第1章
第1話
「今度こそ、王宮へ行っておいで!」
「いやに決まっているわ!」
朝からすがすがしい大声がとびかうのはいつものことで、バークリー家の朝は大概こんな様子で始まる。家主であるジゼルの両親は旅商人のため不在。町はずれの大きな一軒家なので、大声を出し合っても、お隣さんに迷惑がかかることはない。
そのジゼルの顔面に、特別豪華な封書を突き付けて、怒髪天の顔をしているのは、手伝いのマチルダだ。
「いいや、今度こそは行っておいで。だいいち、断る理由ももう底を尽きているだろう? 何だい、歯痛や風邪ならまだしも、最近の断り文句はろくなもんじゃない」
「滝行と遺跡の発掘作業の、どこがろくでもない断り文句なのよ。宮廷画家への推薦を断るのには、最適な文章よ。頭おかしいと思わせておけば、手出ししてこないでしょう?」
これまで幾度となくやってきた王宮からのオファーを、まともに理由をつけて断っていたのがそもそもの間違いなのだ、とジゼルも負けじと腕組みをしてマチルダをにらみつけた。しかし、小柄なジゼルに対して、マチルダは女性としては上背もありかなりふくよかな部類だ。誰がどう見ても、蛇ににらまれた蛙でしかない。
「いや、行くべきだね。というか、行きたくなるに決まっているさ」
マチルダが意味深にニヤリと笑い、ジゼルは眉根を吊り上げる。どうしてとジゼルが聞く前に、マチルダが封書に書かれた文字を指さす。
「文字が読めないあたしでもね、この字面の名前だけは覚えてるんだよ」
怪訝な顔をしつつジゼルはそれを受け取って、マチルダの言う字面を確認するなり、一瞬にして目を輝かせた。
「え、ファミルーの発見された幻の未発表作品お披露目会!? 行きたいっ!」
そこまではしゃいでから、しまったとジゼルは口をつぐむ。しかし、マチルダはにんまりとした笑顔を見せつけながら、上からジゼルを覗き込んでいた。
「行きたいって言ったね、ジゼル。そーら、行きたくなるに決まっていると言ったじゃないか」
「うっ……だって、ファミルーだよ?」
「だからだよ。とっとと支度して、さっさと行っておいで。今夜だからね」
「そんな、急すぎる!」
「あんたがモタモタして、封書を見ていないのが悪いんだよ」
マチルダはあきれたとため息を大きく吐いた。ジゼルはしばらく唸って頭を抱えた後、自分の身の上と、ファミルーの幻の新作とを天秤にかける。
「だってファミルーは世界一の画家で、憧れの巨匠で、もうその作品はそれほど残っていないし……でもまさか、未発表作品が発見されるなんて……」
ジャン・ミゾーニレ・ファミルーはおよそ五百年も前に世界中を一斉風靡した巨匠と言われる画家だ。
作品は、過去の大戦で奇しくもその多くを失ってしまっている。しかし、こうしてたまに掘り出し物として、一般家庭の屋根裏や、骨董品の中から作品が見つかることも多い。
ジゼルが、画家を目指そうとしたきっかけにもなった作家だ。これを、見逃すわけにはいかない。
「あああああああ、行きたい、行きたい!」
悶絶して、頭を抱え込み、地団太を踏んでいるジゼルの頭を、マチルダはおたまでゴツンと叩く。
「痛いっ!」
「そんなことしていないで、とっとと仕事しておいで!」
半分涙目になりながら、ジゼルはじっとりとマチルダを見つめて、観念したように自室へと引き下がった。
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