ある場所のできごと
洞貝 渉
📚ある図書館のできごと
「あのう」
声に反応して、スリープモードが解除される。
カウンターの前には小さな女の子がいて、少し不安そうな表情でこちらを見ていた。
「こんにちは。どうなさいましたか?」
図書館司書のアンドロイドは、目の前にいる年端もいかない女の子の姿を認め、内心首をひねる。
図書館に誰かが入館すれば、必ずスリープモードは解除されるはずなのに、女の子がこんなに近くに来るまで起動しなかった。もしかすると、出入り口のセンサーが壊れてしまったのかもしれない。
「あのう、実は、探している本があるんです」
「はい。お探しいたします。それはどんな本ですか?」
「えっと、四角くてあったかくて、優しい本!」
「はい。申し訳ありませんがもう少し詳しく……いえ」
四角くてあったかくて、優しい本。
本の題名も、内容も、いつどこで誰が書いたものなのかも全くわからない。
にも関わらず、アンドロイドの司書の検索にかかった本が一冊だけあった。
「一件、条件にあった本がございます。お持ちいたしますので少々お待ちください」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
落ち着いた女性の声に、司書はハッとしてカウンターの前にたたずむ人を見た。
そこに女の子の姿はなく、どこか女の子の面影を残した妙齢の女性が立っている。
女の子の母親だろうか。しかし、館内にこの女性以外の人はいないはずだ。図書館内に誰かしらの出入りもなかった。
私は壊れてしまったのかしら?
アンドロイドの司書は考えた。
今日はなんだか、調子がよくないわ。
そういえば、最後にメンテナンスをしたのはいつだったかしら……。
カウンターを出て本の並ぶ書架に向かうと、女性も後をついて来る。
本棚と本棚の間をゆったりと進み、目的の本を探しながらも、司書は目まぐるしく内部メモリーを探索していた。
なんとなく、前にもこんなことがあった気がしたのだ。でもどんなにメモリーを探ってみても、条件に合うものは見当たらない。
「お探しのものは、こちらの本でしょうか?」
司書が本棚から抜き取ったその本は、大人向けの本で、背中のラベルに七から始まる数字のついたものだった。
「そうそう、これよ。私はこれを、もうずうっと長い間探していたのよ」
正方形で、他の本と比べると少し大きく、見ただけであったかい心持ちになる暖色の表紙。文字数は少なく、内容はシンプルだけど、すっとこころにしみこむ良作で、遠い過去にはロングセラーとしてよく貸し出されていた。
司書が手に持つ一冊の絵本を見つめ、しわの寄った目じりをキュッとすぼめたおばさんが柔らかに微笑む。
「小さいころに、あなたにオススメしてもらったこの本を、私はずっと探していたの。大人になって、いろいろとつらいことも経験して、ふとこの本のことを思い出して。ああ、あの本をもう一度読み返したいな、って。でも、そのころには本の題名も、内容もおぼろげになっていて、探しようもなかった。……ようやく見つけることができたわ」
ありがとう。
腰が曲がり、杖にすがって立つおばあさんが、心のこもった声で言った。
確かに司書は、その感謝の声を聴いた。
なのに、次の瞬間には、司書はたった一人で絵本を手に持ち本棚の間で立ち尽くしていた。
私は壊れてしまったのかしら。
いくらデータを確認しても、今日も昨日もその前も、もうずいぶん長い間この図書館に人は訪れていない。
アンドロイドの司書はカウンターに戻り、再びスリープモードに入る。
もうずっと、司書は眠って時間を過ごしていた。
今日の記録は、実際に利用者の方に業務を行ったわけではないので、単なるバグとして扱われてメモリーには残らないだろう。
だけれど、と司書は思った。
だけれども、こんなバグなら、また起こってもいいかもしれない。
眠りに入った司書の口元が、わずかにほころんでいた。
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