第九章 ①


 あの日の光景を、何度も何度も想い出す。

『ゼルは、生きなさい』

 そんな目をするな。お前は絶対に助かる。だから、逃げよう。大丈夫、助かる、まだ走れるはずだろう?

 なんで、諦めるんだ?

 生きることを、放棄するなよ。

 お前が言ったんだろう。生きることは、素晴らしいことだって。好きな誰かと一緒の時間は、なによりも尊いのだと。

 だったら、こんな場所で死ぬわけがない。

『きっと、罰が当たったんだわ。私、あなたが想うよりも良い女じゃないの。生きるために、沢山の人間を殺してきた。だから、そのツケが今頃になって回って来たのよ。ふふふ。やっと希望ってモノがなんなのか分かったのに、神様は意地悪ね』

 そんな神は、俺が殺す。お前を苦しめることなんて、相手が誰であろうと許さない。だから、立ってくれ。まだ、助かる。こんな場所で終わるなんて、あんまりじゃないか。俺達は、これからが全てだ。楽しいこと、嬉しいこと、幸せを掴むと誓ったじゃないか。なのに、こんな結末なんて認められるか。


 ――現在と過去が刃の切っ先で重なった。


 竜が吠えた。

 あるいは唄ったか。

 火竜小唄。両刃で幅が広く肉厚な刀身は、突きを放つ際に刃へ触れた空気の対流が独特の音を鳴らす。

 角度もタイミングも速度も、日々によって違う。達人の技量から先は、運だ。やろうとしてやれるものではない。

 だから、間に合ったのか。

 レインが、苦く笑う。

「防ぎきれないと分かれば、強制的に停止させにきたか。いやー、まいったね。ゼル、君はやっぱり恐ろしい男だ。その刃は確かに、敵へと突き付ける墓標に相応しいんだろうね」

 彼我の差、刃二本分離れて聞いたゼルは、沸騰する脳を必死に抑えつけていた。今にも腹の底が爆発しそうだった。

「動くな、戦友。ここから先は加減出来ない。グラスに酒を注ぎ続けたら、必ずこぼれる。今、縁の上でブランデーが揺れている」

 言葉にすれば、そこまで難しくない攻防だった。

 レインの攻撃が始まる刹那手前、ゼルは地面を蹴った。機操剣を腰だめに構え、ただ一直線に駆けた。

 トリガーはすでに引かれていた。最初に展開した盾は蜘蛛の巣を円錐に張り付けたような形に変わっていた。変幻機導式。すでに発動された機導式のカタチを変える高等技法の一つだ。

 火竜小唄の切っ先を起点にした蜘蛛の巣の穂先が、ゼルの急所に当たる弾丸だけを絡め取った。

 ゼル渾身の突きを、レインは刃の腹で受け止めた。折れぬように剣身に手を沿えて。鐘の音に似た澄んだ音が夜天を貫いた。

 そして今、お互いに睨み合っていた。

「……ゼル、僕の話を聞いてくれ」

 刃を前にして、レインはまだ冷静だった。

「君が苦労する必要なんてないんだ。ここから先は、警察に任せてもらおうか。元、組織の一員だとか責任とか、もう君には関係ないだろう」

 レインは、ゼルを止めに来たのだ。

「個人の了見で動くなと言っているんだ。ゼル、冷静になれ。《九音の鐘》がいまさら動くなんて怪しい。絶対に、なにか裏があるに決まっている。これは罠だ。それが分からない君じゃないだろう? ゼル・クランベルは《墓標の黒金》から人間に戻るべきだ。じゃないと、引き返すチャンスを一生失うことに――」

「――だったら、どうした?」

 レインが残った目を見開く。

 ゼルもレインも、両腕から微塵も力を抜いていない。

「これは、俺の責任だ。俺がクローゼルを護れなかった。あの日の後悔をなにもかも置いて来た。だから、フレンジュに迷惑がかかっている。責任を負うのは、男の義務だろう。約束を守るのが、男の使命ってもんだろうが」

「いつまで冒険気分なんだ君は。剣の一振りで魔王に勝てるのは御伽噺だからだ。君だって、この都市と騎士団のしがらみを知らないわけないだろう。ここで戦ってみろ。また、昔の混沌に逆戻りだ。今、こうして僕と君が立っている場所は、僕達が命を賭して勝ち取った場所のはずだ!」

 それを捨てるのか? と。

「……なめんじゃねえよ、ブルーコート。手前の立っている場所くらい、手前で掴んでみせるさ。それが意地ってものだろう」

「どうして君は、洒脱に生きようとするんだい?」

「俺の宗教だ。そろそろ覚えろ」

「何度でも、忘れたいね!」

 レインがゼルを押し返す。小柄な身で、どこにそんな筋力を隠しているのか。

 ゼルは機操剣を上段に構え直した。細かな剣技などいらぬ。ただ全力で振り下ろそうとして、真後ろから冷たい風が背中を叩く。

 選択は、一つだった。

 振り向きざま、一気に振り下ろす。切っ先が地面に触れた瞬間、トリガーが引かれた。保存済みの機導式が発動する。

 ゼルを中心に地面から無数の腕が生えた。各パーツが異様に長い多関節の腕だった。それぞれ、大振りの剣を握っている。

 機械式演算により、半自動で敵を討つ外骨格の亜種だ。

 個人でありながら屈強な兵士を束ねるゼルの耳に聞こえたのは、氷で作られた鈴のごとく冷たい声だった。

「おやおや、物騒なのだ」

 真っ赤な着物に身を包んだ鬼姫・ベニアヤメがゼルへの肉薄を終えていた。

 さらに、ベニアヤメの背後には折れ曲がった狂気の坩堝、赤狐隊が控えている。全員が機操剣、トツカノツルギを引き抜いていた。蒸気がたっぷりと噴き出している。顔は見えずとも、充満した殺気は隠しきれていない。

「次から次へと人のデートを邪魔しやがって。お前ら、祭りなのに暇なのかよ、予定の一つくらい作れよ」

「くくく。予定なら、目の前にあるのだ」

「生憎と、俺の隣は美女で埋まっている」

 茫然と立ったままだったフレンジュがまばたきをする。顔から血の気が引いていく。

「ゼルさん、瀟洒会の会長と知り合いなんですか? いったい、どんな人生歩んだらそうなるんですか?」

「……いや、俺にも分からん」

 逆に教えて欲しいくらいだった。

 ゼルは機操剣の切っ先を戦友からベニアヤメへと向け直す。

「俺は手前らと敵対したつもりはねえぞ。こいつは一体、なんの冗談だ? 寒いジョークで笑うほど、俺は熱に飢えていないんだけどな。コンドー。今ならまだ、なにも見なかったことに出来るぜ」

「くくく。ゼルよ。わっち達はお前に協力するのだ。……どんな事態に陥りようとも、完璧に情報を操ってみせよう。それこそ、街の形が変わろうともな」

 これには、警察官としてレインが黙っていられなかった。

「正気か、ベニアヤメ。君がゼルに手を貸すというのなら、それは《九音の鐘》と敵対することになる。まさか、戦争を始める気なのか!?」

 争いとは関わった人数が多ければ多いほど戦火を拡大させる。それが一巨大組織ならば、なおさらだ。

「ベニアヤメ、忘れたわけじゃないだろう。君は必要悪の範疇なんだ。警察として、見過ごすわけにはいかない」

「……盲目的な正義でもなく、日常的な悪でもない。清濁併せ呑む者は、いつの時代も厄介なのだ。のうレイン。警察なんぞやめて、こちらにつかないか? 給料は今の三倍出そう」

「生憎と、僕は金よりも大切なモノを知ってしまった。失った目に誓い、僕は僕の流儀でこの街に睨みを利かせそう」

 レインの言葉に、ベニアヤメが『ああ、厄介なのだ』と呟いた。

 そうして、人のカタチをした鬼がゼルの方を向いた。

「で、ゼルはどうするのだ?」

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