第49話 『ドラグマ魔法大学』

 大学襲撃から2日後。

 騒動が落ち着き始めた頃にキラ達は、改めて感謝を述べたいという学長から学長室へ招かれることとなる。

 あのソフィアに魔法を教えた大賢者に直に会えると知り、少し緊張しながらもキラは部屋のドアをノックし、開けた。

 敵の手はここまでは迫ってきていなかったのか、荒らされた形跡はない。

 手前側には来客用の椅子とテーブル、奥には学長のデスクが置かれていた。

 そのデスクにかけている三角帽にローブ姿の老人こそ、大賢者セルゲイ・メレンチェヴィチ・ベズボロドフであった。

「ああ、我が学園を救ってくれたのは君達だね。学校を代表し、感謝を述べさせて貰おう。本当に、ありがとう」

 キラ達が部屋に入ってきたことを確認したセルゲイは、椅子から立ち上がると深々と頭を下げた。

 学長という立場にある今の彼にとって、教え子は何よりも大切な存在だった。

 80歳を越えている最高齢の賢者ということで髪も髭もすっかり白くなっていたが、頭の方はまだまだ呆けてはいない様子だった。

 ソフィアが言うには賢者の中でも最高位の大魔術師ということだったが、別段偉ぶるような様子もなく、人のいい老人といった印象を受ける。

「挨拶が遅くなってしまって、すまないね。事件の事後処理に追われていて、ようやく一段落ついたところだ」

 あれだけの派手な襲撃、トップに立つ学長がどれだけ後始末で忙しいかは、一行も何となく想像がついた。

「久しぶりじゃのう、セルゲイ。まさか今は魔法大学の学長をやっておるとはな」

 前に歩み出てセルゲイに話しかけたのは、何とギルバートだった。

「ギルバート……ギルバート・アリンガム! 君も来ていたとは、偶然だな。再会できるとは思わなかったよ」

 そう言ってセルゲイは、ギルバートと固い握手を交わした。

「え? 学長とギルバートは知り合い同士だったの?」

 これに驚いたのは、セルゲイの教え子でもあるソフィアだった。

「うむ。若い頃、一緒に旅をしておった。あの頃はまだお互い未熟で、セルゲイも賢者には登り詰めておらんかったがな」

「時々、あの当時を懐かしく思うよ。散々無茶をしたが、二人共よく生き残って長生きできたものだ」

 ギルバートと笑い合ったセルゲイは次に、ソフィアへと向き直った。

「そして、リリェホルム君。よくぞ大学まで戻ってきてくれた。あの後、君が賢者の称号を得たことは耳にしている。立派になったものだよ、本当に」

「ありがとうございます、先生。これも先生の指導の賜物です」

 そう言ってソフィアは頭を下げた。

「ははは、私が教えたことなどほとんどないだろう。学生時代から、君は自力で学ぶ子だった。むしろ、勉強ばかりに没頭していて、見ていて心配になる程だったよ」

「まあ、私にとって魔法は趣味みたいなものですから」

 その答えにセルゲイも苦笑いを浮かべる。

「さて、どうぞ遠慮なくかけてくれ。すぐに茶と茶菓子を出そう」

 セルゲイに促されるまま来客用の椅子に一行が腰掛けると、教員と思われる魔術師が紅茶とそれに合う茶菓子を持ってきてくれた。

 温かい紅茶と甘い茶菓子が、北の寒さで冷えた身体に染み渡る。

「本当に危ないところだった……。君達が来てくれて、九死に一生を得たよ。こんな事態が起こるとは、ドラグマ魔法大学の歴史上前例のないことだ」

 突然ゾンビの軍団に襲われるなどと、誰も予想していなかっただろう。

 セルゲイは少しうつむきながら、そうこぼした。

「学長、大学を襲った死霊術師は何者だったのでしょう? あれだけの数のリビング・デッドを同時に操れるとなると……」

 そう尋ねるソフィアに、セルゲイは深刻な表情で答える。

「……闇の賢者、ゲオルグ・エーベルヴァイン。こんな芸当ができるのは、奴しかおらんだろう」

「闇の賢者……ゲオルグ……? そんな名前は、賢者の中に居ないはずです」

 ソフィアも賢者の末席として、一通り賢者の称号を得た魔術師の名前は覚えている。

 その中に、今しがたセルゲイが口にした人物の名は入っていない。

 そもそも魔術師ギルドが禁忌の術とする死霊術を操る異端の魔術師は、賢者の称号を得られないはずだ。

「正式な賢者ではない。だがその力量は歴代の大賢者と互角、またはそれ以上と言われている」

 禁忌に触れた結果、ギルドから認められない欠番の賢者。

 欠番でありながら、いや欠番になってでも禁忌を冒したからこそ、その実力は並の賢者を上回る。

 セルゲイですら手を焼く闇の賢者という存在に、ソフィアだけでなくキラ達全員が震撼した。

「魔術師ギルドは、長らくゲオルグと敵対してきた。奴が一体何者なのか、私ですら把握してはいない。今回の襲撃も、恐らくは私の首を狙ってのことだろうね」

 ギルドの魔術師達は今でもゲオルグの捜索を続けているが、敵は神出鬼没で足取りが掴めず、かと思えば突然ゾンビを操って幹部などを襲うこともあると言う。

 魔術師ギルドとゲオルグの抗争の歴史は長いらしく、もう何十年前から戦っているのか、記録が追えないらしい。

 セルゲイですら、ゲオルグとの戦いの発端は知らない。

「ちょっと待ってください。学長は賢者の中で最高齢のはず……その学長が魔術師になる前から抗争が続いているのだとしたら、ゲオルグという男は何歳になるんですか?」

 ソフィアは口を挟んででも疑問を発した。

 セルゲイですらもう80代という高齢。

 そのセルゲイが来る前から戦いが続いているということは、闇の賢者は下手をすれば100歳を越えるかも知れないということだ。

「分からない。全くの謎なんだ」

 大賢者は首を振って答える。

「だが、誰もその素顔を見たことがないのをいいことに、闇の賢者は襲名で代替わりしているという可能性も考えられる。君の言う通り、一人の人間と考えると年齢がとんでもないことになるからね」

「なるほど、襲名性ですか……」

 100歳を越える大魔術師が居ると考えるよりも、死霊術師が代々『ゲオルグ・エーベルヴァイン』という名を受け継いでいると見た方が、まだ現実味がある。

 もっとも、歴代の大賢者を超える実力者を生み出し続けるということは、考える以上に難題だ。

 その辺りも含めて闇の賢者は謎とされていた。

 少しの沈黙を挟み、今度はルークがセルゲイに問い掛ける。

「……ゾンビの中に一体、妙に動きの早い個体が居ました。仮面をつけた、女のゾンビです」

 ルークは最初、その動きから生きた人間の魔法剣士だとばかり思っていた。

 だがユーリが言うには生命反応が無いので死体らしい。

「ああ、私も戦った。恐ろしい相手だったよ。動きの早さもさることながら、剣捌き、繰り出す魔法、高い魔力……私も正直、あれがゾンビだとはまだ信じられん」

「何か心当たりがあるかと思いましたが、あなた程の人物でも見当がつきませんか……」

 仮面の下の正体は元より、勝敗が決したと思われた瞬間の謎の行動がルークは引っ掛かっていた。

 ルークの喉元に突きつけた剣をもう少し押し込めば、それでやすやすとルークにトドメを刺せたはず。

 だが女はそれをせず、突然もがき苦しんだ挙げ句にルークの剣を盗って逃げていった。

「ゲオルグは、新しいリビング・デッドの製法を研究しているのかも知れん。あれがその試作だとすれば……もし研究が完了してしまったら、あのレベルのゾンビが軍団で襲ってくるということになるな」

 セルゲイですら苦戦するようなゾンビを、数十体でも量産されたら、もう魔術師ギルド側に勝ち目はないだろう。

 ルークが目にした奇行は、直後に現れたセレーナの言葉を借りるなら『調整不足』らしい。

 その不具合が修正されるまで如何程の猶予があるか、大賢者でさえ見通しはつかない。

「まあ、君達はあまり深刻に捉えなくても大丈夫だとも。ゲオルグの足取りや研究内容などについては、我々ギルドの方で対処する。君達は今回、巻き込まれただけであって、当事者ではないのだからね」

 そう言うと、セルゲイは紅茶を口にして一息つき、本題に入った。

「さて、話題を変えよう。ここを訪ねてきたということは、何か目的があってのことだろう。我々にできることなら、協力は惜しまないとも」

「ベズボロドフ学長、実は大学の設備を使って、解析して頂きたい魔法剣があります」

 話を切り出したのは、ソフィアだった。

 キラが記憶を失っていること、そして剣の鑑定を依頼されたが自身の工房の設備では無理だったこと、事のあらましをかいつまんで説明した。

「外見は単なる宝剣に偽装されてはいますが、強大な力を秘めた古代の魔剣であることは分かっています。ただ、それ以上のことは……」

 剣を奪った悪徳領主が力を悪用しようとして何も起こらなかったことも含めて、ソフィアは今現在分かっていることをセルゲイに伝える。

「なるほど。そういうことなら、私達で力になれるだろう。幸い、奥にある研究設備までは被害が及んでいない。今すぐ準備に取り掛かろう」

「ありがとうございます。鑑定料についてですが……」

 ソフィアはこの時のために持ってきておいた金貨の詰まった袋を懐から取り出すが、セルゲイは首を横に振った。

「普段なら、いくらか料金を貰うところだがね。今回は私の命よりも大切な、教え子達を救ってくれた恩もある。代金は結構だとも」

「本当に、よろしいのですか?」

 ルークが重ね重ね尋ねる。

「せめてものお礼だ。我々にも、キラ君の記憶を取り戻す手伝いをさせて貰おうじゃないか」

 今回ばかりはセルゲイの厚意に甘えることにした一行。

 キラは改めて深く頭を下げた。

「ありがとうございます、セルゲイさん。よろしくお願いします」

「設備は大掛かりなものだ、準備には少々時間を頂くよ。明日か明後日には動かせるはずだ。荒れてしまってはいるが、その間魔法大学の中を見て回ってくれ」

 ここまで苦しい旅を続けてきたことを思えば、一日二日程度何ということもない。

 学長室を出ると、セルゲイは大学の建物の奥にある研究室へ準備に向かい、キラ達には案内役として一人の魔術師がつけられた。

「はじめまして、魔法大学教員のニコラウスと言います。数日の間ですが、大学の中を案内させて貰いますね」

 人当たりのいい、20歳前後くらいの若い男の魔術師だった。

「私もかつてここで学んで、そのまま教員になった魔術師でして。リリェホルム様の、言わば後輩に当たります」

 聞いてみれば、ニコラウスはまだ学生を卒業して教員になったばかりだと言う。

 魔法大学には卒業した後外に出て行く魔術師も居れば、彼のように残って教員になる者も居る。

「後輩って言うことは、ソフィさんの知り合いなんですか?」

 何気なく問うキラだが、ソフィアは首を横に振る。

「いいえ、直接の面識はないわね」

「そうですね。在籍期間は数年被っていると思いますが、私が入学する頃にはリリェホルム様は卒業過程に入っていて、忙しかったでしょう。それに、学生の数も多いことですしね」

 ニコラウスの言う通り、ゾンビに襲われるという騒動があったとは言え大学の中は盛況だった。

 ほとんどが学生だが、ニコラウスのような教員なども混ざり、さながら都会のような賑わいだ。

「魔術師って、こんなに大勢いんのか?」

 廊下を歩くだけでももう何十人もすれ違っており、ディックは驚きを隠せない。

「何せ、魔法大学は魔術師ギルドが運営する国際機関ですからね。大陸中から学生を募っているんです」

 歩きながらニコラウスは説明する。

 大学や魔法について知っている希望者を集める他、魔力の才はあるが埋もれている人材を発掘することにも彼らは力を注いでおり、そうやって集めた魔術師の卵を育てて世に送り出すのがこの組織の役割である。

 だが魔術師とは持って生まれた才能が物を言う世界。

 仮に魔法大学を卒業したからと言って、全員が魔術師として生計を立てていけるとは限らない。

 中には力を伸ばせず、卒業後は一般人として暮らしていく卒業生も居るのだと、ニコラウスは語った。

「個人の資質に依存しない、より普遍的な技術となれれば最高なんですが……。そういう方向性の研究も進めていますが、中々上手く行かないものです」

 ルークやソフィアにとっては周知の事実だが、教養のないディックなどは途中から話についていけず、考えることを放棄していた。

「あ、あーこじんのふへんてきね……」

 そんな時、大学の時計台が12時の鐘を鳴らす。

「ちょうど昼食の時間ですし、次は食堂に向かいましょうか。皆さん、きっと驚きますよ」

 茶菓子で少し腹が膨れたとは言え、本格的に腹が空くタイミングだったこともあり、キラ達はニコラウスに案内されて大学の食堂へと向かう。

 そこは食堂と言うよりも、食品専門の市場のような様相だった。

 多種多様な料理が並べられ、学生達は好きな食べ物を選んで自分のトレイに乗せていく。

 食べ放題のバイキング形式で、ちゃんと残さず食べられるのなら上限はない。

 一番驚いたのは、よく食うに困ったディックだった。

「な、何だこりゃ?! 学生って、こんないい生活してんのかよ?!」

 それに続き、レアは早速自分の食器を取ると並べてある料理に食らいつこうとする。

「こんなことなら、冒険者なんてやらずにすぐ学生になっとくんだったわ!」

「こら、駄目よ。まずは自分の分をトレイによそりなさい」

 他の学生を押し退けて料理を取ろうとしたレアを制止し、ソフィアは自分が学生時代にそうしたように手本を見せる。

「並べてある料理を直接食べるのはマナー違反よ。食べたい分、トレイに乗せて席に着いてから食べるの。いい?」

「はーい」

 そう返事をする間にも、レアの腹の虫が鳴く。

 レアは目につく料理を手当り次第にトレイに乗せて山盛りにしたが、メイはと言うと平気な顔でその倍以上の量をトレイによそっていた。

「ほ、本当に食べ切れるんですか? 一応、この食堂では食べ残しは厳禁でして……」

 慌てるニコラウスだったが、キラは苦笑しつつ答える。

「あ、大丈夫です。メイはいつもこのくらい食べてますから」

「食べないと力、出ないから」

 女性とは思えない怪力とスタミナの源が、この大量の食事である。

 席に着いた一行は、各々のトレイによそった料理に口をつけ始めた。

「はぐっはぐっ! もがっ、もががっ……!」

 山盛りのパスタにステーキ、焼き鳥に卵焼き、スープはクリームにチーズにと、これでもかとよそった料理を一心不乱に貪るレア。

 対する大食クイーンは、サラダにグラタン、ミートパイ、ソーセージ、野菜炒め、シチューにオニオンスープと種類は絞り、バランスも考えてあったが量はどれも凄まじかった。

 全て合計すればおよそ3~4人前になろうかという量だが、メイは許される時はいつもこのくらい食べる。

 キラも自分のペースで料理に口をつけるが、一口食べてその味に驚かされる。

「わぁっ、美味しい……! あの、ここの料理っていくらくらいするんでしょう?」

 思わず気になり、キラはニコラウスに尋ねてしまった。

 その一言にいち早く反応し、ぴたりと食事の手を止めたのは金にうるさいディックとレアの二人。

(やっべ……! ちょっといい宿くらいの感覚で食っちまってたけど、高級料理店並の値段だったらどうすんだこれ?!)

 レアに至っては青ざめて脂汗を流していた。

(大量のご飯に浮かれて食べたいだけよそってきちゃったけど、これまずいんじゃ……? このパーティ、食費だけで破産する?!)

 安宿でも食事代が払えずに食い逃げしたことも珍しくない彼女にとっては、トラウマを掘り起こされるような気分だった。

「皆さん、安心してください。見学に来られるお客様は、食事代は無料となっています」

 ニコラウスがそう答えると、固まっていたディックとレアは互いに顔を見合わせ、全く同じタイミングで彼に振り向く。

「「マジでっ?!」」

「は、はい。学生も、学費の中に食費も含まれているので、食堂は食べ放題です」

 卒業生であるソフィアは当然知っていたが、他のメンバーは初耳だったので驚きだった。

「嘘だろ……ホントにこれ全部食べ放題とか……。ここに通うのは貴族のお坊ちゃまとか、そんななのか?」

 一安心したディックは再び焼き魚に食らいつきながら、辺りを見渡して言う。

 大勢学生が居る中、レアやメイのように大量に食べる者は少なかったが、皆満腹になるまで腹いっぱいに食べていた。

「確かに、魔法を習う時点で何らかの教養を身につけていることは多いですが、大学にスカウトされた一般人の学生も多いですよ。そういう子達には奨学金が降りています」

 ニコラウスの答えに、ディックは頭を抱えた。

「くそっ! 何で俺はスカウトされなかったんだ! 学生になれば食うに困ることなんてなかったのに!」

「それだけ、魔力の才は貴重なんだろう。俺もお前も、才能がないから魔術師にはなれなかった。それが答えだ」

 鶏肉とグラタンを食べつつ、エドガーは過酷な現実をディックに突きつける。

「魔法の才能があったとしても、必ず魔法大学に入れるとは限りません。私の場合も、こんないい生活はできませんでしたから」

 現役の魔法剣士であるルークも、サラダと鶏肉を口にしながら言った。

 彼も才能があり、姉から剣術と魔法の両方を教わった人物ではあるが、大学からのスカウトなどは来ず、両親亡き後は軍人だった姉の稼ぎで食べていた状態だった。

「大学も人材発掘に力を注いでいますが、才能ある人全てをスカウトし切れるわけではありませんからね。せめて、大学に滞在する間はこの食堂で思う存分食べていってください」

 ニコラウスに言われるまでもなく、一行はこのチャンスにと温かい出来立ての料理を頬張った。

 ユーリはここに来ても相変わらず毒味を欠かさなかったが、それ以外の面々は自分が食べたいと思ってよそった料理に舌鼓を打つ。

「あ、この真っ赤なスープ美味しい! こんなの、食べたことないよ」

 味に感激しつつも、キラはやはり料理にがっつくような真似はせず、マナーを守って食事を摂っていた。

「それはボルシチ。根菜が沢山入ってて、身体が温まる」

 ドラグマでは定番料理のひとつで、メイにとっては食べ慣れた故郷の味だ。

「そうなんだ。じゃあ、こっちのパンは?」

「ピロシキ。肉とか野菜とか、具を挟んだパン」

 これもドラグマでは一般的な料理のひとつだった。

「ドラグマの郷土料理もありますが、ここは国際機関ということで、可能な限り世界中の料理が出されています」

 付け加える形でニコラウスが解説する。

 大学は大陸中から学生を集めてくるが、中には食事が合わないという理由で体調を崩す者も居る。

 そんな事態をなるべく避けるためにも、南方の料理も出せるよう食材や料理人をあちこちから集めてきているらしい。

 その結果、ドラグマの定番料理も含めて国際色豊かな食堂が出来上がり、ここで異国の料理に目覚める学生は後を絶たないと言う。

「もっとも、調達できる食材の都合上、世界中全ての料理を網羅できるわけではないんですよ。野菜や果物でも、暖かい地方でしか育たないようなものは、ここでは作れません」

「それでも凄いわ! 何この料理のオールスター!」

 何よりも食べることが好きなレアにとっては、まさしく楽園だった。

 もう満腹であるにも関わらず、まだ食べていない未知の料理があるということでおかわりをしようとするも、食べ残し厳禁ということでキラに止められた。

「まだもうしばらく大学に残るから、落ち着いて食べようね?」

「ぐぬぬ……! 出て行くまでに、ここの食堂の料理全部制覇してやるわ!」

 悔しさに歯ぎしりするレアを余所に、程々に腹を満たしたディックが口を開く。

「なあ、ここって酒は無いのか? そろそろエールで一杯やりたいんだけどよ」

 見渡してみても、学生はともかく教員と思しき魔術師も誰も酒をあおっていない。

「大学の敷地内では、全面的に飲酒は禁止されています。ご理解ください」

「何で酒が駄目なんだよ?!」

 ディックに詰め寄られ答えに困るニコラウスに代わり、卒業生のソフィアが答えた。

「以前、泥酔した学生が呪文で校舎の一画を破壊したのよ。それ以来、お酒は全面禁止になったわ」

「おう……」

 酔っ払った魔術師は魔法の破壊力故、時にナイフを持ったチンピラ以上に凶悪だった。

 その事件より前であれば、蜂蜜酒などが自由に飲めたらしい。

 事実、校舎を破壊した学生以外は節度を持って酒を飲んでおり、泥酔することはなかった。

 ちなみに、事件を起こした学生は貴族のボンボンだったが、損害賠償を請求された上で大学を除籍処分となった。

「くっそー! こんだけ美味い飯があるのに、酒が無いなんて!」

 酒が飲めないことを嘆き続けるディックを引っ張り、腹を満たしたキラ達はニコラウスの後ろに続いて食堂を後にする。


 昼食後は授業の様子を見学できる機会が貰え、魔術師の卵が魔法の基礎を学ぶ姿を間近で見ることができた。

 講師の魔術師の説明を熱心に聞く生徒も居れば、やる気がなく居眠りしているような生徒も居る。

 ルークやソフィアにとっては授業内容は既に通ってきた道であり、懐かしさすら覚えた。

 魔術書を読みかじったレアもある程度内容を理解できたが、付け焼き刃の魔法で戦ってきた彼女と違い、もっとしっかりとした基礎理論が授業では教えられていた。

 魔法が専門外の面々はこれが基礎と言われてもさっぱりついて行けず、ディックに至っては退屈さのあまり生徒に混ざって居眠りを始めるレベルだった。

「さて、皆さんそろそろお疲れでしょう。本日のご案内の最後で、びっくりしつつ疲れを癒やしていってください」

 授業の見学を終えて夕方になった頃、キラ達を案内しつつニコラウスは得意げにそう言った。

「びっくりって……な、何が始まるんです?」

 キラはこの大学の卒業生でもあるソフィアに尋ねる。

「ふふ、そうね……その時の楽しみにするといいわ」

 だがソフィアもそう言ってはぐらかすばかりで、廊下の先に何が待っているかを教えてはくれなかった。

 そして案内されるままに一行が辿り着いた場所は、何と巨大な公衆浴場だった。

「うひょー! な、何だこりゃあ?!」

 何十人と入れるであろう大きな湯船に、なみなみと注がれた清潔な湯、そして立ち上る湯気。

 水が貴重なこの時代、風呂を利用できるのは王侯貴族程度のもの。

 平民のディックは風呂という概念すら知らなかった。

 せいぜい、たまに湯汲みするか川で水浴びする程度の認識しかない。

「どうです、皆さん? 地下の温泉を魔法の力で汲み上げ、こうして大浴場として使っているんです」

 そう言ってニコラウスは胸を張る。

 ドラグマ魔法大学の自慢であり、名物のひとつでもあった。

「魔法の力ってすげー!!」

 ディックの他にも、卒業生で毎日のように大浴場を利用していたソフィア以外は皆驚きを隠せない。

「大浴場は混浴ですが、脱衣所は別々です。男女で別れて、タオルを巻いてください。温泉に入れば、旅の疲れが吹き飛びますよ」

 男性陣はニコラウスが、女性陣はソフィアが引率する形で初めての大浴場を利用するキラ達。

 早速脱衣所で服を脱いで腰にタオルを巻く男性陣だったが、何分不慣れなので色々とニコラウスに教わりながら入浴の準備を進める。

「脱いだ服はカゴに入れてください。自分のカゴの番号を忘れないよう注意してくださいね」

「マジでぶったまげたぜ……。魔法って何でもできんだな」

 ディックの呟きに、ルークも反応する。

「正直、私も驚きました。この規模の浴場を維持できるとは、腕のいい魔術師が何人も在籍しているおかげでしょうね」

 ルークも魔法を操る身であったがあくまで戦闘用であって、こういった使い方ができるような器用な魔術師ではなかった。

「あんな大量の湯に入るって、どんな気分なんだろうな? 湯汲みどころの話じゃねーぞこいつは」

「私も話は聞いたことはありますが、入浴は初体験です」

 せいぜい川で行水する程度が関の山で、これ程贅沢な湯に浸かるのはルークを含め一行は初のことだった。

「何だ、あんたまだ脱いでないのか?」

 準備万端というところで、ディックはまだタオルに着替えていないユーリを見つけて声をかける。

「今はいい」

「はぁ? まーた見張りがどうとか言い出すつもりかぁ? ここ、大学ん中だぞ」

 そんなディックを無視して、ユーリはニコラウスに尋ねた。

「大浴場が閉まるのは何時だ?」

「夜の9時までですが……」

 それを聞いたユーリは仲間を残して浴場から出て行く。

「俺は後で入る」

 一行は彼の背中を見送ることしかできず、カルロがぽつりと呟く。

「行っちまった……」

「ほっとこうぜ。あいつはビョーキなんだ、ビョーキ!」

 気を取り直した男性陣は、タオル姿で脱衣所を出て大浴場へと足を踏み入れる。

「まずは、桶でお湯を浴びてください。この辺りは湯汲みと一緒です」

 ニコラウスに倣い、湯船からすくった湯を頭から被るルーク達。

 湯汲みと同じと言われても、これ程潤沢に湯を使える湯汲みもそうそうない。

「さっと汚れを落としたら、湯船に浸かってください」

 湯船は余裕で底に足がつく程よい深さで、ディックやカルロは最初おっかなびっくりだったが、溺れる心配がないと分かると早速初の入浴を楽しみ始めた。

「わははは! すげーぜおっさん、これ全部湯だぞ湯!」

「わ、分かったから、ひっかけるなって」

 カルロに向けて、はしゃぐディックは湯をかける。

「他の利用者もおるんじゃ、少しは静かにせんか」

 そんなディックの頭部に、ギルバートの手刀が炸裂した。

「あだっ?!」

「子供みたいにはしゃぐからだ。少しは向こうを見習え」

 身分を考えれば一生こんな機会はないかも知れないであろうエドガーが指したのは、湯船の少し離れた場所に入っているパーティの女性陣の方だった。

 慣れているソフィアに大浴場の作法などを教わったキラ達は身体にタオルを巻いた姿で、同じく湯を被ってから比較的大人しく風呂に浸かっている。

「凄いですね、これ全部温泉って……。しかも、お湯もきれいだし」

 キラが手で湯をすくってみると、汚れなどは浮いておらず透明できれいな状態だった。

「水を浄化する魔法を使って、温泉を清潔に保っているのよ。これも、魔法がないとできない芸当ね」

 かつて学生時代は毎日のように利用していたソフィアは、さも当然のように言う。

 彼女の長い黒髪は頭の上で纏めてあり、抜け毛が湯に流れていかないようになっていた。

 メイはと言うとキラの横で静かに湯船に浸かっていたが、その更に隣ではレアが鼻まで沈んで息で泡を立てていた。

「ぶくぶくぶく……」

「こら、行儀が悪いわよ」

 ソフィアに叱られてレアは湯から顔を出したものの、元々小柄なので首まで湯に浸かっている状態だった。

 レアは後ろ髪だけ伸ばした銀髪をそのまま湯に浸けており、まるで生首から尻尾が生えているように水面に浮かんでいる。

 そんな彼女達の様子を見て、鼻息を荒くしたのはディックである。

「おほーっ! こ、これは……っ!」

 宿で湯汲みをした時は部屋が別々だったせいで見られなかった、女の花園がそこにはあった。

 タオルで隠しているとは言え、温泉で濡れた布は肌に張り付き、身体のラインをくっきりと浮かび上がらせる。

 ディックにとってはたまらない光景だった。

「うーん、やっぱキラちゃんはバランスの取れたキレイなカラダしてるな! メイも思った通り、でっけー乳してんな!」

 はばかること無く女性陣を凝視し大声で騒ぐディック。

「見てみろ、眼鏡坊主! すげーぞ!」

 はしゃぐディックに引っ張って来られたヤンだが、彼は顔を真っ赤にして顔を逸した。

「ぼ、僕は何も見えません! 湯気で眼鏡が曇ってるので何も見えません!!」

「ユーリの奴ももったいねぇことするよなぁ! こんな絶景見逃すなんてよ!」

 これにはさすがに、一緒に入浴していたニコラウスも止めに入る。

「あの、そういう行為はマナー違反ですので……」

 エドガーも言葉通り見習えという意味で指したのだが、ディックの更なる暴走に頭を抱えていた。

 静観していたルークも内心は穏やかではない。

(何故だろうか……。今、無性にディックさんを殴りたい衝動に駆られている……)

 彼の無神経さに呆れることは多かったものの、怒りに近いようでまた違うこの感情が何なのか、ルーク自身もよく理解できていなかった。

 そんな仲間の心情を知らず、ディックはなおも暴走を加熱させていく。

「チビ助はやっぱおチビのまんまだな!」

「うっせー! チビ言うなこのスケベヤロー!」

 レアも言われるばかりではなく手近にあった桶を投げつけるも、そこは仮にも実戦をくぐり抜けたディックのこと。さらりとかわす。

「ん? 意外とソフィア胸でけーなおい! チビだから中身もちんちくりんだと思ってたぜ、こりゃ大発見だ」

 普段はゆったりとしたローブを着ているため体型が分からなかったので、ディックの驚きと喜びはひとしおだった。

「ちょっと、ジロジロ見ないでくれる?」

 タオルを羽織っているとは言え、いやらしい色目に不快感を覚えたソフィアは手で身体を隠そうとする。

「へっへーん、ここまで本は持ってこれないだろ! 殴れるもんなら殴ってみやがれ! ……って言うか、ソフィアって乳だけじゃなく全体的に太いな。二の腕とかプニプニしてる」

 ソフィアは旅に出るまで運動はあまりせず甘い菓子類をよく食べていたので、皮下脂肪はこの面子の中では多めだった。

 ディックにとっては何気ない一言だが、その言葉がソフィアを完全に怒らせた。

 言い返すのをやめたソフィアは逆に意識を集中させ、小声でボソボソと呪文を唱え始める。

 短縮された詠唱が完成した途端、風呂の湯が水鉄砲となって勢い良くディックの顔面に噴射された。

「ぶっはぁっ?!」

「……と、まあこんな感じに、魔法で温泉を操って汲み上げているわけなのよ」

 本の角で殴るまでもなく、魔術師ならば呪文ひとつで戦うべし。

 地形も利用できるならばなおよい。

 魔法戦のセオリーに沿った王道の戦い方だった。

「そ、そうなんですね……」

 キラは少々ディックを気の毒に思いつつも、自分も彼の視線を不快に感じていた一人なので、敢えて止めなかった。

 ディックはと言うと魔法の力で噴き出す水鉄砲に打たれ続け、自業自得ながら目を白黒させている。

「あばばばばばばばば!!」

「……止めなくていいんですか?」

 ルークは隣で浸かるギルバートに聞くも、彼も首を横に振った。

「たまにはいい薬じゃろう」

「自業自得だ、放っておこう」

 エドガーも無視を決め込んだ。

 制裁を受けるディックを尻目に、存分にいい湯加減の風呂を満喫した後は、男性陣は揃ってカミソリを握る。

 数日の間にまた無精髭が伸びてきていたからだ。

 髭が生えない体質のルークは長めに湯船でくつろぎ、その間に髭剃りを終えた男性陣は、まだ水鉄砲に打たれているディックを引きずって大浴場から上がった。

 一人だけ風呂に入らなかったユーリはと言うと、大浴場が閉まる直前の誰も居ない時間帯に人目につかずそっと入ってきたようだった。

 一波乱あったものの見学ツアー初日を終えた一行は、来客用の部屋へと案内される。

 個室とまではいかないが、男女に別れてゆったりくつろげる空間を用意してくれていた。

 女部屋のベッドに横になったキラは、サイドテーブルに置いた剣をぼんやりと眺め、手で撫でる。

(もう少しで、この剣が何なのか……私が誰なのか、分かるんだ……)

 もどかしい気持ちもあったが、今までの長い旅路を思えば数日待つ程度、どうということはない。

「ふぁ……おやすみ」

 小さくあくびをして、剣に語りかけるとそのまま眠りにつくキラ。

 彼女の言葉に応えるように剣がほのかに光ったことは、既に瞼を閉じて眠るキラも知らなかった。


To be continued

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