第13話

 鍵を開いて、ドアの向こうをそっと覗いてみる。「合鍵」。あなたを抱いた夜、手渡された。私の奇妙な二重生活は、あの夜から始まった。色白のあなたの微笑が部屋の奥に見える。

 妻がなにかを感づいているかどうかは、まったくわからない。大学というものは遅くまで講義があったり、学生たちとの交流があったりして、帰宅の時刻は遅くても苦情を言われたことはなかった。

 怪しまれることのないように、私は頻繁にはあなたのアパートへは行かないようにした。しかし出向いてしまえば、誘惑に負けてあなたを抱きつぶしてしまう。むさぼってむさぼって、餓鬼のごとくむさぼり尽くしてしまう。こんなにも欲求が強くなったことはなかったのに、あなたという存在を前にすると、私は思春期の少年になってしまった。それほどまでに、あなたは魅力的だった。


 なのに、あなたは私に飽きられることを、とてもいやがった。

「先生に飽きられてしまったら、死んでしまいたい」

「飽きてなんかいないですよ」

「そのうちに、飽きます。私はもうすぐ40です、若くないの」

初めて年齢を知った。私にとってのあなたは十分に若々しく、美しく、言うことなどなかったのに。

 あなたが暴力から逃れてこのアパートに落ち着いてから、なんども身体を重ねた。深いあざは少しずつだが薄くなってきている。年齢を考えれば治るのに時間はかかるだろうが、きっと治っていくはずだ。

「飽きるどころか、どんどん好きになる」

「本当ですか」

「本当です」

 外は今日も雪が降っている。積もってはいないが、しっとりとした空気に包まれているのがわかる気候だ。

「ゆりさんは私の雪の精だ」

「ゆきのせい、ですか」

「雪の妖精のこと、ですよ」

 ふんわりとやわい胸に顔を埋め、細くしなやかな腰を撫でる。あなたの身体はゆるやかにうねった。

「春になったら、消えるのかしら」

「あなたは消えない」

 消えないでと、胸元に強く口づけて、吸った。


 冬が過ぎつつあり、年度の切り替わりが近づいてきた頃、私の仕事は忙しくなった。教育機関はその頃が最も多忙だ。

 あなたに「しばらく忙しくなるから、行かれないよ」とメールをした。あなたからは「お身体にお気をつけてくださいね。私も忙しくなっています」と返信があった。

 会えないことは、不安で寂しかった。あなたの体温が遠くなり、身体が冷え切るような気持ちになった。なごりの雪がぱらつくと、陰鬱な気分になる。寂しさのあまり私は、妻に抱きついてしまったりもした。気味が悪いと笑われた。妻への申し訳ない心と、求める人の不在が、私の心身を落ち込ませた。


 桜が咲く頃になったら、なんとか時間を作って会いに行こう。そう思いながら、私は仕事に追われていた。


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