3-7 地下通路

「さっき話してた〝憂鬱〟って、〝憂鬱な待ち人〟のことか?」

 ディルが、自分の前を行くクローディアへと声を大きくして訊ねた。

 先頭を行くクローディアのペースは速く、続く三人も駆け足のようにして螺旋階段を下っていく。この速度は、二人が急いでいると聞かされたゆえだろう。

「知っているのか?」

 クローディアが、振り向かずに答える。

「北部七番区だろ? 少し前はよく北部をうろついてたからな。ただ、俺みたいのが入れるような店構えじゃねえし敬遠してたんだけどな」

「それで正解だ。あそこは色々と面倒なところだからね」

「そうか? 慣れれば悪いところじゃないぜ」

 クローディアに続いて、背後からヴァレルが言った。

 ディルのすぐ後ろを行くフィオリトゥーラだけが、一人事情がのみこめず、きょろきょろと前後に顔を向ける。

「ちょっと上品な酒場なんだ。お嬢さんみたいな人には丁度いい感じの店だ」

 野太い声。ヴァレルが優しく微笑む。フィオリトゥーラも思わずつられて笑みを返した。

 やがて階段を下りきると、四人は再び巨大なアーケードがある空間へと戻る。

 上りの時の感覚からすれば、螺旋階段はあっという間だった。単純に移動のペースが速かったこともあるが、どの程度の高さかをすでに把握していたことも影響しているのだろう。

 アーケードを通って門をくぐり抜け、そのまま元来た螺旋階段を下りると、旧街区へと続く地下通路へは戻らず、クローディアはさらに階段を下っていく。

 一度プレシャスの部屋で陽の光を見たせいか、松明の明かりだけが照らす空間は、一際暗く陰鬱に感じられた。

 二周ほどぐるぐると回って下ると、そこで階段は終わり、その先は金属製の扉に遮られていた。

 扉の前の空間はいくらか開けていて、壁際には古びた木製の棚が設置されてある。

 棚には火が灯されていない松明やランタン、ランプ、または燭台の部品と思われるような物など、地下通路で使われるだろう照明類がむき出しのまま無造作に置かれていた。

 クローディアが胸元からペンダントを取りだす。

 場所こそ違えど、前に見た手順と同じく宝石を扉へ掲げると、彼女は、ふうっと長く息を吐いた。

 青白く硬質な光が現れる。

 ここは松明の明かりに照らされているため、前回とは印象が異なるが、相変わらず不思議な光景だった。

 そして、やはり扉の側にも宝石がはめこまれてあり、続いてそれが光りだすと、ガシャン、と鍵が外れる重い金属音が鳴り響き、青白い光が消えた。

「さて、と」

 クローディアはペンダントをしまうと、扉には触れず、壁際の棚へと手を伸ばす。

 それから手近なランタンを二つ棚に並べると、近くにあったランプを手に取り、それを棚とは反対側の壁に設置されてある、燭台の松明へと近づける。

 長い口の先から覗く灯芯に火が点いたのを確認すると、彼女はランプを使い、今度は棚に並べたランタンに順にその火を配った。

「ヴァレル」

 フッと息を吹いて火を消すと、そのままランプを棚に戻し、火が灯ったランタンを両手に持つ。クローディアは、その片方をヴァレルへと差しだした。

 ゆったりとした動きで歩み寄り、ヴァレルがランタンを受けとった。

「ここからは、あんたが前ね」

 クローディアはヴァレルと入れ替わった後、ディルとフィオリトゥーラ、二人の方へと向きを変える。

「この扉を抜けた後は、次の扉まで声を出すのは禁止だ。物音も不必要に立てないで」

「それも、理由を訊いちゃまずいのか?」

 ディルが皮肉げに言う。

「別に問題ない。ただ、私も理由など知らない。プレシャスの言葉に従っているだけだからな」

 冷たく突き放すわけでもなく、クローディアはまたしても興味がないといった風に答えた。

 そんな彼女に代わって、扉の前に立つヴァレルが付け加える。

「ここから先は、本来プレシャスの領域というわけじゃないらしい。あまり神経質になる必要もないらしいが、派手に音を鳴らしたり強い光を使ったりしちまうと、怖い目に遭うかもって話だ」

「怖い目……? なんだよ、それ」

「怖い目だろ。あいつがそう言うんだから、かなり怖いんじゃないか?」

 ヴァレルは気楽に言うが、ディルは軽い不安を覚える。

「心配するな。いつも通路として使ってるんだ。それじゃあ行くぞ」

 言うなりヴァレルは、空いている手で取っ手を握ると扉を押した。重そうな扉だが、彼にかかればやはりたやすく開く。クローディアが交代したのは単純にこのためかもしれなかった。


 扉の向こうでは、完全な暗闇が待っていた。

 ヴァレルがランタンを掲げると、その明かりに照らされて左右に通路が伸びていることがわかる。扉は、この通路の途中に設置されているものだったのだ。

 三人が通路に出たのを確認すると、ヴァレルが扉をゆっくり閉じる。

 鍵がかかる金属音が重く響き、松明の明かりが遮断されると、周囲は一気に濃い闇に包まれる。

 ヴァレルが手にしているランタンが、頼りなく扉とその周辺をゆらゆらと照らしていた。

 ディルは、ふと扉を眺める。見れば、扉のこちら側にも取っ手がついていた。思えば、旧街区の屋敷の地下扉に取っ手はなかった。向こうは一方通行で、ここはそうではないということなのだろう。

 ヴァレルは特に合図するでもなく、扉から見て右方向へと歩きだす。ディル、フィオリトゥーラも続き、それを見届けると、最後にクローディアが一番後ろについた。

 通路は四人が横に並んだ状態でも歩けるほど広く、順に歩いているとはいえ、実際には斜めに並ぶような形で進んだ。

 ヴァレルの斜め後方を歩きながら、ディルはゆっくりと周囲を見回す。

 全体が岩肌のような壁に覆われた通路だが、石で組まれたアーチが通路を支えるように数メートル毎に等間隔で配置されている。扇形に積まれた石はところどころが朽ち欠けていて、これが作られてからの長い年月の経過を感じさせた。

 規則的な石壁が続いたこれまでとは、明らかに異なる雰囲気を持つ地下通路だった。

 二つのランタンの明かりが照らす範囲は狭く、通路の先は暗闇に覆い隠されている。振り向けば背後もまた同様の闇だ。

 フィオリトゥーラは肩を震わせ、思わず両の腕を抱える。それは不安や恐怖からではなく、純粋に肌に触れる空気の冷たさからだった。

 湿気を含んだひんやりとした空気は、砂漠のものともこの都市の地上のものともまた違う。

「……?」 

 ふと、顔の前に白い湯気のようなものが見えた。

 思いたち、故郷の冬でそうしたように、口を開いてゆっくり息を吐きだしてみる。すると、吐いた息が白くなった。

 声に出して伝えたい衝動に駆られるが、先のクローディアやヴァレルの言葉を思いだし、それを思いとどまる。

 ディルは少しだけ顔を向けて、そんなフィオリトゥーラの様子をうかがった。

 彼女はまたひとつ白い息を吐いては、それを不思議そうに眺めている。

 はは、大したもんだな……。

 この不気味な地下通路にも物怖じしていない様子の彼女が可笑しかった。

 ディルは再び前を向くと、絶えず左右に視線を配る。

 ヴァレルもクローディアもまるで気に留めないが、通路の両脇にはところどころ脇道のようなものが存在していた。

 プレシャスの領域ではない、というヴァレルの言葉を聞いたせいか、そのぽっかりと口を開けた暗闇には、制御されていないのだという不気味さがあり、なぜかその先に無限に広がる地下迷宮のようなものを想像してしまうと、ディルは思わず身震いする。

 正直、長居したい場所とは思えなかった。

 それからしばらく、四人は無言のまま前後を暗闇に挟まれた通路を歩いていく。先頭のヴァレルがそうしているからだが、ここに入ってからは比較的ゆったりとしたペースになっていた。

 どのぐらいここを歩くのだろうか? 

 歩き続け、ディルがそんなことを考えだした頃だった。ヴァレルが立ち止まり、左手の壁をランタンで照らした。

 そこには、取っ手のついた金属製の扉の姿が浮かんでいた。この通路に入った時に見た扉とほぼ同じものだった。扉の中央には、やはり宝石のような物が埋めこまれている。

 クローディアが前へ出た。その手には、すでにペンダントが握られている。

 青白い光を目にしながら、ディルはここまで歩いた距離を想像した。おおよその時間感覚からだが、一キロメートル以上は進んだのではないかと思われた。

 ガシャン……と金属音が響くと、ヴァレルが取っ手を引いて扉を開けた。

 二人の様子からして問題ないのだろうと理解しつつも、先に聞いた時よりも音が気になり、ディルは視線だけを動かして周囲を警戒する。

 クローディアが中に入り、フィオリトゥーラを招き入れた。それにディルが続くと、最後にヴァレルが入り扉を閉じた。そして、再び自動で鍵がかかる。

 そこは円形の空間だった。

 扉から見た正面の壁には鉄製の梯子が設置され、上方へと伸びている。通路に比べると狭く、四人が入るともう他に人が入る余地はほとんどなかった。

 この部屋にも明かりはないようで、ヴァレルとクローディアが手にするランタンの明かりだけがここを照らしている。

 周囲は丁寧に組みあげられた石壁で、見上げれば天井は見えず、円筒状のこの部屋は上へと続いているようだった。大きな井戸の底に下り立てば、おそらくこんな感じなのだろう。

「着いたぜ。この上だ」

 ヴァレルが、手にしていたランタンを腰のベルトの金具へと取りつける。クローディアも同様にして、コートにつけられたベルトの金具にランタンを固定した。

 ヴゥレルが、するすると梯子を上り始める。その巨体に似合わぬ軽快な動きだった。

「上って。高いから、落ちないよう気をつけて」

 ランタンの明かりとともに上っていくヴァレルを眺める二人に、クローディアが声をかける。

 二人は一旦顔を見合わせた後、ディル、フィオリトゥーラの順に梯子を上った。

 到着した場所は、何かの倉庫のようだった。

 三方の壁際には大きな棚があり、床には大小の木箱、他に机や椅子などが置かれ、それらが部屋の半分ほどを埋めている。棚には様々な食器などが無数に並んでいた。

 ヴァレルは再びランタンを手に持つと、その明かりで唯一棚のない壁を照らす。そこに木製の扉があった。

 明かりとともに、クローディアが縦穴から姿を現す。彼女は、皆が上に到着したことを確認してから最後に梯子を上り始めたのだ。

 クローディアは自身のランタンの火を消すと、それを無造作に近くの棚に置いた。

 ディルが暗くなった梯子のある縦穴を覗く。円形の闇は濃く、もう下の様子はわからない。

 五、六メートルぐらいはあっただろうか。「気をつけて」とクローディアが声をかけていたが、確かにうっかり落ちればただでは済まない高さだった。

「もう大丈夫。楽にして」

 神妙な様子のままの二人を見て、クローディアが告げる。

 ディルはふうと大きく吐息をもらし、フィオリトゥーラも肩の力を抜いた。気がつけば、随分と緊張していたようだった。

 肌に触れる空気がいつの間にか温かくなっていた。そのせいか、不思議な安堵感に身体が包まれている。

「さ、行くよ」

 クローディアが木製の扉を開けると、外から明かりが入る。陽の光ではなく、ここもまた燭台の明かりだったが、これまでと比べると随分と明るい。

 ヴァレルもランタンの火を消しそれを置くと、四人は倉庫から外に出る。

 燭台が並んだ明るい通路はそのまま階段へと続き、そこを上ってさらに次の扉を抜けると、雰囲気が一変した。

 扉の先に待っていたのは、どこかスラクストンの屋敷の応接室にも似た空間だった。

 さほど広い部屋でもないが、床には絨毯が敷かれ、簡易的に置かれた感じのあるソファやテーブルも、派手さはないが高級感のある物が使われている。

 クローディアはテーブルの上に置かれていた呼び鈴を手に取ると、それを無造作に鳴らした。

 チィーン、と透き通った音色が響きわたると、長く残るその余韻が終わらぬうちに、四人が来たのとは反対側の扉が開く。

「ほう。新しいお客様ですな」

 現れたのは、上品な銀の刺繍が目立つ紺色のローブに身を包んだ男だった。

 白髪混じりの髪だが初老というには少し若く、その風貌からおそらくまだ五十には達していないと見られる。体型は比較的華奢で線の細い印象を受けるが、対照的に顔つきは精悍で、そのぴんと伸ばした背筋も相まって、静けさの中にも芯の強さがうかがえた。

「この二人は、フィオリトゥーラにディルエンド。プレシャスの許可は出てるから、覚えておいて」

 クローディアが簡単に紹介すると、男は頭を下げて一礼する。

「承知しました。フィオリトゥーラ様、ディルエンド様ですね。私は、ここ〝憂鬱な待ち人〟の支配人を務めるネイサン・アクランドと申します。以後お見知りおきを」

「フィオリトゥーラ・ランズベルトです」

 フィオリトゥーラはすかさず、軽く膝を曲げて会釈を返した。

 その隣でディルは、仏頂面でただ男を見つめ返す。

 スラクストンですらいまだに苦手に感じるところがあるというのに、こういった露骨に上流の雰囲気を漂わせる者に、気安く挨拶を返すような気にはなれなかった。

「気張ってんなよ。疲れるぜ」

 ヴァレルが言うと、ディルは慌てて振り向く。

「そういうわけじゃ……」

「どうぞお構いなく。ヴァレル様も最初は似たようなものでしたので」

 ネイサンがにっこりと微笑む。思いのほか気持ちのよい笑顔を見せる男だった。

「……ああ。世話になる」

 ディルはぼそりと告げると、銀色の髪をぐしゃぐしゃと掻きむしった。それを見て、ヴァレルが笑う。

 そんな彼らのやりとりを、クローディアが冷めた視線で見つめていた。

「おい、急いでるんだろ? ネイサン、レディシスはいる?」

「はい。今日も朝からこちらにいらして、いつもの席で蒸留酒など召し上がられています」

「……ほんと、いい身分だね。あいつは」

 呆れ顔のクローディアの後ろで、ディルがぽかんとその口を開けていた。

「……今、〝レディシス〟って言ったか?」

「それがどうかしたのか?」

「レディシスって、もしかして、レディシス・ムーンライトのことかよ?」

「なんだ、知っているのか。世界は狭いな」

 クローディアは事も無げに言うが、それとは対照的にディルの驚きは増していた。その目が大きく見開かれる。

 フィオリトゥーラも「ムーンライト」という聞き覚えのあるその単語に反応するが、そのことよりも驚愕するディルの様子の方が気になった。

「もしや、ディルの探し物というのは……」

 フィオリトゥーラは思いつき、そう口にした。ディルはわずかに間をおいてから答える。

「……ああ。そいつだよ、俺が北部にまで出張ってずっと探してたのは」

 ディルは呆然とした表情のまま、疲れたようにため息をもらした。

「やばいな。今日は想定外のこと多すぎだろ。俺の許容量を超えちまってる……」

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