願いを叶える樹
風に流れる雲が魔的に輝く満月に薄くヴェールをかけた。
その瞬間、フィロが仕掛けた。一足で懐に迫りダガーを突き出す。ラミナはその白刃をブレードの上で滑らせていなした。今度は、ラミナがもう一方の腕から展開した内蔵ブレードでフィロの脇腹を狙った。ラミナも自身と従事する家族に迫っている脅威には容赦しない。フィロはわかっていたかのように、スティレットを抜いてブレードを受け止めた。これで互いに二刀流だ。
そこから行われたのは、四つの白刃による危険な舞踏だ。フィロのむき出しの殺気と戦闘者としての本能。ラミナの演算回路がはじき出す戦闘的最適解とその行動。月夜の下で目まぐるしい斬撃交換が繰り広げられる。
フィロのダガーがラミナの胸部の中枢エンジンを狙って振るわれた。必殺を目指した一撃だったが、それはエプロンドレスの胸元を切り裂くにとどまった。鋭さに欠いたのは、攻防が続いたことによる疲労が原因だ。フィロが舌打つ。
逆に疲労を知らないラミナが好機を迎えた。ブレードがフィロの腕を切り裂き、思わずフィロの手からダガーが滑り落ちた。
ラミナが畳みかける。しかし、グレムリン唯一の生き残りが劣勢のまま終わるわけはなかった。フィロは驚くべき俊敏さで荒ぶる両刃を掻い潜り、ラミナの足を払って体術で地面に叩き付けた。すかさずラミナの両腕を足で踏みつけて押さえ込むと、喉元にスティレットを突き付けた。
オートマタの頸部には、脳にあたる思考演算装置から信号を体に送るための銅線の束が通っている。それを断たれるとオートマタは行動不能に陥るのだ。一刺しで正確にそれを断つのは至難の技だが、フィロには可能だった。この状況はすなわちチェックメイトに等しかった。
「おまえは手強かったよ。ラミナ」
息が上がっているにも関わらず、フィロが握るスティレットの先端はいささかも揺れることはない。ラミナはフィロを見上げた。ブレードで深く傷ついた腕から血が流れ、スティレットを伝っていた。粘り気のある赤い血が奇妙なほどゆっくりと刀身の上を滑っている。フィロの体に渦巻く殺意、否、正しくは破壊欲求が、切っ先から滴っているようだった。
「今までもこうやってオートマタを葬ってきたのですね。いったい、何体のオートマタを葬ってきたのでしょう」
組み伏されてなお変わらないオートマタ特有の無感情な態度が、毅然とした態度のようにも見える。それに、ラミナの言葉はフィロの耳にひどく人間じみて聞こえた。
「まさか、昔のお仲間のことを気にかけているのか? 見た目以上に人間だな。無表情で無感情な心ない機械だと思っていたが、怒りすら覚えていたりしてな」
フィロは薄笑いを浮かべ、足元に縫い付けたオートマタを眺めた。めくれ上がったエプロンドレスの裾からは艶やかな太腿が、布の裂け目からは柔らかそうな胸のふくらみがのぞいている。どこを見ても、うら若き人間の女性と何ら変わらない。何度見ても見た目だけはほとんど人間だ。だが、フィロの性的欲求や嗜虐心が昂ることはなかった。これはただの人形だ。いや、なまじ人間に近すぎるため、人形以上に不気味に思える。これを抱いているシニスタン人の気がしれない。虫唾が走るとはこのことだ。
「実際のところ、勘定していたのは最初の頃だけだ。途中から数えるのはやめた。ただ、おまえが最後の一人であることはまちがいないぜ」
「わたしをのぞく全員を? にわかには信じられません。もし、その話が本当なら、よく全員の居場所を突き止めたものですね」
「そうさ。そうだとも」
フィロの口調には充足感のくすぶりがあった。
「ラミナ。おまえを始末したら、おれの壊し屋稼業もここで終わりだ。最後の一体を葬るとき、語ってやろうと思っていたことがある。機械どもの天国でお仲間連中に聞かせてやってくれ」
「一体、何を語るというのでしょうか」
「夕食のとき話したろう。願いの樹の話だ。妹の幸せを願ってそれが叶ったって話さ。あれは嘘っぱちだがな。実は樹に辿り着いたのは本当の話なんだぜ」
ラミナの無感情な瞳を見て、人間なら驚いただろうに、とフィロは鼻を鳴らす。
「壊し屋になりたてで、早く実績が欲しいとおまえたちを血眼になって探し回っていたある日のことさ。ちょいと天気の悪い日で、空を飛ぶにはいささか雲行きがよろしくなかった。だが、おれはその日のうちにできるだけ目的の場所に近づいておきたいと思っていた。それが裏目に出て、おれは嵐にやられて墜落しちまった」
フィロは当時を回顧しながら嘆息する。
「カイトの自由が利かなくなったときは死んだなって思ったが、おれは生きていた。気を失っちゃいたがな。目を覚ましたのは、ちょうどここみたいなふかふかの草が辺り一面を埋め尽くした場所だった。やっぱりあの世かと思ったが、そこは小さな島だったんだ。一面が草原のな。島の中心には巨大な樹が立っていた。その樹以外、島には何もなかった。おれは迷わずその樹へ向かっていった。辿り着いた樹の根元には、簡単な石碑のようなものが立っていた。見たこともないような文字が書かれたものさ。読めはしなかったが、それが願いの樹だってことは直感的にわかったんだ」
昨日のことのように、フィロの脳裏にその情景がよみがえる。
「おれはあまり信心深い方じゃないが、さすがにその時ばかりは神の存在を感じずにはいられなかった。たったひとり苛酷な戦闘から生き残ったおれに、神は復讐の機会を与えて下さったのだとな。だから、おれは迷わず願ったんだ。おれの仲間たちを葬った機巧兵団の生き残りの居場所、そのすべてを知りたいってな」
「樹に願って、わたしたち機巧空挺部隊の居場所を知り得たというのですか?」
ラミナが確認するように言葉を返した。フィロは声を上げて笑った。
「狂っていると思うならそれでもいい。どうせ誰も信じやしないのさ。願いの樹なんておとぎ話だもんな。別におれは気にしないぜ。現実として、おまえたちの居場所を突き止め、こうして破壊できている。その真実だけがあればいい」
フィロは満足するまで語ったのか、ラミナの喉元に突き付けたスティレットを改めて強く握った。あとはほんの少しそれを突き下ろせばいい。それで長い旅が終わる。
ラミナが口を開いた。
「信じますよ。いえ、信じないはずがありません」
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