第13話 『賢者』

 キラ達がメイを新たな仲間に加えた頃、少し離れた都市では魔術師ギルド主催の学会が開かれていた。

 日夜魔法を始めとした様々な研究を行う魔術師達の発表の場として、定期的に催されているものだ。

 言い伝えにあるようなサバトのようなおどろおどろしいものではなく、学術的な技術交換を目的として行われている。

 開催地もその街の領主から魔術師ギルドが許可を取って借りたもので、公に開かれており魔術師以外でも入ることができた。

 新たな呪文、より効率的な魔力の循環法、詠唱の短縮方法など、実用的なものから机上の仮説まで、様々な論文が発表される中、新たに壇上に上がった女性の魔術師は長年謎とされてきた異能の力について述べ始めた。

「……このことから、異能者の予知能力とは因果律を遡り、現状から最も起こり得る可能性の高い結果を予測する能力であると推定されます。従来の説のように、確定された未来を見るのではなく、”予測”です。異能者の予測アルゴリズムについては……」

 艷やかな黒く長い髪を持つその魔術師は、落ち着いた話し方と知的な眼差しからとても大人びて見えるものの、周りの人物と比較して見ると二回り程背が低かった。

 ともすれば演壇からようやく頭が出る程で、研究について解説しながら彼女はその裏で必死で爪先立ちしながら立っていた。

 彼女が発表を終えると会場からは拍手が贈られ、すぐに次の魔術師が交代し自分の論文を読み上げる。それを繰り返して日が傾きかけた頃、学会は終了した。

(今回はあまり参考になりそうなものがなかったわ……)

 ギルドの学会は魔術師にとって貴重な技術交換の場でもあるのだが、今日は収穫が少なかった。少なくとも、彼女にとっては。

 日が暮れる前に帰ろうと会場を後にしようとする女性だったが、彼女を呼び止める声があった。

「リリェホルムさん。今回の発表、興味深く聞かせて頂きましたよ」

「どうもありがとう」

 話しかけてきた男性の魔術師に、賢者ソフィア・カーリン・リリェホルムは作り笑顔で答えた。

 研究に興味を持ってもらえるのなら嬉しいのだが、経験則から大半は本題が別にあることを彼女は知っている。

「如何でしょう、この後に食事でも」

「せっかくですが、またの機会に」

 28にして魔術師の最高峰の賢者の称号を手にした才女で、かつ顔立ちも整った美人とあっては男性の魔術師達が放っておかない。

 会合に参加する都度、声をかけられるのが半ばパターン化していた。

 適当に断って帰ろうとするソフィアだが、彼女を狙う者はまだまだいる。

「どうも、賢者リリェホルム殿。今研究中の魔法があるのですが、情報交換と行きませんか?」

(あなたの発表した研究って、塩を砂糖に変えるやつじゃないの……)

 これと言って興味もないのでソフィアはやんわりと断った。

「いやぁ、未来を垣間見る予知の力、いい研究材料です。ところで、私にはあなたと共にサーカスを見に行く未来が見えるのですが」

(あなた論文の内容聞いてないでしょ?!)

 心の中でつっこみを入れつつ、これも断った。

「君がソフィア嬢かね。どうだろう、今夜オーケストラを聞きに」

(気安く名前を呼ぶんじゃないわよ)

 魔術師ですらない、恐らく彼らのパトロンと思しき貴族までが寄ってくる。

 しつこい誘いを断るのに彼女は苦心した。

(嗚呼、早く帰りたい……。帰って研究の続きがしたい……)

 男達の包囲網を縫うように、ソフィアは足早に会場から立ち去った。逃げるようにして帰りの馬車へ飛び込む。

「出してちょうだい」

「いやぁ、賢者様も色々大変ですねぇ」

 フォレスに向けて発車させながら、御者が苦笑いする。

「まったくよ。私は純粋に論文の方を評価して欲しいのだけど」

 魔法大学の学生だった頃から、研究が彼女の生き甲斐だった。

 チビだのガリ勉だのと同級生に笑われながらも魔法を学び続け、その成果として二十代で賢者の仲間入りを果たすのだが、若くして才能を認められたソフィアに向けられるのは下心の方が多かった。

 ギルド内でも異性からは色目で見られ、同性からは色香を使って地位を手にしたと誤解を受け、古株からは若造と軽んじられ、どうにも肩身が狭い。

 とは言え、少数ながらも彼女の研究を評価してくれる同業者はおり、何より魔法の話は魔術師相手でないと通じないので、ソフィアは我慢しながらギルドの学会に顔を出し続けている。

「けど、ちょっとくらい遊びに行ってもいいんじゃないですか?案外気が合うかも知れませんよ」

「時間の無駄だわ」

 学生時代からも『もっと遊ぶべきだ』とよく言われてきたが、どうもソフィアは興味が湧かなかった。

 それよりは魔法の研究に打ち込んでいる方が楽しいし、有意義だと彼女は考えていたからだ。

(えーっと、帰ったら異能力の研究の続きと、転移魔法の理論の見直しと、封印魔法の実用性の実験と……)

 馬車に揺られながら、フォレスに構える工房に戻ったら何をしようかと思案し、メモに書き留めていく。

 この時まだ、運命という波が迫っていることに彼女自身気付いていない。


 山賊を倒し、メイを仲間に加えたキラ達は、農村を発ってから数日でフォレス共和国へ無事辿り着いた。

 フォレスは長くアルバトロスの属国として、中央とは良好な関係を築いてきた。

 カイザーの故郷ということもあり、革命によって立ち上がった新政権にも当然好意的で、混乱や警戒は見られなかった。

 交易の商人や他の旅人と共に、キラ達はフォレス国内へと足を踏み入れた。

 小国ながら管理が行き届き、これまで平和を保ってきたフォレス共和国。心なしか、その領内は穏やかな空気が流れているようにも思えた。

 都会の街程の活気はないが、よく整備された落ち着いた雰囲気の街である。

 まず宿を取った一行は、早速お目当ての賢者の工房を目指すことにした。

「確か、賢者の工房はこのひとつ隣の通りを真っ直ぐです。行きましょう」

 ルークはカイザーに教えてもらった住所を頼りに街中を進んでいく。カイザーに書いてもらった紹介状も忘れずに持っていた。

(この先に、私の過去の手掛かりが……)

 困難を乗り越え、ようやく辿り着いた賢者の住む街。思えば長いようで、振り返ってみると短かったような気もする。

 キラの胸には期待と不安が入り交じるが、それを払拭するように笑顔を浮かべて、メイに手を伸ばす。

「メイも届け物があるんでしょ?一緒に行こ!」

「うん」

 メイもそれに頷き、キラの手を取った。

 自分が何者なのか知るのは怖くもあったが、今は恩人であるルークや友達のメイがいて支えてくれる。

 だから大丈夫だとキラは自分に言い聞かせ、ルークの案内の後に続いた。

「女賢者ってどんなだろうな?しわくちゃの婆さんか、それとも美人だったりして……?」

 ニヤけながら三人の後をついていこうとするディックだったが、彼の肩を後ろからギルバートが掴む。

「待て待て。お前さんとワシは、別についていく必要はなかろう」

「えー!」

 ディックは露骨に口を尖らせた。

 ギルバートは護衛は引き受けたものの、まだキラの記憶について土足で踏み入るべきではないと考えており、頼まれてもいないのについてきたディックに至っては尚更だ。

「その代わり、ワシが直々に稽古をつけてやろう。アルバトロスに仕官するつもりなら、もっと腕を上げておかんとな」

「いやだぁー!ジジイと二人で暑苦しい稽古なんていやー!」

 もがくディックを、ギルバートは引き摺っていった。

 一方、キラ達三人はメモに記された住所へと来ていた。

 石造りの頑丈そうな家で、玄関には『魔術師ソフィアの工房 まじない・マジックアイテム作成引き受けます』と表札がかけられていた。

 几帳面な性格なのか、庭もきれいに手入れがされており、清潔な印象を受ける。

 初めての旅の末に辿り着いた、探し求めた人物。いざそれを目前にしたところで、キラは感慨深くなりしばらく玄関の前で立ち尽くした。

 きっとその賢者に会えば、何もかも良くなって後は首都に戻り、ルークとまた以前のような生活に戻れる。キラはそう信じることにした。

「キラさん、入りましょう」

 ルークはそう声をかけると、ドアをノックしてゆっくりと開いた。ドアベルが鳴り、来客を告げる。

 ルークの後に続いて、キラとメイも工房へ入っていった。

 入ってすぐは応接間と思しき広い部屋になっており、整頓された居心地のいい空間だった。

 その奥には、書物の詰まった本棚に謎の液体で満たされたフラスコやビーカーが並ぶテーブル等、いかにも魔術師の工房といった研究室が見えた。

「いらっしゃい。今日はどんな御用かしら?」

 奥の研究室から、ローブを羽織った長い黒髪の女性が現れた。

 小柄ではあるが、知的な眼差しをした彼女こそ、賢者ソフィアであると三人は確信する。

「えっと、はじめまして。私は後でいいから、メイ、先に届けて」

「分かった」

 メイはソフィアに簡単に挨拶すると、届け物がある旨を伝え荷物袋から例の依頼品を取り出した。

 ソフィアが受け取った箱を開くと、中には丁寧に梱包された一冊の本が入っていた。題名などの文字は一般で使われる標準語ではなく、どうやら特殊な言語で書かれた魔術書のようだ。

 彼女はその本に軽く目を通し確認した後、メイに銀貨の入った袋を手渡した。

「ありがとう、確かに注文の魔術書だわ。これが報酬よ」

「こちらこそ。またよろしく」

 報酬の額を確認したメイは、口元に笑みを浮かべて会釈する。

 冒険者も本来は客商売。ある程度愛想がよくなくては務まらない。

「ところで、そちらのお二人はどんなご用件かしら?」

 研究室の本棚に収納する予定の魔術書を一旦テーブルに置き、ソフィアはキラとルークに視線を移す。

「私はルーク。彼女がキラと言います。実は見てもらいたい物があり、ここを紹介されました」

 ルークが紹介状を渡すと、彼女はそれに目を通して驚いた表情を浮かべた。

「カイザー・ハルトマン……。今や国中の有名人ね。ひとまず、そこにかけてちょうだい」

 ソフィアに促されるまま、三人は応接間のソファーに腰掛けた。

「既に知っていると思うけど、私がソフィア・カーリン・リリェホルム。この工房の責任者よ」

 そう名乗りつつ、彼女は人数分の茶を淹れてテーブルに置き、挟んで向かい合わせの席に座る。

 どうやら工房はソフィア一人のようで、他に従業員などは居ないようだ。

「さてと、鑑定がお望みらしいわね。物は何かしら?」

「はい、この剣なんですけど……」

 キラは頷くと、ベルトに差していた剣を差し出した。

「綺麗な剣ね。拝見するわ」

 鞘に収められた状態の剣を手に取ると、隅々まで眺める。それからそっと剣を抜き、刀身を確かめた。

「かなり高価な物のようだけど、どこでこれを?」

 鞘や柄には宝石や貴金属があしらわれ、まさに宝剣と呼べるそれは、旅人が持つにはあまりに不釣り合い過ぎる。

「実は……」

 キラに代わり、ルークがことのあらましを説明した。

 キラが記憶を失っていること、そして失くした記憶の唯一の手掛かりがこの宝剣であること。ついでに革命戦のことにも少しだけ触れ、カイザー直筆の紹介状を持っていたことについても説明した。

「なるほど、事情は分かったわ」

 それまで相槌を打ちながら話を聞いていたソフィアは、納得したように頷いた。

「けれどこの剣、どうもただの飾りではないようね。魔法の力を感じるわ」

 そう言うとソフィアは、ローブの内ポケットから何重ものレンズのついた眼鏡を取り出した。フレームの左右に取手が伸びており、それを操作してレンズを入れ替えるようになっている。

 眼鏡をかけたソフィアは、鞘から剣まで入念にチェックした。

「一見ただの宝剣に偽装されているけど、隠された魔法の刻印が刀身にびっしり刻まれているわね……」

 複数のレンズには一枚一枚、異なる術がかけられていた。肉眼では視認できないものを可視化するための、魔法の道具のひとつだ。

 そのレンズが目に見えない宝剣の魔法文字を浮き彫りにしていく。

「かなり高等な魔法剣のようね。今はまだ術が起動していないようだけれど」

「魔法剣……!」

 魔力の込められた剣がそう呼ばれる。ルークの帯びている剣も魔法剣の一種だが、それ程強力な物でもない。衝撃の吸収や耐久性の向上が術によって成されているが、伝説に登場する一撃で山を裂くような大業物ではない。

 ルークも魔術師として、どことなく宝剣から魔力を感じてはいた。だがどうやら、知らず知らずのうちに相当危険な物を持ち歩いていたようだ。

「これが誰の剣なのか、分からないでしょうか?」

 キラはそう尋ねた。

 彼女にとって、この宝剣が何なのかよりも、そこから導き出される自分の正体の方が重要だったからだ。

「そうね、記録と照らし合わせてみるわ。もっと詳しく調べる必要があるから、剣を預かってもいいかしら?」

「はい、お願いします」

 キラは頭を下げて、それまで大切に持っていた剣をソフィアに預けた。

 答えが得られなくとも、有力な手掛かりが見つかれば、またそこから真実を手繰り寄せていくことができる。彼女はそこに希望を託した。

「ところで、話は変わるけれど……」

 急に話題を切り替えたソフィアの瞳の奥が、キラリと光る。好奇心と言う名の、鋭い輝きだ。

「あなた、今まで不思議な経験をした事はなかった?傷があっという間に治ったり、とんでもない怪力を出したり、先の出来事が読めたり……」

「私ですか?そう言えば……」

 思い当たる節があるキラは、経験したことのある不思議な感覚について話した。

「私、時々おかしな感じになって……。この先何が起こるのか何となく分かったりするんです。何か、知ってるんですか?」

「やっぱりね。それは『予知の瞳』よ。『異能者』と呼ばれる特殊な人間の持つ力のひとつ」

 ここに来て再び耳にした『異能者』の単語にキラははっとした。

 かつてアルバトロス皇帝が口にしていた言葉、この間そのことはほとんど頭の片隅に追いやられて忘れかけていたが、それが舞い戻ってくる。

「異能者って、一体……?」

 キラはそもそも、そこがよく分かっていなかった。

「類稀に誕生する特別な力を持った人間、それが『異能者』と呼ばれているわ。彼らは常人にはない独特の魔力を持っているの。魔力に敏感な人間なら、普通と違うと気付くはずよ」

 横でそれを聞いていたルークは、初めてキラと会った時から感じていた不思議な感覚の正体を知った。

 魔術師でもある彼も、やはりキラの異質な魔力を無意識に感じ取ってはいたが、それが具体的に何なのかよく分からないでいた。これは単純に知識不足によるものだ。

(懐かしい、この感じ……。これが異能の……)

 一方、ソフィアの説明を聞いたキラはテーブルに身を乗り出した。

「前にも言われたんです、私は『異能者』だって。私は……私は何者なんですか?」

「希少な素質を持った人、としか今は言い様がないわね。そっちも調べてみたいから、サンプルを貰ってもいいかしら?毛髪一本で構わないわ」

 冷静に答えるソフィアに、キラはきょとんとしながらも自分の栗色の髪の毛を一本抜いて渡した。

「髪の毛だけで分かるんですか?」

 ソフィアは受け取ったキラの髪を、懐から取り出した小さな試験管に丁寧に収めて蓋をする。

「本当は血液が一番いいのだけれど、採血は流石に嫌でしょう?身体の一部分であれば何でも構わないの。本当に異能者なら、反応が出るはずだから」 

 失われた記憶と、高度な魔剣、異能者。はまりそうで噛み合わないピースに、キラは己の姿を映し出そうとする。

 そして不思議と、目の前にいる賢者がその力になってくれると彼女は確信していた。

「お願いします。自分が何者か知りたいんです」

「ええ、数日で結果は出るわ。そうね、2~3日経ったらまた来てちょうだい」

 また訪れる約束をして、キラ達はソフィアの工房を後にした。

 謎の魔法剣と異能者、このふたつのキーワードからキラは自分が何者であったか、その答えに近づけると信じていた。

 同時に、その正体が平凡な一市民ではなさそうだということも、薄々感じてはいた。

 自分の正体を知ってなお、ルークや仲間達と共に平和に過ごせるのか、そこにキラは一抹の不安を抱えていた。

「大丈夫。キラは悪い人じゃないよ」

 硬い表情でうつむいて歩くキラに、メイが声をかける。

「そう、だといいんだけど……」

 記憶を失うことで、人が変わってしまうということは無いとも言い切れない。

 逆も然り、記憶を取り戻したら今の自分が消えて、ルークやメイとの絆も捨ててしまうのではないか。

 期待と同じくらい、キラはそれが恐ろしくてならなかった。

「何で、メイは大丈夫だって思うの?」

「勘」

 ようするに根拠は無いということだが、これは直感だけでなくメイの経験則でもあった。

 彼女はこれまで冒険者として依頼をこなす上で、善人も悪人も様々な人間を見てきた。

 目の前の人間が、善性か悪性かを見抜く鼻は利く方という自信はある。

「キラはキラのまま。そうでしょ?」

 彼女の心配を察したかのように、メイが言う。

 口数は少ないものの、その言葉がキラの心に深く響いた。

(メイさんが居てくれて、本当に助かった……)

 少し明るくなったキラの表情を見て、横を歩くルークは一人胸を撫で下ろす。

 彼も不安がる彼女を安心させてやらねばと思いつつ、どう言葉をかけたものか迷っていたからだ。

 期待と心配を半々にキラは宿に戻り、別行動をしていたギルバートとディックの二人と合流する。

「ディックさん、どうしたんですか?とても疲れてるみたいですけど……」

 ぐったりとテーブルに突っ伏すディック。

「超疲れた……。ジジイと半日特訓なんてもうカンベンだぜ……」

 フォレスに到着してからと言うもの、みっちりと訓練を受けさせられたディックは疲れ切っていた。

 直接稽古をつけてやっていたギルバートはと言うと、老齢にも関わらず疲労したような素振りはない。

「若いもんがたるんどるぞ。その程度のスタミナで戦場に出てどうする」

「いーんだよスタミナなんて。敵は瞬殺すっから」

 口を尖らせて文句を言っていたディックだが、すぐに興味はキラの方へと移っていった。

「そうだ、キラちゃん。結果はどうだったんよ?何か分かった?」

「それが……」

 キラは工房でソフィアから聞いたことを話した。

 あの宝剣が強力な魔法剣だったこと、そしてキラ自身もまた特殊な力を秘めた異能者だと言われたこと。

「へー、何か面白くなってきたじゃん?数日後が楽しみだなこりゃ」

 ディックは非常に能天気で、ポジティブ思考な男だった。

 だが少なからず不安を覚えていたキラにとっては、それがかえって有難かった。

 ソフィアが鑑定を終えて結果が出るまで、一行はこの宿で待つことになる。今日はもう日も暮れてきたので、そのまま休むことにした。


 キラ達が宿で仲間と合流した頃、ソフィアもまた自身の工房内で作業を開始していた。

 魔法剣をより詳しく鑑定するための魔法の道具を並べ、準備を進めていく。

「そうだ、これもやっておかないと」

 彼女は懐に仕舞っていた試験管を取り出した。そこにはキラから提供された毛髪が一本入っている。

 ソフィアはそれをピンセットで慎重に取り出すと、特殊な魔法薬の液が入ったフラスコに落とした。

「さて、反応は……」

 薬液の中で溶けていく髪。

 表面上には出さないが、ソフィアは数年ぶりに興奮して内心沸き立っていた。

 異能者とは非常に稀な存在で、異能力研究に携わる魔術師でも実際に目の当たりにできることは少ない。

 力の強弱に関わらず、実物と出会えるということは、研究者にとってとても喜ばしい幸運なのだ。

 そして何より、未来予知の異能力についてはここ最近力を入れて研究していた題目のひとつで、先日の学会で論文を発表したばかり。自分の説を立証する上でもこのチャンスは欠かせない。

 異能力を検出する試薬の結果が出るまでには数分かかる。その間にソフィアは宝剣の鑑定に取り掛かった。

 テーブルの上に複雑な魔法陣を敷き、その中央に鞘から抜いた刀身を置く。

 魔法剣について記された魔術書を片手に、右手を魔法剣にかざして魔力を注ぎ込みながら呪文を唱えていく。

 刀身に薄っすらと赤く、隠れていた魔術刻印が浮かび上がった。

(古代語ね。製造された年代はかなり古い。地域は大陸中央部辺りが有力かしら?さて、本来はどんな姿なのか見せてもらうわよ……)

 やがて刀身は火が点り、より奥に隠されていた幾何学模様的な刻印が、焼けるような明るいオレンジ色に浮かび上がる。

 しかし次の瞬間、鋭い閃光が走ったかと思うと剣が弾け飛び、周囲の物を散乱させて床に転がり落ちた。

「っ!随分と強固に封印されているのね」

 ソフィアは冷や汗を拭うと、恐る恐る剣に触れる。もう刀身は火を帯びておらず、刻印も消えて元の状態に戻っていた。

 異常がないことを確認した上で鞘に戻すが、周囲を見渡した彼女は片付けの手間が増えたと、ひとつため息を漏らす。

(私個人のラボの設備ではお手上げね。これは後で専門の研究機関に持ち込むくらいしか手がないかしら……)

 強力な魔法剣の中には、他の者の手に渡って悪用されないように封印がかけられているものがある。

 そういった封印が施されている物はほんの僅かではあるが、そういった類の魔法剣は大掛かりな設備がないと正体を暴くことは難しい。

 この場での剣の鑑定を諦めたソフィアは、仕方なしに壁の本棚へ向かい、現状で分かる範囲でこれに近い記録がないか調べる方針へと変えた。

 魔剣に関して記された分厚い魔術書を取り出すと、先程少しだけ見えた刻印に近いものを照らし合わせていく。

(古代に作られた強力な魔法剣と言っても、そんな記録眉唾も含めて山ほどあるわ。少しでも信憑性の高い記述は……)

 しばらく本と睨み合うソフィアだったが、突然窓が割られたかと思うと部屋の照明がかき消された。

 何事かと彼女は本を置いて照明の呪文を唱える。魔力の灯火がソフィアの右手から宙に上がり、真っ暗闇となった室内を照らし出した。

 そこには盗賊と思われる数人の人影が、ついさっきまで調べていた魔法剣を持ち去ろうとする光景が映し出されていた。

「あなた達、何をしているの?!」

 相手が強盗であれば、こちらはたった一人で丸腰。まず勝ち目はないところだが、ソフィアは違う。

 魔術師にとって最大の武器とは剣でも槍でもなく、己の呪文である。口が利ければ如何様にも戦える。

 ソフィアは麻痺の呪文で盗賊を拘束しようとするが、焦って早口で詠唱したせいで呪文の途中で舌を噛んでしまった。

「あいたっ!」

 その隙に相手は煙幕を投げつけ、剣を持って工房から逃げていく。

「げほっげほっ!ま、待ちなさい!それは鑑定のために預かった貴重品で……」

 すぐに後を追おうとするソフィアだったが、盗賊が逃げる際に倒していった椅子につまずき、受け身も取れぬまま顔面から転倒してしまった。

 いくら賢者と言えども、身体能力はただの人間。むしろ肉体労働をほとんどしない分、一般人よりも低いかも知れない。今回はそれが仇となる。

「痛たた……人の工房で好き勝手してくれて……!」

 彼女が起き上がり、全身にかかった煙幕の粉を落としている頃には、とっくに盗人は逃げ去った後だった。

 騒ぎを聞きつけた周辺の住民や警備隊が駆けつけ、工房の周りはちょっとした騒ぎになっていた。

 次々と集まる野次馬の中に、キラとルークもいた。ソフィアの工房で騒ぎがあったことを聞きつけて、宿から飛んできたのだ。

「ソフィアさん、大丈夫ですか?!一体何が……」

 人混みをかき分けて前に出たキラは、全身粉まみれになり鼻血を流すソフィアに駆け寄った。

「ええ。泥棒に入られてしまって……」

「まさか、その傷はその時に?!」

 キラはソフィアの鼻血を気にしているようだった。

「そ、そうね。盗人が思ったより手強くて」

 そう答えつつ、ハンカチで血を拭うソフィア。

(転んだ傷なのは黙っておこう……。あんまりにも格好悪い)

 怪我の原因を適当に取り繕ったソフィアは、キラに向けて頭を下げる。

「それよりも、ごめんなさい、あなたから預かった剣を盗まれてしまったわ」

「あの剣を?どうしてそんなことを……」

 首を傾げるキラに、ソフィアは黒髪にかかった煙幕の粉を払い落としながら言った。

「可能性の話だけれど、あれを貴重な魔法剣と知っていたのかもね。奴等はあの剣以外に手をつけなかったもの。恐らく最初から、剣だけが目的だったのよ」

「もしかしたら、剣について詳しく知っている連中の仕業かも知れませんね」

 野次馬の集団を抜けてきたルークもその場に加わる。

「捕まえて、事情を詳しく聞いてみる価値はありそうね。問題はどうやって後を追うかだけれど……」

 相手もプロのようで、目的の物を奪ってすぐに姿を消した。行動が素早く、手際よい。警備隊に協力してもらっても、追跡し切れるか疑問だった。

 だがここで見失えば、剣ごとキラの謎も持って行かれてしまう。

 どうしたものかと彼女が考えていると、ドアベルが新たな来客を告げる。

「悪いけれど、今は立て込んでいるから、明日に……」

 言いかけて、ソフィアは気付いた。

 夜はいつもは工房を閉めている。こんな時間帯に店を訪れる客で思い当たるのは、一人しかいなかった。

 彼女の想像通り、振り向いた先に居たのは灰色のフードを深めに被り、同じ色の外套を纏った男。背中には弓、左手には厳つい鉄製の篭手。見間違うはずもない。

「あなただったのね。いつもの薬かしら?」

「そのつもりだが、何の騒ぎだ?」

 荒れた工房を見渡すその男に、キラとルークも見覚えがあった。

「ユーリさん?あなたもフォレスに来ていたのですか?」

 他でもない、アルバトロス革命でルークと共に潜入部隊として戦った、あの傭兵だ。

 革命後、てっきりそのままカイザーの士官になったものとばかり思っていたが、どうやら国に仕えることなく放浪を続けているようだ。

「ああ。この店に用事があってな」

「あなた達、知り合いだったの?」

 意外な巡り合わせに、ソフィアは少し驚いた様子を見せた。

 ルークは簡単に、アルバトロス本国で一緒に仕事をしたことを伝えた。

「奇妙な縁もあったものね。ところでユーリ、ちょうどいいところに来てくれたわ。薬なら出来ているから、代金と引き換えに頼みたいことがあるの」

 そう言うソフィアに、ユーリは沈黙で続きを促した。

「預かった鑑定品を今さっき盗まれたわ。プロの盗賊よ。奴等の足取りを追って欲しいの。あなたならできるんじゃないかしら?」

「情報屋を当たってみれば大体は見当がつく」

 蛇の道は蛇、警備隊に頼むよりもこういう荒事に慣れたユーリに追跡を依頼する方が確実だ。

 彼ならば、裏ルートでの情報網も熟知していることだろう。

「何か分かったらすぐに知らせてちょうだい。薬は先に渡しておくわ」

 そう言うとソフィアは倉庫から何やら袋を取り出してきてユーリに渡した。

 袋の口から少しばかり見えたのは、怪しい青白い液体の入った注射器だった。

 それと引き換えに、ユーリも荷物袋をソフィアに手渡す。

「次の分も頼む」

 言い残して、ユーリはすぐに工房を出て行った。

「盗賊の追跡は何とかなりそうね。彼なら奴等の行き先を見つけ出せるはずよ」

 ひとまずはユーリの調査報告を待つ形になりそうだ。

 彼女の口ぶりから、少なくともユーリの腕に関しては信用を置いていることが伺える。

「ソフィアさん、ユーリさんと知り合いだったんですね。ちょっとびっくりです」

 世界は意外と狭いものだと、キラは驚きを口にした。

「工房の常連と言えばそうなるわね。とにかく、今は彼からの報告を待つわ。どの宿に泊まっているかだけ教えてもらえるかしら?」

 ルークは宿の名前と住所を伝えつつ、彼女とユーリの間で取引された”薬”に引っ掛かっていた。

(注射薬のように見えたが……。少なくとも魔法工房で扱っている以上は普通の薬ではないだろう。一体何の薬を……?)

 どうもきな臭いものを感じつつ、この日はキラを連れて宿に戻ることにした。

 敵の行き先が分からない今は動きようがない。ユーリが正確な情報を持ってくることを願うばかりだ。

 キラ達を見送った後、散らかった室内を見てうんざりしながらソフィアは掃除を始めた。

 散乱した道具を仕舞い、割れた瓶などは処分していると、テーブルの上で妖しく光るフラスコが目に入る。

「あれは、確か……」

 キラの毛髪を入れた検査用のフラスコだ。

 既に髪の毛は薬剤に溶けて無くなり、代わりに魔力に反応した薬液が極彩色の光を放っている。

(つ、強い……!こんな強力な反応が出るなんて、あの子どれだけ強力な異能力を持っているのかしら?)

 こんな事例は滅多に報告されたことがない。キラは異能者の中でも特に強い力を持つという証明でもある。

 彼女の存在は将来的に、歴史に大きく関わるのではないかとソフィアは考え始めた。

 強力な異能者は過去、何度か歴史の節目に現れては時代を大きく動かしてきた。時に英雄として、また時に凶悪な殺戮者として。

(これほど強力な異能者と言うと、最近では亡国になったコルディオン王国の将軍くらいのものだったかしら?彼女はもう故人だということを踏まえても、異能者の再出現には間隔が早過ぎる。発生確率が滅茶苦茶だわ)

 本来ならば数世紀に一度誕生するかどうかの異能者が、同じ時代に二人。

 これはただごとではないと、ソフィアは居ても立っても居られずノートを取り出し、そこにキラと出会った経緯や起こった出来事について詳細に記していく。事実に加えて、研究者としての仮説もノートに書き留める。

 かつて現存する異能者としてコルディオンという小さな国の女将軍が研究者の間で話題になったが、彼女は帝国時代のアルバトロスに国が滅ぼされた際に戦死したとされていた。

 だがもし生存していたとしたら、同じ時代に強力な異能者が二人並び立つことになっていたかも知れない。

 それが歴史にどういう影響を与えるか、彼女なりの考察を走り書きした。

 一通り記録を書き終えると、ソフィアは紙面に手をかざして短い呪文を唱える。するとインクが幻のように消えていき、最後にはノートは元の白紙の状態に戻った。ソフィアが再び呪文で解除するまで、書かれた文字が浮き出ることはない。

 魔術師が自分の研究を盗まれないようにする隠蔽の術の一種で、発表前の研究はいつもこうやって人の目から隠していた。

 ようやく一息ついたソフィアは発光するフラスコを厳重に保管すると、片付けを再開した。

 淡々と荒らされた工房を掃除していくが、内心は興奮のあまり今にも踊り出しそうな心境だった。


 ソフィアが工房で舞い上がっている頃、宿に戻ったキラとルークは、何事かと目を覚ましていた仲間達に事情を説明していた。

「今度は盗賊か……。情報待ちはいいとして、どうも厄介事に好かれとるようじゃのう、お前さん方」

 初めて会った時は野盗に逆恨みで追われ、その後はカイザーの襲撃に出くわし、ようやく賢者の元に辿り着いたと思ったらこれである。ギルバートも思わず苦笑した。

「こそ泥なんざ俺の敵じゃねーな。さっさとボコって、剣を取り返そうぜ!」

 ディックは相手を甘く見ているようだったが、ソフィアの話を聞く限り犯人は手練れの盗賊だ。

 侮れない敵だとルークは考えていた。

「私も行く」

 そう言ってメイは、キラを安心させるように肩に手を置いた。

「依頼は既に済んだはずでは?」

 協力はありがたいが、ルークは訝しんだ。

 メイがここまで一緒に来たのは、行き先が同じだったからだ。賢者に届け物をするという依頼を達成した今、メイはフリーの身だ。

 どうするかは彼女の自由なのだが、仕事でもないのに厄介事に首を突っ込む理由は何かとルークは暗に問うた。

「『友達が困っていたら助けてやれ』って、お父さんいつも言ってたから」

 長い前髪で表情の全ては伺えないが、優しげに微笑むメイ。

(友達、か……)

 それは損得を超えた感情。仕事や金銭でなく、絆を拠り所に彼女は斧を振るうと言う。

 それが嘘偽りでないことをルークは察した。そして同時に、懐かしさと寂しさを心の何処かで感じていた。

 自分にもかつて、友達と呼べる存在が、いやそれ以上と言える存在がいたこと。ある日、それら全てが焼かれて灰になったこと。

(忘れろ。今は目の前の問題に集中するんだ)

 険しい表情で過去を振りほどこうとするルークを他所に、キラはメイがこれからも力を貸してくれることに喜んでいた。

「ありがとう、メイ。ごめんね、迷惑かけて……」

「今、フリーだから」

 メイはそうとだけ答えて、キラの手を握った。

「そう!メイいいこと言った!俺も今はまだキラちゃんの友達だから助けるのは当然だ!今はまだ!」

 下心を隠そうともせず、ディックはそう言って胸を張る。

「心の声が漏れとるぞ」

 若干の不安要素はありつつも、剣を取り返すべく盗賊を追うことで団結した一行は、賊の行き先が分かった時に備えて準備をして待つことにした。


 翌日の夜、きれいに掃除された工房でソフィアは夕食を終えて、お待ちかねのデザートと洒落込んでいた。

 割られた窓は交換がまだなので、仕方なく塞いだままになっているが、物事は適度な妥協が必要だ。

 お気に入りの製菓店で買ってきたケーキに、こだわりのダージリン茶葉の紅茶。午後のティータイムとはまた別に、夕食後のこの一時が至福の時だった。

 例え窓が割れていても、これだけは外せない。

 程よい甘みととろけるような柔らかさのケーキを味わった後、角砂糖二個を落とした紅茶をじっくりと味わいながら喉を潤す。その時だった。

 工房のドアがノックされ、ソフィアが返事を返すと予想通りユーリが訪れた。

 ソフィアはハンカチで口元を拭うと、席を立ってユーリを出迎える。

「早いわね。盗賊の行き先は分かった?」

「奴等は『黒蜘蛛』を名乗る盗賊団だ。規模は約70人。ここから西に行ったゴーストタウンをアジトにして盗品を集めているらしい。数日後には売りさばくためにアジトから物が運び出されるだろう」

 そう言って、ユーリは情報屋から手に入れたアジトの場所を記した地図を彼女に手渡した。

「急いだ方がいいわね。早速支度をしないと」

「君も行くのか?」

「ええ、こんなチャンスは見逃せないわ」

 預かった剣を盗まれた責任を感じてもいたのだが、ソフィアはそれ以上にキラという逸材との出会いに運命的なものを感じていた。

 こうなったら一緒に同行して協力し、その旅の結末を自身の目で見届けて記録しようと考えていた。

「俺はアジトに先行する。現地で落ち合おう」

「あら、あなたも盗賊を追うの?」

 依頼したのは盗賊の行き先を突き止めるところまでだ。

 それ以上の仕事を自ら買って出るとは思わなかったため、ソフィアは少し驚いた。

「『黒蜘蛛』の首領には懸賞金がかかっている。元々奴を消せという依頼を請けて、そのついでにここに立ち寄ったまでだ」

「なるほどね」

 どうやらユーリは最初から盗賊団を追っていたようだ。

 今回、たまたまお互いの目標が合致した。情報を仕入れるのがたった一日と早かったのも頷ける。

「だが、奴らを追うなら気をつけろ。連中の幹部には魔術師も居るという話だ」

「戦闘は得意分野ではないけれど、私も賢者よ。魔法戦なら負けないわ」

 やり取りも早々に、彼は街を発った。

 ユーリを見送ったソフィアは、受け取った地図を手にキラ達の泊まっている宿へ向かう。

「西にあるゴーストタウンですか」

「アジトと言うからには敵の縄張りじゃ。注意せんといかんじゃろうな」

 この時、起きていたのはルークとギルバートの二人だった。

 キラを始め他のメンバーは、既に夕食を済ませて床に就いていた。

 報告を受けた彼らは、明日にでもアジトに向けて出発することを決める。

「そのことだけれど、私も同行するわ。見す見す剣を盗まれた責任もあるわけだし」

「協力してくれるのですか?それは我々にとってはありがたいのですが、いいのですか?」

 ルークは改めて問うた。

 ソフィアには工房もある。そう簡単に空けてしまっていいものなのか。

「ええ。店は臨時休業するわ。それに、相手には魔術師も混ざっているという情報もあるの。役に立てるはずよ」

「手練れの魔術師の協力が得られるのは心強いのう。魔術師まで敵についているとなると、一筋縄ではいかんじゃろう」

 ルークも彼女を信用していいものか少し迷ったが、ギルバートの言う通り今は少しでも戦力が欲しいことと、責任を感じているという理由は一応理屈が通っているので良しとした。

 明日の朝出発と決め、ソフィアは工房に戻って早速支度を始めた。

 当面工房は留守にするため、機材などは全て戸棚に仕舞って、丁寧にも盗難防止の魔法の鍵をかけていく。解錠の呪文がなければ物理的にはこじ開けられないため、防犯には非常に便利だ。

(水や食糧は共同で持つだろうからいいとして、まずは資金ね。先立つものがないと旅が進まないわ)

 ソフィアは地下室の金庫を開けると、金貨を財布に詰めていく。

 元々は魔法の研究資金として蓄えていたものだが、金は使うべき時に使わねば意味が無いと惜しみなく引き出した。

 更に宝石や貴金属など、旅先でいざという時に換金して路銀にできそうな物も荷物袋に入れていく。

(盗賊団との戦いは避けられないでしょうね。治療薬に、戦闘用の装備も必要かしら)

 工房で販売している、自分で調合した薬をソフィアはローブの下の服のポケットに仕舞い込んでいく。

 他にも引火性の高い魔法薬の入ったフラスコなど、普段は持ち出さない危険物もいくつか懐に忍ばせた。

(これもいりそうね。剣を取り返した後も、雇って味方に引き込めれば百人力だもの)

 ソフィアは『劇薬注意』とラベルの貼られた、青白い液体の入った注射器を収めた小箱もポケットに詰めた。情報料としてユーリと交換した、あの薬だ。

 その後向かったのは重厚な作りの本棚で、そこに収められているのはソフィアが自分で使う魔法を封じた魔術書だった。

 あらかじめ本に魔法を封じておき、必要な時に本を開いて解放してやることで、詠唱や儀式といった手間を短縮することができる仕組みだ。

「さて、私は何としてもあの子達を守らないといけない。どの本が適切かしらね」

 本に封じられる呪文の数は限られており、かつソフィアの扱う魔法の量は膨大だ。

 仕方なく用途に応じて何冊もの魔術書を彼女は作っており、目的に合わせて魔術書を持ち替えるということをしていた。

「護衛が第一なら防御の呪文に特化したこれだけれど、どうかしら……。あの子達、火力は足りているのかしら」

 興奮のあまり、いつの間にか考え事がそのまま口に出ていることにも気付かず、ソフィアは装備の吟味を続ける。

「ならいっそ、破壊呪文特化の魔術書で真っ先に敵を排除する方針も……。攻撃は最大の防御なりと言うし」

 分厚い魔術書を重そうに手に取るが、また唸っては首を振る。

「駄目駄目、巻き込んであの子ごと吹き飛ばしたら意味が無いわ。火力過多は却下ね。それに戦争をしにいくんじゃあるまいし、戦闘だけ想定していても……」

 ぶつぶつと独り言を重ねながら長時間考えあぐねた末、ソフィアは最後に三冊の魔術書を手に取った。

 基本的な呪文を封じた魔術書で、突出した能力もなければ不足もない汎用装備である。

「やっぱり基本が大事よね。チョイスとしては面白味はないけれど堅実にいくならこれしかないわ」

 一人頷いて魔術書を懐にねじ込むと、今度は隣の戸棚を開く。

 そこには何種類もの杖が保管されていた。賢者のコレクションのひとつである。

 魔術師にとって杖は魔術書と同じくらい重要な装備である。魔力を集束させ、術のコントロールをより確実にするために無くてはならない道具だ。

 旅においては、体力に些か自信のないソフィアにとって歩行を手助けする物でもある。

「これは……旅には不向きかしら。高出力だけれどデリケートですぐ壊れるものね。こっちの方は……ああ、まだ修理してないんだったわ」

 あれでもないこれでもないと、次々と杖を持ち替えては眉間にしわを寄せて唸るソフィア。

 もう何年も杖を持ち出して使ったことはなく、ほとんど埃を被っている状態だった。

 そもそもソフィアは研究者であり、戦うのが仕事の兵隊ではない。護身のために戦闘用の魔術書や杖を所持してはいても、常に使い込んでいるわけではなかった。

 迷った挙句、ソフィアは最終的に銀製のシンプルな杖を選び出す。

「よし、これなら長旅になっても耐えられるでしょう」

 これで準備万端かと思いきや、数歩歩いて彼女はしまったという顔をして立ち止まった。

「お、重い……。荷物を持ち過ぎたわ。これじゃ長時間歩けない。減らさなきゃ」

 ソフィアは一度ポケットから荷物を全て取り出して並べると、それを全てノートにメモし、重量と優先順位のランクを記入し始めた。

 その中から重さと必要性が釣り合った物だけ持っていく物として印をつけ、最後の項で総重量を計算していく。

「これは必要だから持っていくとして、じゃあその分こっちを削って……」

 険しい顔で持ち物の取捨選択を行っていたソフィアだが、はっとしてノートに書き込む手を止める。

「何をやっているのかしら。重ければ馬車に積んで移動すればいいじゃない!」

 ノートに走り書きした計算表に打ち消し線を入れると、今度は並べた荷物を再びポケットに詰めていく。

 持てる分は自力で持ち、後は荷袋に入れて馬車に積む算段だ。どうせ馬車に積むならと積載上限を撤廃した彼女は、今度はあれもこれもと袋に物を詰め込んでいく。

 そうやって旅支度が一通り終わる頃には、日が昇り近所の鶏が朝一番の声をあげていた。

「これで……よし……!」

 徹夜で慌ただしく準備を終えた彼女は椅子に座りそう呟くと、眠気に襲われて机に突っ伏して寝てしまった。


 出発前、ソフィアが同行することをルークから聞いたキラ達は、彼女を迎えに再び工房を訪ねた。

「すいませーん!ソフィアさーん、いますかー?」

 キラが扉をノックし呼んでも、返事がない。

 彼女は首を傾げながらも、扉越しに呼びかけ続けた。

「でさぁ、お前昨夜も会ったんだろ?賢者って美人だったのかよ、ええ?」

「いえ、私は何とも」

 その後ろではただ待つのに飽きたディックが、ルークを掴まえては何かしら喋っていた。

「何ともってことはないだろ!ブサイクじゃなかったんならさ。言ってくれりゃ起きてきたのに!なぁ、ジジイはどう思った?美人かどうかさ」

 突然話を振られたギルバートは、肩をすくめながら答えた。

「まあ、賢者を名乗るには随分と若かったのう。かなり才能があるんじゃろう」

「いや、才能がどうとかじゃなくってさ、見た目がどうかの話だって!」

 下らない会話で待ち時間を潰す彼らに、キラが心配そうな様子で声を掛ける。

「全然返事がないんです。この前のこともあるし、何かあったのかも……」

「仕方ない。失礼かも知れんが、扉を破ろう」

 ギルバートが蹴破ろうと扉に足をかけると、来訪を拒まないとでも言うかのように扉はゆっくりと開いた。どうやら鍵がかかっていなかったようだ。

 まさかと思い一行が工房の中に足を踏み入れると、机に突っ伏したままのソフィアを発見する。

「し、死んでるーっ?!」

 早とちりしたディックが叫ぶ中、キラはソフィアに駆け寄って揺すった。

 すると、彼女は眠たそうに目をこすりながらもぞもぞと顔を上げた。寝起きのせいか、口の端からはよだれが垂れていた。

「あら……?私としたことが、眠ってた?」

 ソフィアの生存を確認して、一行は胸を撫で下ろした。

「よかった。何かあったのかと思って私、びっくりしちゃいました。ソフィアさん、この人達が一緒に来てくれる仲間です」

 ギルバートは昨夜顔を合わせたが、ディックとは初対面だ。

 同行する面子を確かめたソフィアは、寝起きを見られたことが恥ずかしかったのか、よだれを拭いて少し顔を赤らめながらも、ひとつ咳払いをして平静であるように努めた。

「こほん。とんだところをお見せしたわね、失礼。改めて、私はソフィア・カーリン・リリェホルム。盗賊団の追跡に参加させてもらうわ。よろしく」

(ワーオ。期待以上に美人だったぜ。仲間に入れたルーク、グッジョブ!)

 ガッツポーズを取るディックを含めそれぞれ自己紹介を済ませると、ソフィアは話を進める。

「これから敵地に乗り込むわけだけれど、この盗賊団はユーリも追っているそうなの。彼はアジトに先行しているわ。現地で合流して、協力し合いましょう」

「彼も来るのですか。ならば戦力も申し分なさそうですね」

 革命戦でユーリの腕前はルークがよく知っている。

 情報提供以上の協力が得られるとは思っていなかったが、利害が一致したのならば不思議ではない。

 善は急げと出発にかかるが、ここで問題が発生した。

「これ、全部持っていくのか?!持ちきれねぇよ!」

 ソフィアの荷物を見たディックは驚きの声をあげる。

 とにかく量が多く、非常に重たかったのだ。

「心配ないわ。馬車を借りてそれに積む予定よ。その方が移動も早いわ」

「ふむ、馬車か。人数も増えて来たしのう、その方が効率がいいかも知れん」

 借用する金さえあるのなら、徒歩よりも多くの荷物を運べる上に早く、歩く分の体力も温存しておける。

 一行は馬車乗り場まで大量の荷物を運び、ソフィアが借り受けた馬車へと積み込んだ。

「いよいよ馬車か。へへっ、それっぽくなってきたじゃねぇか」

「歩かず座っているだけになるからのう。お前さんにとっては退屈かも知れんぞ?」

 御者席で手綱を握るギルバートがそう言って笑う。

 荷物と仲間を積んだ馬車は勢い良くフォレス共和国から出発した。

 突然剣を持ち去った盗賊団『黒蜘蛛』。彼らは何を知り、何を目的に行動していると言うのだろうか。


To be continued

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