また会えたら結婚しよう、と約束した元カノに一週間でバッタリ再会しちゃった件

永菜葉一

第1話 イブの夜、始まりの屋上で恋人になった

 いつか。

 もしどこかで。


 また出逢えたら、その時は結婚しよう。


 俺たちは大真面目に約束した。

 そんな奇跡は決して起きないと知りながら。


 と思ってたのに。

 一週間後にバッタリ再会しちゃった……っ。


 これはそんな俺と優愛ゆあの話です。



 ………………。

 …………。

 ……。



 すべての始まりは中学三年のクリスマスイブ。

 俺が彼女――藤崎ふじさき優愛ゆあと付き合うことになった日。


真広まひろ、その……どうだった?」


 背後から遠慮がちに尋ねる声。

 真広というのは俺の名前だ。


 ちょうど通話を切ったばかりのスマホを握り、俺は答える。


「……ダメだった。今、離婚届に判を押したって」

「そ……っか」


 消え入るようなその声は、後ろにいる藤崎さんのもの。


 時刻は午後八時過ぎ。

 イブの夜、俺たちは学校の屋上にいた。


 もちろん許可なんて取ってない。

 昼間のうちに準備して、こっそり忍び込んだのだ。


 とっくに放課後を過ぎているから、周囲にはほとんど光源がない。


 代わりに屋上のフェンスの向こうには、きらびやかな街の灯かりが輝いていた。


「ごめん、藤崎ふじさきさんには本当に色々助けてもらったのに……」


「真広が謝ることじゃないわよ。わたしがしたくてしたんだもの」


 視界の端で明るい色の髪が揺れた。

 ベンチに座っている俺の横を通り、藤崎さんがフェンスの方へ歩いていく。


「きれいね……」

「うん……」


 フェンスに指を掛け、彼女は夜景を見つめる。


 藤崎さんは凛とした雰囲気の美少女だ。

 俺と同じ中学三年生で、教室では隣の席に座っている。


 瞳は透き通った宝石のように美しく、すっと鼻梁が通っていて、肌も恐ろしくきめ細かい。


 さらさらの髪は色が明るめで、光の加減によっては輝いて見える。


 家は日本有数の企業・藤崎グループ。

 つまりは社長令嬢。


 そんな人に手助けしてもらったのに、上手くいかなかった。

 情けないし、申し訳ない。


「本当にごめん……」

「そんな顔しないでよ。お願いだから」


 こちらを振り向き、藤崎さんは困った顔をする。


「真広、今はあなたが哀しむ時よ。わたしのために心を砕く必要はないの。ね?」


 藤崎さんのようになれたら、俺ももっと上手く事を運ぶことができただろうか。


 つい今しがた、俺の両親が離婚した。

 スマホの通話は母親からで、離婚届に判を押したという報告だった。


 もとから歯車の噛み合っていない夫婦だったけど、でも息子としてはどうにかしたかった。


 そんな状況をたまたま知って、手助けしてくれたのが藤崎さんだった。


 彼女はたぶん、相当なお人好しなのだと思う。


 藤崎家の力をフルに使って両親の状況調査をしたり、一緒に両親の思い出の場所へいって作戦を練ってくれたり、今日なんて彼女の計らいで両親にホテルのクリスマスディナーをプレゼントした。


 だけど、ダメだった。


 結果はこんな形になってしまったけど、藤崎さんは恩人だ。

 そんな人に良い報告ができないことが哀しかった。


「俺のことはいいんだ。正直、覚悟もしてたから。でも……今日はクリスマスイブだ。今さらだけど、せっかくの日に藤崎さんを付き合わせてごめん」


「その話なら以前まえにもしたでしょ?」


 髪をなびかせてこちらにくると、藤崎さんがふわりと隣に座った。


 一挙手一投足が洗練されていて、絵になる人だ。


「わたしは将来、藤崎グループを背負って立つ人間よ。だから決めてるの。わたしの社員、その家族、取引先や契約相手、仕事の関係者や地域の人たち、わたしに関わる人はみんな漏れなく幸せになってもらうって」


 芯の通った声だった。

 目に迷いもない。この人は本気で言っている。


「もちろん、いつかの話じゃない。今から実践しなくちゃ意味がない。隣の席の男の子が困っていたら、わたしは全力で助けるわ。それぐらい出来なきゃ、藤崎家のすべてを背負ってなんていけないもの。――だから真広はわたしのことなんて気にしなくていいの」


 ね、と俺の肩に触れ、柔らかく微笑んでくれる。


「むしろこんな素敵な男の子とイブを過ごせるなんてラッキー、って思ってるわよ、わたし。本当だからね?」


 ……ああ、格好良いな、藤崎さんは。


 俺は小さく頭を下げる。


「ありがとう、慰めてくれて」


 すると、なぜかきょとんとされた。


「えっ、慰め? や、違うんだけど……あれ? わたし、いま結構勇気出して言ったのに……あ、あれ?」


 格好良いキメ顔が崩れ、何やらごにょごにょ言い始める。


 声が小さくて上手く聞き取れない。

 どうやら独り言らしいので、聞いては悪いと思い、俺は空を見上げた。


 街の灯かりよりもずっと控えめに、小さな星々が輝いていた。

 ああ、そういえば昔、キャンプにいった時、家族で星を見たっけ。


「別れるくらいなら、どうして結婚なんてしたんだろう……」


 父も母も俺にとっては良い親だったと思う。


 でもお互いにとっては良きパートナーではなかった……ということなんだろう。離婚してしまうくらいなのだから。


 今夜、屋上を選んだのはゲン担ぎのためだった。


 最近、この街の中高生の間では、学校の屋上が恋愛成就の聖地になっている。


 近隣の高校の屋上で男子生徒が公開告白をし、さらにはオッケーした女子と公開キスまでして、その動画が拡散されて大盛り上がりになったのだ。


 以来、告白をしたり、男女関係の悩みがある学生は、自分の学校の屋上にきてゲンを担ぐということが流行っている。


 俺も少しでもあやかりたくて、今日は中学の屋上で両親のディナーが終わるのを待っていた。


 結局、上手くはいかなかったけれど。


 出逢って、愛し合って、お互いがお互いの大切な人だから、両親は一緒になったはずだ。

 その想いがやがて風化し、錆びついてしまうのなら、出逢いとはなんなのだろう。


 ……ああ、うん、そうだな。


 きっと俺はこの先、誰かと付き合ったり、恋人になったりなんてことは出来ないと思う。


 大切な想いがやがて風化し、錆びついてしまうくらいなら、最初から目を瞑ってしまいたい。存在しないものとして、気持ちを閉じ込めてしまいたい。

 

 そんなことを思って、星から目を背けようとした時。


「諦めないで」


 突然、手を握られた。


「藤崎さん……?」


 驚いて隣を見ると、真っ直ぐな瞳が俺を見つめていた。

 熱のこもった手のひらに包まれて、鼓動が加速していく。


「真広、あなた今、自分を諦めようとしてたでしょ? そんなのダメ。わたしが絶対許さない」


 きゅ……っと温かい手のひらに力がこもる。

 冷え切った指先に熱が戻っていくような気がした。


「ご両親のこと、わたしも悔しい。正直、自分の力不足を恥じる。今日までにもっと出来ることがあったかもしれないのに……」


 だから、と彼女は続けた。


「せめて真広だけは不幸にさせない。大事な人を想って哀しむのはいい。でもどうか自分の未来からは目を背けないで。ご両親とあなたは別の人間よ。真広には真広の未来がある」


「ある、かな……」

「ある。絶対にある!」


 力強い言葉だった。

 信じたい、という気持ちが心の隅に芽生えてくる。


「何かない? 真広がしたかったこと、これからしたいこと」

「俺のしたいこと……」


 少しの間考えて、やがてふと思い浮かんだ。


「俺さ……」

「うん」


 聞かせて聞かせて、と表情で促してくれる。

 その厚意に甘えて口を開いた。


「来年、彩峰あやみね高校を受けるんだ」

「彩峰? あ、動画の屋上伝説の高校ね。いいじゃない」


「それで……」

「それでそれで?」


「高校にいって……彼女作れたらいいな、なんて恥ずかしいことを思ってた……」

「ほ、ほう……っ?」


 もちろん両親の不仲が本格的になる前のことだ。

 今思えば、穴があったら入りたいくらい恥ずかしい願いだけれど。


 でも藤崎さんのおかげで少しだけ前向きになれそうな気がしてきた。


「べ、別に高校まで待つ必要もないんじゃないかしらっ?」


 突然、藤崎さんの声が上擦った。

 さっきまでの自信溢れる感じが嘘のように落ち着きがない。


「か、彼女を作りたいなら別に……今からだってできるんじゃないっ?」

「今から? いやもう中三の冬だし、三学期なんて受験で潰れるし、さすがに……」


「さ、三学期じゃなくて! 今この瞬間よ、この瞬間!」

「この瞬間……?」


 思わず眉を寄せる。

 どういう意味だろう?


 俺がいぶかしげな顔をすると、何か違う意味に受け取ったのか、藤崎さんは急に慌てだした。


「ご、ごめんなさい! わかってる……! ご両親がこんなことになった日に言うことじゃないってわかってはいるの……! で、でもでもっ、今ここでどうにかしないと真広はやっぱりだんだん塞ぎ込んでいっちゃう気がするし、だから……!」


 思いきり腕を引っ張られた。


「えっ!?」


 まるで芸術品のような美しい顔が近づいてくる。

 そして突然、とんでもないことを命じられた。


「わたしに『好き』って告白しなさい!」

「なんで!?」


「だってクリスマスイブよ、イブ! しかもこの夜景! きれいな星空! 極めつけに流行りの恋愛の聖地、屋上! 何かの間違いでわたしもころっとオーケーしちゃうかもしれないじゃない!? 今がチャンスよ!? 千載一遇で乾坤一擲よ!?」


「いやそれどういう心境のセリフ!?」

「いいから告白しなさい、こーくーはーくー!」


 首根っこを掴んでがっくんがっくんされた。


 ワケがわからない。

 格好良い藤崎さんから一転、駄々をこねる可愛い子供のように迫ってくる。


「ふ、藤崎さん、落ち着いて……っ」

優愛ゆあ!」

「へ?」


「ずっと気になってたの! わたしは真広って名前で呼んでるのに、いつまで『さん』付けしてるつもりなの? ちゃんと優愛って名前で呼んで!」


 や、名前で呼び捨てなんて恐れ多いんだけれど……っ。


 しかし勢いに押されてしまった。

 呆然ぼうぜんと口を開き、名前を呼ぶ。


「ゆ……優愛?」

「――はう!?」


 途端、紅葉のように真っ赤になった。

 ばっと顔を隠すようにし、藤崎さん――否、優愛は背中を向ける。


 髪の間から覗いている耳が真っ赤だった。


「し、心臓がすごいバクバクする……っ。真広に名前呼ばれるだけでこんなになっちゃうなんて……わたし、もしかして自分で思ってるよりずっと真広のこと……?」


「え、えーと……優愛?」

「ストップ! 禁止! 一旦、名前呼ぶの中止ーっ!」


「ええ、自分で呼べっていったのに……」

「だって破壊力が想定以上だったんだもん!」


 だもんて。

 普段の凛とした雰囲気とのギャップがすごい。


 同時に、まさか……と思った。

 あんなにも頼もしくて格好良いこの人がまさか俺なんかに……。


 しかしそんな戸惑いもすぐに吹き飛ばされてしまった。


「それで……」


 背中を向けたまま、肩越しに振り返ってくる。

 微妙に潤んだ瞳と朱の差した頬で。


「……告白は?」


 ちょっと拗ねたような表情が可愛かった。


 ああ、これは……逆らえない。


 白状するならば。

 もうずっと以前まえから俺はこの人のことが好きだった。


 この気持ちは目を瞑って閉じ込めておくべきだとも思っていた。


 でもきっと彼女はそういう迷いを許さない。

 だから自然に言葉がこぼれた。


「好きです。俺と付き合って下さい……っ」


 背筋を伸ばしてそう言った。

 清水かどこかの舞台から飛び降りるような気持ちだ。


 しかしなかなか返事がこない。

 優愛は押し黙ったまま、なぜか肩をぷるぷると震わせている。


「……」

「えーと、あの……?」


「俺、一応告白したんですが……」

「……」


 ぷいっとそっぽを向かれた。


 不安になってくる。

 だがぽつりと囁き声が聞こえてきた。


「……やっと言ってくれた」

「え?」


 聞き返した途端、どかーんと爆発しそうな勢いで優愛が振り返ってきた。


「やっと言ってくれたわねコンチクショウ! 隣の席になって数か月、わたしがどんな気持ちで片思いしてきたと思ってるのよ、真広の鈍感男子! この藤崎優愛を片思いでモヤモヤさせるなんて生意気の極みなんだからねっ、覚悟はできてるんでしょうね!?」


 ぽすん、と胸にパンチを食らった。

 そして照れ隠しの命令口調で宣言される。


 宝石のような美しい瞳と。

 赤く染まった可愛らしい頬で。



「ぜーったい幸せにしてやるんだから。覚悟しときなさいよっ!」



 イブの街灯かりをバックにして、明るい髪が星のように輝いていた。


 これはつまり……告白の返事はオーケーということ。

 俺は早鐘のような心臓を押さえ、「……は、はい」と頷くことしかできなかった。


 たぶんこの瞬間、俺はさらに恋に落ちたのだと思う。


 

 こうして。

 中学三年のクリスマスイブ。

 学校の屋上で優愛と俺は恋人になった。

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