第60話 『少女と魔術書』

 次の日の野営ではレアを絶対に鍋に近寄せるなと堅く誓った上で、ディックとユーリの二人が調理の当番に当たっていた。

 最初、ディックは全ての料理を毒味しないと気が済まない神経質なユーリが果たしてどんな料理をするのか気になっていたが、食べ方が慎重過ぎるだけで調理そのものは至って普通だった。

 驚きながらディックも料理に加わろうとしたのだが、あまりに雑な調理を見てユーリが食材を取り上げ、ディックはその手伝いをすることになる。

「……なあ、ユーリ。あのオーウェンって奴、どう思う?」

 ほとんどの作業をユーリがしているので、手持ち無沙汰で暇になったディックは話を振った。

「信用するにはまだ早い」

「だよな! 俺も、なーんかいけ好かねぇって気がしてよぉ」

 陰口を叩かれている張本人のオーウェンは今、ギルバートと共に狩り当番に出ている最中だ。

「今回は仕事の規模がでかい。気を抜くな」

 平和な日が続くので忘れがちだが、大国の行く末を左右する戦いに今まさに身を投じている。

 ユーリが経験してきた中でも特に大きな仕事であり、いつ誰が裏切っても不思議ではない。

「あいつ、新入りの癖して『殿下ー、殿下ー』っていっつもキラちゃんにひっついて。お付きの従者かよ……って、確かにあいつ騎士だっけか」

「王国軍も基本的には敵だ。周囲を敵に囲まれていると思っておいた方がいい」

 言わば今回の戦いはロイース王国の分裂でもある。

 王族を排除して実権を握った大臣ジョルジオ・バルバリーゴと、ロイース王家の生き残りであるキラとの争いであり、王国軍とひと括りにしても、どちらに味方するかで真っ二つに割れるだろう。

 今話題のオーウェンとて、王国軍の騎士の一人。

 王女であるキラに味方する姿勢を見せているが、ユーリから見ればいつ心変わりするか分からない。

「道案内もだけどよ、キラちゃんにおべっか使ったりして、俺できる人ですアピール鬱陶しくねぇか?」

「案内人が裏切った場合、ほぼ命は無い。奴に命を預けているも同然だからな。万が一のことは考えておけ」

 手を動かしながら、どうも噛み合わない会話のドッジボールを続ける二人。

「……あなた達、話が微妙にズレているの、自覚してる?」

 昨夜のこともあるので、念の為にと様子を見に来たソフィアが半分呆れたように言った。

「えっ? どこが?」

 ディックは個人の主観的な不満を漏らしていただけなのだが、話のレベルがズレていることに全く気付いていなかった。

「事情が事情なだけに、すぐ信用できないのは分かるわ。でも、仲間をあまり悪く言うものではないわよ?」

「俺は、仲間を持ったつもりは無い」

 ユーリにしてみれば、雇用契約を交わしたのでたまたま組んでいるだけで、仕事が終わればそれっきりの関係のつもりだった。

 ただし、その仲間と思っていないメンバーの分の食事を作りながら言ったのでは、説得力は皆無というものだ。

「相変わらず根暗だな、あんた……」

 個人的にオーウェンを快く思っていないディックでも、この一言には流石に引いた。

「仲間かどうかはこの際置いておいて、今の所、オーウェンに怪しいところは無いわ。警戒はしても、うまくやってちょうだい」

「いい人みたいですし、そんなに不信感を持つことは無いと思うんですけどね」

 そこに馬車の番をしていたヤンも料理の匂いにつられてやって来て、話に加わる。

 昨夜はレアのスープもどきのせいで倒れてそれっきりだったので、彼は今、非常に腹を空かせていた。

「眼鏡の坊主はすぐに人を信用し過ぎなんだよ。ちょっと見た目が良くて、気が回って、そんで国の騎士様だからって、調子に乗るなって話だ。俺のお株が無くなっちまうだろうが!」

 ようはディックの言いたいことはこれである。

 容姿でも、人間性でも、身分でも、そして恐らく強さでも、自分では敵わないような男にパーティに入られ、あまつさえキラの側に居られては自分の居場所が無くなるのではと、ディックは嫉妬していた。

「それが本音って、かなり情けないんじゃ……」

「私もそう思うわ。男のひがみは醜いわね」

 呆れ返り、ヤンとソフィアはディックを白い目で見る。

「な、何だその目は?! そんな目で俺を見んな!」

 そうこうしているうちに、狩りに出ていたギルバートとオーウェンが戻ってきた。

 二人がかりで仕留めたイノシシを担いでおり、今日は大猟と見てよさそうだ。

「お待たせしてすみません、殿下。大物を獲って参りました」

「い、イノシシを仕留めたんですか?」

 これにはキラもびっくりだった。

 イノシシと言えば肉は美味いが、凶暴な猛獣で有名だ。

 イノシシの突進にやられて死んだ人間は数え切れない程に居る。

「ワシが盾になって、その間にオーウェンが剣で仕留めてのう。いい連携じゃった」

「ご老人も、相当な腕前と見た。王都へ乗り込む際には、一番に頼りにさせて貰おう」

 ギルバートの硬さにはオーウェンも一目置いたようで、共に狩りをしたことで二人の間に信頼が芽生えつつあるようだ。

「こっちへよこしてくれ。すぐに捌く」

 調理当番のユーリは、ナイフを使って慣れた手付きでイノシシを解体していく。

「な、慣れてんなぁ。イノシシ、料理したことあんのか?」

「何度かな。ほら、内蔵を持て」

 そう言ってユーリは、腹を割いて取り出した内蔵をディックの手の上に乗せていった。

「ぐ、グロいな……」

 早速気分が悪くなってきたディックだが、内蔵も余さず食べるものだ。

 特に腸は中を洗って排泄物を取り出してから、代わりに挽き肉を詰めて腸詰め、すなわちソーセージを作れる優れものだった。

 ソーセージは日持ちがするので、旅の食糧にはうってつけ。

 大物を仕留めたこのチャンスに、作っておかない手はない。

「腸詰めにするなら、ワシも手を貸そう。好物なものでな」

 すぐに食べる分の肉は作っている最中のスープへ放り込んで煮込み、残りを細かく刻んで洗った腸へと詰め込んでいく。

 生の内蔵を見て食欲が失せてしまったディックは気分直しに鍋のスープをかき混ぜながら、ギルバートとユーリのソーセージ作りを眺めていた。


 調理は任せて安心だと再確認したソフィアは、馬車の荷台で不貞腐れているレアの下へと向かった。

「ほら、魔法の特訓をするんでしょう? 機嫌直して」

「むー!」

 調理場に近付けるなとまで言われ、すっかりご機嫌斜めなレアは馬車の荷物にしがみつくが、ソフィアは彼女を外に引きずり出した。

「まずは呪文を覚えましょうか。国によって何パターンかあるけれど、一番簡単なのはアルバトロス式の魔術言語ね」

 そう言ってソフィアは、一冊の魔術書をレアに渡した。

 魔術書にしては薄く、所謂初心者向けの入門書だった。

 ソフィアは魔法の矢の呪文が書かれたページを開くと、指で指し示す。

「……は? これ、何て読むの?」

 入門書とは言え、呪文は魔術文字で書かれていた。

 レアは何をどう読んでいいか分からず、首をかしげる。

「驚いたわ、あなた魔術文字が読めないの? それでよく魔法が覚えられたわね……」

「うっさいなぁ! 家にあった魔術書には、読み方とかちゃんと書いてあったし!」

 レアがどの流派の魔術書で魔法を覚えたかによって使う魔術文字はまた異なってくるのだが、その魔術書そのものは家と一緒に焼かれてもう無いと言う。

「そんなことなら、いっそ一から習い直した方が早そうね……」

 素人が付け焼き刃でかじっただけの魔法なら、その延長線で行くよりも新しいしっかりとした土台を作り直した方がいい。

 その土台作りとして、ソフィアはまず大陸西方で広く普及している、アルバトロス式の魔術言語を教えるところから始めた。

「……で、こっちの文字は『ダー』と発音するわ」

「だ?」

「語尾は上げないで、そのまま伸ばして」

 新しく言語をひとつ覚えるのは大変だが、ここさえクリアすれば様々な魔術書を読み、内容を理解できるようになる。

「意味としては『増幅』、呪文で術の効果を大きくするためによく使うから、しっかり覚えてちょうだい」

「めんどくさ……」

 知恵熱が出そうになったレアは、草むらの上に大の字に転がった。

「それを言うなら、最初の魔術書を読んだ時も同じ手間だったはずよ? よく独学で学べたものだわ」

「うーん、まあ、あの頃はね……」

 空を仰ぎながら、レアは当時のことを思い返していた。

 遡ること5年程前、レアが10歳になった頃だった。

 彼女の家は裕福な豪商で、帰る家があり、着る服や寝食にも困らない生活をおくっていた。

 不自由ないレアの唯一で最大の悩みは、同年代の子供の輪に入っていけないこと。

 当時はただの引っ込み思案で根暗な少女であり、一緒に遊ぶ友達も居ないという状態だった。

 社交的でなかったせいもあり、『怪我をさせたら親がうるさいから』と他の子供から仲間外れにされ、いつしか外に遊びに出る機会はどんどん減っていく。

 そんなレアが見出した楽しみが家の書庫での読書だった。

 金持ちの家の娘として家庭教師から読み書き計算は教わっており、多少難しい本でもある程度読める程度の読解力は持っていた。

 主に物語を読むのが好きだったレアだが、ある時、書庫の奥に保管されていた奇妙な本が目に留まる。

『魔道入門』――確か、そんなタイトルだった。

 興味を惹かれたレアは、持て余した時間でその魔術書を読み耽るようになる。

 今となってはどの流派で使われていた言語かも分からないが、丁寧にその本の中で使われる魔術言語についての解説と辞書も掲載されており、暇だったレアは呪文の解読に没頭した。

 何が彼女をそこまで駆り立てたのか、レア自身もよく分からない。

 ただ、おとぎ話でしか知らなかった魔法という未知の領域へ踏み込むのが、ただ楽しかった。

 孤独なレアなりの、ひとつの冒険だったのかも知れない。

 やがて彼女は、適性テストである発火の術の呪文を唱えられる程に魔術文字を覚えるに至る。

 そして遊び半分に呪文を唱えているうち、本当に杖に見立てた木の棒の先端から火が出た。

 その時は誤って本棚の角を焦がしてしまい、後で父親に見つかって叱られたのだが、魔法をこっそり勉強していたこと自体は怒られなかった。

 魔法の才が自分にはある。そう自覚したレアは他に出せる魔法は無いかと、読める限りの呪文を片っ端から試していった。

 この時、実は基本である魔法の矢もその魔術書の言語で掲載されていたのだが、レアは見落としたまま、より難度が上の吸収の術へと辿り着く。

 ここでレアは、ひとつ悪いことを思いついた。

 この魔法の力を使って、今まで自分を除け者にしてきた連中に一泡吹かせてやろう――そう思い立ち、彼女は本物の魔術師になったつもりで木の棒を片手に、久々に家の外へ出た。

 正面から向かっていくのはまだ怖いので影から呪文を唱え、杖代わりの棒で標的を指し示す。

 狙うのは、いつもレアのことを仲間外れにした、子供グループの中心人物。

 身体能力に恵まれた彼はいつものように駆け回って遊んでいたが、突然力が抜けて盛大にこけてしまい、それを見た周りの子供達は一斉に笑い出す。

 それを見て、レアも物陰から密かにほくそ笑んだ。

 これを仕掛けた張本人は、他でもない自分なのだから。

 他者から生命力を吸い取る吸収の術は実は非常に危険な魔法なのだが、この時のレアはその危険性もよく知らぬまま、若気の至りで嫌いな少年に術をかけて得意になっていた。

『ま、ボクにかかればこんなもんよ! 大魔術師レア様爆誕の第一歩ね!』

 一回魔法を使っただけで魔力が切れてしまったので、その日は笑うだけ笑って帰路についたレアだったが、家に到着するよりも前に街の警鐘が鳴らされる。

 住民はどよめき、次第に血相を変えて逃げ出していく。

『敵国の兵隊が攻めてきた』と口々に叫びながら。

 人の波に逆らい、レアは家へと急いだ。

 10年間生きてきて、まだ一度も戦争というものを経験したことの無かった彼女は、どうしていいか分からなかったからだ。

 だが自分の屋敷の前まで走ってきたレアが見たものは、略奪された後に火を付けられた我が家だった。

『……は? 何これ。意味分かんない』

 すぐには現実を受け止めきれず、走ってくる途中で折れた杖を片手に握ったまま、レアは立ち尽くす。

 程なくして友軍が到着して敵は退いて行ったのだが、レア一人を残してヤロヴィーナ一族の者は全員死に絶えてしまった。

 引き取り手もおらず、一日にして孤児に転落した彼女は、子供グループにも上手く入って行くことができず孤立した。

「……で、飢え死にしそうだったところを、あのお人好し連中に拾われて冒険者になったってわけ」

 レアがある程度とは言え魔法が使えると分かると、すぐに重宝された。

 お節介でお人好しなパーティだったが、だからこそ社交的でないレアを引っ張って行ってくれるチームでもあった。

「辛いことを思い出させてしまったかしら」

「いいわよ、別に。もう昔のことだし」

 冒険者になり、実際に色々な場所へ足を運ぶようになり、冒険とはおとぎ話のように格好良く、楽しいものではないと学んだ。

 物語で勇者を助ける魔法使いに憧れた彼女も、この世に勇者も魔王も居ないと理解し、自分もまた大魔術師の器でないことが分かってきた。

 何のことはない、やることと言えば日銭を稼ぐために駆けずり回り、労力に見合わない二束三文を受け取るか、時に報酬を踏み倒されてタダ働きの日々。

 本物の大魔術師なら、依頼人に足元を見られて食うに困ることも無かろう。

 夢見る少女はやがて自信を失っていった。

「やっぱ、ボクは三流なんだなぁ」

 自嘲気味にそう呟くレアだが、寝転がる彼女を覗き込むようにソフィアが身を乗り出す。

「まだそう決めつけるのは早いわ。私だって、最初は発火と魔法の矢の訓練から始めたのだし」

 賢者とて、いきなり最初から賢者として産まれてきたわけではない。

 素質が9割を握る魔法の世界で、あるかどうか分からない才能に賭けて勉強し、時に伸び悩んで頭を抱えた時期もあった。

「努力が無駄かもって思わなかったわけ?」

 ため息をつきながら見上げてくるレアに、ソフィアは答える。

「全ての努力が実るとは限らない。けれど、成功した人物は全て努力しているわ」

 ソフィアが差し出した手を、レアは握り返して身を起こした。

「はぁー……努力とかめんどくさ……」

 ぶつぶつと文句を言いつつも、レアは魔術言語の習得に勤しんだ。

 彼女は話さなかったが、昔に魔法の勉強に夢中になった理由が、もうひとつあった。

 初めて発火の術に成功して本棚の角を焦がしてしまった時、確かに父親は叱ったが、それは火事の危険を考えてのことだった。

 むしろ父親は娘に魔法の才があったことを喜び、将来を期待していた。

 それが嬉しくて、レアは更に魔術書の解読にのめり込む。

 今は亡き父も、まさか覚えた魔法で最初にしたことが、他の子供への仕返しだとは思わなかったのだろうが。

 各々の勉強や訓練も程々にして、その日の晩はイノシシ肉を豪勢に使った野営料理に皆で舌鼓を打って過ごす。

 昨日はレアスープの事件があったせいで散々だったが、これでようやくたっぷりと腹を満たして一息つくことができた。

 まともな味の料理で満腹になり、いつものように交代で見張りを立てて熟睡する。

 その夜、レアは赤い三角帽とローブといういかにもな姿で、大魔術師になった自分を夢に見たのだった。


To be continued

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