ナンシーの買い物


 レンは、今回の一件で『超・有名人』になった。


 派手で挑発的なチラシで顔が広まり、鶏の買い占めで女豪商ナンシーの強力な後ろ盾が噂になり、ジュリアンヌとの対決で誰よりも美味いラメンを作ったことで民衆の支持を得た。

 もはやチンピラから権力者に至るまで、レンに手を出そうと考える者は誰ひとりいないだろう……。

 もし何も知らない流れ者に絡まれたとしても、近くにいる一般人がすぐ助けに入るはずだ。


 オーリも、後悔のため息を吐きつつ言う。

 

「おめえがやったことは、本来なら俺っちかリンスィールが気づいて、先にやらなきゃならねえことだったんだ……。言葉も通じない異世界でレンを自由にさせる前に、クエンティンの野郎にでも頼んで、有力者やラメン関係者にだけでもレンのことを知らせるべきだった! そうすりゃ、ジュリアンヌとのトラブルだって未然に防げたはずだぜ」


 ナンシーは苦笑する。


「そうだね。あんたらは、いつだってウッカリ者だよ。でも、そのおかげであんなに美味しいワンタンメンが食べられたんだ。あの味に比べたら、あたしの信用なんて安いもんさね」


 彼女はそう言うが、あんな稚拙で自分勝手な振る舞いをしたら、怖がる取引先だって出てきてしまう。

 もちろん、優秀な商人ならば『真意』が別にあることに気づく。

 そしてナンシーほどの豪商ならば、『そういう人物』とだけ付き合えば、商売は上手くいくのかもしれない……。

 しかし、それでも彼女の評判を大きく傷つけたのは確かなのだ。


 ナンシーはどうなるか、全てわかったうえで実行に移した。

 強引な鶏の買い占めに走り、審査員に自分をねじ込み、動作と声と表情をフルに使って、観客の前でレンの敵を脅してみせた。

 つまり、ナンシーは商人にとって『金』と同じくらい大切な『信用』を支払うことで、『この街でのレンの安全』を買い取ったのである!


 こんな大胆な買い物、彼女にしかできない。

 まさに、『女豪商』の二つ名に相応しい。


 オーリが上ずった声で言う。


「よ、よう、ナンシー。おめえ、暇ならよ。俺っちと一緒に来てくれねえか? 今日のラメン勝負がどうなったか、見物できなかったブラドとマリアに話してやりてえんだ」


「いいよ。じゃ、一緒に『黄金のメンマ亭』に行こうかね。ああ、リンスィール。『無敵のチャーシュ亭』の人間に、言伝ことづてを頼まれてくれるかい? あたしが行くと、またあの娘を怖がらせちまうかもしれないからね」


「了解した。なんと伝えればいい?」


「『今後、鴨の仕入れとラメン食材で困ることがあったら、ナンシー商会を頼れ』と……。じゃあ、頼んだよ」


 そう言うとナンシーは、オーリと連れ立って通りに出て行った。


「さて。誰に言伝を伝えるか……?」


 辺りを見回すと、すぐ近くにミヒャエルがいた。

 そう言えば彼は、ラメン食材の仕入れを任されているんだったな。彼ならうってつけだろう。

 私はミヒャエルを呼び止めると、ナンシーからのメッセージを伝えて背を向ける。


「では、私も帰るとするかな」


 と、ミヒャエルが馴れ馴れし気に私の肩に手を回してきた。


「まあまあ。そう急がなくてもいいでヤンショ? 同じエルフ同士、仲良くするでヤンスよ! て言っても、あっしの血は四分の一だけでヤンスけどね」


「……えっ? 今、君、何か妙なことを……?」


「ん? 妙なことって、なんでヤンショ?」


「いや。エルフの血がどうとかって……私の聞き間違いかな」


「あっしは、クォーターエルフでヤンスよ? あっしの出身地『マジェリカ村』は、ハーフエルフの旅芸人一座『マジェリカ・サーカス団』が、現地の人たちと力を合わせて作った村でヤンス。あっしの母親もハーフエルフでヤンシた」


 しばしの沈黙の後、私は驚きの声を上げる。


「は、はあぁあーーーッ!? き、君にはエルフの血が混じってたのかっ!」


 ミヒャエルは、平然と己の耳を指さした。


「で、ヤンス。っていうか、見ればわかるでヤンショ? この長く伸びて尖った耳! こんなの、エルフ以外にありえないでヤンス!」


「むむぅ……い、言われてみれば。鼻やらあごやら前歯やら色々と尖ってるので、てっきり『そういうデザイン』なのかと思ってたよ」


「なんでヤンスか!? そういうデザインって! 人間にそんなのありえないでヤンショっ!」


 ミヒャエルは少し離れた所でテーブルや椅子を片付けてる、巨漢のダルゲを指さした。


「ちなみに、ダルゲもオークの血が混じってるらしいでヤンス。なんでも、御先祖様が有名な絵描きだったらしいでヤンスよ。チラシの似顔絵も、あいつが描いたんでヤンス」


「ほほう、それは意外な才能だね! 実は今、新しく出す本の挿絵を描く者を探していてね。彼ならラメンに詳しいし、仕事を依頼できないだろうか?」


「いいでヤンショ。あっしがダルゲに話を通すでヤンス! 代わりにイトー・レンについて、いくつか聞かせて欲しいことがあるでヤンスよ。ウッシッシ!」


 とっても意地悪そうな顔である。


「……なあ。何か悪事とか企んでないか?」


 ミヒャエルは、心外といった様子で叫んだ。


「そんな!? 悪事なんて考えてないでヤンス。ジュリ様がご執心しゅうしんのレンについて、ちょーっとリサーチしたいだけでヤンス」


「む、そうか。それはすまなかったね。君の顔がなんというか、とてもアレに見えたもので……」


「いいでヤンス。誤解されるのは慣れっこでヤンスよ! あっしの顔が美しすぎるのがイケないんでヤンス。まったく、美形すぎるのも考え物でヤンスなぁ。やれやれでヤンス」


「…………そうか」


 色々と言いたいことはあったが、グッと我慢して飲み込んだ。だが多分、私の美的センスは間違ってない。

 こうして一連の騒動は幕を閉じた。

 その後、街と人間関係に『いくつかの変化』が生じたのだが……それが表に出てくるのは、まだ少し先の事である。

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