騎士ごっこ遊びや探検家ごっこに、まさかのきわどい遊びが含まれていたのに私はとても衝撃を受けた。そして知らずに自分もしていたことと、あの悪魔の双子兄弟は知っててやっていやがった、ということに、今更になって気づいたからだった。親戚のお兄さんのところに遊びに行っては二人が何かとニヤニヤして帰って来てシナリオを書いていたのを思い出し、得た知識を活用してシナリオにませがきがエロ要素を持ち込んでいたことに、遠く離れたところに来て初めて知ることになったからだった。


 恥ずかしいと思うよりもむちゃくちゃ腹が立ったが、今となっては遠く離れているので(小学生にとっては遠い距離だったのだ)、びんたや蹴りのひとつやふたつでも、三つでも四つでも何なら百発でもお見舞いしてやりたくてもそれができないのがしんそこ悔しかった。


 それまでは可愛らしく互いにハガキのやり取りなんかもして近況報告をし合ったりしていたが、それはバッサリやめることにして、海と陸の双子兄弟からもらった物は怒りにまかせてすべて捨てた。お気に入りのマスコットやベネチアグラスのきれいなブローチ、可愛いノートやシール、外国の珍しい絵本なんかもあったけれど。そして捨ててからちょっと後悔したけれど。


 その日から彼らは悪魔の双子兄弟として私の黒歴史の中に封印されることになったのだった。


  


  


  


  


「何で!!!?」


 いよいよさ来年からは中学生、私立の中学受験を仲良しの友達と同じ学校にと決めてがんばっていた矢先のことだった。夕飯の席で私は思いきり絶叫していた。そんな私のリアクションに、両親は目を丸くして驚いていた。


「食事中に大声出さない」


 気を取り直したように母がたしなめ、父が困ったような顔で言った。


「そんなに驚くことないだろう、初めから期間限定の同居だったんだから。おばあちゃんが腰の骨を折ってしばらく支えが必要だったから、神奈かんなやお父さんお母さんでここに一緒に住むことにしたんだよ。でも向うの家をいつまでもそのままにしておくわけにもいかないし、神奈が小学校卒業するまではここにいて、中学生からは向こう、って最初から決めていたんだよ」


「そんなのきいてない!」


「言っておいたよ。忘れてるだけだろう」


「とにかくそんなの知らない!!」


 母がこほん、と咳払いして


「大声出さない」


 もう一度ゆっくりと念押すように言った。


「神奈がここにいたがるならおいとけばいいじゃないの」


 祖母が気楽に言って、祖父がうんうんと嬉しそうにうなずいた。 


「だめです。神奈は向こうの家から学校に通わせることに決めているんです。お隣の海君や陸君と同じ学校に通えるようにと今まで中学受験に備えさせてきたんですから」


 何だと?


 私にあの悪魔の双子兄弟と同じ学校へ行けと?!


「そんなのますます聞いてないよ!!! 私立の中学ってみなちゃんやさっちゃんたちと同じとこだと思ってた!!!! 何で海や陸とわざわざ同じところに行かないといけないの!!!!?」


「仲良しだったじゃないの」


 何も知らない母は呆れたように言った。


「もう仲良くないし!!」


「冷たい子ねえ。今でも毎年暑中見舞いや年賀ハガキをくれるのに、こっちからはちっとも出そうとしないし」


「そんなこと今関係ないでしょ!!!」


「大声出さない」


 雷が落ちる寸前の母に私は服従の姿勢をとることにした。まずい、ここで怒らせたらますますまずいことになる。


「う、ごめんなさい」


「よろしい」


 私は心配そうにこちらを見ている父を味方につけようと決めて、父の方を向いて言った。


「引っ越すのは仕方ないとしても学校は自分で決めたい。共学はいや。女子校がいいから友達と一緒のところ受ける」


「通うのは大変じゃないの?」


「向うからの方が少し遠いけど、そんなに変わらないと思うよ」


「わかった、それは考えておくことにするよ。今度学校のパンフレットを持って来なさい」


 やった。


 むっとして黙りこんでいる母を尻目に私は「もう持ってるから持ってくる」と席を立って自分の部屋から学校のパンフレットを持ってきて父に渡した。父はじっとそれを見ていた。


「あら、この制服可愛いわね」


 そばで覗いている母も悪くなさそうな反応。祖母と祖父も見たがったので、父は彼らにパンフレットを手渡した。みんなの反応をじっとおとなしく見ていた私は、多分八割は大丈夫とふんでいた。みんなけっこうよさそうな感じ。これならきっと通る。そう思ってじっとしていたら、しばらくして両親が「いいよ」と言ってくれた。


「やった!」


「こらお行儀の悪い」


「ごめんなさい」


 にこにこしながら私が言うと祖父母がよかったねと一緒に喜んでくれた。


「神奈がこんなお嬢さんになったらお父さん嬉しいなあ」


 パンフレットを眺めながら父がしみじみ言うので


「まかせて、ばっちりなるよ。このくらいちょろいって!」


 しっかり請け負ったのに、父は残念そうに言った。


「その言葉づかいからして難しそうだなあ」


「失礼だよね」


「う~ん、そうかなあ。本当に思うことだから言ったのになあ」


「とぼけながらさらに失礼だよ」


「ばれたか」


 パンフレットと私を交互に眺めながら母は不思議そうに訊いてきた。


「こっちの学校の方が必要経費も経済的だし構わないけれど、意外だわ。海君や陸君とあんなにいつも一緒だったからきっと神奈も喜ぶとてっきり思っていたのに。思春期だから照れているのかしら」


「照れているわけじゃないよ。だってもうずっと会ってないし。それに向こうだってとっくに忘れてるよ。お行儀がいいから季節の挨拶は続けているだけだと思うよ」


「まあいいわ。とにかく自分で決めたんだからちゃんと受かるようにがんばりなさい」


「うん、がんばるよ」


「よろしい」


 これで話は終わりかと思ったら、


「あの子たち、すごいのよ。頭がすごく良くてスポーツもできる。英語もすごく上手なの。とってもきれいなクイーンズイングリッシュをちゃんと使えるのよ。あの子たちと仲良くしてくれれば神奈も英語が上達して将来楽しみって思っていたのに」


「英語がんばればいいんでしょ」


「そうね。やる気になってくれて嬉しいわ。でも海君陸君ママとはたまに連絡取り合っているくらい仲良しだからまた家族で仲良くしたいの。昔みたいにとは言わないけど、ちゃんと礼儀正しくしてね」


 あいつら外面だけは完璧な、悪魔の双子兄弟だからなあ。自分をよく魅せることにかけてはロープレで鍛えてるし、見た目は天使みたいに見える。実はとんでもないエロませがきだったのに(まあ私もすっかり騙されていたわけだけど)。


 何言っても無駄だな、と悟って、私は適当に相槌を打っておいた。


  


  


  


 中学受験はうまくいった。いっしょに受けた友達の一人はうまくいかず、公立の中学に行くことになった。そのせいか、受験に向けて頑張っていたときは仲良しだったけれど、今はあまり話さなくなってしまった。私を除いた二人の方が元々は仲が良くて一緒に進学したがっていたのに、後から加わった私が受かり、本来の仲良しの一人が落ちたので、全体的に微妙な空気になった。もともと塾が一緒で学校のクラスは別だったので、せっかくもう一人の子と一緒に受かったけれど、なんだか気まずい結末になってしまった。とりあえず引越しもするし、学校で会えば話もするだろうけれど、今のところは距離をおいておくのが自然な感じだった。


 卒業とほぼ同時に元の家に戻る準備も着々と進んでいた。両親があらかた荷物などを移動させたので、すぐにでも向こうの家で生活がスタートできるようになっていた。が、私は新学期の二日前まではこっちにいるつもりだった。めんどくさいことに巻き込まれたくないので(両親が隣家の家族を家に招いたりするから)「祖父母の元で新学期に備えて勉強している、ぎりぎりまで塾にも行く」と言って両親の了承を得た。


 春は別れのシーズンで、私以外にも転勤だとか親の都合とかで引っ越して行く子が他にもいたが、ほとんどがそのまま同じ中学校へ進学する。仲の良かった子たちと離れ離れになるのは淋しかったが、中学生になることや、憧れの制服が着れることの方が嬉しかった。未来への期待の方がまだまだ大きい年ごろだから仕方ない。進学先はキリスト教系で学園内に礼拝堂があったり、中庭にマリア像があったりする。毎朝礼拝があるそうだ。何だか別世界に行くみたいでわくわくした。 


  


  


  


 無事新学期を迎え、新しい学友にも慣れて半年ほどたった頃のことだった。


 クラスメイトの二人と仲良くなった私は、その日、その内の一人の子の家にもう一人の子とおじゃますることになっていた。友達の一人は鈴村聡子すずむらさとこ。日本舞踊の先生の家のお嬢様で、何と彼女には幼稚園生からの婚約者がいた。うわあ、本当にそんな世界があるんだとびっくりした。聡子は色白で切れ長の目の美人だ。つやつやした黒髪のロングヘアを後ろでいつもひとつに束ね、姿勢が良くて、佇まいが凛としている。いつも着物を着ているみたいなイメージだが普段着は洋服で、ワンピースとかブラウスにスカートとかそんな感じ。


 もう一人は桜澤黄菜さくらざわきいな。キイナとはクラスに入って本当にすぐに仲良くなった。色素の薄いさらさらした髪をボーイッシュにショートカットにしていて、大きな可愛い茶色の瞳が綺麗な子だ。彼女の家は剣道の道場をしていて、五人兄妹の末子がキイナ。長男、次男、四男はみんな道場主の息子らしく、剣道、柔道、合気道など武道をたしなみ自衛官とか警察官をしていて頑固一徹なお父さんにみんなそっくりなんだそうな。三男のお兄さんだけは子供の頃から病弱で容姿も母親似らしいが、昔から神童とか天才とか呼ばれていた人で学生時代に自分で会社をつくって今は自宅で仕事をしているとか。そして父兄みんな一人娘で末っ子のキイナには甘いけれど同時に厳しくもあるのでものすごい箱入り娘。


 今回私と聡子はキイナの家に遊びに行く。聡子とキイナは幼稚舎からの友人なので互いの家の行き来もある。聡子と私は、通学で使う学校の最寄り駅とキイナの家の最寄り駅が同じだったので駅で待ち合わせして二人で歩いてキイナの家に向かった。


「何か緊張してきた」


 私がそう言うと、聡子は鷹揚おうように微笑んだ。


「見た目は怖そうだけど、おじ様もお兄様たちも黄菜をすごく可愛がっているから友達の私たちにも優しいよ。箱入り娘だから門限とかそのへんは厳しいけど」


「キイナのお母さんはどんな方なの?」


「おとなしめの美人だけれどものすごくやり手な感じかなあ」


「イメージが湧かないなあ」


 聡子はそうだよねえとちょっと笑って


「物静かな感じだけど、あれだけの男所帯でしかも道場の門下生までいる中を切り盛りしているんだから、相当仕事ができる人だろうなって思って言ったの」


「ふーん」


「それに聖一せいいちさんが小さい頃病弱だったから看病とかもされていたみたいだし、なんだかいつも甲斐甲斐しく働いているイメージかなあ」


「神童とか天才とか言われていたお兄さんだっけ」


「そうそう。小さい頃からそう言われていたみたい。何となく色んな意味で聖一さんだけ家族の中ちょっと浮いている感じに見える。一人だけ毛色が違うみたい。でも家族みんなすごく仲がいいよ」


「ふーん」


 おしゃべりしながら道を歩いていたら向こう側から迎えに来てくれたキイナが手を振った。


「お招きどうもありがとう」


 私たちがそう言うと、キイナは照れて笑った。


「待ちきれなくて迎えに来ちゃったよ」


「私もすごく楽しみにしてた。でもなんか緊張してきちゃって、聡子に今ご家族のことを簡単に紹介してもらっていたところ」


「単なる噂話みたいなものよ」


「なによそれ~」


 笑ってキイナは早く早く、と私達の手を引っ張った。


「ちょっとお土産のケーキがくずれるじゃない」


「ふたりで一緒に選んだんだよ。駅の近くに有名なパティシエのお店があるからって聡子が連れてってくれたの」


「ああ、あそこのケーキ、うちのみんなも大好きでお気に入りのお店なの。ありがとう、嬉しい」


「大きめのワンホールを選んだからご家族でどうぞ」


「やったー」


 聡子と一緒にいるとキイナはちょっと妹っぽく見える。私とキイナが二人の時はキイナの方が姉御肌って感じだけど。可愛らしく喜んでいるキイナにふふっと微笑んでいる聡子を眺めながら何となく私はそんなことを思っていた。


「ねえ、聖一さんも家にいるんでしょ」


「いるよ? 聡子、聖一兄さんに何か用事でもあるの?」


「ううん、神奈に会わせてみたくて。ちょうど聖一さんの噂話をしてたところだったの」


「何で私をキイナのお兄さんに会わせたいの?」


 聡子はちょっと面白がるように言った。


「だってあんな王子様キャラの王道みたいな人、なかなかいないもの。神奈がどんな反応するか見てみたくて」


「何それ」


「まあ見てのお楽しみ」


「まったく、聡子って妙なところでひとが悪いっていうか、面白がるよね」


 キイナのご両親にご挨拶をしてから彼女の部屋で私たちはお喋りをして過ごした。キイナの部屋は思ったよりも女の子らしく可愛らしい部屋だった。ぬいぐるみとかがたくさんあって、カーテンがフリル付きのリボンで結んであった。窓からは敷地内にある大きな道場が見える。それから離れのような家屋も。噂の三男のお兄さんはそこにいるそうだ。仕事部屋兼居住スペースとして使っているんだとか。家のなかにも部屋はあるのだがあまり使用せずに殆ど離れにいるが、週末は家族と一緒に食事をとるらしい。長男次男は家を出ているが土日はたいてい朝から道場に来ているので、桜澤家では週末は家族みんなで食事するものとなっているらしい。高校生の四男のお兄さんは母屋でキイナや両親と一緒に暮らしている。


「卒業アルバム見る?」


 キイナに言われて「みるみる!」と私は喜んで見せてもらった。小学生のキイナや聡子、それから今のクラスメイトの子たちもいた。二人がこのときは~と楽し気に話してくれるので特に疎外感も感じることなく、二人の歴史を共有させてくれているみたいで楽しかった。聡子もキイナも本当にいい子たちで、一緒にいると何となく不思議ないいバランスで満たされて居心地が良く、ずっとこうしていたみたいだった。キイナのお母さんがお土産のケーキを切り分けてクッキーと紅茶と一緒に出してくださったので、それを仲良く食べながら私たちは楽しく過ごした。


 四時を少し過ぎたところで私たちは早めにおいとますることにして桜澤家を後にした。明るい夕方の帰り道、聡子が「聖一さんにお会いできなくて残念だったね」とにやにやしながら言ったので、私はちょっと口をとがらせて言い返した。


「そんなの聡子が勝手に会わせたがっていただけじゃない」


「そうだけどさ」


 笑いながら聡子と私が角を曲がったところで、彼女が「あ」と言った。


 ちょうど向うからやって来た背の高い男性が彼女に気づいて優しそうな笑顔で微笑んだ。


「聡子ちゃん、お久しぶり。黄菜のところから?」


「お久しぶりです。そうです、今さっきまで黄菜と一緒でした」聡子はお行儀よくそう言ってから「聖一さん、この子は神奈。黄菜とクラスメイトなの」と私も紹介した。


「初めまして、神奈ちゃん」


「初めまして」


 私たちが挨拶し合うのを聡子はにこにこしながら見ていた。


「また遊びに来てね」


 優しくそう言って彼は「じゃあ、気をつけてね」と去って行った。


 私たちはそのまま一緒に駅まで歩いて、別方向なので駅で別れた。途中聡子が「どう?」と訊くので、「うん、素敵なお兄さんだと思う」と答えたら「なんだ、つまんないな」と言っていた。アイドルに会ったみたいなリアクションを期待していたのか。でも確かに素敵な人だった。あんなふうにじっとまっすぐ瞳を見つめてから優しく微笑まれたら、女の子ならみんな舞い上がっちゃうくらいの素敵な人だったし。


  


  


  


  


「あれ、神奈」


 その日、学校帰りに母に頼まれた買い物をして帰宅しようと駅まで歩いていたら、陸に声をかけられた。定期が使えるので途中下車してふだん降りない駅で降りたのが運のツキだった。後ろから海もやって来て


「久しぶりだね」


 はさみうちされた。


「……何であんたたちがここにいるのよ」


「ひどい言い方だな」


「俺たちが勉強部屋に使っているマンションがこの近くにあるんだよ」


 引っ越して来てから既に二年が経っていてそれまでにも何度か顔を合わせる機会はあったものの挨拶程度の当たり障りない関わりで済んでいたというのに、何で今になってこんなところで偶然会わないとなんないんだよ。そう思いながら私は「ふーん、そうなんだ。じゃあね」するっと陸の脇を行こうとしたら、陸に腕を掴まれた。


「おまえさ~、感じ悪くない?」


 ちょっとむっとしている。


 私もちょっとむっとして言った。


「別にふつうでしょ」


「ぜんぜんふつうじゃねーよ」


 互いに険悪なムードをかもし出していたら、海が私に訊いてきた。


「神奈、甘いもの好きだったよね?」


「なんで?」


 エサで釣る気か、と警戒しながら質問に質問で答えたら海が苦笑しながら言った。


「ケーキバイキングをやっているお店があるんだけど、陸と二人だけだと入りづらいから、つきあってくれない? おごるからさ」


 え。


 ケーキバイキング。ケーキ食べ放題。おごり……。


「……いいよ」


 何故だろう。あっさり釣られてしまった。


 海はにっこりしてタクシーを拾うと私達を乗せてそのまま近くのベイエリアにある高級ホテルに連れて行った。ホテル内のレストランで期間限定のケーキバイキングをしているとのことで連れて行かれたのは、なんだかとっても素敵なレストランだった。中はとても明るく、パリッとした真っ白なテーブルクロスがまぶしいくらいで、ガラスばりの壁面の向こうに海が見えた。まだ夕方の早い時間だったので、明るい夕日に照らされた空も海もとてもきれいだった。


「わあ、きれい」


 思わずみとれてしまった。


 海と陸はそれでちょっと機嫌をよくしていた。


 飲み物をオーダーしてから各自ケーキを2~3個お皿にとってきた。種類が豊富でしかも可愛い。フルーツのたくさんのったタルトとか、見ているだけで幸せになるくらいだった。もうそれで十分なくらい私のテンションも上がって、機嫌よく世間話みたいな会話を軽くしながらとにかく私はケーキを食べた。上品で小ぶりなケーキなので、3~4個くらいで普通のショートケーキを1個食べた気がするくらいのものだったため、色んな種類をどんどん食べられそうだった。海も陸もけっこう本気で食べていた。


 そのうちできるだけ色々な種類が食べてみたいということで、各自持ってきたケーキを半分にしたり三等分にしたりして分け合って食べたりもしていた。一緒に食事して同じものを食べてしかも甘いものは人を幸せにする、という魔力だった。うっかりすっかり仲良しみたいになってしまった。


 ガラス越しに夕日が沈んでいくのを眺め、すっかりその光の色彩の美しさに惹き付けられてつい時間を忘れてしまった。私達が帰宅の途についたのは暗くなってからだった。そのままタクシーで一緒に帰った。ちょっと遅くなってしまったのもあって、二人が一応母に挨拶していくと言うので、別にいいのに、と思いながら自宅に入ってただいま、と声をかけてから「遅かったじゃない」と出てきた母に二人を会わせた。一緒にケーキバイキングに行ってきたって言うのかと思ったら、海と陸は「遅くまで神奈を引き留めてしまってすみませんでした」と言ってから、学校帰りにたまたま会ったので、近くにある勉強部屋で一緒に勉強していた、という、まことしやかなそして絶対怒られそうにない完璧な言い訳をして、逆に母に「まあ、ありがとう」とお礼まで言わせていた。


 おそるべし、悪魔の双子兄弟。


 私は黙ってそれを見ていたが、自分も関わっていることなので沈黙はきんに徹した。


 夕飯のデザートに好きなお店のケーキが出てきたときは心で泣いた。


「……明日の朝食べる」


 そう言った私に、母が驚いていた。


「朝に食べるの?!」


「食べる。とっておいて」


 私にはそれしか言えなかった……。 


  


  


  


 ケーキバイキングに釣られてしまった私がいけないの。エサで釣ろうとしているってわかっていたのに。なぜか釣られてしまった。そして結果がこれだよ。


「何で私が海と陸と一緒に勉強しないといけないの?!!!」


 日曜の朝九時。私は朝食の席で叫んでいた。間の悪いことに味方になってくれたかもしれない父はまだ寝ていたので朝食の席にはいなかった。


「だって先週は一緒に勉強してきたじゃない」


 母に言われて私は、うっ、と言葉に詰まった。


「どうせ今日は何も予定ないでしょ。あの子たちを見習って一緒に勉強してきなさいよ。分からないところは教え合った方が互いに役立つからって言ってくれてるのよ。有難いじゃないの。どうせ家でごろごろしてるだけでしょ」


 そう言われ、お重に入った弁当を目の前にどかッと置かれた。


 朝玄関の前を掃いていたら、海と陸がジョギングから帰って来て挨拶するついでに、もし神奈の予定がないならまた今日も一緒に勉強しないか誘ってもいいですかと尋ねたそうな。そんなこと言ったら母は大賛成に決まっている。お礼に三人分のお弁当を作るから是非ともうちの子をよろしくと勝手に返事してしまったらしい。なんてことしやがる。


 十時半頃に迎えにきた悪魔の双子兄弟に私は引き渡され、なぜ、どうして、と頭がくらくらしながら二人と一緒に彼らの勉強部屋のあるマンションに向かうはめになった。


「なんでそんなに不機嫌そうなんだよ」


「あんたたちのせいでしょ」


「ひどいなあ、親切に誘ってみただけなのに」


「うそでしょ」


 足をぴたっと止めて私が二人をにらみつけると、二人はにやっとした。


「そんなにピリピリすることないじゃん。楽しくやろうよ」


「そうだよ、こないだは久しぶりに三人で仲良くできて楽しかったじゃない」


「なに企んでるのよ」


「人聞き悪いこと言うな~」


 心外そうな顔をわざわざする二人を疑いの目で見ていたら


「神奈ってこんなやつだったっけ?」


「そうだよな、昔は素直で可愛かったのに」


 とか勝手なことぬかすから


「あんたたちが悪魔の双子兄弟だって知らなかったからだよ」


 そう言ったら、二人はますます心外だという顔でのたまった。


「何だよそれ、ひどいなあ」


「悪魔ってなんだよそれ」


 もう彼らのマンションの前まで来ていたので、とりあえずおとなしくそのまま入ってエレベーターに乗った。エレベーターの中では三人だけだったので私はきっと二人をにらみつけて怒りをぶちまけた。


「何も知らない無邪気な私のファーストキスを奪うだけじゃなくて舌まで入れてきたり、抱きついたり、胸さわったりやりたい放題してたじゃないの!!! このエロがき悪魔!!! 何てことしてくれてたのよ!!!!」


 二人はけろっとした顔で


「何だそんなことか」


「そんなの子供の無邪気なたわむれじゃん。意味も分からずしてたんだからさ」


 そこで目的階に到着したので私たちはまた一旦休戦して黙った。


 陸が開錠してドアを開け、海が「まあ、とにかくどうぞ。もうそんなに子供じゃないから、ちゃんとマナーくらい守るからさ。そんなに怒るなよ」と言って私を後ろから促したので陸の後に続いて中に入った。


「おじゃまします」


「どうぞー」


 と言って、さっさと陸は中に入っていった。


 飾りのないきれいな玄関だった。入ると廊下があり左手のドアを開けると広いダイニングキッチンで、陸はそこに入って行った。後から来た海に促されて私もそこに入ると


「何飲む?」


 冷蔵庫を開けていた陸がオレンジジュースと炭酸飲料のペットボトルを手にしてこっちを見る。


「コーヒーや紅茶もあるけど? 俺はコーヒー飲むからいれるけど」


 手を洗ってから海がそう言ってコーヒーメーカーに粉をセットしだしたので、私は「コーヒーがいい」


「俺の分もいれといて」


 陸は海にそう言って炭酸飲料をコップに注いでそのままごくごくと飲み干してから、私を奥に連れて行った。ダイニングキッチンからすりガラスの引き戸を挟んで奥にリビングがあった。横長に広いリビングにはソファとテーブルと大きなクッション、棚、オーディオボード、オーディオセットやテレビがあるだけで他に飾りなどは何もなく、ベランダに面してガラス戸が六枚並んでいるので開いたカーテンから日差しがたっぷり入って明るい部屋だった。陸がガラス戸を開けて風を通したのもあり、明るく開放的な雰囲気だった。


 ふかふかのカーペットに直接座ってガラスのテーブルの上に勉強道具を出し、コーヒーを飲みながら三人で真面目に勉強をした。母が持たせてくれたお弁当は少し勉強してから休憩を挟むときにみんなで食べた。不覚にもまた何だか妙に和んでしまった。ずっと怒り続けているのは疲れるし、気心が知れている昔馴染みなので、結局は何となく居心地がよくなってしまうのだ。海と陸の学校の方がだいぶ進んでいたので私は彼らに教わりながらだいぶ先まで予習を進めることができ、意外にしっかり真面目に勉強をして主要科目の予習復習まできっちり仕上げた頃には六時を過ぎていたので、自分でも驚いた。


「すごい。本当に真面目に勉強するんだね」


「当たり前だろ」


 疑って悪かったかな。ちょっとそう思いながら二人を見ていたら、海が笑って言った。


「来てよかったでしょ?」


「う、まあね」


 二人とも教えるのがうまく、確かに助かったことは助かったのだ。


「陸も海も教えるのじょうずだね」


 私がそう言うと二人はふふん、とえらそうにした。


 なんかしゃくに障るけど、まあいいか。


「神奈のところの夕飯は何時?」


「だいたい七時から八時頃かな」


「じゃあコーヒー飲んだら帰るか」


「ふたりはいつも何時ごろまでここで勉強しているの?」


「たいていは十時すぎくらいまでいるかなあ」


「通いの家政婦さんが掃除して食事も作って置いてくれているから、家には殆ど風呂と寝に帰るみたいなもんだな」  


「今日はどうするの」


「帰るから家で適当にあるもの食べるよ」 


 何かそれでは申し訳ないような。


 最近二人の両親は忙しいらしく、いつも帰宅するのが午前をすぎてからなのを知っていたので、


「私は一人でも帰れるから家政婦さんが作ってくれているものを食べて帰ったら?」


 と言ったら陸が


「じゃあ、神奈も一緒に食べてってよ」


「それじゃあ、よけいになんか申し訳ないじゃない」


「何で? 一緒に食べて帰ろうよ、その方が楽しいし」


「そうだよ。作り置きのもあるけど、一緒に何か適当に作ってもいいしさ」


 と言うので、勉強を教えてくれたお礼に何か作ることにした。食べたい物をきいたらオムライスが食べたいと言うので、冷蔵庫を見て足りないものを近くのスーパーへ一緒に買いに行った。母にはご飯を一緒に食べて帰ると連絡をして十時までに帰宅すればよいと言われていたので時間もそんなに気にしないで良かったのだ。三人で分担して夕食を準備するのは楽しかった。海は玉ねぎやニンジンのみじん切りなどをやってくれて私が使った調理道具も端から洗っていってくれたし、陸はサラダを作った。作り置きの野菜の煮物とかあえ物なんかも小鉢に入れて和洋ごちゃまぜの夕食だったけれど、なんだか楽しいごちそうだった。自分たちで作って自分たちで食べて片づける、その行程のすべてが何となくキャンプをしているみたいで楽しかったのだ。


「また来てよ」


「楽しかったね」


 帰り際、それぞれの自宅へ別れるところで二人にそう言われたとき、私も「うん」と本当に思って頷いていた。双子は子供の頃に戻ったみたいに嬉しそうな表情をしていた。外灯に照らされ夜の中浮かび上がっている無邪気な笑顔はなんだかとても可愛らしく儚く見えた。そうして「おやすみ」と言って私たちはそれぞれの家に帰った。


  


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