第九章 ②


「瀟洒会同盟が、俺になにを求める? まさか、これから社交パーティーってわけじゃねえだろう」

「そうであるなら、もっと派手な着物を用意するのだ。ゼルよ。わっちはただ、ヌシのことを心配しているだけなのだ」

「狐ごっこも飽きねえか?」

 嘘をついているのは明白だった。ベニアヤメが単なる私情で口を挟むはずがない。そんなこと、最初から理解している。

「俺は、俺の好きなようにさせてもらう。気持ちだけ受け取っておくよ。手前らにとっちゃ《九音の鐘》に釘を刺せる好機だろうさ。けど、俺の覚悟をそんな下らないことに使ってくれるなよ」

 ゼルは機操剣の鍔を回した。赤狐隊の間に緊張が走る。

 ベニアヤメを護る私兵達。個々の実力は折り紙付きの百戦錬磨。これだけの数を相手にするのは、今のゼルでは難しい。だが、打つ手がないわけではない。高位解析機関、Sカノッソス零式は八個中四個まで起動していた。機操剣の内部で重い音が幾重にも伝達する。機能が変わろうとしている。

「お前のことだ。この戦いを内輪揉めで終わってほしくないんだろう? 《九音の鐘》と対立する形を取れば、他の組織だって黙っちゃいない。それこそ、銀行領や赤獅子騎士団まで介入するだろう。……求めるのは、かつての混沌か? 今の地位に、なんの不満がある?」

「くくく。ゼルこそ、なにを欲するのだ? その隣に立っているのは新しい恋人なのだ? この戦いが終われば過去のことなど忘れて平穏にすごすなのだ?」

 怯えるフレンジュを、ゼルは背中で護った。

 一度だけ振り返る。大丈夫だと、伝える。

「人の弱みに付け込むほど飢えちゃいねえよ。フレンジュは被害者だ。助けるのが筋ってものだろうが」

「生真面目な男なのだ。最初から、わっちに頼ればすんなりと片が付くというのに」

 そんな手もあった。《九音の鐘》にとって、裏社会を纏める瀟洒会同盟は無視出来ない相手だ。ましてや、会長であるベニアヤメがゼルの肩を持てば問題ごとの八割は解決してしまう。

 それでも、ゼルは断った。貸しを作りたくないとか、無関係の人間を巻き込みたくないとか、そんな生温い理由ではない。

「手前じゃ見えない世界が、俺にはあるんだよ」

 ベニアヤメが目を剥く。目の前に山犬がいると理解したかのように。置物ではなく本物だと気付いたかのように。

 牙が、自分の首に届くと理解したかのように。

 ゼルが機操剣を下ろすと、ベニアヤメが首を横に振った。どこか、横顔は晴れ晴れとしている。

「なら、わっちはこれ以上もなにも言わないのだ」

 ベニアヤメが踵を返すと、赤狐隊も機操剣を下ろしてしまった。『ヤットオワッタ』『ゼルトタタカウナンテイノチガイクツアッテモタリナイ』『モウスコシデタイショクネガイヲダストコロダッタ』。好き勝手にぶつくさ言っている。

 ベニアヤメがレインに近付き、肩を叩く。

 隻眼の警部は、弾かれたように後方へ跳んだ。

「そこまで邪険にされると悲しいのだ」

「君は、動く爆薬みたいなものでしょう」

「……この街は、女を見る目がない男が多いのだ」

 そうして、ベニアヤメが本当に帰ってしまった。待ったをかける理由もなく、ゼルは唖然と小さな背中を眺めるばかりだった。

 結局、あいつはなにをしに来たのか。

「レイン。俺はもう行くよ。それで、構わないよな? お前にはいつも悪いと想っている。だから、今回も我儘を言わせてくれ」

 レインが無言で手を伸ばした。貸した金でも返せと言うような顔である。こっちがなにも言わないでいると、当然とばかりに言った。

「煙草をくれないかい?」

「お前、禁煙したはずだろう」

「一本くらい、四捨五入したらゼロだ」

 なんだそれは。

 ゼルは黙って煙草の箱ごとレインに投げつけた。レインが一本だけ取り出し、自分の機操剣で火を点ける。

 レインが顔面に当てる勢いで煙草が入った箱をぶん投げた。

 ゼルは、難なく片手でキャッチする。

 レインが、美味そうに紫煙を吐き出した。

「僕は疲れたよ」

「俺もだ」

 煙草の箱に視線を落とし、今度はフレンジュの方へ。美女は黙って首を横に振った。

 ゼルの恨みがましい視線に、レインはどこ吹く風だと肩をすくめる。

「僕はもう帰るよ。じゃあね、二人共。もしも死んだら、明日にでも連絡しておくれ。お墓に、青い花とチョコレート菓子でも沿えるから」

「だったら、特上のブランデーも一緒に買っとけ。人生で数少ない大舞台だ。ビンじゃなくて樽で用意しろ」

 死ぬなとも、死なないとも、言葉は交わさない。

他にも言いたいことが沢山あったからだ。

だからこそ、想いは届けと眼差しだけを交わす。

「フレンジュ。行こう」

「いいんですか?」

「ああ。もう十分だ」

 ゼルの背中に、レインはなにも言葉をかけない。黙ったまま吸う煙草の煙は、細長い紐に似ている。どこか繋がる場所を求めるかのように伸び、そして儚く消えていった。

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