1-4 剣闘士たちの屋敷

 呼び鈴が鳴った。

 こんな時間に突然の来訪者もない。訪ねてくるのは予定されていた者だけだろう。

 銀髪の青年、ディルエンドはソファに横たわったまま、閉じていた目を開けた。

「新人さんかな?」

 向かいに座っている黒髪の少年、ガルディアが楽しげに言う。その大きな黒い瞳が、期待と好奇心に輝いている。

「だろうな。予定どおりの日程で到着するなんて、大したもんだな。まあなんにせよ、これでやっと飯にありつける」

 身体を起こすと、彼は自身の銀色の短い髪を掻きむしる。元々が指でぐしゃぐしゃにかき混ぜたような乱雑な髪なので、そうした後でも普段となんら印象が変わることはなかった。

 足音が聞こえ、ディルエンドは部屋の入口へと視線を移す。釣りあがった三白眼がその姿を追った。

 二人が休んでいる応接室の前を、オーナー兼管理人のスラクストンが足早に通りすぎていった。彼のこだわりらしい白と黒を基調とした服装はいつもどおりだ。

「見に行こうかな」

 ガルディアが立ち上がり、スラクストンのあとに続く。

 ディルエンドはそんな二人の様子を冷ややかに眺めながらも、同じく立ち上がっていた。興味がない風を装っていても、その実、新たな同居人であり剣闘士となる者に関心がないわけがなかった。

 外に出て新たな住人の応対をする管理人の様子を、二人は並んで遠巻きに眺めた。

 荷物を持っては扉をくぐり、それを玄関ホールに置いてはまた外に出ていくスラクストン。それが三度目になった時、流石に二人は顔を見合わせた。

「多すぎだろ」

 呆れたようにディルエンドが呟くと、二人は仕方なしに玄関扉へと向かう。

 その時だった。扉の向こうから、彼女がその姿を現した。

 二人は揃って息をのんだ。

 薄汚れたマントに覆われたその姿は、お世辞にも着飾っているとはいえない。それなのに、何もなかった薄暗い場所に光が差し、突然鮮やかな花が咲いたような、そんな印象を受けた。

「初めまして。フィオリトゥーラ・ランズベルトと申します。こちらの住人の方々ですね」

 流暢な聖教音で彼女、フィオリトゥーラが自身の名を告げた。

 白金の艶やかな髪が緩やかに動き、あおい瞳が二人を順に見つめる。

「あ、ああ」

 戸惑いを隠せずディルエンドは、思わず隣のガルディアへと視線を外す。ガルディアは硬直し、その目を丸くしていた。

「本日よりこちらでお世話になります。よろしくお願いします」

 そう言うと、彼女は膝を軽く曲げて、優雅に挨拶してみせる。

「こちらこそ」

 答えるガルディアをよそに、ディルエンドは足早に外へと飛びだす。

「あー。さっさと荷物を片付けようぜ。いい加減腹が減っちまった」

 明らかな動揺が見てとれた。ガルディアがくすりと笑う。

 全ての荷物が屋敷の中に運びこまれると、スラクストンがフィオリトゥーラを彼女の部屋として割り当てられている七号室へと案内する。

「お二人は食堂でお待ちください」

 そう言って、白黒のローブをまとう管理人は階段を二階へと上がっていく。それにフィオリトゥーラが続いた。

 彼女は玄関ホールに集められた荷物の中から、自身の背丈ほどもある大きな箱だけを抜きだし、それを引きずるようにしながらも自らの手で運んでいた。しっかりとした持ち手がついているが、その大きさと重量からか、運搬は容易ではないようだった。

 ディルエンドは、そんな彼女が運ぶ荷物を真剣な眼差しで見つめている。

「何してんの、ディル。お腹空いてるんでしょ?」

 そう言いながらも、ガルディアにはディルエンドが何を気にしているのかが容易に想像できた。新しい入居者が現れた時、彼が一番に興味を抱く対象はいつも変わらない。


 食堂では、すでに晩餐ばんさんの準備が完了していた。この屋敷唯一の使用人である少女、リディアが二人の姿を見ると会釈する。

「だいぶ待たされちゃいましたね。今日は特に腕を振るったんで、沢山食べてくださいね」

 彼女はニッコリと笑うと、残りの準備を済ませ食堂をあとにした。まだ随分と若い彼女の可愛らしい笑顔に、二人はいつも癒されている。

 リディアはこの区域近くに住む一般住人の娘で、スラクストンに雇われここで働いている。歳はまだ十三と若いが、何をするにしても剣闘士が中心のこの都市では、そのぐらいの年齢の娘がこうした場所で働くのはよくある類の話だ。

「おお。ほんとに豪華だな」

 いくつかの大皿に、肉や野菜をふんだんに使った様々な料理が、色鮮やかに盛りつけられてあった。 

 ディルエンドが嬉しそうに言うと、ガルディアもそれを見て笑みを見せた。

「待った甲斐があったね」

 普段の夕食時からすればすでに随分と遅い。だが、この晩餐は新たな住人を歓迎するためのもので、二人は今日到着するというフィオリトゥーラのことを、可能なかぎりはと待っていたのだ。

 やがて、スラクストンに連れられてフィオリトゥーラが食堂に現れた。

 彼女は、ブリオーと呼ばれる足元まであるワンピースのチュニックに着替えていた。濃い赤を基調としたその服は、簡素で派手さこそないものの、上品で高級感のある装いだった。

 二人は、あらためて見るその姿に再び息をのむ。

 艶やかな白金の長い髪、陶器のような白い肌。顔立ちは驚くほど整っている。

 はっきりとした二重目蓋に大きな碧い瞳、ふっくらとした桜色の唇。それらがどこか物憂げな印象を与えるが、そのわりに眉は力強く凛としている。

 落ちついた印象はあるが、歳はまだ十代後半といったところだろう。

 また、その体躯は、女性としては少し背丈があるものの全体的に華奢で、だが、それでいて女性らしい美しい曲線も見てとれる。

 そんな彼女の容姿は、今のような服や豪華なドレス姿でこそ映えるだろうが、これで剣闘士として闘えるのだろうかと考えると、それは素直に疑問に思えてしまう。

「それではフィオリトゥーラ様、そしてお二人も、ごゆっくりどうぞ」

 スラクストンが食堂をあとにすると、三人はそれぞれ席に着いた。

「いいよ。面倒なことはあとにして、とりあえず食べようぜ」

 様子をうかがっているフィオリトゥーラを見たディルエンドは、言うなりさっさと食器を手にすると、早速料理を自身の皿へと取りわけ始める。ガルディアもそれに続いた。

「それでは、いただきます」

 彼女もそんな二人にならって食事を始めた。

 用意された料理に砂漠特有の雰囲気は微塵もなく、肉や野菜に果実など、それこそ自然豊かな地方で作られる料理と比較しても、素材、調理法においてなんら遜色はなかった。

 砂漠を旅する生活の中で口にしてきた物は、ほとんどが乾燥された保存食であったり、砂漠特有のナツメヤシの果実を加工した物であったりしたため、彼女はその料理に素直に驚いていた。

「砂漠の真ん中で、このような料理が作れるものなのですね」

 思わず口にした言葉に、二人が反応する。

「ん? ああ、ここはなんでもあるからな」

「そうだね。ここは大抵の物なら自前で生産できるし、それ以外の物も世界中からどんどん集まってくるからね。物資だけでなく、知識も技術も何もかもが」

 二人はその後も食事を続けながら、この都市がいかに様々な文化や機能を有しているかを、世間話程度に彼女へと語った。

 そんな二人が語る都市の話を聞き、フィオリトゥーラはそのひとつひとつにうなずき感心する。

 聖地という存在は、知識としては世界の常識であっても、実際に訪れたことがない者からすれば、同時におとぎ話のような存在でもあったからだ。

「さて、と」

 ほとんどの料理を平らげ、残ったデザートの果実を口にしながら、ディルエンドがフィオリトゥーラの方を見た。

「紹介がまだだったよな。俺はディルエンド。〝ディル〟って呼んでくれればいい。で、こっちがガルディア。女みたいな名前だし、ガキみたいな顔してるけど、そんなに若くはないから騙されんなよ」

「え、なんでそんな紹介なの? ひどいなあ」

 ガルディアがわざとらしく頬を膨らませると、そんな様子にフィオリトゥーラが笑みをこぼす。

「ディルさんに、ガルディアさんですね。あらためてよろしくお願いします」

「ああ、よろしくな」 

「よろしくね」

 そんな二人の様子を眺めながら、ガルディアはふと食堂の外へと視線を移した。

「ソロンか?」

「うん。やっぱり来なかったね」

 そんな二人の様子にフィオリトゥーラは首をかしげる。

「他にも住人の方がいらっしゃるのですか?」

「ソロン・ナイト。俺たちと同じ剣闘士だ。ただ、ここのところ調子が悪くてな。負け続けでかなり参ってる」

 そう言ってディルエンド、ディルは指でコツンと自身の頭をつついた。

「リディアさんが食事を部屋に持っていってくれたみたいだけど、ちょっと様子を見てくるよ」

 ガルディアはそう言って席を立つと、食堂から出ていった。

「負けが続くと、怪我も増えて身体の調子も落ちる。で、そうなれば頭の中も次第に駄目になっちまう。切り替えが大事なんだよ、ここで闘い続けるにはな」

 ディルはそう言って皮肉げに笑う。まだ何もわからないフィオリトゥーラに、挟む言葉は見つからなかった。

「正直もう駄目かもな。ここまで来たなら、諦めて〝市民権〟でも獲得してやめちまえばいいものを」

 ディルが口にした「市民権」については、フィオリトゥーラも事前の知識としてその仕組みをある程度理解していた。

 この聖剣教の聖地アルスタルトでは、来賓など特定の者を除いて、市民権を持たずに一定期間以上滞在する者は全て「剣闘士」として見なされ、例え老人、女、子供であっても強制的に試合に参加しなければならない。

 つまりここでの市民権とは、この都市で剣闘士として闘うことなく暮らす権利のことなのだ。

 その権利を獲得する方法は様々あるといわれているが、剣闘士に関していえば、剣闘士としての滞在期間、ランク、過去の戦績などが条件となり市民権を獲得することができる。

 もっともそれは、闘うことなくこの都市に永住する権利を得ることでもあり、同時にこの都市から外の世界に出る権利を、永遠に失うということでもあるのだが……。

「駄目だね。一応、フィオさんのことだけは伝えたけど」

 ガルディアが食堂に戻ってくると、ディルが立ち上がる。

「まあ、他人が解決する問題じゃねえだろ。よし。飯も終わったし、荷物を部屋まで上げるの手伝ってやるよ。スラクストンはもう寝ちまってるだろうしな」


 玄関ホールへ向かうと早速、ディルとガルディアの二人は手際よく荷物を二階へと運んでいく。

 恐縮するフィオリトゥーラだったが、二人の手早い作業に口を挟む隙はなく、彼女もまた、持てる荷物を手にして一緒に階段を上がった。

「ありがとうございます。助かりました」

 ラクダ三頭に分けて目一杯に積まれていた大量の荷物を、二人は軽々と七号室の中へと運び終えた。息を切らした様子もない。

「しかし、荷物多すぎだろ」

 七号室の床にとりあえず並べた大量の荷物を眺めて、ディルが呆れ顔で言う。

「フィオさんって、〝ラスタート〟から来たんだよね?」

 不意のガルディアの質問に、フィオリトゥーラが振り向いた。

「わかるものなのですか?」

「ううん。新しい同居人がどこから来るのかぐらいは、スラクストンさんが教えてくれるんだ」

 ラスタートは東方随一の王国であり、この大陸で西の帝国に続く二番目の規模を有する大国として、その名が広く世間に知れわたっている。

「で、そこの貴族のお嬢様ってわけだ」

 二人からすれば今更なことなのだが、当のフィオリトゥーラは動揺を隠せずにいた。

 ディルの意地悪な物言いに戸惑う彼女を見て、ガルディアが慌てて説明を加える。

「この屋敷はさ、剣闘士なら誰でも住めるってわけじゃないんだ。剣闘士のランクは最上位の〝S〟から一番下の〝D〟まで五つのランクに分かれてるけど、最低でも〝C〟、基本的には〝B〟ぐらいでないと家賃云々以前に格の問題として受け入れてもらえないんだよね。ただし――」

 そこまで言って、ガルディアは七号室の部屋の中を見渡した。

 そう大きな部屋ではないとはいえ、設えられたカーテンや絨毯はなかなかの高級品で、ベッドや家具も同様に装飾などが施された一級品が並んでいる。

「この七号室、実はこの屋敷の中で一番豪華な部屋なんだけど、ここだけは別枠になってて、ランクとか関係なく〝上位申請者〟が入る部屋になってるんだ。だから、別にスラクストンさんが何か喋ったわけでもなく、フィオさんがそれなりの階級の人ってのは、僕たちには周知の事実だったってわけ」

 言い終えたガルディアは、まあそもそもそんな身なりじゃ誰でもわかるけどね、と内心で付け加えた。

 説明を受けたフィオリトゥーラは、納得すると同時にどこか申し訳なくも思った。

 剣闘士としての登録、「上位申請」については、自分のことでもあるだけにランズベルトから何度も聞かされていた。

 アルスタルトに登録する剣闘士の中には、望んで剣闘士になる者とそうでない者がいるが、実情としては後者の方が全体の割合の多くを占め、それらのほとんどは貧困に喘ぐ者であったり、あるいは罪人として強制的にこの地に送られた者であったりする。

 それに対して自ら望んで剣闘士となる者は、生活の糧となる職業としての選択、腕試し、名声や名誉を得るための手段などその理由は様々だが、その中でも貴族階級や資産家の一族の者などが望んで剣闘士となる際、そこには一定の金銭の力や権力が働き、彼らは一般の剣闘士よりも恵まれた環境を用意されて闘いに臨むことができるのだ。

 それが上位申請という仕組みであり、この屋敷、この部屋が新米剣闘士の彼女にあてがわれたのも、その恩恵の一環といえた。

「この部屋を使うにはかなりの金が必要らしいからな。これまでも、何人も上位申請の貴族連中がここに住んでた」

「その方々は、今はどうされているのですか?」

 フィオリトゥーラは深く考えることなく訊ねたのだが、それを聞いたディルは、なぜか口の端にわざとらしく笑みを作った。

「あー。彼らは敬虔けいけんな殉教者として、神に奉げられましたよ、と」

 ディルの答えに、フィオリトゥーラは息をのむ。

「ディル! 意地悪が過ぎるよ」

「ああ、悪かった。誤解しないでくれ。あんたは少なくともこれまでの連中に比べたら素直だし傲慢ごうまんでもない。嫌う理由はねえよ」

 ディルはそう言った後、おもむろに部屋の中へと歩きだす。窓際近くにあるベッドの方へと向かっていた。

 そこには、フィオリトゥーラが最初に自身の手で運びこんだ荷物、二メートル近い長さの大きな箱が床に置かれていた。それはまだ厳重に梱包されたままだった。

「さて、ここからが俺の本題だ。これ、あんたの剣だろ?」

 ディルがその箱を指差して言った。フィオリトゥーラはわずかな間の後、こくりとうなずく。

「荷物運びの報酬と言っちゃなんだけど、見せてくれないか?」

 彼の意図がわからず困惑した表情を見せる彼女は、助けを求めるようにガルディアへと視線を移した。

「ディルはさ、マニアなんだよ」

「はっきり言われると抵抗あるけど、まあそうだな。単純に興味がある。無理にとは言わないけどな」

 そう言ったディルの表情は、確かに先の貴族について語っていた時とは少し違うようだった。

「わかりました。しばしお待ちください」

 梱包が解かれると、そこには二つのハードケースが並んでいた。

 ひとつは赤いヴィロード地の豪華なケースで、もうひとつは革製の黒いケースだった。それぞれ大きさはほとんど変わらない。持ち手の位置を上部とすると、長さは一メートル七十センチほど、高さは五十センチ弱で厚み幅は十五センチ程度だった。

 フィオリトゥーラは、赤いヴィロード地のケースの方を手にすると、それを絨毯の上に置いた。ディルは待ってましたとばかりに覗きこむ。

 カチャリと音を立てて金属製のロックが外されると、ケースの中には一本の大きな剣が横たわっていた。

 見事な装飾が施された木製の鞘に収められたその剣は、剣に対して十字となる大きなガード(つば)を持ち、グリップ部分が長い。柄にも装飾は施されているが、鞘と比較すると過度な装飾は施されていない。

「ツーハンド(両手剣)か。まあ女の細腕でワンハンド(長剣)はきついか。ん? ツーハンドにしちゃあ短めだな」

 剣の全長は一メートル六十センチほどだった。ディルが口にしたとおり、通常の両手剣と比較するといくらか短い。

 まだ鞘に入ったままだというのに、ディルは早くも端から端まで丹念に視線を這わせている。

「この鞘は保管用の物で、持ち運ぶ際には革袋を使用します」

 フィオリトゥーラは言いながら、剣をケースから慎重に取りだした。

「抜きますか?」

「もちろん」

 彼女は剣の鞘に手をかけると、そのまま持ち上げて柄の部分をディルへと差しだした。

「どうぞ」

 言われるままに、ディルは柄を両手で握る。すると、そのままフィオリトゥーラが鞘を引いた。剣が長いため、一人でこれを抜くとしたらなかなかに難しい作業だろう。

 するりと鞘が抜けると、長い剣身が姿を現す。

 鈍い光沢を放つそれは、よく見ると表面に波のような紋様が浮かんでいた。その独特の紋様はまさに浮かぶといった表現が正しく、金属自体には一切のムラなく、剣身は不思議な一体感と緊張に包まれていた。

 まるで冷気でも漂っているかと錯覚するような、美しさと鋭さがそこにあった。

「……凄いね、なにこれ」

 背後で、ガルディアが声をもらす。当のディルは、無言のまま自ら手にしたその剣をひたすら見つめていた。

 やがて彼は、剣身の先から柄に向かって視線を下げたところで、目を止める。

 剣身の根元には美しい花の装飾が刻まれ、さらにその中に一見してそれとはわからないようにデザインされた文字が刻印されてあった。

「うお……。これ、〝カルダ=エルギム〟かよ!」

 ディルがその目を見開き、声を上げた。

「ご存じなのですか?」

「聞いたことがあるような気するけど、なんだっけ?」

 二人の反応に、ディルは明らかに不服そうな表情を見せる。

「馬鹿言え。ラスタート随一の名工だろ」

 フィオリトゥーラとガルディア、二人は思わず確認するように互いに顔を見合わせた。

「知らない方がどうかしてる。〝デートメルス〟の〝炎のつるぎ〟の製作者だぜ」

 ディルは再びその視線を手にした剣へと戻す。

「え? ほんと? それは確かに、ちょっと凄いね」

 ガルディアは、「炎の剣」と聞いて合点がいったようだった。ようやく驚いたガルディアの反応を耳にしながら、ディルはうんうんとうなずく。

「デートメルス騎士団は、フィオさんももちろん知ってるよね?」

「あ、はい。それはまあ……」

 フィオリトゥーラは、言葉を濁すような返事をした。

 ガルディアの問いはラスタート出身者にとって常識すぎる質問だった。ラスタートの国民で、世界的に有名な自国の宮廷騎士団のことを知らぬ者などいないだろう。

 ラスタート王国が誇るデートメルス騎士団は、たった二十人で構成される王家直属の騎士団だが、その団員一人一人が、小国程度であれば独断で動かすことができるほどの権威を持っているといわれている。そして、その権威の背景となるものは、属する王国自体の力もあれど、まず何より至極単純に騎士団員個々の力そのものであり、そんな彼らは名実ともに世界屈指の騎士団として広く認知されていた。

 現在、このアルスタルトに滞在しているデートメルス団員の一人は、剣闘士の最高峰「剣位けんい」と呼ばれるSランク十二人の中に座している。

 ディルが口にした「炎の剣」は、そんなデートメルスの団員一人一人が所有し騎士団の象徴ともいえる、世界的に有名な剣のことだった。

 随分長い時間、食い入るように剣を眺めていたディルだったが、やがて大きく息を吐くと、フィオリトゥーラへと向きなおす。

「やばいな。好きなだけこいつを見てたら朝になっちまう。十分だ。戻してくれ」

 抜いた時と反対の手順で剣を鞘に戻すと、彼女はそれを再びケースにしまった。

 その時、ふと背後に気配を感じた。

 フィオリトゥーラが振り向くと、二人のさらに向こう、扉が開いたままの部屋の入口から、初めて見る男が半分だけその顔を覗かせていた。

 ガルディアと同じ黒髪だが、その顔は細く鋭角的で、生気のない目がこちらを見つめている。 

 瞬間、顔は壁の向こうにひっこみ、続いてバタバタと足音が響いた。

 ガルディアが反転し部屋の外、廊下の方を覗きこむ。遠ざかっていく足音。

「あの……、今の方は?」

「ソロンだね。たぶんだけど、さっきから廊下にいたんじゃないかな」

 外を覗いたままガルディアが答えた。

「なんだよあいつ、挨拶ぐらいしてけっての」

「顔は見せたくないけど気にはなる、ってところだろうね」

 やがて、遠くから勢いよく扉が閉まる音が聞こえた。フィオリトゥーラは、その音の方角を心配そうに見つめた。

「気にするな。そのうち声でもかけてきたら挨拶してやればいい」

「そうだね。冷たいようだけど、ソロンのことは気にしないで、今は自分のことだけを考えておいた方がいいよ」

「明日は我が身ってか?」

 ディルがまた皮肉めいた笑みを浮かべて言った。そんな彼に、ガルディアはもはや言葉は返さず、ただ呆れた顔を見せていた。

「そういえばさ」

 一連のやりとりの後、ガルディアが急に何かを思いだしたようだった。

「フィオさんって、最初の試合はいつなの? 確か、上位申請者は最大で二か月ぐらいは準備期間として空けられるって聞いたことあるけど」

「その、明日の午後の予定になっているはずかと……」

 長い旅を終えたばかりの彼女は、決まっている予定のこととはいえ、少し自信なさげにそう答えた。

 ディルとガルディア、二人は思わず顔を見合わせる。

 もう一年以上この地で剣闘士として闘っている彼らからすれば、それは信じられない回答だった。

 対戦相手の情報の入手、それに応じた事前準備、装備のメンテナンス、自身のコンディション調整。試合までにすべきことは山ほどあるのだ。それらを前提とした場合、到着翌日に試合を設定するなど無謀以外の何物でもなかった。  

「はあ?」

 言葉を失ったガルディアと違い、ディルは信じられないといった様子を露骨に声に出していた。

 彼は勢いそのままに続く言葉を口にしかけるが、思いなおしてそれを無理矢理のみこむ。

「あ、剣を見せてくれたことは感謝する。ただ、あれだな。やっぱ貴族様の考えることはわかんねえ。じゃあ寝るわ」

 あえて抑揚のない声で早口に言うと、ディルは足早に部屋から去っていった。

 残されたフィオリトゥーラはその場に立ち尽くしている。

「少しでも早い方がよいかと思ったのですが……」

 彼女はおそらく、自身の選択がひどくここの常識から逸脱していることにはまだ気づいていないのだろう。二人を驚かせた彼女の方が、どこか呆気にとられたような表情を見せていた。

「まあ、あれだよ。明日になれば相手の名前ぐらいはわかるよ」

 ガルディアはそう言って苦笑いした。

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