第45話 『長距離の決闘 前編』
キラ達がドラグマの村で流行り病の治療に奔走している頃、アルバトロスの首都アディンセルで、カイザーもまた一波乱に見舞われた。
シュナイダーの起こした謀反以降も隣国ロイース王国は度重なる挑発を続けており、もはや全面戦争は待ったなしという状況だった。
そんな中のある日、カイザーは宮廷魔術師と共に城内を歩きながら打ち合わせをしていた。
「魔法学の発展は、国民の生活水準向上にも繋がります。是非とも、予算を頂ければと……」
水道工事や無償教育などに力を入れるアルバトロスだが、魔法技術の研究に関しては他国に遅れを取っているのが現状だ。
これは昔からで、帝国時代からアルバトロス軍は肉弾戦に重きを置くきらいがあった。
魔法の研究を進める機会は無いこともなかったのだが、先の皇帝がそれを台無しにしてしまった。
それが古くから魔法が発達していた隣国のコルディオン王国への侵攻で、うまくすれば魔法大学まで建っているコルディオンの技術を取り込めたのだが、実情は『殲滅戦』と後に呼ばれるような焦土作戦だった。
中小国のコルディオン王国に対する処置としてはあまりに大袈裟で執拗なものであり、民間人に至るまで皆殺しにするというその作戦は、魔法大学ごと国を焼き払ってせっかく接収できたかも知れない技術まで灰にしてしまう。
これには国際機関でもある魔法大学とその職員まで犠牲にされた魔術師ギルドも猛抗議したが、当時の皇帝はどこ吹く風だった。
それ以降コルディオンは帝国領として取り込まれたものの、焦土となった跡地は捨て置かれ、何も残っていない土地は見向きもされなくなった。
今カイザーに話している宮廷魔術師はそのコルディオン王国で学んだ経験のある関係者で、コルディオンの魔法技術の高さを知っていた。
今後のアルバトロスにもそれに比類する技術力が必要だと、そう訴えているのだ。
「そうだな……。ヴェロニカとも相談しないといかんが、少しずつ予算は増やせるはずだ」
帝国時代の悪政による荒廃、そして革命の混乱。
それらからの復興が進む中、右肩下がりだった経済も徐々に持ち直しつつある。
まずは民衆の生活の安全が第一だが、隣国の驚異が差し迫る中、技術力の向上もそろそろ考えていかないといけない。
魔法に限らず、技術力で後れを取れば敵国に付け入る隙を与えてしまうことに他ならないからだ。
「まずは、募集をかけて民間からも魔術師を募るところからだな。それから……」
言いかけたところで、カイザーの隣を歩く魔術師は何かに気付いた様子で廊下の窓から外を見やり、血相を変えて体格で勝るカイザーを突き飛ばす。
「閣下、危ない!」
次の瞬間、窓ガラスを破って一本の光線が魔術師の身体を貫いた。
「狙撃か?!」
咄嗟に身を起こし、窓の死角となる壁に張り付くカイザー。
「くそ、どこからだ?!」
廊下のガラスを破ったところから、建物の外からの攻撃であることはすぐに分かる。
また、カイザーの目は光る矢が斜め上方向から飛んでくるところを見逃さなかった。
狙撃手の詳しい位置を確かめようと割れた窓から外を覗くカイザーだが、それらしき人影は見当たらない。
「おい、大丈夫か?」
敵スナイパーの確認を断念したカイザーは自分を庇って撃たれた魔術師に呼び掛けるが、返事はなかった。
カイザーの代わりに射抜かれた宮廷魔術師は既に絶命しており、彼を貫いた光の矢のようにも見えるそれは、幻であったかのように霧散して消える。
「よくも部下を殺ってくれたな……! 逃げられると思うなよ!」
カイザーはすぐに首から下げていた警笛を取り出し、甲高い音を鳴らす。
軍人時代から持ち歩いていた物で、国家元首となった今でも用心のために携帯しており、今回はそれが役に立った。
「何事です?!」
「閣下、ご無事ですか?!」
すぐに警備の兵隊が駆けつけ、この時は事なきを得た。
だがここは城内の中央部。
最も警備が厳重な区画であり、暗殺者であろうと容易に入り込めるような場所ではない。
しかもすぐに厳戒態勢が布かれたにも関わらず犯人は影も形もなく姿を消し、結局捕まえられずに終わってしまった。
事態を重く見たカイザーは、喪った人材を惜しみつつも彼の遺体を軍医や他の宮廷魔術師に検死にかけさせた。
国家元首が狙われる狙撃事件、しかも犯人は未だ不明ということで、検死や現場の調査は最優先にされて急ピッチで進み、二日もしないうちに報告が出される。
「結果は?」
会議室で、カイザーは自ら結果報告を受け取ることにした。
検死を終えた魔術師の遺体は丁重に埋葬し、葬儀にはカイザー自らも出席する予定だが、まずは部下の死を悲しむよりも先にすべきことがある。
「まず、被害者の死因は破壊呪文で間違いありません。使われた呪文は広く流布している『魔法の矢』、あるいは『マジックミサイル』と呼ばれるものと思われます」
「暗殺者は魔術師か……。特定はできそうか?」
その問いには、軍医も魔術師も首を横に振る。
「魔法の矢はほとんどの魔術師が習得している基本的な呪文のため、特徴がありません。これ以上は追えないでしょう」
ソフィアもそうであるように、学者肌の基本的に戦わない魔術師であっても護身用にとりあえず習っておく、というレベルで使われているのが魔法の矢の呪文だった。
習得も容易で、初心者から熟練者まで多くの魔術師がこれを使う。
破壊力そのものは魔法としては低いものの、ある程度の誘導性を持っているおかげで、習熟すれば急所を狙い撃ちにして相手を即死させることも可能だ。
「なら、現場周辺の調査は?」
窓を割って魔法の矢が飛んできたことから、廊下の外から撃ったことは間違いない。
更にカイザーは、飛んでくる光線が斜め上方向から来ていたことをその目で見ている。
これに答えたのは、焦げ茶色のマントを羽織った金髪の男だった。
「まあ、すぐに撃った場所は分かりましたよ。廊下を見下ろせる、近くの屋根からです。誰かがそこに居た痕跡が残ってたんで、こいつは見ればすぐ分かりやすぜ」
屋根の汚れが一部薄くなっていたため、そこに人が登ったことまでは、その道の専門家である彼が見れば一目瞭然だ。
「問題はそっからなんですよ。ようするに、どうやって厳重に警備された城の奥深くまで侵入して、そして出て行ったか……。当時の警備兵にも当たりましたがね、別にサボりが居たわけでもないんですよ、これが」
「専門家のお前から見てどう思う、ジョン?」
ジョンと呼ばれた男に、名は無い。
人からは『ジョン・ドゥ(名無し)』の通称で呼ばれており、カイザーなどの味方は略して『ジョン』と呼称していた。
革命戦時、レジスタンスに加わって戦った元義賊であり、その後カイザーが改めて正規軍にスカウトしたのが彼だった。
「んー……俺から言わせて貰えば不可能ですね、こいつぁ。仮に潜り込むのに成功したって、良くて刺し違える覚悟が要るってもんです。ところがこのアサシン、俺もびっくりのとんでもマジックでドロンしやがった」
ジョンは義賊時代、帝国に対して”盗み”という方法で抵抗し、指名手配リストにも名前が載る賞金首でもあった。
難攻不落と謳われた要塞などに仲間と共に潜り込み、金品や食糧を奪っては姿を消す。
そんな彼からしても今のアディンセルの城内奥深くへ気付かれずに侵入し、あまつさえ存在が発覚してから安全に逃げ出すということは不可能だと考えていた。
「痕跡から、侵入経路は辿れないか?」
カイザーの問いに、ジョンは肩をすくめる。
「残念ながら、そこまでは。ただ、どこかに警備の穴があるってわけじゃなさそうですぜ。そこは元盗っ人の俺が保証します」
皮肉っぽく笑うジョンだが、目は笑っていない。
彼もまた、今回の事件を重く受け止めている一人だったからだ。
だがどこかに穴が空いているわけでもなし、どうやって暗殺者が潜り込んだのか、その謎は全く不明のままだった。
「……あまり言いたかねぇですが、この手際の鮮やかさから見て、内部犯……ようするに身内の犯行って線も十分ありえますぜ」
ジョンの言う通り、外部の人間が侵入し出て行ったにしては手掛かりが少なすぎる。
元々敵は城内に潜んでおり、普段は軍人か政府関係者として味方のふりをしていると見てもおかしくはなかった。
味方を疑いたくはないが、そうも言っていられない状況だ。
これにはカイザーも唸る。
「とにかく大将、しばらくは気をつけてくださいよ。シュナイダーの一件だってあるんだ。ロイースの差し金だか何だか知らねぇが、殺し屋が大将の首を狙ってるのは間違いねぇんです。一度の失敗ですぐ諦めるとも思えませんしねぇ」
警備の厳重な城内へ出入りできるような暗殺者とあれば、カイザーを狙うチャンスはまだいくらでも見つけてくるだろう。
何より、失敗したと言っても暗殺者はまだ捕まっていない。
今回とてたまたま魔力に敏感な宮廷魔術師が庇ってくれたから助かったというだけで、彼が代わりに犠牲になってくれなければ魔法の矢で心臓を貫かれていたのはカイザーだった。
「そうだな、俺が甘かった。反省して城内でも気を引き締めよう」
城内なら安全だろうと考えていたカイザーだったが、ここに来て考えを改めざるを得なくなる。
彼としては内心苦渋の決断だったが、内部犯の可能性も視野に入れて調査を進めるよう指示を出し、この会議は終了する。
ロイース王国との軍事衝突が続く中、敵の見えない魔の手は背後からひっそりと、カイザーの首に狙いを定めていた。
一方その頃、カイザーが暗殺未遂に遭っているなどと知らずに、キラ達は馬車で魔法大学を目指して進んでいた。
もう2~3日もすれば目的地に到着するという距離に来ており、一行は焦ることもなく今日も野営地を決めて馬車から降りる。
いつものように当番制で狩り担当や調理担当、焚き火担当を手早く決めると、それぞれ自分の役目を果たしに行動を始めた。
この日はギルバートもディックも非番で休憩だったため、二人で訓練に勤しんだ。
「本当に、こんな呼吸でどうにかなるのかよ?」
今、ディックは闘気を練るための呼吸法をギルバートから習っている最中だった。
だが戦いと言えば力任せに武器を振り回し、敵に突撃することとしか考えていないディックは、呼吸などという地味なものを鍛えてどうなるものかと早くも疑問を抱きつつあった。
一方、手本を見せつつディックの様子を見たギルバートは、ここ数日の訓練の成果が出始めていることを実感していた。
(ふむ、少しずつじゃが、闘気を全身に流し始めておるな……)
闘気は普通の人間には目視できないが、闘気術を習熟した者であれば感覚でその有無を知ることができる。
呼吸法の訓練を始めた当初は全く感じられなかった闘気の力を、今は僅かだがディックの身体から感じる。
この程度ではまだ、ギルバートのように身体の硬質化や生命力の活性化などは行えないが、やがて訓練を重ねていけば可能になるだろう。
「闘気の維持には、呼吸法を安定させることが肝心じゃ。呼吸が乱れた途端、闘気は消えて無くなってしまうからのう」
ギルバートもまた、激しい戦いの中で常に呼吸法を守り、闘気を全身に纏わせることで鉄の武器を弾くような硬質化などの力を行使してきた。
だが戦場で呼吸を維持することは想像以上に難しく、すぐに息が上がって呼吸が乱れてしまいがちだ。
そのためにも、すぐにバテない基礎体力がまず必要になる。
ディックが今までさせられていた体力トレーニングは、そのためのものだ。
「へいへーい」
ディックはそんな事実を知らず、半信半疑で言われたように呼吸を続ける。
今の彼はまだ、自分の身体に流れる闘気の動きを感じ取れる程、闘気術を習熟していない。
その頃、野営場所の中央では今日の火起こし当番であるレアが、集めた枯れ枝の束に向かって呪文で火を放っていた。
ソフィアのように無詠唱でとはいかないが、レアも基本中の基本である着火の術はちゃんと習っている。
彼女の詠唱の速度からすると火打ち石を使った方が早く済むが、それでも魔法を使うのは魔術師としての意地だった。
「大したもんだな」
そこへ薪割り担当のエドガーが、今さっき割ったばかりの薪を持ってきた。
すぐに火を薪へと移し、徐々に大きくしてキャンプファイアーを完成させる。
「ふふん! ボクだって魔術師だからね、このくらい楽勝よ」
北国のドラグマでは、日が落ちてからの時間帯が特に冷え込む。
冷たい北風の中で野営するにあたって、焚き火は生命線でもあった。
最初は自慢げに無い胸を張っていたレアだったが、やがて膝を抱えて黙り込んだまま、キャンプファイアーに当たるようになった。
(もう後数日で魔法大学、か……。魔女狩りが居るわけでもないし、病み村ってわけでもない、本当の安全な場所……。今度こそ、ボクは降ろされるだろうなぁ)
魔法大学と言えば大陸各地の魔術師が集まる専門機関であり、新人の魔術師を育成する学び舎でもある。
レアにとっても、一度は行ってみたい場所だった。
生家の本棚にあった魔術書で独自に魔法を学んだレアだったが、ちゃんとした魔術師に師事して習ったわけでもなければ、魔法大学のような場所で教育を受けたわけでもない、まさに独学だ。
そのまま魔法大学に入学してしまえば魔法の勉強もできるし、貧乏に苦しむことも、危険な旅で命が脅かされることもない。
寒いことを除けば、文句のつけ様のない環境のはずだった。
学費ならば賢者であるソフィアの口添えで奨学金が降りるだろうし、魔法の才があることも彼女が証明してくれるだろう。
何の問題もない。
(……はず、なんだけどなぁ。こんな危ない橋ばかり渡るパーティ、さっさと抜けた方がいいのに。何でボク……)
気のいい仲間達と別れる瞬間が日に日に迫る中、レアは心細さを感じていた。
例えるなら、長年住んだ実家を離れて、遠く離れた国に奉公に出る前日のような気分だ。
「……何か、悩み事か?」
焚き火の番をしていたエドガーが、レアの様子を見て声をかける。
「べ、別に」
振り向きもせずに強がるレアだが、声色からは不安が拭い隠せない。
「俺でよければ、相談に乗ろう」
「だから、無いってば!」
しばし、二人で焚き火の火を見つめるレアとエドガー。
この時ちょうどユーリは周辺の見回りに出ており、ルークとメイは当番の狩りに、カルロは馬の世話、キラとソフィアは調理担当として狩り担当の帰りを待ちながら下ごしらえ、ギルバートとディックは修行中で、ヤンも休憩組だったが疲れたせいか馬車で寝ていた。
まだ中心人物のキラに打ち明けるのは恥ずかしくて勇気が出ないが、エドガーと二人きりでなら話せそうだと、レアは思い切って心中を語る。
「ボク、魔法大学に着いたらそこでお払い箱の予定なんでしょ? それでいいと思ってたのに……何だか、不安って言うか何て言うか、落ち着かなくって……」
自分でもこんな心境になるとは思っておらず、うまく言葉にできないレア。
「それはな、恐らく仲間への愛着だ」
「あ、愛着?」
この時ばかりは、レアもエドガーの顔を見上げる。
「少なからず、旅をしているうちに仲間やパーティそのものに情が移ることは珍しくない。お前も多分、このパーティが恋しくなってきているんだろう」
そう言うエドガー自身、キラのパーティに対する愛着は湧きつつあった。
最初は利用するつもりのリカルドに便乗する形で加わり、そのリカルド達が戦死した後は責任を取るためにキラの護衛となった。
あくまで傭兵として仕事をしているつもりだったエドガーだが、徐々に人柄のいい人間が集まったこのチームに温かみを感じていた。
これまでも仕事で組んだ仲間に友情を感じ、そのままパーティに入ったこともあったが、命がけの仕事である以上、リカルド達三人組のようにいつかは死別が待っている。
愛着のあるパーティが全滅して一人残されることもあれば、リーダーなど中核を担う人物が居なくなって空中分解したケースもあった。
自分と同じように、レアも今のパーティに居心地の良さを感じているのだろうと考えたエドガーは、ひとつ助言をする。
「どうするか、選択するのはお前自身だ。ギリギリで決めてもいいが、後悔のないようにな」
そう、何なら魔法大学に到着して宝剣の鑑定を済ませてから、その上で身の振り方を改めて考えてもいい。
鑑定の結果次第で今のメンバーのままパーティが旅を続けるとも限らない以上、その時が来てから決めても遅くはないとエドガーは考えていた。
「うん、そうする……」
それっきり、レアはまた黙ってしまう。
(ボクが、このお人好しの集まりに愛着……? 確かに、何て言うか危なっかしくて放っておけないってのはそうだけど……)
まだ悩むレアを余所に、夜は更けていく。
何事もなく翌朝を迎え、焚き火を消して馬車に乗り込んだ一行は再び前進を開始する。
旅は無事に進み、そろそろ昼の休憩に入ろうかというその時、どこからか飛来した一本の矢が馬の行く手を遮るように地面に突き刺さった。
馬車を引く馬は驚いていななき、馬車は急停止する。
「どうしましたか?」
荷台から御者席へ顔を出したルークが尋ねるが、その直後にカルロのすぐ隣にも矢が飛んでくる。
「う、うひぃーっ?!」
何者かから攻撃を受けているのは確実だ。
カルロは悲鳴を上げると御者席から荷台へと逃げ込んだ。
「キラさん、馬車から降りないでください! 弓矢による攻撃です!」
ルークは腰の剣を抜刀しつつ、仲間に注意を促す。
「賊か?」
大盾を構えながらエドガーも身を乗り出すが、敵の姿は見えなかった。
こういう時、いつもなら真っ先に気付くであろうユーリはと言うと、荷台の中から地面や御者席に撃ち込まれた矢の角度を見て、射手の位置を大まかに計算していた。
(左手の山林からか)
道の左側には小高い丘があり、雑木林となっている。
道を通る者を襲うならば、高所を取れてなおかつ林に紛れることもできる、絶好の狩場だ。
(反応が無かったところを見ると、超長距離からの狙撃か。敵影は……)
ユーリも頭だけを出して狙撃手が潜んでいると思しき山林に目を凝らすが、彼の目が捉えたのは自分へと真っ直ぐに飛んでくる次の矢だった。
瞬時に首を引っ込めて回避するも、矢は寸分狂いなくユーリが頭を出していた箇所を通過し、馬車に刺さる。
(やはり、さっきのは威嚇射撃だな。わざと外したんだ)
さっきユーリを襲った矢は、疑う余地もなく急所である頭部を狙った殺意の高い攻撃だった。
あれだけ正確に矢を射れるということは、最初に馬を止めた一矢やカルロのすぐ隣に撃ち込まれた矢は、外れたのではなく狙って外したものと考えられる。
「一体、どこから……」
ソフィアも杖と魔導書を取り出しつつ、見えない敵を探そうと荷台から顔を出すが、ユーリがそれを止めた。
「待て、迂闊に出るな。敵は狙撃手だ。左手の丘から撃ってきている」
「数は?」
すかさずルークが尋ねる。
「恐らく、一人だ」
馬を止めたのも、カルロを威嚇したのも、そしてユーリの頭部に向けられた矢も、どれも一本ずつだった。
もし狙撃手が数人居るのなら、一度に何本も矢が飛んできておかしくない。
そもそも、これだけの長距離から正確な射撃を行える弓手が、そう何人も集まるとは思い難い。
かつ狙撃手以外の仲間が他に居るなら、馬車を止められた時点でとっくに囲まれて攻撃されているはずだ。
それをしてこないということは、敵は狙撃手一人だけと考えられる。
隠し玉として他に伏兵を伏せている可能性も考えられたが、ユーリが認知できる範囲に敵は居なかった。
「参りましたね。今度は誰の差し金でしょうか?」
ギャングはとっくに振り切ったし、旅人を襲う盗賊と言うには狙撃手一人だけというのはあまりにおかしい。
ドラグマに入って以降、誰かの恨みを買うような真似をした覚えもなく、ルークは唸った。
「参ったも何も、敵の居場所は分かってんだろ?なら、ダイレクトアタック一択じゃねーか!」
何も考えない男、ディックは槍を構えて馬車を飛び出すが、すぐにその足元に矢が飛んでくる。
「うぉっ?! うわっ! あっぶね!」
謎の射手はディックを馬車へ追い立てるように次々と矢を放つが、ディック本人にはまだ一本も刺さっていない。
「ディックさん、無謀な突撃はやめてください!」
「そうだよ、危ない」
ルークとメイに荷台に引っ張り込まれたディックだが、あんな無茶な真似をしたにも関わらず無傷だった。
これに違和感を覚えたのは、ユーリである。
(俺を狙った時は、急所に当てるつもりの矢だった。だが、あいつには威嚇射撃だけ。これは……)
思えば馬車を止めた最初の一矢からして、単純に停止させたいだけなら馬を射抜いてもよかったし、カルロに対してもやはり威嚇射撃で済ませていた。
確認のため、もう一度慎重に荷台から身を乗り出すユーリ。
するとすぐに、彼の頭を狙った矢が飛んでくる。
これは、彼の仮説を証明するに足るものだった。
「……どうやら、敵の狙いは俺一人らしい」
矢をかわしたユーリが、確信を得て言う。
狙撃手が殺意を見せるのは、ユーリに対してだけだ。
馬やカルロ、ディックなど他のメンバーには威嚇射撃のみで、殺すつもりはないと思える。
事実、全滅させる気ならいつでも殺すチャンスはあり、何なら停止した馬車に次々と矢を撃ち込めば中の人間など簡単に射殺せるだろう。
それをせず、わざわざユーリだけを狙うということは、理由は分からないが彼一人が狙いと見て間違いない。
「じ、じゃあ、ユーリ一人だけを置いていけば、俺達は助かるのか?!」
カルロの言葉に、真っ先に反論したのはソフィアだった。
「むざむざ、ユーリを敵に差し出せと言うの?! それはできない相談だわ」
そんな中、レアもどうするべきか迷っていた。
(あいつを差し出せばボク達は見逃してもらえるってこと? いやいや、いくら辛気臭い奴だからって、仲間を売るようなダサい真似できないっての! で、でもそれじゃどうすれば……)
レアの頭で考えても、何か策が見いだせるわけでもなかった。
そんな彼女を余所に、ソフィアに続いてギルバートも難色を示す。
「それに、本当に敵の狙いがユーリ一人とまだ決まったわけではないぞ。敵の意図が分からん以上、安易な行動に走るのは危険じゃ」
それこそ狙撃手本人に直接聞き取りでもしない限り、何の目的で襲ってきたのかは分からないだろう。
もちろん、狙いがユーリ一人だけという確証も無い。
「だからって、ここでじっとしててもやられるだけだぜ?! 誰か何とかしてくれよぉ!」
泣き言を言うカルロと一緒に、レアも頭を抱える。
「ボクもう考えるのやめます! やめやめ! ほんと誰か何とかして!」
一刻の猶予もない状況の中、一行は考えを巡らせる。
(敵は左手の丘の山林に潜んで、私達を狙っている。馬車から出れば即座に狙撃され、近付く前にやられるだろう。どうやって狙撃手を退ける?)
ルークもここに来て仲間を差し出して自分達だけ逃げるという選択肢はなく、どう対抗するかを必死に考える。
(ギルバートさんか、エドガーさんに盾になって貰って、その影に隠れて無理矢理接近するか? いや、でも敵の正確な位置が分からない)
矢が飛んでくる大体の方向は分かっていても、あの山林の具体的にどこに狙撃手が潜んでいるか、感覚の鋭いユーリですらまだ掴んでいない。
ギルバートの闘気術やエドガーの大盾があれば普通の矢は通さないだろうし、仲間一人くらいなら庇うことはできるだろう。
だがそれで山林に分け入ったとして、敵がどこに居るか探しながらでは、側面を突かれる恐れがある。
敵は何を考えているか分からないものの馬鹿とは考え難く、ルーク達が接近してきたら移動することは簡単に想像できた。
後ろに退いてもいいし、側面に回り込んでもいい。
発見されない限り、敵側には無数の選択肢が残されている。
それに対して、道の真ん中で停止した馬車の荷台に追い込まれて出ることもできないキラ達には、取れる手段は限られていた。
ルーク達が対抗策を思索しているその間、ユーリは短剣の切っ先で馬車の荷台に小さな穴を開けていた。
ユーリはその穴に顔を近づけ、そこから山林の様子を探る。
小さな穴でも、密着すればある程度の視界は確保できた。
(どこだ? どこに居る……)
彼の卓越した視力が、ついに林に潜む狙撃手の姿を捉える。
山林の中の一本の木に登っており、緑色のフード付きマントを羽織った男で、やはり一人だということが分かった。
針葉樹が多い中で、緑色のマントは保護色となって見つけづらい。
しかも距離はかなり空いている。
これでは余程目が良くないと務まらない同業の狙撃手でもなければ、発見できないだろう。
「敵の位置は把握した。狙撃で仕留める」
そう言うユーリだが、ルークは無謀だと考えて止めに入る。
「待ってください。位置が分かったなら、ギルバートさんかエドガーさんに盾になって貰い、接近した方が安全です」
敵の狙いがユーリである以上、彼を出すわけにはいかないとルークは考えていた。
「奴は接近を許す程、甘くはないだろう」
「知り合いですか?」
ルークの問に、ユーリを首を横に振る。
知らない相手で、何故自分を狙うのかも分からないが、相当に腕の立つスナイパーであることは間違いないとユーリは半ば勘で理解していた。
もし自分なら、と彼は考える。
(自分の位置が見破られて敵に接近されそうになったら、再び移動して姿を隠す。奴もそうするはずだ。接近で仕留めるチャンスは与えない)
一人である以上、自分の身は自分で守らなくてはいけない。
ユーリもそうだが、単独行動も多い傭兵は自分の戦闘スタイルに合わせた生存術を心得ている。
いくらギルバートやエドガーの防御が固くとも、あの狙撃手が真っ直ぐ自分に向かってくる相手を見逃すはずがない。
今はユーリ以外の者には威嚇射撃だけで済ませているが、下手に肉薄しようとすればいつ殺意を向けられるか分からないだろう。
「隠れながら狙撃する。30分して俺が戻らなければ、そのまま馬車で逃げろ」
そう言うとユーリは左腕のガントレットをなぞり、術を起動させる。
すぐに彼の姿は幻のように消え、見えなくなった。
旅の仲間も彼が透明になれることは知っていたが、やはり目の前で実演されると驚きを禁じえない。
(うわ、ほんとに透明人間になったよ……。魔術師でもないくせに、どこであんなの習ったのよあいつ)
レアも透明化を解除するところは聖都での戦闘で見たが、いざ詠唱もせず透明になるところを見ると、それこそ狐に化かされたような気分だった。
そんな一行を余所に、透明になったユーリは謎のスナイパーの目を盗んで馬車から降り立ち、自らも山林の中へと分け入っていく。
(そろそろ最初の魔力限界か。クローキング解除まで、あと5、4、3……)
頭の中でカウントしつつ、ユーリは遮蔽物の影に隠れて透明化を解除する。
一見万能に見えるこの術の最大の欠点、それは魔力消費が激しい点だった。
透明になっている間、常に魔力を食い続けるため、そもそも魔力が少ないユーリでは長時間維持していられない。
魔力は使い切ったものの、敵の目を欺いて馬車から離れることには成功したユーリ。
彼はすぐに腰のポケットから例の注射薬を取り出し、ガントレットの隙間から左手首に注射する。
ソフィア曰く、常人なら気絶するかショック死するような衝撃が襲うが、彼にとっては慣れたものだった。
魔法薬で強引に空になった魔力を補充したユーリは、再び透明化の術を起動して移動を再開する。
スナイパーの注意は馬車に向いているはずだが、一瞬でも姿を現せば敵に見つかる危険性があった。
狙撃手とは警戒心が強く、敵に接近されていると気付いたらすぐに移動して身を隠す。
その辺りは同業者であるユーリがよく知っていた。
(二度目か。遮蔽物は……あの岩でいい)
魔力が切れそうになる度、スナイパーから身を隠して魔法薬を注射し、また移動することを繰り返すユーリ。
彼は山林の中に潜む狙撃手を逆に狙撃するのにいい場所を探していた。
確実性を求めるなら隠れた状態で至近距離まで接近し、剣でトドメを刺した方が死亡確認もすぐできて最善だ。
だが、まだ距離のある狙撃手の懐まで接近できる程、魔法薬の残りに余裕はない。
(よし、ここでいい)
狙撃手の側面を取り、狙いやすいポジションについたユーリは魔力の残りに注意しつつ弓を構え、矢を番える。
目標までの距離はかなり空いているが、自分の腕なら当てられると彼は確信した。
相手はまだ弓矢を構えたまま馬車の方向を凝視しており、回り込んだユーリには気付いていない。
(風向きが悪い。それに風速も強いが……)
冷たい北風が、ちょうどユーリと標的の狙撃手との間を横から吹き抜ける。
長距離になればなる程、矢は風に流されて狙いが逸れる。
ユーリはそれを計算した上で自力で照準を補正する。
慎重にスナイパーの横っ腹へと狙いを定めたユーリは、静かに矢を放つ。
放たれた一矢は謎の敵目掛けて飛翔した。
風の影響も計算の内、狙い通りに狙撃手を射抜くかと思われた次の瞬間、何と敵は反応して木の枝から飛び降りる。
(何?! くそっ、今のでこっちの位置はバレたな)
まず外さないと自信のあった一撃だが、敵にかわされてしまった。
矢の飛んできた方向から大まかな位置と、そして側面に潜んでいたことがスナイパーに発覚する。
すぐさま遮蔽物の影に隠れたユーリは、また魔法薬の注射で魔力を補充すると、姿を透明にした状態で移動しつつ索敵を再開した。
(どこだ、どこに隠れた……?)
ユーリのような透明化の術は持っていないとしても、緑色のマントが保護色になるあの狙撃手に一度身を隠されたら発見するのは難しい。
魔力が刻一刻とすり減っていく中、ユーリは敵が飛び降りた周辺を中心に目を走らせる。
この戦い、先に敵を見つけた側が勝利する。
勝負は一瞬、静かな山林の中で二人のスナイパーの間に緊張が走った。
To be continued
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