第2話

 部屋に戻ったジゼルは、内臓が出てくるかと思うほどのため息とともに、ベッドへと半身を放り投げた。そして、渡された封書にもう一度だけ、目を通す。


 まぎれもなく、“ジャン・ミゾーニレ・ファミルー幻の未発表新作お披露目パーティー”と書かれていた。


「あああ、行きたい。でも、行ったら何と言われることやら……」


 ジゼルは肩甲骨まで伸びている髪の毛を、ガシガシと掻きむしる。そしてから、窓の外を見て、もう一度大きくため息を吐いた。


「行くしかない。これはもう、覚悟を決めるんだ、ジゼル!」


 自分を鼓舞して起き上がると、まずはオーバーオールの作業着に着替えた。さらに、赤みがかった栗色の髪の毛をまとめて巻き上げて、布を頭に巻き付ける。


 よし、とやる気を入れて部屋の扉を開けると、渡り廊下を進んで作業部屋へと入った。扉を開けるなり、鼻孔をくすぐる油絵具と薬剤の匂い。正面の大きな壁には、ジゼルの身長よりも大きなキャンバスが置かれていた。


 その部屋のあちこちに、多くの絵画が転がっている。そのどれもが、一瞬でその世界に引き込まれてしまうかのような、美しさと臨場感に溢れていた。キャンバスにはみな一様に、〈ジェラルド・ピットーレ・リューグナー〉の名前が刻まれていた。


 ここ数年、ジゼルの住むシェーンゼー王国で大評判の画家、ジェラルド・ピットーレ・リューグナーは、巨匠、ファミルーの再来と名高い画家で、その実態は今現在も謎に包まれている。


 とつじょ、王立アカデミーに彗星のごとく現れたリューグナーは、アカデミーの品評会に数年前に作品を出してから、たちまちに評判と名声を手に入れた。


 それからずっと、品評会で最高の金賞を獲り続け、未だかつて同一人物が連続受賞をしたことが無かったアカデミーの歴史を、いともたやすく軽々と塗り替えたのだった。


 腕は超一流、作品を前に、感動しない人はいない。誰もがその才能をうらやみ、感服し、崇める。天才鬼才、神か悪魔か。巷ではそんな噂話が絶えず巻き起こる。


 しかし、どんなにリューグナーに弟子入りを申し込んでも、どんなに名誉な賞を差し出しても、リューグナーは人前に決して姿を見せなかった。


 それは、アカデミーに一番最初に作品を出品したときから変わらず、宮廷に招かれようとも、晩餐会に呼ばれようとも、姿を現さない。誰も、リューグナーを見たことがない。


 だからこそついた通り名が、〈夢幻の若き巨匠〉。六年も前に若干十二歳でアカデミーの賞を総なめし、それからその王座を譲らない。


「今日は、もう少し作業進めて……準備をしよう」


 ジゼルは、作品の前に立ち、手を添える。そして、灰味の強い緑の瞳をきらめかせた。


「よし、描くか!」


 腕まくりをして、ジゼルは筆をオイルに浸す。パレットに出されていた絵具を混ぜ合わせると、キャンバスに命を吹き込み始めた。


 そう、この小柄な少女ジゼルこそが、王国最大の謎とも言われる〈夢幻の若き巨匠〉ジェラルド・ピットーレ・リューグナーの正体なのだった――。

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