屋敷にて
訪問者
シニスタン王国領内の緑豊かな高原に、オリーゴ家の屋敷はあった。先代は三年前の戦争終結後まもなくこの世を去り、今は家督を継いだ一人息子のクレメンスが、妻と娘と母親と、そしてメイドとして働くラミナというオートマタと共に暮らしていた。
「おっきな鳥さん!」
四歳になるテネリタが、窓の外を見て声を上げた。義母マーテルと編み物を楽しんでいたクレメンスの妻ベネは、愛娘の様子にこりと微笑む。大きめの山鳥でもやって来たのだろうか。しかし、そのテネリタが突然、玄関の方へと駆け出した。
「お客さん!」
「やだ、あの子ったら! テネリタ! 走らないのよ!」
ベネは慌てて編みかけのものを椅子の上に置き、テネリタを追いかけた。玄関前でようやくテネリタが捕まったとき、ちょうど外から扉をノッカーで叩く音が響いた。
背丈が足りないのに一生懸命に扉を開けようとするテネリタを下がらせ、ベネはマホガニーの立派な玄関扉を開いた。
そこにはフードを被った一人の男が立っていた。男は扉が開くのを待ちがてら、首から下げた首飾りを弄っていた。シニスタンとデクスラント、両国のコイン二枚に穴を開けて紐を通したものだった。戦争を経て今や和平を結んだ両国の硬貨なだけに、何かの願掛けのようにも見える。
「どちらさまでしょう?」
ベネの声に警戒の色が滲む。男はそれを敏感に察したのか、速やかにフードを取り払って、まずは面を露わにした。そして両手を広げて何も手にしていないことを示す。
「急にすみません。驚かせてしまいましたね」
男は肩をすくませ、ベネの背後に隠れてこちらの様子をうかがうテネリタを一瞥した。あからさまに警戒している様子に思わず苦笑が零れる。
男は親指で背後にあるカイトを指差した。
「愛機が機嫌を損ねてしまったようなんです。こいつがたぶんちょっとやそっとじゃ機嫌を直してくれなさそうでね。今日中に山を下る予定だったんですが、それがちょっと難しい。なので、この辺りでどこか宿がないかお聞きしたいんですが……」
ベネが背伸びして男の背後を見た。草の絨毯の上に、不貞寝よろしく横たわったカイトがあった。テネリタの言った大きな鳥さんとはこれのことだった。
「修理の方は大丈夫なのですか?」
「ええ。たぶん。でも時間の方がね。もうすぐ日も暮れる。だから、明日朝早く起きて作業して、昼に飛ぼうかと」
「そうですか。でも、この辺りは牧場しかなくて、宿なんてありませんわ」
ベネは心苦しそうに眉尻を下げた。男もそれは困ったとばかりに後頭部を乱暴に掻いた。
「でも、少々お待ちになって」
ベネは一度玄関を閉め、屋敷の中へ引っ込んだ。言われるがまま男が外で待っていると、ややあって再び玄関扉が開いた。顔をのぞかせたのは屋敷の主クレメンスである。
「やぁ、旅人さま。宿がなくてお困りだとか?」
クレメンスの優しい微笑みには人柄の良さが滲み出ている。
「ええ。せめてもう少し街に近いところまで頑張ってくれりゃね。そう困ることもなかったんですが」
男はトラブルを恥じるように笑った。
「もし、よろしければうちに泊まっていかれますか?」
「いえ! とんでもない。こんな立派なお屋敷に泊めてもらうなんて」
「構いやしませんよ。空いた部屋はありますから」
「いえ、そうではなくて」
「何か他に問題でも?」
「いえ、自分はシニスタン人のくせにカイトに乗っている。あまり好かれちゃいないでしょう」
男はあごをしゃくり、後ろのカイトを示した。クレメンスは快活に笑った。
「はは。わたしは気にする人間じゃありませんよ。戦争はとうの昔に終わりました。カイトをデクスラントのものだと毛嫌いするのはナンセンスです。さぁ、お気になさらずに」
結局、男はクレメンスの好意に甘えることにし、一晩の宿を貸してもらうことにした。男はフィロ・ラルスと名乗った。
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