第64話 『魚の縁』

 それから一週間、入念な治療でだいぶ傷は塞がったものの完治はしていない状態で、ある程度動けるようになったメンバーは買い出しのために街に出る。

 傷の治りが早かったキラも出たがったが、いつどこに敵の目があるか分からない以上、フードで顔を隠して病院で大人しくしていて貰う他無い。

 ディックとメイ、それにエドガーとオーウェンの四人は、真っ先に街の鍛冶屋へ向かった。

 先の戦いで、せっかく魔法大学で修理して貰ったばかりの防具がかなり傷んでおり、手入れが必要だったからだ。

 特にエドガーとオーウェンの盾は損傷が激しく、全面的な整備が必要だった。

 エドガーの大盾に至ってはあちこちにヒビも入っており、修理するにしてもかなりの手間がかかる。

「うーん、こりゃあ買い替えた方が早いんじゃないか? 代わりの盾なら用意できるが……」

 鍛冶屋の言葉に、エドガーは首を横に振った。

「何とか修理を頼む」

 仕事である以上、頼まれればやる。鍛冶屋は大盾を修理用の棚へ立て掛けた。

 ディックが鉄の胸当ての修理を依頼している間、メイは新しい斧を複数仕入れていた。

 いつも使っている両手持ちの長柄戦斧ではなく、片手持ちできる手斧である。

 ディックが驚いたのはその数で、何と合計8本も買っていた。

「……メイ、そんなに買って、どーすんだ?」

 サブ武器にするにしては、かさばる上に重い。

 それにスペアと言っても8本は持ち過ぎだ。

「使い道ならあるよ」

 そう言って、上着の下の武器ベルトに片手斧を下げていくメイ。

 さながら斧の腰蓑のようになっており、その物騒な物を上から毛皮の外套を被せて覆い隠す。

 これだけでも結構な重量のはずだが、メイはいつも通りの調子で動いていた。

「借りた金がどんどん減ってく……。ったく、ツイてねぇ」

 レアと一緒に賭場で有り金のほとんどを失って以来、パーティ共有の財布から借金をする形で何とかやりくりしてきたディック。

 今回の修理代でまた財布が軽くなり、返済の目処も立たないままだ。

 思わず彼はため息をこぼした。

 鍛冶屋を出た四人は病院へ戻ろうとしたが、ディックだけは近くの酒場で飲んで帰ると言う。

「待て、単独行動は危険だぞ」

 エドガーが止めようとするが、苛立っていたディックはそれを跳ね除けた。

「ちょっとくらいいいだろ?! もうちょっとしたら帰るからさ」

 有無を言わせぬ様子で、ディックは酒場へと入っていく。

「大丈夫なのか?」

 オーウェンはディックの酒癖の悪さを知らないので、単に敵に見つからないか心配しているだけだった。

「止めても無駄だろう。気の済むようにさせてやれ」

 呆れた様子でため息をつくエドガーと共に、メイとオーウェンは病院へと帰って行った。

 一方、酒場に入ったディックはテーブルにつくと一言注文を口にする。

「酒!」

 エールやワインといった酒の種類や銘柄についてうんちくを垂れるような人間は、こんな場末の酒場には来ない。

 とにかく手っ取り早く酔えればそれでいい。

 安酒の価値など、大抵そんなものだ。

 店員も理解しているのか、何の酒がいいかなど聞かずに酒瓶を取りに奥へと消える。

 ちょうど昼時で腹も空いていたので、ディックは酒だけでなく軽い料理も注文することにした。

 財布の中身は少ないが、一人で飲み食いするだけの銀貨は残っている。

 今はとにかく、溜まった鬱憤を晴らしたかった。

「「焼き魚ひとつ」」

 その時、別の席に座っていた男と同時に注文が被った。

「何だ、お前も魚料理が好きなのか?」

 ディックと同じ注文をした男は、右目に眼帯をつけた全身傷跡だらけの大男で、髭面の顔は30代くらいに見えた。

 同時に同じ料理を注文したのも何かの縁と、その男はディックと同じテーブルの向かい合わせの席に移動する。

「俺はジョット――ただのジョットだ。傭兵をやってる」

 そう言って、ジョットと名乗った大男は腰のベルトに下げている戦鎚を見せる。

 見た目の厳つさや得物の物騒さとは裏腹に、親しみやすい顔を浮かべた男だった。

「俺はディック、ディック・オークウッドだ。ワケありで旅してる」

 自己紹介を済ませている間に、料理よりも先に酒が出された。

 ディックは手酌でコップに注いだ安酒を、勢いよく一気飲みする。

「ふぱぁ! ったく、飲まなきゃやってらんないぜ」

 一方、同じく酒を頼んでいたジョットも葡萄酒に口をつけるが、ディックのように喉に流し込むのではなく、ゆっくりと味わいながらだった。

「良くない酒の飲み方だな。魚好きのよしみだ、俺に話してみろ」

 ディックの様子から、すぐに彼が何か悩んでいることを察したジョットはそう提案する。

「いや、俺もパーティ組んで旅してるんだけどさ、最近俺より見た目もいいし、強いし、性格も悪くないって言う、完璧超人みたいな新入りが来たんだよ」

 ディックは前々から不満を抱いていた、オーウェンのことを話し始めた。

「おまけについこの間、博打で有り金ほとんど失くしちまうし、何かよく分からん魔術師に襲われて傷だらけになるし……。ここ最近、いいことがねぇや」

「ははは、賭博で金をスるのは、俺もたまにやる」

 そう言って、ジョットは相槌を打ちながら笑った。

「賭博は俺のせいじゃないんだけどな。一緒に居た奴がイカサマしやがって、それで大慌てで賭場から逃げ出したんだ」

「それはまた、災難だったな」

 今度は苦笑いを浮かべ、肩をすくめるジョット。

 少しずつ適量を飲むジョットに対して、ディックは喋りながらどんどん酒をあおっていく。

 その様は、まるで自棄酒のようだった。

「しかも仲間は最近ギスギスしてるしよ……。あの空気、もう耐えらんないぜ」

 パーティの間に広がる不信感に耐え兼ねていたのは、ディックも同じである。

「それもこれも、あのいけ好かない野郎が来てからだ。きっと俺を追い出すつもりなんだ、クソが」

 かなり酔いが回ってきたディックだが、まだ自分達がこの国の王女であるキラを連れていることは隠さなければいけないと判断できる理性は残していた。

 彼が愚痴を垂れ流している間に、二人分の焼き魚がテーブルに届けられ、早速ディックとジョットは口をつける。

 近くの川で捕れた新鮮な川魚をシンプルに塩焼きにした料理で、酒のつまみとしてもちょうどいい。

「なあお前……」

 それまで笑顔でディックの愚痴を聞いていたジョットは、突然真剣な表情になった。

「今の自分が、ベストを尽くしてるって思えるか?」

 がらりと雰囲気を変えたジョットは、魚を食べる手を止めてそう尋ねる。

「えっ、それは……」

 ここに来てディックは困惑して、思わず言い淀んだ。

(全力でやってるつもりだけど、戦闘じゃあんま成果出てないし、爺さんの修行も真面目にやってないし、ギスギスだって俺がオーウェンの奴に噛み付いて余計に煽っちまった)

 考えれば、思い当たる節はいくらでもあった。

 ベストを尽くしていない限りか、むしろ不信を広げてしまった可能性もある。

「やっぱ俺、駄目なのかな……?」

 酔った影響もあって、普段のディックらしくもなく肩を落として弱々しい声でつぶやくが、ジョットは再び親近感を覚える笑みを浮かべ、そんな彼の肩を優しく叩く。

「そう言うな。俺がああ聞いたのはな、自分にできることを全力でやり切れって言いたかったからだ」

 その言葉に顔を上げたディックの目をしっかりと見ながら、言い聞かせるように優しくジョットは続けた。

「人間、誰だって向き不向きはある。だから自分にできることを見つけて、それを徹底するしかないのさ。それこそ死ぬ瞬間まで、がむしゃらにな。それが、ベストを尽くすってことだ」

「俺にできること、か……」

 困惑するでもなく、しょげるでもなく、今度は真剣に考え込むディック。

 これまで仲間に何度注意されても聞く耳を持たなかった彼だったが、何故か初対面のジョットの言葉はすんなりと彼の心に浸透した。

 ディックにとって必要だったアドバイスは実にシンプルで、それをまさに的確にジョットが言い当てた形になる。

「例え結果が駄目だったとしても、全力でやり切ったなら後悔は無いだろうさ。それこそ、後は笑って誤魔化すくらいだな」

 そう言ってジョットは、肩をすくめながらいたずらっぽく笑った。

「何かスッキリしたぜ。おっさん、あんた凄ぇよ、ナニモンだ……」

 憑き物が落ちたような表情を浮かべるディックは、もうたちの悪い安酒を勢いに任せて流し込むような飲み方はしていなかった。

 酔ってはいるものの、腑に落ちる言葉をかけて貰えて、いつになく頭の中が整理されたような気分だった。

「何、ただ先輩風吹かしたかっただけさ。俺は見ての通り、ただの傭兵だ。少しばかり悪運がいいだけの、な」

 飾らないその在り方も、ディックにとって魅力的に見えた。

 年齢的にも、全身の傷跡からしても、恐らく幾多の修羅場を潜って生き延びてきた、言わば自分の先輩のような人物に違いないとディックは考える。

「あ、あんたは俺の心の師だ! 兄貴って呼ばせてくれ!」

「そんな大層なモンじゃないが、好きに呼ぶといいさ」

 ジョットは今度は、少し照れ臭そうに笑った。

「なあ、兄貴の武勇伝とか聞いてもいいか?」

「お互い生きてて、また会えたらな。あまり深酒する前に戻らないと、仲間が心配するんじゃないか?」

 気付けば二人共焼き魚は食べ終え、残るは酒のみとなっていた。

 酒場の窓からは傾いた日の赤い日差しが差し込み、もうすぐ日が暮れることを告げている。

 ディックの話から、彼が仲間とパーティを組んで行動していることは考えるに難くなく、ジョットは気を遣っていた。

「やっべ、もうこんな時間か!」

 軽く飲み食いして戻るつもりが、すっかり話し込んでしまっていた。

 状況が状況なだけに、遅くなると心配を通り越して怒られる恐れもある。

 ディックは慌てて席を立ち、軽くなった財布から代金の銀貨を取り出そうとする。

「魚の分は俺が奢ってやるよ。金、無いんだろ?」

「えっ、いいのか兄貴?」

 懐が寒いディックにとっては嬉しい申し出ではあるが、初対面の相手にそれは悪いのではないかと思った。

「同じ魚料理好きのよしみだ。だが、酒代は自分で払えよ?」

 ジョットにしてみれば、焼き魚一人前くらいは奢れるくらいの金銭的余裕はある。

 彼なりの、若き戦士への餞別だった。

「恩に着るぜ、兄貴。次に会った時は、俺が奢るから!」

 ディックの根拠のない計算では、ジョットと再会するまでにはロイース王国を取り戻し、財布をパンパンにしている予定である。

 予定は未定なのだが、彼はそこまで思慮深い男ではなかった。

「ベストを尽くす限り、幸運の女神は微笑んでくれる! またな!」

 慌てて酒場を出ようとするディックの背中に、ジョットは最後にそう一言声をかける。

「ああ、ありがとな!」

 ディックも振り向いて手を振り、名残惜しい気持ちを残しつつもパーティの拠点となっている病院へ戻っていった。


「遅いわよ。どこで油を売っていたの?」

 帰ったディックを待っていたのは、案の定仲間の冷たい視線だった。

 ソフィアに続き、ギルバートも彼をパーティが使っている個室に迎え入れつつ言う。

「無事でよかったわい。捜索すべきか否か、話し合っておったところじゃ」

 怒られはしたものの、全員ディックのことを気にかけ、心配してくれていたのだった。

「悪い、ちょっと酒を飲み過ぎちまって……」

「どうりで酒臭いと思ったわ。あっち行け酔っ払いー!」

 レアには散々な言われ方をしたものの、普段の酔い方と違ってディックは酒乱になるまで泥酔はしていなかった。

 ディックは先日口論になったオーウェンに、ばつが悪そうにしながらも話しかける。

「オーウェン、その、何だ……この前は、悪かったな。ついカッとなっちまって」

 その言葉を聞いたオーウェンは一瞬目を丸くするも、すぐに頭を下げて返事を返す。

「自分こそ、すまなかった。例の魔術師のことで混乱していたようだ」

 この二人のやり取りを皮切りに、パーティ全体の雰囲気が変わったことを、キラも何となく感じ取っていた。

 チームが空中分解するのではと強い不安を抱えながらも、初陣で敗北してへこんでいたせいもあって中々行動を起こせないでいた彼女にとって、まさに救いだった。

「なあ皆、聞いてくれ。俺達は泣いても笑っても、このメンツで城に突っ込まなきゃならねぇ。だから、疑うよりも信じ合った方がいいと思うんだよ」

 ディックの変わりように誰も彼もが驚いて、顔を見つめる。

「……チャラ男、あんた帰りに悪いものでも食べた?」

 レアに至っては、彼が体調不良でおかしくなったと思っていた。

「ちげーよ! ただ自分にできることをしようって思っただけだ! ……で、どうかな、皆?」

 呆気にとられたものの、仲間達は概ねディックの発言に同意だった。

「そうね、あなたの言う通りだわ。疑心暗鬼に陥るよりも、ここは団結を強めるべきよ」

「ワシも同意見じゃ。この場に居る全員が力を合わせなければ、作戦の成功は無いじゃろう」

 このパーティは粒揃いとは言え、軍隊に打ち勝てるような戦力があるわけではない。

 その中で出来る限りのことを、連携して行っていくしか道はない。

 今までずっとそうしてきたと言うのに、謎の魔術師一人に亀裂を入れられ、混乱していたようだ。

 ソフィアとギルバートに続き、今や要人にして中心人物のキラも、力強くうなずく。

「私からもお願いします。力を合わせて、戦争を止めましょう」

 それに続くように、仲間達も首を縦に振って答えた。

 ただ一人、未だに疑り深いユーリを除いては。

「言いたいことは分かったけど、どういう風の吹き回しなわけ?」

 いきなり言動が変わったディックに対して、レアは怪訝そうな顔を浮かべる。

「ふっ、俺は今日、心の師に出会ったのだ!」

 ディックはジョットのことを詳しくは説明せず、その一言で言い表した。

「ほぉーう、さては女か」

 彼が旅の道中でもあちこちで道行く女に目移りしている姿を見てきたレアは、そう推察してニヤニヤと笑う。

「違う、兄貴は男だ」

「はぁ? 兄貴ぃ? やっぱチャラ男、熱でもあるんじゃ……」

「俺は正気だ!!」

 年下のレアと同レベルで言い合うその姿は、紛れもなくディック本人である。

 ようやく、謎の魔術師に襲撃される以前の和気あいあいとした空気が戻ってきた中、ユーリは他に聞こえないようルークに耳打ちしていた。

「新入りの見張りはどうする?」

「続けましょう。杞憂で終わればそれでいいことです」

 新入りとは、他でもないオーウェンのことだ。

 彼のことをまだ信じていないユーリは、この空気に流されて警戒が疎かになることを危惧していた。

 ユーリはそれ以上何も言わず、無言でうなずく。

 キラ達はひとつの危機を乗り越え、また一歩前進しようとしていた。


To be continued

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