第2話 男の名
「あなたは、一体……」
「それは何を指して聞いている?存在か?それともこの世界に来た理由か?」
フィリベルトが目を向けた先で、男は僅かにその冷たい色の瞳を顰めたように見えたが。返ってきたのは言葉の真意を問いかけるもののみ。
特にそれ以上言葉を発するつもりもなさそうな辺り、一見冷たそうではあるが不機嫌ではなさそうだった。
「え、っと……出来ればあなたのお名前を、まずは教えていただけるとありがたいんですが……」
なんて呼べばいいのかが分からないからという、ただそれだけの理由でフィリベルトは口にしたのだが。予想外だったのか、目の前の男は数回パチパチと瞬きをする。
逆にその質問に驚いたようにフィリベルトを凝視して、はらはらと成り行きを見守っているフォルビアという、何とも不思議な構図となっていた。
「私の名か?ふむ、そうだな……」
逡巡の後、小さく手を打って男は言う。
「レオ・ドゥリチェーラ、とでも名乗っておこうか。それをこの世界での私の呼び名としよう」
その言い方はまるで、本当の名前ではないようで。
「この世界での、って……偽名ってこと…?」
思わずといった風に疑問を口にしてから、あっとフォルビアは口元を手で覆う。
だがそれにすら男は気にした風もなく、その冷たい色の瞳をフォルビアへと移して首を傾げた。
「この世界では本当の名を簡単に他人に告げるのか?名を呼ぶだけで相手を縛るような存在はいないのか。ふむ…」
その言い方はまるで、他の世界にはそれが出来る存在がいるかのようで。
だがフィリベルトもフォルビアも、そんな話は聞いたことがなかった。
もちろん聞いたことがないだけで、いないとは言い切れないのだが。
「だがまぁ、問題はない。レオ、とでも気軽に呼んでくれて構わん」
「レオ、さん…?」
「敬称などいらぬ。この世界では私はただの訪問者に過ぎぬからな」
明らかに不遜な言い方のはずなのに、なぜか許せてしまうのが不思議なほど、その言葉遣いは男に似合いすぎていた。
そうあるべきとでもいうような、当然のこととして受け入れられるような。
だから、だろう。
不思議と肩の力が抜けて、いつの間にか普通に問いかけられるようになっていた。
それにフィリベルトはもちろんの事、フォルビアでさえも疑問を抱くことなく。
「じゃあ、レオ。あなたさっきからこの世界って言ってるけれど、もしかして違う世界から来たの?」
そう、まさに当然のように問いかけていた。
「ふむ、そうだな。私の世界は別にある。何なら他にも数えきれないほど多くの世界が存在しているぞ?」
「もしかして……色々な世界に行ったことがあるんですか!?」
「あぁ、あるな。かなり発展が進んだ世界だと、様々な見たことも聞いたこともない物達が存在していた。あれは面白い世界だった」
あと数年で成人を迎える二人ではあるが、それでもやはりまだまだ子供。男の口から出てくる未知の世界の話を、瞳を輝かせて興味津々に耳を傾けている。
それが分かったのか、男はそこで初めてふっと小さく微笑んで。
「他の世界の話を聞かせる代わりに、この世界のことを教えてはくれぬか?何せ私は、今し方来たばかりだからな。世界の言葉ではなく、人の言葉で聞いてみたい」
そう、条件を出してきたのだ。
当然二人がそれに食いつかないわけがなく。
「いいわ!!答えられる範囲でなら何でも答えてあげる!!」
「僕たちでは分からない事もあるかもしれませんけれど……」
「構わぬ。その瞳で見た物を、耳で聞いた事を、思った事感じた事をそのまま率直に答えてくれれば良いのだ」
その時点で、ある意味お互いの利害が一致した。
交渉成立とばかりに、未だに座り込むフィリベルトに手を差し出す男。もとい、レオ。
「あぁ。では手始めに、その美しい瞳の名前でも教えてもらおうか」
「瞳……」
言われたフィリベルトは、一瞬何のことかと首を傾げて。すぐに自分の瞳の事なのだと理解し、反射的に体を強張らせる。
だがそれ以上に。
「名前、は……ない、です…。この瞳は、世界に愛された証拠なんだって……世界信仰反対派の人たちに、忌み嫌われているから……」
そう諦めたように笑うフィリベルトを見下ろすアイスブルーの瞳は、ほんの僅かに不機嫌そうに細められたが。
その姿をフィリベルトはもちろん、その手を励ますように握ったフォルビアも、目にすることはなかった。
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