第12話 媚薬と油断 -王弟殿下視点-

 よもや、と言う他あるまい。



 いや、油断していたと言われれば、その通りなのだ。



 何せ、既にカリーナと婚姻を結んで一年以上。


 まさか今更になって、狙われることがあろうなどとは。


 露ほども思っていなかったのだから。




「殿下、昼食のお時間です」

「あぁ、これで終わりだ。今行く」


 予定通りに執務が片付くようになってきて、かなり余裕が出てきた。

 多少の妨害はあれど、今のところおかしな動きをする貴族もいないまま、城内の改革は順調に進んでいて。

 新しく登用した者達の働きぶりが書かれた調査報告書やその資料を読めば、明らかな作業効率の上昇が確認できる。


 ようやく、城の中も風の通りが良くなってきた。


 これで兄上に必要以上に負担をかける事もなく、さらにその治世を盤石なものとしていただける。

 しかも優秀な者達を増やせた事で、そもそもの仕事も減っているのだ。

 最近は私も早く宮殿へと帰れるようになってきていて、この間は義姉上も「陛下の御戻りがお早くなって本当に嬉しいの」と喜んでおられた。

 私としても長くカリーナと共にいられる時間が取れるというのは、何物にも代えがたい至福の時間だ。

 きっと兄上も、義姉上と共にいられる時間を同じように感じていらっしゃるのだろう。


「……そうか、そろそろ避暑地へと向かう時期か」


 僅かに風の中に次の季節に向かう気配を感じ取って、ようやくその事に思い至る。


「殿下は今年、避暑地へと赴かれるご予定ですか?」

「……あぁ…。久々に向かうのも、良いかもしれぬな」


 滅多に話しかけてこない案内役だが、今のは私の独り言を拾っての質問だったのだろう。だからこそ、私も少し考えてそう答える。


 そう、今年こそは。

 カリーナを、王族の避暑地へと連れていっても良いのかもしれぬ、と。

 そんな事を、食事中も考えていたから。


「ん…?ただの水ではないのか?」

「気温が高くなって参りましたので、本日はレモン水にいたしました」

「そうか」


 気付いていたはずの変化に、疑う事すらしなかった。



 いや、事実暑い時期にはレモン水が出されるのはよくある事だ。何もおかしなことではない。


 何より気づいた今でも、本当にそれが原因だったのかは定かではない。



 だが。



 毒見役が唯一口にしていなかったのは、それだけだというのも確かで。


 そして一番恐ろしいのは、口に含んだ後でさえ違和感を覚える事すらなかったという事。



 つまり。



「っ…」



 完璧な、薬。



「殿下?如何なされました?」

「……いや、何でもない」


 必死に何事も無いように装うが、この薬が何なのかはよく知っていた。

 体の奥から、意思とは関係なく強制的に湧き上がってくる熱。

 鎮めようとしても鎮まる事のないこれは、本能へと働きかける不愉快なもの。



 媚薬、だ。



 まさか今更になって、しかも食事に甘いものなど何一つなかったというのに仕込まれていたそれは。

 嬉しくもない、いっそ不愉快だとさえ思う感覚を伴って。私の体の中を徐々に徐々に侵略していく。


 今までであれば。

 それでも耐えられないわけではなく、苦しさから逃れるために気を失うように眠りへと落ちていたのだ。

 何せ婚約者一人いない身の上だった私には、抱きたいと思うほどの娘一人おらず。

 だからと言って娼婦を呼ぶなどと、王族の恥を晒すような真似だけはしたくなかったから。


 だが、今は。


「っ…!」


 薬の効果が強くなる一方で、必死に歯を食いしばらねばならぬほど。


 求める相手が、いる。



 最愛が、私の妃が。



 カリーナが、いる。



 彼女を求めてしまうのは、もはや常であったからこそ。

 こんな時にも真っ先に思い浮かべて。


 そして。


 彼女を抱きたいと、邪と言うには邪悪すぎる感情が顔を覗かせる。



 この衝動のまま、今彼女を抱けば。

 私はただの獣と化すだろう。


 薬に抗えぬのは、雄としての本能。

 太古の昔からなくなる事のない、生物としての欲望。


 それが、カリーナに。

 たった一人の最愛に、危険な刃となって襲い掛かるなど。

 それを求めているのが私自身だなどと、あってはならぬ事。



 だが。



「……くッ…」


 小さく漏れる声は、その限界が近い事を示していた。


 幸いにも執務室は目の前であり、案内役は外に立つ護衛に気を取られていて気付かなかったようだが。

 その護衛は一瞬怪訝そうな表情でこちらを見ていたので、異変がある事には勘付いていたのかもしれない。


 だからこそ。


「殿下、中でセルジオ様がお待ちですので。どうぞ」


 案内役とのやり取りもそこそこに、私を執務室の中へと促したのだろう。


「っ……あぁ……」


 彼のその機転に、私も乗る形で。


 そうしてようやく執務室の中に入り、扉が閉まる音が聞こえた瞬間。

 私はソファの背もたれ部分へと手をついて、今にも頽れてしまいそうな体を必死に支えた。


「殿下!?」


 聞こえてきたセルジオの声に、媚薬を盛られたと告げて。

 今伝えられるだけの情報をと思い、顔を上げずに必死で言葉にし続けて。



 けれど。



 そのせいで気づくのが遅れてしまった。



「殿下っ……」



 セルジオの手を、やるべき事を先に終わらせろと振り払って。

 一人仮眠室へと向かおうとした私に。


「……カリー、ナ……?何故、ここに……」


 差し伸べられたもう一つの手は、小さく柔らかく。


 そして誰よりも、私の理性を奪う存在だった。





 その後の事は、全ての記憶が残っているわけではない。


 だが。


 一つだけ分かるのは、間違いなく私は理性を飛ばしていたのだと。カリーナを抱きつぶしてしまったのだという事。



 彼女の意思も、私の意志も、媚薬の前では関係ない。



 カリーナ自身は私の行為そのものではなく、私に媚薬が盛られたことを怒っていたが。

 私は最愛の彼女へ、加減もなく男の欲を向けてしまったことを深く強く、悔やんでいた。


 結局それすら、カリーナは笑っていたが。



 だが、二度目はないと約束する。


 二度と油断などしない。


 媚薬などという不愉快な存在に操られて、力任せに君を抱くこと等しないと。



 君自身と君へと向かう私のこの心に誓って。


 カリーナ、約束しよう。


 必ず、だ。


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