第七章 ①
それは、奇妙な机だった。右手側が大きく抉れている。まるでカバかワニが噛み千切ったように。専門の知識を持たぬ者が見れば、前衛芸術家気取りの馬鹿がデザインしたようにしか見えないだろう。
ゼルは、私室の隅に置かれてある机の表面を撫でた。そして、抉れた部分へと機操剣を突き刺した。パズルピースのごとく、ピッタリとはめ込まれる。
機操剣と結合することで、この机は真の姿を晒す。
ゼルは椅子に座り、一番大きなタイプライターを展開した。しばし考え、キーへと指を伸ばす。
指が動く。キーを叩く。十指が霞む。無秩序に打ったとしても、ここまで速く打てるものなのか。
身体が軽かった。まるで、全ての関節に羽が生えたかのように。
「……こっちも、それなりに用意しておかないとな」
昨日の一戦、ゼルにとっては不満だった。確かに内容だけを考慮すれば完璧だ。本人ふくめフレンジュは傷一つ負わず、敵も沈黙させた。
しかし、それは敵側が要因である。
お世辞にも、オデイル一派は大甘だった。あれだけの機械巨兵を構築しておきながら地面に配慮していなかったなどお粗末極まりない。もしも地面まで配慮されていれば、少なからず苦戦していたはずだ。
そして、
「良い腕だった」
狙撃手は、一度防がれると次弾を撃たなかった。ゼルは、撃てなかったのではなく撃たなかったのだと判断した。
手加減か、もっと別の要因か。どちらにせよ、ダルメルから譲り受けた道具がなければ重傷を負っていただろう。
機操剣に気合は通じない。
機導式に根性は伝わらない。
戦うよりも前、戦闘になってからでは遅い。どれだけ事前に手札を用意出来るか。そこに限る。
扉をノックする音が数度、
「ゼルさん、ちょっといいですきゃっ!?」
フレンジュが、幽霊にでも出会ったかのように短い悲鳴を上げた。ゼルが音もなく扉を開けて真正面に立っていたからだ。
「今日の夜、どこに出かけるかの相談か?」
「……半分正解で半分外れです。紅茶を淹れたので少し休憩しませんか? あまり根詰めすぎると、脳が茹で上がっちゃいますよ?」
「確かに、フレンジュのことを考えると脳味噌が沸騰しそうなほどに興奮を」
「ミルクと角砂糖はどうしますか?」
「ミルク小匙二杯、角砂糖三つで頼む」
会話のかわした方を武術に例えるなら、フレンジュは達人の領域だった。ただし、ゼル専門の。そんな女性は、この街に大勢いる。
ゼル本人が鍛えているカタチになっていることを、本人は知りようがなかった。
「……自宅で美女が紅茶を淹れてくれるとは。『人生の夢百選』の一つが叶った。ちなみに、カップにフーフーと息を吹きかけてくれると上位五つにランクインするんだけどな」
「はいはい、ミルクを入れたからそんなに熱くありませんよ」
フレンジュが澄まし顔で机にカップを置いた。ゼルは神から聖剣を受け取った勇者のごとく頭を垂れる。
「うん、美味い。フレンジュは料理が得意で素晴らしいな」
「ふふふ。良い茶葉ですし、誰が淹れても美味しいですよ」
「いや、それは違う。俺が入れたお茶よりも六千五百七十三倍は美味い」
ゼルが褒めると、フレンジュがくすぐったそうに微笑を浮かべた。
「それ、なにをしているんですか?」
フレンジュが機操剣へと視線を向けた。
「昨日言っていた、機導式の組み立てだよ。こいつで入力して、演算しておかないといざってときに使えないからな」
「誰かを、倒すためにですか?」
「……ああ、そうだ」
フレンジュの表情が曇った。
ゼルは黙って首を横に振る。
君が、そんな顔をする必要なんてない。
「向こうの連中が悪事を働いてんだ。こっちに人道を求める方が不粋ってものだろうぜ。想い出せ。先に仕掛けたのは向こうだ」
「ゼルさんは、怖くないんですか?」
紅茶の香りが、少しだけ遠くなる。
ゼルはフレンジュの〝怖い〟がどこを指しているのか聞かなかった。あえて、聞きはしなかった。
きっと、全て同じだから。
「怖くないと言えば嘘になる。けれど、俺の足は地面を蹴るし、俺の手は柄を掴む。昔、言われたことがある。『どうせ、いつか死ぬんだから、やりたいように生きてみろ』ってな」
「……それは、もしかして恋人ですか?」
「おっ、やっぱり女は勘が鋭いな。ただ、恋人っていうのはどうだろうな。向こうがどうもはぐらかすせいで、はっきりとした言葉は聞いていないんだ」
ゼルの言葉に、フレンジュが目を丸くした。
「どうかしたか?」
「いえ。随分と大切な人なんですね?」
半分冗談で言った、女は勘が鋭い。
今は、本気で信じられた。
「私には口先だけの求愛をするのに、その彼女さんだけは、その関係にだけは嘘を混ぜたくないんですね」
今度は、ゼルが目を丸くする番だった。
半秒後、フレンジュがハッとする。
一秒後、ゼルがアッとする。
「す、すみません! 私ったら、なんて図々しいことを」
「いや、悪い。俺の方こそ、そんなつもりはなくてだな」
お互いに頭を下げ合う。フレンジュは顔を真っ赤にし、ゼルは顔を蒼白に変えていた。足して半分にすれば、きっと良い塩梅だった。
フレンジュが逃げるように部屋を出てしまう。
「私、夕飯のメニューを考えますね!」
「お、おう」
一人になったゼルは、とりあえず紅茶をすすった。
案の定、すっかりと冷めていた。
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