第16話 『異端の錬金術師』

 盗まれた剣を追う中、最終的にはキラの言葉によってレジスタンスと共に交易都市ファゴットの領主と戦うことになった一行。

 ソフィアは勝利の鍵となる、周辺諸国への書状を手早く書き上げ、民兵の護衛と共に裏道から街を出ることとなった。

 彼女の書状がファゴットの領主、セオドア・トムソン男爵の悪政を訴え、民兵の反乱を正当なものであると証明する手立てとなる。

 これなくしては、仮にトムソンを倒したとしてもレジスタンスの戦いは反逆罪に問われ、街の行く末は暗雲に沈む。

「じゃあ、行ってくるわね。その間気をつけて」

 諸侯との交渉にはソフィア自らが赴く。

 庶民の民兵が他国の領主にかけ合っても門前払いを食らうだろうが、名家の生まれのソフィアが直々に出向けば話は別だ。

 これは彼女にしかできない役目と言えるだろう。

「ソフィアさんも、気をつけてくださいね」

 見送りに来ていたキラは心配そうにそう言った。

 だが逆に心配しているはソフィアの方だった。

 キラを逸材と見込んで護衛のためについて来たはいいが、ここに来て戦力も心許ないレジスタンスに彼女の保護を依頼して側を離れなくてはならない。その間のことが心配だった。

(ここで気を揉んでも仕方ないわね。ルーク達も居ることだし、彼らを信じましょう)

 ソフィアと護衛を乗せた馬車は、街の番兵が見ていない裏道からそっと出発した。

 ファゴット周辺の各都市を回って領主と謁見し、協力を取り付けるまでしばらくかかる。

 一方、ソフィアを送り出したキラ達はレジスタンスの長であるレオナルドと名乗る男と共に、アジトの会議室に集まり今後の作戦について話し合うこととなった。

 民兵の小部隊を纏める隊長数名の他、レオナルドが戦力として雇い入れた傭兵もそこには加わっている。

 武器を持っただけの素人の集まりの中で、彼ら傭兵やルーク達のような戦い慣れした人材は貴重だ。

 その面々を前に、レオナルドは現在の状況を改めて説明する。

「……彼らの話してくれたことが本当ならば、トムソンは強力な武器を手に入れている恐れがある」

 今の話題は、盗まれたキラの剣についてだった。

 完全に解析できてはいないが、ソフィアの鑑定によって強大な力を秘めた魔法剣であることが判明している。

 それが盗賊団『黒蜘蛛』によって盗み出され、恐らくは今領主の手にある。

「ソフィアさんでも未知数だと言っていましたが、警戒しておくべきでしょう。私の推測に過ぎませんが、盗賊団に剣を盗ませたのも領主である可能性があります。だとすれば、その正体も使い方も知っているかも知れません」

 ルークはレオナルドの言葉を補足しつつ、会議室に集まっている面々を改めて見回す。

「あの悪趣味な男爵が、そこまで教養があるとは思えんがな。誰かの入れ知恵かも知れん」

 そう言ったのは、鉄の鎧の上から黒いマントを羽織り、つばの広い黒い帽子を被った40代くらいの長身の剣士だった。

 腰に帯びているのは、片手で扱える標準的な長剣だ。

(アルベール・コルネイユ……私達が加わる前の、レジスタンスの切り札。他の傭兵が言うには、相当名の知れた剣士……)

 ベテランの傭兵と言うだけあって、こうして普通に話し合っている最中でも全く隙がないことを、ルークは気付いていた。

「こりゃ参ったな……。警備隊の兵士だけでも面倒だってのに。おとぎの世界からやって来た魔法の武器まで加わるとなると、今の戦力じゃあ……」

 険しい表情でそう言うのは、30代後半くらいの髭面で面長の男で、鉄の防具に身を包んでおり背中にはシンプルな素槍を背負っていた。

(リカルド、傭兵チームのリーダー格……アルベールさんとはまた別らしいが……)

 そのリカルドの隣に立つ、20代半ば程に見える全身甲冑で重武装した大男も口を開く。

「そんな心配しなくっても、大したことないかも知れないぜ?魔法剣なんざよく聞くが、そんな大層なモンじゃない」

(フランツ、リカルドさんのチームメンバー……)

 腰に戦鎚を帯びた彼はルーク達の言う魔法剣を甘く見ているようだったが、可能性としてそんな生易しいものではない。

「待て。既存の魔法剣と、古代の魔法剣は全くの別物と聞く。油断するな」

 そう言ったのは、中背だが強面の30代くらいの男。背中には長弓を背負っている。

(ディンゴ、チームメンバーの三人目……)

 見たところディンゴは魔法の専門家というわけではなさそうだが、魔法剣についてある程度の知識は持っているようだった。

「そうだな。現代では失われた、遺失技術で作られた魔法剣は特別製だ。もっとも、本当にそんな代物なら俺達がどれだけ抵抗しようが無意味だが」

 ため息をつきながら、レジスタンス達に現実を突きつけるのが、レオナルドが雇った傭兵の最後の一人。

 40代程に見える、革鎧を身に纏い背中には鉄でできた円形の大盾と槍を持った男。

(エドガー……傭兵チームの四人目。リカルドさん達とは最近組むようになったと言っていたが……)

 この5人が、レオナルドがなけなしの予算で雇い入れた傭兵達である。

 ルークは彼らを注意深く観察する。

「問題は他にもある。黒蜘蛛一党だ」

 相変わらず感情を感じさせない抑揚のない声で、ユーリが言った。

「奴らは領主と協力関係にあり、なおかつ今どこに潜伏しているか分からない状態だ」

 裏社会に生きる盗賊団故、領主お抱えの警備隊よりも鼻が鋭くレジスタンスのアジトを突き止めて襲ってくる可能性もある。

 どういう動きに出るか分からない以上、この戦いの一番の障害とも言える。

 何よりユーリにとっては、黒蜘蛛の首領を抹殺することが元々請けていた依頼であり、真っ先に達成すべき仕事だ。

「今は下手に動かない方がいいということか……。皆さんはどう思われますか?」

 レジスタンスのリーダーを務めていても、元々はただの市民だ。

 兵法に疎いレオナルドは、指揮経験のあるルーク達に判断を仰いだ。

「確かに、不用意に攻めれば逆にこちらが拠点を失うでしょう。ですが、警備隊による民兵の摘発も激化しているとのことですし、持久戦になればこちらが不利です」

 レオナルドの話によれば、領主に対抗するレジスタンスへの締め付けは時間と共に激しさを増しているらしい。

 先週もアジトが三箇所も摘発され、そこに居た民兵は皆さらし首にされたそうだ。

 何せ彼らが敵に回しているのは権力だ。木偶の坊が多いとは言え、警備隊の兵力も潤沢に揃えている。

 数に物を言わせて、物量戦で反抗勢力を虱潰しにする腹積もりだとルークは見た。

 ついでに言うと、レジスタンスとは何の関係もないただの民家までが疑いをかけられ、そのまま無関係の市民が処刑される事態も多発している。

 下手な動きは取れないが、守りに徹していてもジリ貧になって追い詰められるのは目に見えていた。

 元々戦力の差がある戦い、防戦一方では敗北するのは必至だ。

「街の住民全員で一斉にワーッと攻めて領主をぶっ殺すことはできねぇのかよ?」

「無理じゃな」

 いかにもディックらしい発言に、ギルバートは即答で駄目出しで返した。

「まず市民全員を蜂起させることに無理がある。現状ではほとんどが領主に恐怖し、士気は最低じゃ。それにいきなり武器を持たせても戦える者は少ないじゃろう。訓練などしている余裕もない」

「そうかぁ?俺、訓練とかなしに槍持ったが使いこなせてるぜ?」

「誰もが戦闘センスがあるわけではないぞ」

 ギルバートの言う通り、ディックのように鍛錬もせず我流である程度武器を扱える天才は数少ない。

 大半が武器をどう扱っていいか分からぬうちに、訓練された兵士にやられてしまうだろう。

 同時に、やはり誰もがディックのような恐れ知らずではない。

 領主に歯向かって処刑された者達を見て人々が思うのは、怒りや復讐心よりもまず恐怖だ。

 合戦では士気の維持も重要な要素となってくる。士気が下がれば戦意喪失した逃亡者が続出して戦線は瓦解し、そのまま全滅へ一直線に突き進む。

 恐怖に支配された友軍は、敵に勝る脅威となる。

「ふん……。新たな戦力と聞いていたが、とんだ猪武者も居たものだ。レオナルド、本当にこいつらは使えるのか?」

 無学なディックを見て疑念を抱いたのか、アルベールは鼻で笑う。

「あぁん?何だとおっさん!」

「まあまあ、お二人共……。何せ中央の革命に参加した英雄です、実力は間違いないはず」

 アルベールに食って掛かろうとするディックをなだめつつ、レオナルドは場を収めようとする。

「……そこでひとつ提案なのですが、時間稼ぎをしつつ盗賊団の動きを探るというのはいかがでしょう?」

 脱線した話を戻そうと、ルークが口を開く。

「アジトはダミーを置いてそちらに敵の注意を向けさせ、我々は被害を最小限に抑えつつ、盗賊団の居場所や動きを探り出します。幸い、適任が居ますからね」

 そう言ってルークはユーリの方を見やった。

 ユーリはそれに黙って頷く。

 元々、黒蜘蛛はユーリが追っていた獲物だ。

 それに蛇の道は蛇、裏の情報網にも通じている彼にある程度の時間を与えれば、恐らく盗賊団を発見することは可能だろうとルークは考えた。

「盗賊団の動きさえ掴めれば、こちら側の対応もいくつかに絞り込めます。不確定要素が減れば戦局も読みやすくなる……。まずは状況を的確に判断するところから始めるのが無難でしょう」

「なるほど……。その方針で行きましょう。早速、偽のアジトを用意させます」

 ルークの意見に異議を唱える者もなく、レオナルドはその作戦を採用することに決めた。

「どうせ捨てるアジトなら、俺の錬成した高性能爆薬もおまけで追加してやれ。爆発に巻き込んで、兵隊を何人か始末できるはずだ」

 アルベールのその言葉に、レオナルドも頷く。

 今後の方針が確定し会議は終了、各自自分の仕事に取り掛かった。

「行ってくる」

 ユーリも早々とアジトを立ち去った。

 他でもない、狩りの獲物である盗賊を探すためだ。

(できればついでに盗賊団の首領を始末して来てくれれば、勝ちはほぼ確定するが……。さすがに期待が過ぎるか)

 敵もプロ、いくら暗殺に長けたユーリと言えども、仕留めるチャンスを作るのは難しいことは想像に難くない。

 まずは街に潜伏している、盗賊団の情報を持ち帰ってきてくれることを最優先にしてもらうことにする。

「流石、革命の英雄と言ったところだな。戦上手な女っていうのは嫌いじゃない」

 会議の後、リカルドがテーブルに座るルーク達に声をかけてきた。

 リーダーのリカルドに続き、傭兵団のメンバーもルーク達と向かい合わせの席に腰掛ける。

 単独行動をしていたアルベールとは別口で雇われたチームだが、傭兵団と言っても五人組で、実質戦えるのは会議に参加していた四人のみの少数だ。

「いや正直よ?『鴉(レイヴン)』の奴も腕は立つのは間違いないんだが、俺達四人も含めてブレインが居ねぇ。こういうことはリカルドが得意だったんだが、まああんた程切れるワケじゃあねぇからな」

 リカルドに続き、フランツがそう言う。

「英雄、ですか。そんないいものではありませんけどね」

 確かに皇帝を討ち取ったのは他でもないルークだが、別に大義や理想を背負って戦ったわけではない。

 キラを救うため、そして己の復讐心を満たすため。

 あくまで個人的な理由から、利害がカイザーと一致したので手を組んだ、それだけのことだ。

「ところで、『鴉』とは?ひょっとして、アルベールさんのことですか?」

 耳慣れない呼び名に、ルークは思わず聞き返す。

「知らねぇのか?アルベールの奴は俺らの業界じゃちょっとした有名人で、いつも黒マントと黒い帽子被ってるせいで『鴉(レイヴン)』ってアダ名がついてんだよ」

 言われてみれば、黒ずくめの格好は鴉によく似ている。

 それからもフランツはペラペラと喋り続けた。

「錬金術師で傭兵なんて言えば、『鴉』一人くらいのもんだろうぜ。俺達も、実物は初めて見たけどな」

「確かに、爆薬の調合などを行っているようですが……」

 実際ルークも、戦う錬金術師などというものは初めて耳にする。

 本来、錬金術とは”くず鉄を金塊に変える”などといった胡散臭い研究を主とする分野で、錬金術師と言えば学者であることがほとんどだ。

 金塊の錬成を謳って、金に目の眩んだ貴族などをパトロンにつけ、研究資金を出して貰って工房に籠もる。大体はそんなものだ。

 金塊ではなく、爆薬を錬成して戦う錬金術師。そんな異端児が居れば、確かに業界の有名人になるかも知れない。

「『鴉』は俺達が来る前から、民兵に雇われていた。弱兵のレジスタンスが今まで持ったのも、そのおかげだろうな」

 どこか俯瞰したようにそう言ったのが、エドガーだった。

 彼ははっきりと自分達が不利だと認めており、内心ではレジスタンス側に勝機は薄いと考えていた。

 それでもリーダーのリカルドがやると決めたからには、傭兵として最善は尽くすつもりのようだ。

 元々リカルド、フランツ、ディンゴの三人組だったところ、最近加わったのがエドガーだったというところも、彼が方針に口出ししにくかった原因だろう。

「…………」

 唯一、会話に混ざらないのは弓使いのディンゴ。

 饒舌なフランツと違い、こちらは無口で強面な顔つきと相まって、黙っていると威圧感が漂う。

「『鴉』と肩を並べて戦うんなら、あんたら、運がいいかもな。面白いモノが見られるだろうぜ。姉ちゃんもよーく見とくんだな」

「面白いモノ、ですか?……それから、私は男です」

「あれ?女だって聞いてたし、実際そう見えるんだけどなぁ。しかし、あの『一匹狼(ローン・ウルフ)』ユーリと知り合いとは驚いたね。あんたが雇ったのかい?」

 フランツの何気ない言葉に、ルークの隣に座っていたディックが聞き返した。

「『ローン・ウルフ』?あいつも、そんなアダ名がつくような有名人なのか?」

 すると話の種を見つけたフランツはニヤリと笑い、身を乗り出してルーク達に話し出した。

「『鴉』と同じで、俺ら傭兵の間じゃ名が知れてる。だが誰も奴の正体を知らない。どこの出身で何をやっていたのか、全く分からねぇんだ。元軍人の脱走兵だとか、特殊訓練を受けたプロのアサシンだったとか、色々噂は立ってるんだがな……」

 どうも詳しいようなので、この機会にルークは彼について尋ねてみることにした。

 何せユーリは自分のことはほとんど話そうとせず、沈黙を保っている。

 どこまで信じていいのか、背中を預けるに値するのか、そこを確かめようと思っていた。

「ソフィアさんが契約しました。ところで、彼は信用できる人物ですか?」

「んー、契約中なら心配いらねぇな。奴は雇い主を裏切らねぇって話だ。噂じゃ、破格の条件で寝返りを持ちかけられて蹴ったとか」

 フランツの話に、リカルドも付け加える。

「ただし、安全なのはこっちから裏切らなければ、だな。ちょっと長くなるが……数年前、『狼』が数人の仲間と行動を共にしていた頃の話だ」

 せっかくなので、ルークはリカルドの話に耳を傾けてみることにした。

 リカルドが言うには、ユーリ達はある貴族から政敵を消すという汚れ仕事を請け負った。

 暗殺は滞りなく済ませたが、問題は仕事を達成した後で、雇用主の貴族は報酬の踏み倒しも兼ねて口封じのために彼らを裏切り、抹殺を謀った。

 傭兵隊は全滅、貴族は安心して枕を高くして寝たそうだ。

 だが数日後、寝室で首をかき切られた遺体として発見された。

 目撃情報なし、寝室は当時密室で鍵が壊された痕跡もない。

 手掛かりのなさに警備隊も匙を投げ、事件は迷宮入りとなった。

 それからしばらくして、ほとぼりが冷めた頃に死んだと思われていたユーリは離れた土地に再び現れ、傭兵稼業を再開したと言う。

 同業者は密かに噂した。一人生き残ったユーリが裏切り者に復讐したのだ、と。

 その新たに仕事を開始した土地というのが、当時帝国だったアルバトロスらしい。

「良くも悪くも、借りはきっちり返すタイプらしいな。噂の域を出ないのは、一切の証拠を残さないからだ。奴が殺ったって確証はどこにもない、だから噂だ」

 だが逆に、跡を残さない完璧な仕事こそが『ローン・ウルフ』の仕業である証拠に違いないと、リカルド達は見ていた。

 汚れ仕事が多い職業柄、秘匿義務がある彼は普通の傭兵のように自分の手柄を自慢して回ることもできない。

 謎が謎を呼ぶ人物として、噂の一人歩きに拍車をかけていた。

「実際、各地で噂される暗殺事件のどこまでが『狼』の手によるものか、誰も確証はない。全て憶測の噂に過ぎん」

 くだらない噂話だとでも言いたげに、エドガーが言った。

「不死身だって噂もあるよな。貴族に裏切られた一件だってよ、生き残ったのは『一匹狼』一人だけだ」

 フランツは冗談めかして、笑いながら言う。

「誰が言い出したか知らねぇが、心臓は鋼鉄で出来てて予備まであって、血管には硫酸が流れてて、死神と契約して人を殺す代わりに自分は見逃してもらってるとか何とか」

「そいつは流石にデマだろうがな。単に悪運強いだけさ。だが、いつも一人だけ生き延びるせいで『仲間を見捨てたんじゃないか』なんて言われたりもする……」

 誰彼を犠牲にしてでも生き残る、独りの戦士。

 そこから『一匹狼』の異名がついたのだ、とリカルドは語る。

(裏切りはしないが、いざとなれば見捨てる可能性はある、か……。いや、裏切らないと分かっただけでもよしとするか)

 複雑な表情を浮かべるルークを他所に、おしゃべり好き同士ディックとフランツはその後も雑談を続けていた。

「じゃあよ、『鴉』の方はどうなんだ?信用していいのか?」

「ああ、その点は問題ねぇ。『鴉』も契約遵守だって評判だからな。出身なんかもはっきりしてて、アルベールはこっから大分東に行ったところにある、ティルス公国の出らしい。錬金術ばかり目立つが、剣の腕も相当なもんらしくってな……」

 ルークはリカルドとフランツの話から、ユーリは今のところ裏切るようなことはしないだろうと結論付けた。

 正体不明、物騒な専門分野、そして仲間を見殺しにした疑惑、怪しいところは確かに多い。

(いや……。色々と怪しいのはは私も同じ、か)

 ルークはそれ以上の詮索はやめておいた。

「おい、カルロ!俺の装備の手入れはまだかよ?!」

 話の最中、フランツは部屋の片隅で背を丸めながら、何か作業をしていた小柄な男に怒鳴りつけた。

「ひぃっ?!い、今磨き終わったとこだよ……」

 フランツの鎧と戦槌を手入れしていた彼こそが傭兵団の五人目、カルロと呼ばれていた。

 見るからに気の弱そうな40代くらいの小太りの小男で、身長は小柄なソフィアとどっこいといったところだ。

 頭はほとんど髪が残っていない不毛の大地だった。

「そう言えばよ、あのチビのおっさんは戦わねぇのか?」

 何気なくディックはそう尋ねた。

 カルロも一応腰のベルトに鎚矛(メイス)を下げて武装しているようだが、立ち振舞いなどからして素人なのは誰の目から見ても明らかだった。

「まあ、あいつはいわゆる雑用係ってヤツだな。ワケありなんで俺らが面倒見てやってるのさ。……ほら、俺の装備が終わったら後は馬車の点検でもしてろ!」

 鎧と戦槌を受け取ったフランツがそう怒鳴ると、怯えるような目でビクビクしながらカルロは部屋を出て行った。

「見ての通り、何をやらせても鈍臭くてなぁ……。なあリカルド、いつまであの役立たず連れてく気なんだよ?」

「仕方ないだろう、放っておいたら死にそうだからな」

 フランツにリカルドはそう答えた。

 ルーク達から見ても、カルロはこの乱世を一人で渡っていけるようなタフな男には見えなかった。

「だから、戦えるのは俺達四人と、『鴉』だけってことだ。戦闘員が必要になったら声をかけてくれ」

「わかりました」

 ため息をつくリカルドに、ルークは簡潔に答えた。

「……この戦況、新しい戦力を雇ったところで、どうこうできるとは思えんがな」

 そう言うエドガーはルーク達のことを信用していないわけではなかったが、客観的に見て領主側との戦力差は大きく、簡単に埋められるものではない。

「だーかーらー!あんたは逐一悲観的過ぎるんだよ!賢者の姉ちゃんだって根回しに行ってくれてるんだ、今回は勝てるって!」

 フランツは楽観的意見を出すも、エドガーはそれっきり黙ってしまい、その場はここでお開きとなった。


 それから数日、毎日のように行われる反乱分子の摘発をダミーの隠れ家を使ってかわし、レジスタンスは警備隊と盗賊団の様子をうかがった。

 ルークの指揮のおかげで被害は最小限に留められ、レジスタンスは戦力を温存していた。

 捨てるアジトにはアルベールの錬成した爆薬が仕掛けられ、警備隊はアジトに踏み込む度に被害を出していた。

 ついでに、敵兵ごとアジトを吹き飛ばすことでダミーだったと気付かれないよう、木っ端微塵にしてしまう効果もある。

 そしてようやく、情報収集に出ていたユーリがレジスタンスの本拠地へと戻ってきた。

 早速レオナルド達は会議室に集まり、彼の報告を聞くことにする。

「いいニュースと悪いニュースのふたつがある」

 開口一番、ユーリはそう言い出した。

「では、いいニュースから聞かせてください」

 ルークの言葉にうなずき、ユーリはこの数日間で集めた情報を話し始める。

「黒蜘蛛の連中は、領主を裏切る気だ。警備隊はまだそのことに気付いていない」

 これは思っても見ない朗報だった。

 それまで領主と盗賊団が結託して襲ってくるものと警戒していたが、思わぬ番狂わせが発生した。

 領主側がそのことをまだ知らないのならば、なおさらだ。

「敵の敵は味方、とまでは行かなくとも利用できる可能性がありますね。それで、悪い方は?」

「黒蜘蛛もあの剣を狙っている。恐らく、領主を裏切る理由もそれだ」

「売ってから正体を知り、剣が惜しくなった……というところでしょうか」

 ソフィアの話を信じるなら、それだけの力をあの魔法剣は秘めている。

 剣を巡っての激しい奪い合いになるのは必至だ。

 盗賊団が領主と敵対するのはいいことだが、これでより争いは泥沼化することが予想される。

「首領を暗殺しようかとも思ったが、隙がなかった。領主も同じだ」

 ユーリが言うには、トムソンの屋敷はお抱えの魔術師までもが警備に当っており、彼でも潜り込む隙間はなかったらしい。

「万が一失敗して、敵の警戒心を煽るよりはいい判断です」

 ルークの言葉にユーリは頷いた。

 今は敵を油断させ、チャンスを見計らう時だ。下手を打つよりは手出しをしない方がいいこともある。

「領主を殺るチャンスは、黒蜘蛛が作るはずだ」

 黒蜘蛛は剣を奪うため領主の首を狙っているが、セオドアはそのことに気付いておらず、まだ盗賊団が味方だと思っている。

 黒蜘蛛の首領がそれを利用しないはずがない。

「そして我々は漁夫の利を狙う……。黒蜘蛛が仕掛ける時がチャンスですね」

 この時、ルークもユーリと同じ戦術プランを考えていた。

 領主と盗賊団の争いに第三勢力として介入し、混乱に乗じて両方の頭を潰す。

 この混沌とした戦いを制するにはその他ない。

「ではユーリさん、引き続き黒蜘蛛の動きを探りつつ、情報操作を……」

 ルークが次の行動を指示しようとしたところ、会議室に慌てた様子の民兵が駆け込んできた。

「大変です!東部のアジトが警備隊に襲われてます!!」

「何?!今あそこを失うわけにはいかん!」

 レオナルドも声を荒げた。

 彼が言うには、街東部にあるアジトはレジスタンスの要所のひとつで、多数の人員や武具、そして領主に疑いをかけられて命からがら逃げ込んできた避難民もいるらしい。

「東の拠点を失えば大損害になります。防衛に協力して頂きたい!」

「……わかりました。救援に向かいましょう」

 必死に訴えるレオナルドに、ルークも仕方なくうなずいた。

 できればあまり戦力を割きたくないところだったが、重要拠点が襲撃されているとなれば見す見す奪われるわけにはいかない。

「アルベールさん、リカルドさん達も、共に来てください」

「ダミーを置いても、中々思うようには行かないものだな」

 アルベールはため息をつきながらも、ルークの要請に頷く。

「よし、俺達の馬車があればいち早く現場に駆けつけられる」

 リカルド達四人も、既に臨戦態勢に入っていた。

 旅の仲間達もいつでも戦えるよう準備は整えてある。

「今から行って間に合うとは思えんが」

「いいから、行くぞ!」

 消極的なエドガーを、フランツが引っ張っていく。

「メイさんはここでキラさんと残ってください。万が一ということもあります」

「うん」

 東部の拠点防衛にかなりの戦力を割くことになる。

 その間手薄になった中央の本拠地が狙われる可能性も考慮し、念のためにメイにキラの護衛を頼むことにした。

 彼女もルークの意を汲み、素直にうなずいた。

「ルークさん、気をつけてくださいね……?」

 この街でレジスタンスと共に戦うと決めてから、初めての本格的な戦闘になる。

 非戦闘員のため本拠地に残るキラは、ルークを心配そうに見つめた。

「大丈夫です、すぐに戻ります。皆さん、急ぎましょう」

「ああ、そうだな!ほらカルロ、馬車だ馬車!急げ!」

 フランツに尻を蹴飛ばされながら、カルロは馬車を発車させる準備に取り掛かる。

 馬車に乗り込みつつ、アルベールはルークが本拠地に残していくというキラに目をやった。

(非戦闘員を抱えている、というのは本当か。まったく、レオナルドも厄介な物件を雇い入れたもんだな)

 その間に、レジスタンスの民兵とルーク達も荷台に乗り込んだ。

 戦いと聞いて手が震えるカルロが手綱を握り、馬車は本拠地を発った。

 そこから街中をひた走り、襲撃されている東の拠点を目指す。


 ルーク達が到着した時、既にアジトは乱戦の最中となっていた。

 数で攻め込む警備隊に民兵が必死で応戦するが、力の差は歴然で見る見る押し込まれてしまう。

 保護していた民間人までもが戦闘に巻き込まれ、場は既に阿鼻叫喚だった。

 そこでルーク達は、警備隊の悪行を目の当たりにした。

「ここに居るのは全員反逆者だ!皆殺しにしろ!一人も逃すな!」

 領主の指令を受けた警備隊は、レジスタンスだけでなくその場に居た民間人にまでも剣を振った。

 武器も持たない無抵抗の人々が、一方的に虐殺されていく。その光景に、誰もが怒りを覚えた。

 中でも直情的な男、ディックは瞬く間に激昂し、槍を抜くといの一番に馬車から飛び出した。

「あの野郎、許さねぇ!!」

「増援か?!」

 市民を蹂躙する警備隊に、ディックが力任せに槍を振り下ろす。

 本人が言うには訓練すら受けていない我流の槍術が、荒々しくも豪快に兵隊を蹴散らしていく。

「ワシらも続こう!」

「そうですね、行きましょう」

 一人でも多く市民を救うべく、ギルバートとルークも出撃する。

 リカルド達四人組と、民兵もそれに続いた。

 アルベールも馬車を降りると、腰に帯びていた片手剣を鞘から引き抜き、戦列に加わる。

 一方ユーリはと言うと、側面から援護射撃を行うべく敵との交戦を避けて、近くの建物の屋根によじ登っていた。高所を取り、そこから狙撃する算段だ。

 敵味方に加えて民間人まで入り乱れての混戦、ルークは味方を巻き込みかねない魔法を使わず、剣のみで戦った。

 ギルバートもやはり闘気の衝撃波を封じて、徒手空拳で敵兵を一人ずつ片付けていく。

 アルベールはと言うと、軽い身のこなしと素早い太刀筋で、流れるような動作で次々と警備隊を切り捨てていった。

 フランツが剣術も相当なものだと言っていた通り、かなりの技量と場数があることが伺える。

 本拠地からの増援を見て、士気を盛り返すレジスタンス兵達。

 彼らと合流したルークは、そんな彼らに指示を出す。

「この拠点は捨てます!非戦闘員と負傷者の避難、物資の移動を急いで下さい!まだ戦える者は我々と共に時間稼ぎを!」

 敵に場所を知られた以上、仮に奇跡が起きて警備隊を退けたとしても、このアジトを使い続けることはできない。

 今できる最善策は、被害を抑えつつこの場を引き払うことだ。

 だがルークはレジスタンスの指揮を執りつつ、不穏な気配を感じていた。

(囮のダミー拠点に食いつかず、要所をピンポイントで攻撃……。明らかに今までと違う。警備隊の隊長が交代したのか?)

 ルークの懸念を他所に、レジスタンス兵達は自らを盾にして防衛ラインを築き、警備隊に応戦した。

 アジトに保護されていた民間人からも、戦闘の心得のある何人かが武器を持って戦列に加わる。

「このっ!」

 そんな勇敢な市民の中に、弓を持って戦う娘が一人。

 弓の扱いはそれなりに慣れているのか、乱戦の中でも誤射をすることもなく敵兵を射抜いていく。

 プロの弓兵には及ばないが、今この状況では貴重な戦力のひとつとなっていた。

「あたしが敵を引き付けるから、皆早く逃げて!」

 茶髪を動きやすいよう後ろで結った20歳くらいのその娘は、民兵達に混ざりながら子供や老人を逃がす時間稼ぎに奮戦していた。

 その目にはまだ人を射ることへの戸惑いが見られたが、今はそれよりも仲間を救わなくてはという使命感が勝った。

 だが装備も整い練度も上の警備隊に民兵は押され、戦線の維持もままならなくなっていく。

 警備隊が一気になだれ込み、弓を射る娘にその矛先が届きそうになった、その時だった。

「エレン、危ない!」

 そう叫んで、娘と同じくらいの年頃の青年が、彼女を突き飛ばして庇った。

 代わりに青年が槍に刺し貫かれ、胸から大量の血が溢れ出す。

「うっ……。エリック?エリックー!!」

 エレンと呼ばれた娘は目の前の光景に悲痛な叫び声を上げた。

 涙をこぼし完全に戦意を失った彼女へ、兵士がとどめを刺そうと剣を振りかぶった。

 その兵士の左胸、甲冑の継ぎ目を狙って矢が撃ち込まれた。更に立て続けに、他の兵士にも矢の嵐が降り注ぐ。

 遊撃隊として本隊と離れたユーリの、側面攻撃が間一髪で敵の攻撃を食い止めた。

「この、クソ共がぁっ!!」

 虐殺された民間人の死体が転がる戦場で、ディックは怒りに任せて残る敵兵を槍で穿つ。

 その後から続いてきたルークは、市民の遺体のひとつの傍らで呆然とうずくまるエレンを見つける。

「大丈夫ですか?」

 数少ない生存者に歩み寄り声を掛けるルークだったが、彼女は聞こえていない様子だった。

「エリックが……。エリックが……!」

(遅かったか……)

 彼女を庇って槍に貫かれた黒い髪の青年、名をエリックと言うようだったが、彼がエレンを突き飛ばすところはルークも目にしていた。

 早く助けねばとディックと共に急いで来たが、残念ながら間に合わなかった。

 槍はエリックの胸部を深々と貫通しており、抜こうとしても抜けないであろうことは想像できた。恐らく即死だっただろう。

 黒髪の青年は丸腰のただの一般人で、知り合いのエレンを決死の覚悟で庇ったことが伺える。

 その行為は勇敢だったが、武器を持たないただの民間人にはあまりに無謀過ぎた。

「ルーク、気の毒だが、こりゃもう駄目だ。さっさと残りの敵を……」

 後ろからルークに声を掛けるリカルドだったが、言いかけてそのまま彼は言葉を失った。

 ルーク達の目の前で、深く突き刺さっていた槍の穂先がひとりでに青年の身体から押し出され、抜けた。

 まるで内側から何かに押されたようだった。

「これは、一体……?!」

 もしやと思ったルークが青年に駆け寄って傷口を確認すると、さっきまで穴が開き止め処なく血を流していた傷が、見る見る治癒していった。

 もう血も止まり、傷痕すら残さずきれいに元通りになっている。

 破れて血に塗れた服だけが、確かにそこに傷があったことを証明していた。

「やはり、生きている」

 信じられない光景を目の当たりにしつつも、ルークは冷静にエリックの手首から脈を取った。

 何事もなかったかのように、血は血管を流れている。

 よく見ると、胸も上下して呼吸をしていることがわかる。ただ意識がないだけだ。

「おいおい……。こいつは、どうなってるんだ?」

 リカルドはただ戦慄し、誰にとはなく疑問をぶつける他なかった。

 槍に貫かれて即死したはずの青年が、生きている。

 しかも傷口はあっと言う間に塞がって、傷など元からなかったかのように治ってしまった。

(もしや……彼も異能の?)

 そうでなければ、こんな治癒能力は説明がつかない。

 医者や教会の僧侶の術を持ってしても、こんな芸当は不可能だ。

「エリック、生きてるの……?ねえ、返事して!」

 状況が飲み込めないながらも、彼がまだ生きていることを信じてエリックの肩を揺するエレン。

 まだ意識は戻らないが、恐らくじきに目を覚ますはずだ。

「リカルドさん、彼らも安全な場所に運びましょう」

「あ、ああ……」

 戦闘の最中に置いていくわけにもいかない。

 体力のあるリカルドが意識のないエリックを背負い、ルークはまだ混乱しているエレンの手を引く。

 本拠地からの増援により、戦況は大分持ち直しているようだった。

 非戦闘員の避難は完了し、アジトの物資も運び出しが進んでいる。

 だが脱出の時間を稼ぐレジスタンス兵の損耗は激しく、徐々に警備隊に押されつつあった。

「遅いぜ、リカルド!いいとこ持ってっちまうぞ!」

 前線で戦槌を振るうフランツが叫ぶ。

 そのすぐ後ろからはディンゴが弓で援護していた。

 そして最前列には大盾を構えて敵を押し止めるエドガー。

 三人共戦い慣れしているだけあって立ち回りは上手く、周りの民兵に指示を出しつつ戦線を維持している。

 そして最前線の中央では、『鴉』ことアルベールが猛威を振るっていた。

「その程度の腕で、俺を倒せると思うな!」

 鮮やかな剣技、そしてアルベールの武器がもうひとつ。

 敵兵は彼の剣の間合いの外に一度後退するが、そこへアルベールは懐に仕込んだ投げナイフを投げつける。

「大丈夫だ、外れだ!」

 アルベールの投擲したナイフは敵には命中せず、その足元に突き刺さる。

 狙いが下手だったのかと思って相手が安心した次の瞬間、ナイフの中に仕込まれた爆薬が炸裂し、警備兵数人を纏めて吹き飛ばした。

「な、何だぁ?!」

「爆弾だ、ナイフの中に爆弾が!」

 爆音と爆風で警備隊が怯んだ隙に、アルベールが容赦なく斬り込む。

 対応が遅れた敵の武器を絡め取り、体勢を立て直す間を与えずに急所を的確に突き刺す。

 距離を詰められれば剣術で圧倒され、後ろに退けば爆薬入りナイフを投げられる。

 かと言って敵前逃亡は許されず、敵兵はどうしたものかと困惑した。

 味方のいる安全圏に到達したルークとリカルドは、エレンに気絶したままのエリックを任せて自分達も前線に出た。

 そこへ怒りに任せて暴れ回っていたディックと、それを捕まえて力尽くで友軍側まで引っ張ってきたギルバートも合流する。

「ええい、鬱陶しい反逆者共め!火を放て!この区画一帯ごと焼き払ってしまえ!」

 レジスタンスの抵抗に手を焼いた警備隊長は、放火を命じる。

 すぐにアジトは炎上し、辺り一帯が火の海になった。

 民兵達は炎に焼かれながらもルークの指揮の下で隊列を立て直し、脱出までの時間稼ぎを行う。

 レジスタンス増援部隊の活躍により敵兵の士気も下がり、以前のような勢い任せの攻め方はしなくなっていた。

「もうすぐ撤収が完了するそうです。それまで持ち堪えてください!」

 ルークは服と髪を焦がしながらも、前線で号令を飛ばす。

 今は彼の的確な指示がレジスタンス兵の支えであり、彼らが何とか纏まって組織的な抵抗を行えているのもルークのおかげだった。

 その時、ルークの足元に一本の矢が突き刺さる。

 外れたのではない、味方が敢えて外したのだ。

 ルークが矢が飛んできた方向を見やると、建物の屋根に登ったユーリが身振り手振りで危険を知らせようとしていた。

(あれは……アルバトロス軍式のハンドシグナル?『敵増援。注意されたし』……)

 怒号飛び交う戦場で、離れた味方に声だけで連絡を取り合うのは困難であり、語弊の素である。

 そこで、各国の軍隊は独自のジェスチャーを編み出していた。

 今ユーリがルークに向けて行ったのは、二人がかつて身を寄せていたアルバトロス軍の形式のものだ。

 ルークが敵軍を注視すると、増援で兵力を増した警備隊が隊列を組み直し、レジスタンスを畳み掛けるべく進撃を開始しようとしていた。

 彼はこれを警告しようとしていたのだ。

(もう少し粘りたかったが、時間切れか……!)

 最優先で行わせていた非戦闘員の脱出は既に終わっていたが、残る物資を全部回収していられる時間的猶予はもう残されていない。

 水、食糧、武具、どれも戦いに必要な物ばかりだが、命には替えられない。

「物資を捨てるのは不本意ですが……撤退します!」

 ルークは迅速に撤退命令を下した。

 それに応じて、戦線を維持していた民兵が順番に下がっていく。

「引き際は弁えているらしいな」

 局地的には優位に立っていたアルベールも異論はなく、後退するレジスタンス達の殿となって敵を食い止める。

「おいリカルド、そろそろ俺達も潮時じゃねぇのか?!」

 精鋭として味方を庇い、最後まで前線に立っていたフランツが、同じく横で槍を振るうリカルドに声を掛ける。

「そうだな、退くなら今しかない。敵の本隊とぶつかったら無事じゃ済まねぇ!」

 ルーク達がいかに武勇に優れていようとも、数で圧倒されて蹂躙されてはひとたまりもない。

 既に友軍の民兵もほとんどが戦線を離脱している。

 後は最後の防衛戦を張っているルーク達と残りの民兵が引き上げれば、撤退作戦は終了だ。

「引き際じゃな。ワシらも丸焼きにならんうちに逃げるぞ」

「そうですね。どの道、これ以上の戦線維持は不可能です」

 気付けば皆、戦いでボロボロだった。服や装備は焼け焦げ、顔や手は煤で黒く汚れていた。

 深手ではないが全員手傷はあちこちに負っており、敵増援を押し返せるだけの余力はもうありそうにない。

 唯一、アルベールだけがほとんど傷も作らず、余裕を残していた。

 焦げ跡や煤は、マントや帽子が黒いので目立たなかっただけかも知れない。

 民兵と民間人の生き残りは全員逃し、物資も全てではないが限られた時間内で、できる限りは回収した。

 十分だと判断したルーク達は、炎上するアジトから脱出した。

 単身で遊撃隊を担っていたユーリも少し遅れてから合流し、途中で保護したエリックとエレンの二人も一緒にカルロの馬車に乗り込むと、早々にその場を後にする。

「今回の作戦の指揮官は誰だったのでしょう?明らかに、今までとは毛色が違うようですが……」

 走る馬車の中で、ルークが疑念をぽつりとこぼす。

 数で押し切る戦法は従来通りだが、それは兵力で勝っているなら誰でも使う常套手段だ。

 問題は、囮に目もくれず重要拠点を探し出し、そこに大規模な戦力を投入した隊長の手腕だ。

 今までの警備隊は面白い程にダミーの拠点に食いついてくれたのだが、今回の隊長はそんな木偶とは違うようだ。

「今までの隊長では、ここまで入念にカモフラージュされた本物のアジトを見つけるのは難しいはずです」

 ルークの言葉に、アルベールが返す。

「俺達のご同業を雇ってきたのかも知れんな」

「確かに……。今回の相手は、裏社会の情報に通じた……傭兵の可能性があります」

 レジスタンスが傭兵を雇ったように、領主側も傭兵で対抗してきているのかも知れない。

 ルークはより一層の危機感を覚えたのだった。

「目には目を、歯には歯を……。領主もただの馬鹿ではないらしいな」

 状況的にありえない話ではないと、エドガーはそう呟いた。


 一方、ルーク達が撤退した後、一面焼け野原となった東部アジトでは、警備隊が生き残りがいないかをチェックしていた。

 そんな中、隊長の隣に立つ警備隊の制服でない者が一人。フード付きのマントを被った、長身の女だった。

「さすが、トムソン男爵殿が雇った傭兵ですな。奴らの重要拠点をすぐに見つけ出して、大打撃を与えるとは」

 隊長の言葉に、フードの女は呆れたようにため息をつく。

「大打撃?見て分からないかしら。アジトの跡地からは、何も見つかっていないわ。重要な物は全て持ち出された後なのよ」

 艶のある声で女は今回の収獲から得た結論を述べる。

 最初はこの東部拠点を足掛かりに、レジスタンス本拠地を特定できるような重要書類を手に入れられないものかと考えていたが、そんなものは全く発見できなかった。

 他にも焼死体があまりに少ない点や、燃えにくい水や武具などまでほとんど押収できなかったところを見ると、火を放ったせいで焼けてしまったわけではなさそうだ。

 レジスタンスの救援が駆けつけたのか、あるタイミングから統率の取れた防衛戦を行うようになったことには気付いていたが、それは奪われては困る物を移動させる間の時間稼ぎだったのだ。

「し、しかし今回の討伐戦であれだけの反逆者を……」

 積み上げられる死体の山を指差す隊長に、女は今度はやれやれと首を横に振る。

「よく見なさい。ほとんどが武装していない、ただの民間人よ。レジスタンスの戦力に打撃を与えたとは言い難いわ」

 こうなると、隊長はもう何も言えなくなってしまった。

 アジトの場所を探り出したはいいが、徹底的に壊滅させる前にまんまと逃げられてしまったのだ。

「それにしても、敵は余程優秀な人間を味方に引き入れたようね。撤収の手際がよかったわ」

「そいつを何とかするのが、あなたの役目ではないですか!」

 味方に駄目出しをしておきながら、敵には賛辞を送る女に、思わず隊長は怒鳴った。

 だが女はどこ吹く風といった様子で答える。

「ええ、もちろんですとも。厄介な指揮官は暗殺するに限るわ。そして私の専門分野は、”殺し”よ」

 そう言って、女は不敵に微笑んだ。


「くっそー、痛ぇよー!」

 戦っている最中は忘れていた傷の痛みがここに来て押し寄せたのか、ディックは帰りの馬車の中でのた打ち回った。

 元気な分、痛い痛いと馬車の中でわめくので、リカルドに『うるさい』と叱られた。

「この程度の手傷で喚くな。これでも塗っておけ」

 冷ややかな視線を向けつつも、アルベールが投げてよこしたのは軟膏の傷薬だった。

 傷を負ったのはディックだけではないが、他の者は大人しく応急手当てを行っていた。

 そんな味方達にも、アルベールは治療薬を配っていく。

「この薬は、あなたが?」

 見慣れない傷薬を手に、ルークが尋ねる。

「錬金術には、こういう使い方もあるということだ」

 最初半信半疑ながらに薬を塗っていた仲間達だったが、すぐに出血が止まり痛みが引いていくと、薬の効能に驚きの声が次々とあがる。

 あちこちに傷を作ってしまったが、アルベールの配った治療薬のおかげもあり、次の戦闘に支障を来す程にはならなかった。

 自分の手当てを終えたルークは、途中で保護した二人の民間人に目をやる。

 馬車の荷台に横たえられているエリックは、まだ意識が戻らないものの容態はとても安定していた。

 むしろ健康過ぎて、ついさっき槍に貫かれた人間とは思えないほどだ。

 エレンも徐々に落ち着きを取り戻し、帰りの馬車の中でルーク達に経緯を話し始める。

「えっと、まずは助けてくれてありがとう、かな。あたしはエレン、エレン・ウィルビー。で、そこで寝てるのがエリック・カーターね。まあ、何ていうか腐れ縁的な……」

 おずおずと頭を下げた彼女は、簡単に自己紹介した。

「いいってことよ、これも仕事だからな。とは言えヤバかったな……。よく生きて帰れたもんだぜ」

 エリックの身に起きたことを知らないフランツは、気持ちを切り替えていつもの陽気な調子に戻っていた。

 一方、現場を目の当たりにしたルークとリカルドは、エリックがいつ目を覚ますかを固唾を呑んで観察していた。

「あたし、元は近くの森で狩人やってたんだけど……。少し前、いきなり兵隊が家に押しかけてきて、『反逆罪で逮捕する』って言い出して。エリックと一緒に逃げてきて、レジスタンスの人達に匿ってもらってたんだ」

「ああ、何となく聞いてるぜ。関係ない人にも濡れ衣着せて殺してるんだってな」

 まだ怒りの収まらないディックは、忌々しげにそう言った。

「元狩人、か。どうりで弓に慣れてるわけだ」

 あの混乱の中、他の民間人を逃す時間を作るために勇敢に弓を射った彼女を、リカルドは高く評価していた。

 腕こそ彼の仲間のディンゴに劣るが、そこは戦闘訓練を受けたわけでもない素人、仕方がない。

 それを踏まえても、土壇場で矢面に立てるその度胸は戦士向きだとリカルドは考えていた。

 それに同意するかのように、弓の先輩でもあるディンゴは黙って頷く。

「いやー、それほどでも……」

 調子に乗りやすいのか、褒められて照れ笑いを浮かべるエレン。

「そうだな、素人をあまりおだてるな」

 そう言うアルベールも内心では彼女を評価しつつも、表には出さない。

 エレンはすぐに神妙な面持ちに戻り、うつむいた。

「でも、あたし達これからどうすればいいんだろ。いつまでも逃げ回るわけにもいかないよね……」

 不安そうにそう言うエレンを勇気づけるように、フランツが言った。

「心配ご無用、何故なら我らが参謀殿が反撃の作戦を立ててるからな。じきにトムソンの野郎とおさらばできるぜ」

 笑いながらルークの肩を叩くフランツ。

 唐突に担ぎ上げられ、ルークは少しばつが悪そうにうつむいた。

「参謀……と呼ばれていいのかどうか分かりませんが、領主を倒す目処はついています。それまではレジスタンスのアジトで保護を受けてください」

 そのルークの言葉に、異を唱える声があった。

「……それじゃ、駄目だ」

 馬車の荷台に横たえられていたエリックが、唐突に目を開けて開口一番にそう言った。

「エリック、目が覚めたんだね!」

 友人の意識が戻ったことを喜ぶエレン。

 エリックは上体を起こそうとするが、リカルドがそれを制した。

「待て、まだ横になってた方がいい」

 ある程度状況が飲み込めているのか、エリックは言われた通り起き上がるのをやめた。

 そしてそのままの体勢で話を続ける。

「俺達、守られてるだけじゃ駄目だ。戦わないと、いつかやられる。今日みたいに」

「それは、レジスタンスに加わる意思と見ていいのかのう?」

 それまで状況を見守っていたギルバートが尋ねる。

「ああ……。ここは俺達の街だ。外から来た人達が戦ってるのに、俺達が何もしないなんて、元から間違ってたんだ」

 そう決意を表明するエリックの瞳には、怒りが燃えていた。

 ある日突然濡れ衣を着せられ、訳も分からぬままレジスタンスの保護下に入ったエリック。

 ずっと守られるだけの存在でいることに感じていた疑問は、今日の虐殺を見て確信に変わった。

「でも、エリック!あんた死にかけたんだよ?槍で突かれて……」

「痛かったよ。自分でも死んだと思った。でも生き残ったんだ、俺は」

 身を案じるエレンを振りほどくように、エリックは続ける。

「もしこの街を変えるチャンスがあるとしたら、それが今なんだと思う。俺はまだ素人だけど……レジスタンスの人達だって、皆そうだったんだ。やってやる、ここから始めるんだ」

「言い出したら聞かないよね、あんたって。じゃあ私もレジスタンスやるわ。本物の”反逆者”になってやる」

 エリックとは幼馴染、彼の頑固さはエレンもよく知っていた。

 ならばせめて、狩りで培った弓を戦いに活かそうと、彼女も参戦の意思を固める。

「いいのか、二人共?俺達がやってるのは領主との戦争だ。危険だし、痛いし、怖い。それでもやるか?」

 リカルドが改めて問うと、二人は迷いなく頷いた。

「元々反逆罪で追われてるんだ。濡れ衣だったけど……。俺は俺なりに、この街のために戦いたい」

「まあ、あたしも開き直りかな?無実ですって言ってももう遅いしね」

 だがそれに対して、アルベールが釘を刺す。

「勢いで戦争ごっこを始める気ならやめておけ。実戦は生半可な覚悟で生き抜ける程、甘くはないからな」

「『鴉』のおっさん、そんな言い方ねぇだろ?!」

 ディックはエリック達の側に立って反論するが、アルベールはそれを鼻で笑った。

「ふん。中途半端な戦士になれば、いずれ死ぬぞ」

「そうだな、よく考えることだ。無駄死にしたくないならな……」

 リーダーのリカルドに反して、アルベールの側についたのがエドガーだった。

「二人共、暗すぎるぜ。もっとこう、新しい仲間を歓迎しようじゃねーかよ!」

 楽観的なフランツが反論するも、アルベールもエドガーも新人を戦力に迎え入れることに否定的な姿勢を崩さなかった。

 そうこうしているうちに馬車は本拠地に到着し、すぐに医療班がルーク達を迎えた。

 傷だらけで帰ってきた彼らを医者が治療に当たり、今は傷が塞がっているが念のためエリックも診断を受けた。

「負傷したと聞きましたが、ご無事ですか?」

 知らせを聞いたレオナルドもその場に駆けつけた。

「痛ぇよー痛ぇよー!」

 軽傷で騒ぐディックを他所に、彼以上にボロボロに傷ついたルークやリカルド達は落ち着いていた。

「どうも敵も腕の立つ者を雇ったようです。今回の襲撃は、ダミーを無視していきなり要所を襲ってきました。領主が傭兵を雇った、というような心当たりは?」

 ルークの問いに、レオナルドも首を傾げる。

「いえ、トムソンがそのような人材を持っているという情報は今までありませんでした」

「何者かは分からんが、木偶の坊ではなさそうじゃ。厄介じゃな……」

 これにはギルバートも唸る。

 深刻な表情で顔を突き合わせる三人の下へ、悲鳴にも近い声を上げてキラが駆け寄ってきた。

 ルークが負傷したと聞いて、心配のあまり部屋から出てきたのだ。

「ルークさん!!だ、大丈夫ですか?!傷は痛みませんか?!何か私にできることは……」

「大丈夫です、キラさん」

 半狂乱の彼女をなだめるように、できるだけ優しい口調でルークは答えた。

「ギルバートさんも、ディックさんも、皆傷だらけで……。ごめんなさい、私が言い出したせいで……」

 街の人々を救いたいとレジスタンスへの協力をお願いしたキラは、責任を感じていた。

 だが自分ではどうすることもできず、無力感に苛まれて涙となって目からこぼれ落ちる。

「ヘーキヘーキ!こんなの屁でもねぇって!なぁルーク!」

 さっきまでわめいていたとは思えない様子で、ディックはそう言った。

「キラよ、お前さんのせいではないぞ。そう自分を責めるな」

 ギルバートに続き、ルークも頷く。

「まだ軽傷です。安心してください」

 仲間達が優しくキラをなだめる中、呆れ返ったように言う人物が一人。

「情けない話だな。言い出しっぺの本人が戦わず、ただ守られるばかりとは」

「おい!」

 先程のエリック達への態度と言い、あまりの言い草にディックが声を荒げるが、アルベールは意に介さない様子で続ける。

「ある程度事情は聞いたが、自分の記憶を探す自分のための旅でありながら、本人が戦わないとは何事だ?仲間だけに戦わせて、姫にでもなったつもりか?」

「うぅ……」

 アルベールに辛辣に指摘され、キラはすっかり萎縮してしまった。

「アルベールさん、彼女には戦えない事情があります」

 割って入るルークだったが、今度はそんな彼にアルベールは冷ややかに言い放つ。

「お前達がそうやって甘やかすから、いつまでも自立できないんじゃないのか?自分の身ひとつ自力で守れないようでは、この先、生き残ることはできんぞ」

 言いたいだけ言って、アルベールはその場を去って行った。

「あ、あんの野郎……!言いたい放題言いやがって!キラちゃん、気にすんな。あいつはああいう奴だったんだよ」

 ディックはそう言ってくれるも、キラは唇を噛み締めてうつむいていた。

「……いえ、自分でも分かってるんです。アルベールさんの言うことが正しいって」

 いざという時、常に仲間が側で守ってくれるとは限らない。

 アルベールの言う通り、自衛のひとつもできないようでは、命がいくつあっても足りないだろう。

 そのことは、キラ自身も自覚していた。

「ディックさんの言う通り、あまり気に病まないでください」

 キラの精神状態は心配だが、ルークはそう言い残すと一旦離れ、ユーリと話し合うことにした。

「領主が傭兵を雇った可能性についてですが……」

「分かっている。調べておく」

 ユーリは遊撃隊として動いていたおかげで無傷で済んだため、今夜にでも次の手を打つべくアジトを出発する予定だった。

 盗賊団『黒蜘蛛』の動向をより正確に把握し、レジスタンスの一斉攻撃のタイミングを見計らうためだったが、今回の戦闘でまた集めるべき情報が増えた。

 そして情報収集に加えてもうひとつ、ルークは彼に任務を預けた。

「『レジスタンスは残存戦力も僅かで弱りきっている』……この噂を流して、壊滅寸前だと敵に信じ込ませてください」

「分かった」

 情報屋に通じるユーリに賄賂に使う資金を握らせ、敵を油断させるために偽の情報を流布させる手筈だ。

 上手く行けば作戦決行のその日まで、領主と盗賊団にレジスタンスは敵にすらならないと思い込ませることができる。

 そこから不意を突けば勝率は更に上がるだろう。

 ユーリを見送ったその頃、アジトの中ではエリックとエレンが新たにレジスタンスに加わるということで歓迎を受けていた。

 常に戦力不足に悩まされているレジスタンスにとっては、若手の新人が参戦することはとても喜ばしいことだった。

 二人はこれから、簡素ながらも戦闘訓練を受け、民兵として戦っていくことになる。

 だがレジスタンスの民兵達から歓迎を受ける二人を、離れた場所からアルベールは冷めた目で見つめていた。

「いや、それでね?エリックったら丸腰のくせして私を庇って槍で……」

 あの時起こったことを話そうとしていたエレンだが、ルークがそれを止めた。

「エレンさん、ちょっといいですか?それから、リカルドさんも」

 三人でアジトの片隅に集ったルークは、声を潜めながら言った。

「エリックさんの治癒能力についてなのですが」

「ああ、ありゃ一体何だったんだ?本物の不死身なのか?」

 未だに目にしたことが信じ難い不可思議な光景に、リカルドは疑問符を浮かべた。

「あたしもエリックとは長い付き合いだけど、あんなの見たことないよ……」

 あそこでエリックの傷の再生を目撃したのは、この三人。

 エリック本人は気絶していて、自分の身に何が起こったのかよく把握していない。

「私の憶測に過ぎませんが、異能者ではないかと思われます」

「いのーしゃ?」

 エレンもリカルドもよく知らないようなので、ルークは簡単に説明した。

 数世紀に一度誕生する、類稀な才能を持つ超人。それがエリックではないのかと。

「つまり、その異能力で槍の傷が治ったってことか?」

「恐らくは。ソフィアさんなら詳しいですし、彼女が戻ってきたら改めて確認してもらいましょう」

 ソフィアは賢者の称号を得ているだけあって、異能力の研究にも造詣が深い。

 今は街を離れて諸侯との交渉中だが、戻ってきたらその時にはっきりするはずだ。

 同時に、リカルドが異能の力にある種の脅威のようなものを感じていることを、ルークは薄々勘付いていた。

 確かにあんな光景を見たら、恐怖せずにはいられないだろう。

 致命傷が瞬く間に治癒してしまう人間を殺せるはずがない。

 エレンは幼馴染と言うだけあって恐れは感じていないようだが、やはり戸惑いはあるようだった。

「詳しいことが分かるまで、あそこで見たことは他言無用にお願いします。他の者を不用意に恐れさせるだけです」

 ここに二人を呼びつけたのは、口止めのためだった。

 もしエリックが化物扱いされて民兵から排斥されれば、今度こそ彼は行き場を失ってしまう。

「ああ、分かった……」

「オッケー。あたしこう見えて口は堅いんだから」

 ルークの意図を察したのか、二人共快諾した。

 だがルークは、キラもまた異能者の一人であるということは二人にも黙っていた。

 もし知れれば、戦力として担がれるか、はたまた怪物扱いで放り出されるかのどちらかだと想像がつくからだ。

 偶然に出会った二人目の異能者、そして唐突に現れたフードの女。このファゴットの街には、未知なるものがうごめいている。


 ちょうどその頃、門を潜ってファゴットへと入ってくる一人の人影があった。

 鉄の胸当てと腰の矢筒を覆い隠すように羽織った端がほつれた緑色のマントに、背中には長弓。流れの傭兵だった。

 灰色の髪に、涼しい顔立ちながらも目付きは鋭い。どう見ても一般人ではなかった。

 他の通行人に紛れて街に入ったその男は、一直線に裏通りへと向かい、小汚い安宿に入って一階の酒場で注文する。

「焼き魚定食。それと……そうだな、エールを」

 長旅で疲れた身体で好物の魚にかぶりつき、酒を流し込んで一息つく。

 落ち着いたところで、男はエールの入ったコップを持ったまま席を立って他の客に声をかけた。

「この街で盗賊を見かけたって噂、知らないか?」

 客は首を横に振った。

 すぐに男は他の客に同じことを尋ね、盗賊について嗅ぎ回る。

 盗賊とは当然、黒蜘蛛団のことだ。

「盗賊団をお探しかな?」

「ああ。知っているのか?」

 傭兵にそう話しかけたのは、胡散臭い風貌の男だ。

 裏通りの宿や酒場には大抵一人は居る、所謂情報屋である。

 慣れている男はすぐに相手がその筋の人間であると分かり、盗賊について尋ねつつ銀貨をそっと差し出した。

「『黒蜘蛛』って連中が、頻繁にここを出入りしてる。領主と盗品売買を行うためだ」

「今は?」

 男の問いに、情報屋に意味深に笑うとうなずく。

(バッシュが黒蜘蛛団を引き連れて、ここに潜伏しているのは間違いないな)

 他の情報屋に金を握らせたり、噂好きの客から目撃情報を聞いたりして裏を取り、男は確信した。

 コップに残ったエール酒を一気に飲み干すと、飲み食いと今夜の宿の代金をカウンターで纏めて支払い、二階の部屋へと上がる。

(バッシュか……。奴も相当な手練れだそうじゃないか)

 階段を上りながら人知れず、男は不気味にほくそ笑む。

(俺は強い者を狩る”狩人”……狩猟の始まりだ)

 ルーク達も知らないところで、黒蜘蛛の首領を狙う者がまた一人。

 悪徳領主、盗賊団、魔法剣――危険な匂いに釣られて、混沌としたモノがこの街に集まりつつあった。


To be continued

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