第44話 『初雪 後編』
メイの父親である冒険者ラッドを病から救うため、薬の材料となる薬草を採りに危険な森へ分け入ったルーク達。
目当ての薬草は手に入れたものの、その帰り道には巨大ヒグマという思わぬ強敵が待ち構えていた。
武器は当然、ルークの風刃の呪文も通らず、ソフィアの魔法も有効打にならない。
頼みの綱のギルバートが盾になってくれてはいるが、闘気術でも攻撃を無力化できずに徐々に傷が増えていく。
そんな中、危険過ぎて手を出せないでいたメイは、ヒグマの意識がギルバートに向いているのを確認すると一度距離を取り、斧を仕舞った。
そして照明用に携帯していた油壺を取り出し、ロープに結ぶという謎の行動を取り始める。
油壷に結んだロープの反対側の先端を握り、頭上で振り回して勢いをつけ熊目掛けて投げつける。
物を投げる時、遠心力を利用するのは昔からよく使われた手だ。
ヒグマに命中した小さな壺は割れて中の油をぶちまけるも、当のヒグマは全く痛くも痒くもないといった様子だ。
「お、おい、何やってんだよメイ?!」
その謎の奇行に隣に立つディックは思わず声をあげるが、メイは何も無意味にヒグマに油を浴びせたわけではない。
「ソフィア、火の魔法で着火して!」
「……! なるほど、わかったわ!」
すぐにメイの意図を理解したソフィアは、魔法の矢の詠唱を中断すると別の呪文を唱え始めた。
頭上には赤い魔法陣が新たに形成され、そこからは炎の槍が射出される。
これ単体ならば威力は魔法の矢とそう大差ないが、この術の真価は別にある。
ここで初めて、ヒグマは苦悶の雄叫びを上げて動きが鈍る。
ソフィアの放った炎の槍がヒグマの浴びた油に引火し、一気に燃え上がった。
毛皮が燃え、あっという間に皮膚まで焦がす。
ただ火の呪文を使ってもルークの風刃のように弾かれるだけだが、油まみれにした上で着火すれば話は違う。
肉が焦げる臭いが周囲に漂い、ヒグマの悲鳴にも似た声が森中に響き渡った。
更にソフィアは攻撃の手を緩めず、火達磨になって怒りの咆哮をあげるヒグマに対して今度は火球を次々と撃ち込み、更に炎上させる。
「皆、一旦後ろに下がって!」
相手が火を振り払おうと必死になっていることを確認したソフィアは、前衛を下げさせた。
その間にも魔術書に書かれた呪文を唱え、ソフィアは頭上にそれまでとは比べ物にならない巨大な火の玉を作り出す。
味方を巻き込む危険があるため迂闊に使えなかったが、かと言ってヒグマが動ける状態で前衛を下げてしまうと、詠唱している間に陣形が崩壊する。
撃つタイミングはここしかない。
術が完成した次の瞬間、ヒグマに向けて放たれる巨大火球。
自分に引火した火に気を取られていたヒグマは、それを避ける動作が一歩遅れた。
火球は着弾と同時に炸裂し、派手な轟音と共に大爆発を起こした。
熱波で木々がなぎ倒され、湿っていた地面がえぐり取られる。
流石のヒグマもこれにはたまらず、毛皮から煙を立てながら一目散に逃げていった。
「や、やった、のか……?」
ヒグマが逃げ去った後、爆風で薙ぎ払われて平地になった一帯に静寂が訪れる。
ディックはおっかなびっくりで周囲を見渡しながら、呟いた。
「ひぃぃ、し、死ぬかと思った……! ボク、もうこんな森嫌だぁぁぁ!」
レアは緊張の糸が解れたせいで、その場にへたり込んで泣き出してしまう。
「今のうちに山を降りましょう。ギルバートさん、動けますか?」
「ああ、軽傷のうちじゃ」
ルークは内心恐ろしい相手だったと思いつつも、ギルバートを気遣いながら下山ルートへと戻った。
ヒグマが現れたことでむしろ他の動物が逃げて行ったおかげか、その後は何事もなかった。
村が見えてきたところで、一安心しつつソフィアはメイに話しかける。
「油を火の呪文の補助に使う手は思いつかなかったわ。今後の参考にさせて貰うわね」
格の高い魔術師程、魔法で大体のことができてしまうため、ついつい魔法万能論に頼りがちになってしまう。
油壺というありふれた日用品を使った戦法は、冒険者ならではと言えた。
「昔、お父さんに教わったの」
メイの父、ラッドは昔から器用な切れ者で、その辺りにある日用品を何でも武器にしてしまう男だったと言う。
この付近の森にヒグマが出没するのは今に始まった話ではないらしく、村の近くに現れて村人を騒がせることもあった。
その度にラッドは、この方法でまともに戦って勝ち目のないヒグマを追い払ってきたようだ。
「たくましい、いいお父さんね」
ソフィアの言葉に、メイも頷く。
メイは父親から多くを学んできた。
冒険者としての立ち回りや戦い方、人としての生き方、仲間との接し方――今のメイがあるのは、ラッドの教えがあったからに他ならない。
「そのお父さんを助けるためにも、急ぎましょう」
危うくミイラ取りがミイラになるところだったが、ルーク達は何とか生きて村へと戻ってきた。
ギルバートの応急処置も必要なため、彼らは飛び込むようにして宿へと入る。
「ルーク、おかえりなさ……ひゃっ?!」
宿の一階でルーク達を出迎えたキラだったが、血まみれのギルバートの姿を見て絶句した。
「ギルバートさんの手当ては私達でします。ヤンさんは薬の調合を」
「わ、分かりました!」
応急手当てくらいならばヤン以外の者でもある程度行えるが、薬の調合はヤンにしかできない専門技術だ。
今は一刻も早く流行り病の治療薬を作っておきたい。
ヤンは宿の店主から道具を借りると、奥の部屋へと入っていった。
その間にルーク達は、ヒグマとの戦闘で傷付いたギルバートの手当てを行う。
メイはギルバートの手当てを仲間に任せ、二階で寝ているラッドの容態を見に行った。
「随分とこっ酷くやられたな」
鉄壁を誇る老人の負傷に驚きつつ、エドガーもギルバートの応急手当てに加わる。
やはり血を見ることへの恐怖が拭い切れないキラだったが、なるべく流れる血を見ないようにして、沸かした湯や清潔な布を運んではルーク達を手伝った。
「あの、やっぱり狼に?」
そう尋ねるキラに、ギルバートに包帯を巻きながらルークは答える。
「狼にも襲われましたが、その後のヒグマが強敵でした」
これに驚いて声を上げたのは、店主だった。
「ヒグマだって?! あんな化け物と遭遇して、生きて帰ってきたって言うのかい?!」
この地元では、狼以上に恐れられる動物がヒグマだった。
特にこの季節に遭遇すれば、まず生還できる人間は居ないとすら言われる程だ。
普段はどちらかと言えば人間を避けるヒグマも、冬眠を控えた秋になると誰彼構わず襲いかかる程凶暴化する。
しかも飢えたヒグマはしつこく、逃げてもそれ以上に早い足で追いかけてくるのでたちが悪い。
地元の人間からは、半ば死神か悪魔のように思われていた。
「くそっ、情けないぜ……。この俺が、熊相手に手も足も出なかったなんてな……」
ディックも珍しく、気分を落として項垂れていた。
「い、一体何をどうやってヒグマから逃げて来れたんだい、あんたら?」
仰天する店主に、ソフィアはヒグマとの戦闘をかいつまんで話した。
「そうか、ラッドのやってた油壺を使った方法か……。そういう機転の効く奴は、ラッドの他にも何人か居たんだが……病死したか、ここを離れて行ったよ」
例え技量があり知恵の回る猛者であっても、病気の前には呆気なく敗れ去るものだ。
ラッドのようなベテランもまた、例外ではない。
(ヒグマも怖いけど病気もマジで怖い……。早く薬だけ置いてここから逃げたい……!)
ここに来てもレアは自分の心配で精一杯で、ラッドを案じるような余裕はなかった。
そんな時、一足先に二階の部屋に上がっていたメイが血相を変えて階段を駆け下りてきた。
「大変! お父さんが……!」
そのただならぬ様子に、一同は思わず椅子から立ち上がった。
「ラッドさんが、どうしたの?!」
駆け寄るキラに、メイはラッドの容態が急変し、意識朦朧としていることを伝える。
「まずいな、末期症状だ。僧侶の兄ちゃん、調合を急いでくれ!」
何人も宿の冒険者を看取ってきた店主は、すぐに危険な状態だと理解した。
今まさに薬を調合中のヤンが居る奥の部屋に向けて叫ぶも、まだ途中という返事が返ってくる。
ヤンはヤンで調合を間違えないよう細心の注意を払いつつ、出来る限り急いでいた。
持ち帰った薬草をすり潰し、有効成分の含まれた汁を取り出すと鍋へと溜めていく。
だがそのままでは強い副作用を引き起こすため、加熱して無毒化する必要があった。
(早く完成させたいけど、煮立つまで待たないと……!)
ヤンは固唾を呑んで、火にかけた鍋を睨む。
緊張のあまり、寒いのに脂汗が頬を伝った。
(よし、加熱は十分だ。後は水に溶かして……)
沸騰したのを確認すると、無毒化した汁と飲料水を混ぜ合わせる。
そのままだと濃すぎる薬液を薄める必要があったからだ。
「メイさん、できましたよ!!」
コップに完成した薬を入れ、部屋から飛び出してくるヤン。
待ちかねた報告に、キラ達はほっと胸を撫で下ろした。
店主も揃って一行は二階に上がり、もう虫の息となったラッドに薬を飲ませるヤンを見守った。
「……どうですか?」
キラの問に、ヤンは気まずそうな表情を浮かべる。
「まだ、何とも。症状が進行し過ぎていて、薬が間に合ったかどうか……。今夜が峠だと思います」
薬を飲ませた後、これ以上できることはないとヤンは言う。
「……心配なのは分かるけれど、ここはメイに任せて、私達は外しましょう」
ソフィアはそう言って、部屋にメイとラッドの二人だけを残して、仲間達と一階に下りた。
メイはラッドが身体を横たえるベッドの脇に椅子を持ってきて腰掛け、じっと祈った。
まだ意識は戻らないが、ラッドは顔面蒼白で苦しそうな表情を浮かべている。
以前は熱でよく汗をかいていたが、今は逆に体温が低下し、手足は氷のように冷たくなっていた。
「お父さん、仲間が薬を作ってくれたから……。だから、頑張って……!」
手を握りながらそう呟くメイの言葉に、薄っすらと目を開けたラッドが答えた。
「……本当に、いい仲間を持ったな」
「お父さん?!」
峠を越えたのかと思ったメイだったが、まだ顔色は悪く体温も低いままだ。
油断はできないと直感が言う。
「これなら、安心してお前を任せられる……」
「何言ってるのお父さん!」
いつになく弱気なラッドを勇気付けようとするメイだったが、ラッドは弱々しい力で上げた手でそれを制すると、ベッドの横の机の上を指差した。
「後で、読んどいてくれ。意気地のない俺には、面と向かって言う勇気は……」
そう言っている間にも呼吸は弱まり、声はかすれる。
メイは必死で呼び掛けたものの、ラッドの体力はもう限界だった。
「す、すまねぇ、メイ……」
それが彼の最期の言葉になった。
ラッドが瞼を閉じると、もう二度と開くことはなかった。
呆然と立ち尽くすメイを一人置いて、父親のラッドはこの世を去った。
しばらくその場で放心していたメイだったが、やがておぼつかない足取りで部屋を出て階段を下り、仲間の待つ一階の酒場へと向かう。
明け方にも関わらず起きて待っていたキラ達に、メイはラッドが病没したことを伝えた。
「そんな……! 間に合わなかったなんて」
キラを始め、仲間達は悲報に項垂れた。
やるせない空気が一行の間に漂う。
もっと早く森から戻ってきていれば、何ならこんなことになっていると知っていたなら村への到着を1~2日早めていれば。
各々後悔の念が脳内を駆け巡るが、流行り病という自然の驚異に対して誰の落ち度というわけでもない。
(やはり、遅れた薬は無駄だったか……。分かってはいても、やるせないな)
こういう経験は何度もしてきたエドガーも、無言のまま深いため息をつく。
そんな中、一番悲しんでいるであろうメイがぽつりと呟いた。
「……そうだ、何か読んでおいてくれって、お父さん言ってた」
「遺書かも知れんな」
ギルバートは、ラッドが書き残した何かを見に行こうと提案する。
それに反対する者もおらず、一行はラッドが永眠している部屋へ上がると、最期に指差したという机の上を確認した。
「手紙、ですかね?」
メイが手に取ったものを見て、ルークが呟く。
彼の言う通り、それはきちんと封筒に収められていた。
宛先はただ一行『愛する娘、メイへ』とだけ書かれていた。
恐らく死を予感したラッドが最期の力で書いたと思われ、字は所々歪んでいる。
「私達は一旦外した方がいいかしら」
ソフィアは仲間を連れて部屋を出ようとするが、メイがそれを引き止めた。
「大丈夫……。一緒に読んで欲しい」
間に合わなかったとは言え、ラッドを救おうと最後まで手を尽くしてくれた仲間達だ。
ラッドもそれぞれの名前は覚えていなくとも、信頼は寄せていた。
共に読む権利があるとメイは判断した。
一行が見守る中、メイは封を切って封筒から中の手紙を取り出す。
最初の一文にはこう書かれていた。
『親愛なるメイ、私の大切な娘。俺はまず、君に謝らなければならない』
「謝る……? どういうこと?」
思えば、ラッドは最期の瞬間にも謝罪の言葉を口にしていた。
首を傾げつつも、メイは先を読み進める。
そこには長年共に暮らしたメイですら知らなかった、衝撃の事実が記されていた。
手紙によればメイはラッドの実の娘ではなく、血の繋がった本当の両親は何とラッドがその手で殺害したとある。
突然の内容に困惑しつつも、メイは手紙を読み上げた。
ラッドとメイの本当の父親は、かつてロイース周辺にある暗殺者ギルドに所属する殺し屋だったらしい。
だがある時、メイの父は暗殺対象である公爵令嬢と駆け落ちし、組織を裏切った。
二人を始末するため、腕利きのアサシンであるラッドに指令が出され、ラッドは行方をくらませた二人を追った。
ラッドが裏切り者を見つけ始末した時、既に二人には一人の娘が産まれていた。
それがメイだった。
メイの父は最期に、ラッドに『自分の代わりに娘を育てて欲しい』と頼んだ。
ギルドの裏切り者であるメイの父は、かつてのラッドの親友でもあった。
親友の最期の願いを聞き入れたラッドは、暗殺者ギルドのことを一切口外しないことを条件に、殺し屋から足を洗った。
まだ幼子のメイを連れ、冒険者となったラッドが辿り着いたのが、北方のこの宿である。
その当時、まだ大陸北方は群雄割拠の時代で、ドラグマ帝国によって統一される前だった。
情勢は不安定だが、この田舎村は比較的穏やかで、ラッドはここに腰を据えてメイを育てることに決める。
実の両親を殺したことを隠しながら、自分の子だと思ってラッドはメイを育てた。
人の親になる経験など初めてだったが、不器用ながらに精一杯の愛情を注ぎ、そして生きる術を教えた。
メイが少しずつ育っていくうち、その中にかつて殺した親友の面影を見たラッドは、何度も真実を告げようと思いながらも言い出せずにいたらしい。
そうしているうちに時間が経ち、病に倒れたラッドはいよいよ死を覚悟する。
自分が死んでこのまま真実を葬ってしまう前に、せめて手紙ででも本当のことを伝えようと思い、これを書き記したと心中が記されていた。
「『嘘をつき続けて、本当にすまなかった。今更許して欲しいとは言わない。ただ最期に、君の人生の幸せをただ願っている』……うぅっ、お、お父さん……!」
最後の一行はメイも涙声になり、まともに発音できなかった。
ラッドの遺した手紙を握りしめ、嗚咽を漏らすメイ。
かける言葉を失った仲間達だが、キラは涙を流す彼女にそっと寄り添い、肩を抱いてやった。
それだけでも少し気分が楽になるのか、メイは自分の肩を抱き寄せるキラの手に自らの手を重ねる。
「メイ、我慢せずにうんと泣くのよ。後が辛いから。私達は、部屋の外に出ているわね」
「そうじゃな。キラよ、お前さんは一緒に居てやってくれんか」
そう言うと、ソフィアとギルバートは他の仲間を連れて部屋から出ていった。
複雑な事情を抱えた親子の別れに、水を差さないように。
泣きじゃくるメイに、キラはずっと何も言わず寄り添い、背中をさすりながら気持ちをなだめてやった。
メイも仲間の前では泣きづらかったものの、キラだけならば遠慮する必要がないためか、大声を上げて泣いた。
キラも、普段無口な友人がここまで感情を爆発させる姿は初めて見る。
日が昇った頃、メイはようやく落ち着いて一息ついた。
前髪で隠れているが、目は泣き腫らしていたものの活力は失っていなかった。
「……メイ、落ち着いた?」
優しくそう尋ねるキラに、メイは頷く。
「うん、大丈夫。血が繋がっていなくても、私のお父さんは、お父さんだけだから」
いつもの調子に戻り立ち上がったメイは、手紙を大切に封筒に入れると懐に仕舞った。
ふと窓から外を見ると、白い雪がちらほらと降り始めていた。
季節的には少し早めの、初雪だ。
「お父さんを、埋葬しないと」
そう言って部屋の外に出た仲間を呼び戻そうとするメイだが、キラはそれを引き止めた。
「私が呼んでくる。メイはここで待ってて」
やがて宿の裏手に小さな墓ができた。
墓石には『冒険者ラッド、ここに眠る』と簡潔に刻まれていた。
雪が降る中、メイと共に墓前で彼の冥福を祈る仲間達、そして宿の店主。
ラッドは最期までかつての親友との約束を守り通し、娘が見つけてきた仲間に後を託してこの世を去った。
いつも持ち歩いている聖書をそっと開いたヤンは、静かに祈りの言葉を口にする。
「この者の魂が迷いなく天に召されるよう、お導きください」
薬の調合には成功したものの、結局ラッドを救うには間に合わなかった。
今ヤンが彼にしてやれる精一杯は、せめて死後の救済を神に願うばかりだった。
「どうか罪なきこの死者が、全ての痛みから解き放たれ、穏やかな死後を過ごせますように。主よ、憐れみを」
メイもラッドも、別に教会の信者というわけではなかった。
かと言ってヤンが捧げてくれる祈りを拒む理由もない。
「……ねえ、知ってる?」
ヤンが祈りの言葉を終えて一呼吸置いてから、父の墓前でしゃがむメイは、振り返らずに背後のキラ達に語りかける。
「冒険者って結構危ない仕事でね、お墓に遺品すら入ってないことも、よくあるの」
依頼に出た先で亡くなり、遺体や遺品の回収すらできない状況で、後に墓だけ作られる冒険者は少なくない。
宿の裏にはラッドの他にも何人かの冒険者の墓があったが、そのほとんどが墓石だけだ。
「その点、お父さんは幸運だったと思う。ちゃんと、お墓の下で眠れて……」
別れを惜しむかのように、冷たい感触の墓石を撫でると、メイは腰を上げた。
「そうじゃな。ワシも、旅の中で多くの仲間を失った」
次々と仲間を看取りながら、それでも長生きしてきたギルバートが頷く。
彼もまた、仲間の遺体を持ち帰れずに苦汁を飲んだ一人だった。
そして同じく、仲間を埋葬できずに苦い思い出を残した者が、もう一人。
(ボクも、前の仲間のお墓、作ってあげる余裕なかったなぁ。恨んでるかな、皆……)
今更墓を立てたところで、メイの言うように遺体も遺品も入っていない、ただの墓石だけだ。
(冒険者は危ない仕事だって言ってたけど……確かに、危険も多かったっけ。皆、覚悟できてたのかな。できてないわよね、どれもお人好しの馬鹿ばっかだし……)
一人釣られるように涙ぐむレアに、隣に立っていたギルバートはしゃがんでそっと話しかける。
「墓は故人のためのものでもあるが、生き残った……残された者が、心の整理をつけるための物でもあるんじゃ」
心の中を読まれたように感じ、レアは思わず飛び退いた。
「お前さんが、まだ心の整理がついていないなら、遺体も遺品も無くてもいい、どこかで墓を作ってやるといい。それでしっかりとお別れができる」
ギルバートもこれまで大勢の仲間を失い、その都度別れの儀式として墓を立ててきた。
埋める物が無くてもいい、祈りの言葉がバラバラでもいい。
残された者が各々それぞれの形で死者を弔い、それで気持ちを切り替えて前を向く。
その繰り返しだった。
「この村にはお墓は立てないわ。皆、寒いの嫌いだったし……」
そんな二人のやり取りを聞いて、キラも呟く。
「……エリックさんとエレンさんのお墓も、どこかで作ってあげないと駄目ですよね」
執拗なギャングの追跡の前に、置いてくるしかなかった二人。
ユーリが情報を得た時点ではギャング側も見失っていたが、あのしつこさを見るに今頃はもう捕まって死んでいるだろうと、キラ達は考えていた。
「そうですね。帰り道でファゴットの街に立ち寄ったら、墓を立てて供養しましょう」
ルークにとっても、仲間を守り切れなかった苦々しい思い出だ。
自分がもっとうまく立ち回っていれば、エリックもエレンも死ななかったのではないか、とつい考えてしまう。
特にエリックはルークから剣術を教わっていた、言わば弟子でもある。
ほんの短い期間だったが、不幸な出来事の一言で片付けられないものだ。
だが国を失った彼からすれば、まだ故郷が残っているだけ、墓を立てる場所があってマシとも言えた。
今のルークには、死んだ家族や知人達を埋葬すべき場所すら無い。
メイやギルバートの言うような遺体も遺品もない墓石だけの墓だが、故人を悼む別れの儀式としても墓は必要だ。
「あ、あの……リカルド達の墓も、どっかに立ててやれねぇかな?」
おずおずとそう言ったカルロだが、ディックはそれに反発する。
「自業自得で死んだおっさんの墓なんざ、別にいいだろ」
「いいえ、リカルドさん達のお墓も、必要ですよね。カルロさん、故郷はどことか聞いてませんか?」
キラに聞かれ、カルロは首を横に振った。
「そこまでは知らねぇ……。けど、三人とも別々だったと思う」
文字通り三者三様、この乱世で渡っていくために傭兵となり、偶然出会って組むようになった彼らの詳しい出自は、一時期一緒に行動していたカルロも把握していなかった。
「エリックさんと一緒に、ファゴットに墓を作るのがいいかも知れません。三人とも、あの街では英雄ですから」
故郷が分からない、もしくはもう無いかも知れないリカルド達は、せめて彼らを讃えてくれる人々の街で眠らせてやろうと、ルークは考えた。
「……どのくらい意味があるかは分からんが、あの街ならあいつらも浮かばれるだろう」
キラ達にとっては裏切り者であるにも関わらず、ちゃんと供養もして貰えるということに内心驚きつつ、エドガーがそう呟く。
リカルドが変に欲を出してキラを利用しようとしなければ、もっと違った現在があったかも知れない。
リカルド達三人も無事生き残り、カルロとエドガーと五人であてのない旅をまだ続けていたかも知れないし、エリックとエレンも何事もなく魔法大学へ到着し、一回り大きくなって故郷の街に帰れたかも知れなかった。
その一方でメイの意思を確認するため、ソフィアは大事なことを尋ねる。
「私達は魔法大学を目指すけれど……メイ、あなたはどうする?」
村がメイの活動拠点であり、今は父親を亡くして喪に服す時でもある。
ここで村に残っても誰も文句は言わないだろう。
「私は……」
仲間達に振り向いたメイは、ゆっくりと、だがしっかりとした口調で答えた。
「私は、キラの旅を最後まで見届ける」
ラッドはかつての親友の最期の願いに、残りの生涯をかけて応えた。
ならばと、メイも自分の親友のために力を尽くそうと考えた。
友人を思いやり全力を尽くすラッドの生き様は、確実にメイへと受け継がれていた。
簡素な葬式を終え、やりきれない気持ちを抱えた一行に、ヤンが叫ぶ。
「葬儀はここまでとして、まだやれることは残っていますよ!」
すると彼は昨夜使い切らなかった薬草の残りを、ポケットから取り出した。
「薬の材料はまだあるんです! 村人の治療に、何日か時間を頂けませんか?」
魔法大学へ到着する予定は少し遅れるが、ヤンの申し出を拒否する理由もない。
キラ達は概ね彼に同意した。
ただ、カルロとレアに関しては別で、二人は流行り病の感染を心配していた。
「お、俺は早く村から出たいんだけどな……。いつうつるか分かんねぇし……」
「ボクも同じく……」
消極的な二人を背中を、恐れ知らずのディックが強く叩く。
「大丈夫だって、薬ならあんだから! ビビってんじゃねーぞ、二人共!」
方針が決まり、早速宿に戻ったヤンは懸命に薬の調合に励んだ。
それこそ寝る間も惜しんで手を動かし続け、出来たそばから仲間達へと治療薬を渡していく。
他の仲間達は薬を配る係で、医者の治療が受けられない村人へとヤンの薬を渡していった。
残念ながらラッドは手遅れだったものの、薬の効き目は絶大で、一時は村の全滅も覚悟していた村人達は次々と快方へと向かっていった。
貧乏だからと治療を断られた村人にとってはまさに救い主であり、材料の薬草を使い切る頃には壊滅しかけていた村全体に行き渡る。
「僧侶様のおかげで、この村は救われました! あなたはまさしく、主が使わした救世主です!」
無償で薬を調合したヤンの噂はすぐに村中に広がり、彼が宿から出て来ると人だかりができていた。
皆、村を救いに来た僧侶に一言感謝を述べようと集まった村人達だった。
村人は口々にヤンを褒め称えるも、当の本人はバツが悪そうにうつむいていた。
「いえ、その……確かに、これは神の巡り合わせなんでしょうが……僕は、救世主と呼ばれる程、大した僧でもないんですよ」
彼にしてみれば、僧侶としての務めは果たしたと言えるものの、一個人として本当に救いたかったメイの父親のことは助けられなかった。
その負い目がどうしても、ヤンの肩に重くのしかかる。
そんな時、村の中でも最高齢の老婆が一人、前へと進み出る。
「あんたが来るのは遅かったが、遅すぎやしなかった。私の息子は病で死んでしまったが、孫は治療が間に合ったよ。あんたのおかげで、助かったんだ」
老婆自身は感染しなかったが、彼女も大事な子供をこの流行り病で喪っていた。
その上で、孫に薬を授けてくれたことを感謝していたのだ。
「あんたの作った薬で、救われた人間が何人も居る。そのことだけは、どうか忘れないでおくれ」
「そうですね。すいません、逆に気を使わせてしまって」
気を取り直したヤンは、改めて前を向こうと考えた。
喪った人はもう帰って来ないが、これ以上の被害拡大を食い止めることはできた。
一介の見習い僧侶に、それ以上の何ができるだろうか。
宿に戻り、その心中を明かしたヤンに、ギルバートは「それで十分じゃよ」と言葉をかけた。
流行り病の治療に奔走したせいでバタバタとしてしまったが、ようやく流行も一段落ついてほっと一息ついた一行は、宿で一晩休憩してから村を立つことに決める。
「ささ、遠慮せず飲んでくれ。俺からの奢りだ!」
宿の店主は気前よく、一泊と言わず何度でもキラ達なら無償で歓迎すると言ってくれた。
「ラッドは、湿っぽい雰囲気は好まない男だった。パーッと飲んで、明るく送り出してやろうや」
店主はそう言って、キラ達のテーブルに料理と共に酒も並べていく。
「待ってました!」
薬を配るために働き詰めだったディックも、酒を前に目を輝かせる。
「んじゃ、メイの親父さんの冥福を祈って、乾杯だ!」
店主の言った通り暗い雰囲気を吹き飛ばそうと、キラ達もディックに続いてコップを掲げる。
その中には、父親を喪ったばかりのメイも含まれていた。
ユーリはそもそも酒に口をつけず、ヤンは戒律で酒が飲めないのでミルクにして貰ったが、他の仲間達はドラグマの酒というものを味わう。
「うわっ、甘いなこの酒! 何が入ってんだ?!」
最初に一口つけたディックは、その味に驚いて声をあげた。
そんな彼の様子を見て、酒を出した店主が笑う。
「ははは、やっぱり蜂蜜酒は初めてか! 甘いが、美味いだろう?」
「は、蜂蜜ぅ?! 何で、わざわざ蜂蜜で酒を作るんだ?」
意外な中身に疑問符を浮かべるディックに、飲みながらメイは説明する。
「寒い北国ではブドウが中々育たないから、それで蜂蜜で作ってるの」
「ほへー」
理由を聞き、しげしげとコップの中の蜂蜜酒を眺めていたディックだが、味は嫌いではなかったので勢い良く飲み始めた。
一方キラも、白ワインと同じように甘くて苦味のない蜂蜜酒を気に入り、料理と一緒に味わって飲んでいた。
「メイも、この村ではいつも蜂蜜酒を飲んでたの?」
「うん。葡萄酒やエールもいいけど、やっぱりこの味」
メイにとっては飲み慣れた故郷の味といったところだ。
産まれた土地は別でも、幼い頃から育ったこの村の食べ物、飲み物はやはり落ち着く。
蜂蜜酒の他にも、ドラグマ独特のシチューなど寒い中で身体が温まるような料理が多く出され、一行はラッドの冥福を祈りつつ食事を摂った。
それだけならよかったのだが、いつもの調子で浴びるように酒を飲んでいたディックが、何と酔って暴れだす前にひっくり返ってしまう。
「大丈夫ですか、ディックさん?!」
ルークが駆け寄るが、どうも泥酔して酔い潰れたようだった。
「蜂蜜酒って意外と度数高いから、気をつけて」
そう注意するメイは、平然とその度の高い酒を飲んでいる。
「た、確かに何だか頭がクラクラして……」
甘いからと油断したキラも、今までにないくらいに酔いが回っていた。
普段ならここまで深酒はしないのだが、少量なら大丈夫だろうと蜂蜜酒を飲んだ結果がこれだ。
「ふにゃ~……」
レアもキラ以上に酔っ払っており、ひっくり返りはしないが既にろれつが回っていない。
この時代、子供の飲酒を禁じるような決まりは特になく、レアも宿などで葡萄酒などをちびちびと飲んでいることはあった。
キラ同様に飲み過ぎには注意していたのだが、蜂蜜酒の度数にすっかりやられてしまっていた。
「ディックさんもあの様子ですし、今日はこの辺りでお開きにしましょう」
そう提案するルークも平静を装っているものの、かなり酔いが来ていた。
彼なりに、これ以上蜂蜜酒を飲むのは危険だと判断してのことだった。
「そうだな、この酒は思った以上にキツい」
酒に強かったエドガーもそろそろ限界なようで、ルークに頷く。
ギルバートは流石と言うべきか、まだ余裕を残していた。
メイのように飲み慣れているわけでもなく、ユーリやヤンのようにそもそも口にしていないわけでもなかったが、そんなに酔った様子はなかった。
だが油断して葡萄酒やエールのような感覚で蜂蜜酒を飲んでいた他の仲間はすっかり酩酊状態で、ソフィアやカルロも目を回していた。
ルークの提案を拒否する理由もなく、ふらつく足取りで皆二階の部屋へと上がっていった。
ディックは完全に酔い潰れてしまっていたため、ギルバートがかついで運んだ。
当然ながら、出発しなければいけない翌朝、ギルバートとメイを除く蜂蜜酒を飲んだ者全員が二日酔いに悩まされたことは言うまでもない。
水を飲んで酔い醒ましをしつつ、キラ達は魔法大学へ向けて再び足を進める。
馬車で村を出発する一行を、村人達が見送りに来てくれた。
「ふぅ……ようやく村から出られる。俺ぁいつ病気がうつるかとヒヤヒヤしたぜ……」
御者席に座るカルロはぶつぶつと文句を言っていたが、出来る限りのことはやった一行は気分も新たに、村人の見送りに手を振った。
(お父さん、全て終わったら、また戻ってくるからね)
メイは決意を胸に、父親の眠る村を後にする。
目的地のドラグマ魔法大学までは、後3日だった。
一方その頃、教皇領の聖都ヴェンデッタに一人の男が到着していた。
道中で依頼をこなして路銀を稼ぎつつ、ここまでユーリを追ってきたヘイスだった。
(ドラグマ帝国を目指すなら、ここに立ち寄らないはずはないが……)
何せ大きな街で、目撃情報を得られるかどうかは怪しかった。
だが彼の心配とは裏腹に、一週間程前に大通りで乱闘騒ぎがあったといういかにもな噂は街中でささやかれていた。
「その中に、灰色フードの男は居なかったか? 長弓を担いだ奴だ」
「見たかも知れないな……」
この時尋ねていたのは情報屋ですらなく、露天の店主だ。
「居た居た、確かに見たわよ、灰色のずきん被った不気味な人!」
店主の妻と思しき人物が付け加える。
ユーリを含む一行はこの街でかなり目立ったようで、他でも目撃したという話がいくらでも出て来た。
「ようやく、ここまで来たぞ……! 『狼』、お前の首は俺が貰い受ける!」
直前に大口の依頼を成功させ、しばらく路銀には困らなくなっていたヘイスは、ここから一気に追いつくことを決める。
遅れは一週間程度まで縮まっており、歩調を早めれば可能だと判断した。
更に相手側は追跡者が居ることなど想定しておらず、馬車でゆっくりと北上中だ。
行き先さえ分かっているなら、追い抜いた上で待ち伏せするという手も考えられる。
聖都の芸術的な建築物も彼の目には入らず、今後の水食糧を買い足すと宿で一泊し、すぐにヴェンデッタを発った。
執念深いハンターである『鷹の目(イーグル・アイ)』は、少しずつ、だが着実に『一匹狼(ローン・ウルフ)』の喉元へと手をかけつつあった。
To be continued
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