第10話 失声症の少年

 テンコルの町を西に抜ければ、しばらくはだだっ広い草原が広がっている。

 そこに一本緩やかな運河がかかっていて、この川沿いに二日ほど歩けば人里が見えてくる。


「ゼクス様、どうなされました?」

「何が?」

「いえ、妙に落ち着かない様子でしたので」


 エルファバが俺の手元を指さす。

 自覚はなかったが、俺は投げナイフを手慰みにしていたようだ。


「たぶんなんですけど、女の子と歩くときって、俺が人力車を引くのが普通だったから、並んで歩くのが落ち着かなくて……」

「どんな状況ですか」


 あれはまだ幼いころ。

 畑仕事を終えた帰りにリラが「もう疲れた。歩けない」って駄々をこねて、運搬用の一輪車に乗せて帰ったのがきっかけだった。


 楽を覚えた彼女は移動の際に車を俺に引かせるようになったんだよな。


「どうして、嫌だと思わなかったんでしょうね」

「ゼクス様にもわからないのですか?」

「熱に浮かされていたとしか」


 恋は盲目……か。

 俺は、リラが好きだったんだな。

 もっとも、今では百年恋も冷めてしまったが。


「……と、ゴブリンです。下がってください」

「と言ってる間に狩り終えていらっしゃいますね」

「そうですね、下がる必要なかったです」


 生殺与奪の魔眼への切り替えも慣れてきた。

 今ではほかの目と同じくらいの感覚で扱える。

 まあ、目にかかる負担には差があるみたいだが。


 魔素視が一番負担が低いみたいだから普段はこれを使いつつ、要所要所で鑑定眼に切り替えて索敵の負担を落としている形になる。


「あれ?」


 ゴブリンの光が消えるのを見届けていると、遠くの茂みに伸びる光が見えた。


「エルファバ、ちょっと待っててくれ」


 草花をかき分けて光源目指して足を運ぶ。

 一体何の光だ?


「出てこい!」

「……ゼクス様?」

「何者かが潜んでいます」


 勇者パーティにいたころから、索敵は俺の担当だった。大事な点は二つ。奇襲を受けないこと、先の先を取ること。


「そこにいるのは、わかってんだよっ!!」


 不思議に思って光がある周辺に向かって投げナイフを一本投擲する。刃をつぶしてある、威嚇用の投げナイフだ。


「っ! ~~っ!! ~~っ!!」

「……子供?」

「っ!! っ!!」

「いやなんて言ってるか全然わからんが」


 茂みから飛び出してきたのは子供だった。

 まだ性差も出てないくらいの年だった。


 少年は手をブンブンと振り回し、何かを主張している。


「ゼクス様、紙とペンを要求されているのではないでしょうか?」

「そうなのか?」

「っ!! っ!!」


 首を縦にブンブン振る子供。

 紙もペンもあるけど、無駄に浪費するだけの予感がする。

 出し渋っていると、エルファバが無言で笑顔を向けた。……まあいいけどさぁ。


『かくれてて、ごめんなさい』


 子供がペンに筆を走らせる。


「いや、別にいいけど、しゃべれないのか?」

「ごめんなさい。『しっせいしょう』なんです」

「しっせいしょう……失声症か」

「声が出せないんですね……」


 失声症。読んで字のごとく声を失う症状だ。

 原因は心因性のものと呪いによるものの二通りに分類される。


「呪いが原因なら治せたかもしれないけどな……、心の病気は俺にはどうにもできないな」

「ゼクス様は見分けがつくのですか?」

「元は鑑定士だからなぁ」


 霊視を使ってみたが、呪われた形跡は見当たらない。


『もし、よかったらなんですけど、いもうとを助けてくれませんか?』

「妹?」

『ゴブリンに、つれさられたんです』


 それは、ちょっと、顔が引きつる。

 それが事実なら、妹さんはおそらく無事ではないだろう。それが事実ならな。


「ゼクス様、助けに向かいましょう」

「……」

「ゼクス様?」

「……お前、いまどうして目をそらした?」


 少年は、その紙を提示した後、視線を俺たちから外した。それが妙に引っかかった。


「ゼクス様が覗いたからではありませんか? 魔界にはこんな格言がございます。『なぜ逃げるのか。追いかけるからよ』」

「……そういうことにしておきましょうか」


 言霊が見えさえすれば七面倒な駆け引きなんてせずに済んだんだが、失声症か。思わぬ伏兵が潜んでいたものだ。


「ゴブリンの巣の場所はわかりますか?」


 子供はこくりと頷いた。

 それから北に向かってとてとてと歩き出した。


「いきましょう、ゼクス様」

「エルファバ」

「はい? なんでしょう」


 早くついて行きませんと見失ってしまいますよと言いたげな様子の少女。


「……いや、なんでも」

「あの子が怪しい、ですか?」

「わかってんならどうして」

「あの子が困ってるのは、本当だと思ったからですよ」


 エルファバの声は、平坦だった。

 俺を説得するつもりのない、ただ自論を展開するためだけの抑揚の付け方だ。


「損得の話ではなく、必要なのですよ、困っている人には手を差し伸べる人が」


 まあ、その気持ちはわからんでもない。


「さ、急ぎましょう」


 エルファバが俺の手を取り小走りになる。

 ずいぶん、損な生き方をしてるな。


(……エルファバくらい弁が立つなら、人をだまそうと思えばもっと楽な生き方もあっただろうに)


 ここまで彼女は、俺をだまそうとしていない。

 俺は彼女に言霊が見えることを伝えていないから、言いくるめで駆け引きを簡単に運ぶ手段もあったはずだ。


 ふと思い出す。


 ――私は、あなたを裏切る100人の誰より、100回裏切られてなお、人を信じようとする、あなたを好ましく思います。


 初めて会った日も、彼女はそう口にしていた。

 それが彼女の信念なのかもしれない。


(本当に、損な生き方してるよ)


 少年の後をついていくと、やがて岩壁にたどり着いた。岩陰になって気づきにくいが、覗き込むと小さな洞窟が奥へと続いているのがわかる。


『ここ、このどうくつ』

「ありがとう。妹さんは必ず助けるから、待っててくれる?」

『わかった』

「それではゼクス様、参りましょうか」

「……そうだな」


 でも、その前に。

 子供の横を通るときに膝を曲げて目線を合わし、耳打ちする。


「俺が嫌いなものを3つ教えてやる。欺瞞と、裏切りと、裏切られることだ。……そういうのは、やめてくれよ?」


 少年は、瞳を揺らしていた。

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