第3話 トレントの森
王都アストレアは王城を中心に広がる円形都市だ。
中央区からは東西南北にそれぞれ大通りが伸びて、その先には練り色の門がどっしりと構えている。
その大通りのうち、南門へ伸びる道に冒険者ギルドは面しているのだが、一本路地を通って裏通りに入れば国営の馬繋場がある。
ここで馬を借りて、どこか遠くの町に行こう。
「でもそれって、痕跡をがっつり残すじゃん」
わからない。
俺はどうしたいんだろう。
リラに見つけてほしいのか。
違うだろ。
「これからは、自分の足で歩くって決めたんだ」
馬を使う案はやめだ。
痕跡を残さず、ここを発つ。
門をくぐるときだけはどうしても証拠が残るけど、それは割り切ろう。
「南門は……ないな。その先には俺とリラの故郷がある。あの村には、もう、帰りたくない」
だとすれば、その他の三方向の門か。
近くの都市と言えば、北東の工場都市や東にある侍の国か。東門から出るのが正解か?
(違うな。門の方向は偽装に使うべきだ。南門を出て、別の方角に向かう。東は都市が集中しているし、普通は東に向かうと思うだろう。だからこそ、西に向かう)
西にはトレントの森が広がっている。
文字通り、樹木に擬態するトレントという魔物があふれる森だけど、俺には鑑定眼がある。
奇襲を受けることなく突破できるはずだ。
*
その森に足を踏み入れた瞬間、違和感を覚えた。
感覚器官がひとつ欠落したような錯覚。
「あっちにトレント、こっちにトレント。どこもかしこもトレントだらけじゃねえか。くそ、どうして俺の背中には目がないんだ。欠陥構造だろ」
どうしてどの生物も前か横に目をつけてるんだ。
進化の歴史を歩みながら妥協しすぎだろ。
どこに目をつけてんだ。
想定より、厳しい道のりになるかもしれない。
だけど、歩めない道のりじゃない。
俺の行く道は、俺が決める。
「……泉だ。こんな森の中に、泉なんてあったのか」
周囲を警戒しつつ、泉に歩み寄る。
なんだこの水。
めちゃくちゃ透き通ってる。
「なんだ、この歪み」
まるで風景の一部だけを切り取られたかのような違和感。思えばこの森は最初からどこかおかしかった。
俺は最初、トレントのせいかと思っていた。
だけどもし、違和感の正体が別にあるとしたら。
「鑑定」
違和は泉の中央へ向かうほどに強くなっていた。
そこをこの目で見れば、やはり隠蔽された痕跡が見つかる。
いいぜ。根競べと行こうか。
誰だか知らねえけど、あんたの隠蔽と、俺の看破。
どっちが上か白黒つけようじゃないか。
「鑑定、重ね掛けだ」
ぴきぴきと、ガラスにひびが広がるように、俺の視界が音を立てる。もっと、もっとだ。
ひたすらに、泉の中央を凝視する。
空間と、俺の鑑定眼が悲鳴を上げる。
くっそ、どこまで強固に隠蔽してんだよ。
こうなりゃ意地でも看破してやるからな。
――パリン。
意地と意地ののぶつかり合い。
はたして勝者は俺だった。
俺の目をごまかそうなんて甘いんだよ。
さて、そこまでして隠していた『大事な何か』ってのは何だ。
「……小島?」
泉の中央には、小島があった。
小島には一本の大きな樹木がそびえたっている。
漆塗りの樹皮、深紫の樹葉。
螺旋を描くように捻じれた幹は、力強く大地に根付いているように思える。
そして、その幹に、それはいた。
「大樹と、女の子……?」
そこに、アルビノの少女がいた。
下半身は大樹に飲まれたように埋まっていて、外に身を乗り出ている上半身についても、腕は何ともわからない植物に絡み取られ、広げられた状態で固定されている。
少女から視線を外し、大樹を見る。
鑑定は人相手にも使えるけど、プライバシーを覗くみたいだからあまりしたくない。
そのせいで「人の顔を見て話せないやつ」って評価されることもあったっけな。
「大樹スヴァルト、人食い植物、近寄る動物を飲み込み養分とする。その雫は癒しの力を持つ……か」
鑑定眼を軽く使って、樹木の情報を調べた。
なるほどね。だいたいわかった。
「やばくね?」
え、あの子思いっきり飲まれてるんだけど。
大丈夫?
というか人食い植物って何。
近づく動物を飲み込むとは。
「……ルリトカゲか、ちょうどいい」
近場の倒木に、ルリトカゲがいた。
鑑定眼で動きを予測しつつ、尻尾を掴む。
ルリトカゲは尻尾を切り離すとどこかへ逃げていったけど、今回は尻尾さえあれば十分だ。
「捕食って、どんな感じなんですかねっ!」
ちぎれた尻尾を大樹スヴァルトに向けて放り投げる。綺麗な放物線を描いた尻尾は吸い込まれるように飛んでいき、どこからともなく伸びた枝で刺し貫かれた。
「げぇ、なんだよあの速度と殺傷力」
明らかにクリスタルアルラウネより厄介だぞ。
俺の目をもってしても、避けきれるかどうか、いや、ほぼ不可能だろうな。
どうやって助けたものか。
「…………」
あることに、気づいてしまった。
(見ず知らずの少女だ。助ける理由がどこにある)
大樹スヴァルトの射程は分からないが、近寄らない限り、俺に害が及ぶことはない。
(ついさっき、考えなしに飛び込んで後悔したばっかりだろ)
信じていたリラにだって見捨てられたんだ。
仮に助けられたとして、俺を生贄に自分だけ逃げようとするかもしれない。
また同じ現実を突きつけられるだけかもしれない。
見なかったことにしろ。
それが道理っていうもんだ。
誰かのために傷つきたいなんてやつはいない。
誰だって自分の命が惜しいんだ。
だから。
「ああ! くそが! これで死んだら恨むぞ!」
逃げ出すのは簡単だ。
だけどそれは、俺が忌み嫌ったリラと同じだ。
一度目を閉じ、集中する。
研ぎ澄ませ、神経を。
思い出せ、クリスタルアルラウネと戦ったときのことを。
どぷり。
水底に意識が沈んでいく感覚。
どこまでも深く潜っていくと、小さな灯があった。
その灯に、手を伸ばす。
「――――」
来た。この感じだ。
目を開くと、世界はモノトーンに染まっていた。
「よし、青い光は見えるな」
幾本もの光が、大樹スヴァルトに向かって伸びている。俺はホルダーから投げナイフを取り出すと、青い光を引き裂いた。
ぶつり。
硬い蜘蛛の糸を引きちぎったような感触が伝ってくる。ぞぞぞと背筋を嫌な気持ちが走っていく。
大樹に声帯器官はない。
だから断末魔を上げることもない。
かわりに、枝葉を方々に伸ばしてはやみくもに振り回した。いくつかは泉をとらえてバシャバシャと飛沫をあげている。
「……泉の水……、しまった」
大樹スヴァルトの雫には癒しの力がある。
これじゃあ、命の光を断ったそばから回復してしまうじゃないか。
もっとだ。まだ浅い。
もっと深く見通せ。
より深く、より深淵を覗きこむように――。
「そこだッ!!」
一瞬だけ、青い光が重なる点が見えた。
はっと意識が浮上する。
その時には俺の手元に投げナイフはなく、うなりを上げて真一文字に大樹スヴァルトへ向かって飛来していた。
その先には、一瞬だけ見た青い光が重なる点があるはずだ。確信はない。だけど複数の糸が交差する点なんだから、急所だったとしてもおかしくないだろう?
――サク。
ナイフが大樹スヴァルトに突き刺さった。
その瞬間、大樹は暴れまわるのをやめた。
ただでさえ血色の悪かった葉が色素を失い、力強く根付いていた根幹が年老いていく。
マジで?
市販の投げナイフだよ?
それが刺さっただけで、こんな簡単に、天にそびえる大樹が枯れ果てちまうものなのか?
「……」
手の平を見つめ、それから目を覆った。
この目は、思っている以上に危険な代物なのかも。
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