第一章 ①
「俺の人生はちょっとばかし殺伐としすぎている気がする。集まる仕事はろくでもねえモノばかりだ。美女と一緒にお茶する仕事なら、明日が地球最後の日でも喜んでスーツにアイロンをかけるんだけどな」
ゼル・クランベルは、硝子製のグラスを傾けて愚痴と酒を交換する。
透き通った琥珀色の酒は極上の絹のごとく滑らかだ。ほんのりと甘く、葡萄の濃厚な香りが鼻孔を優しく包む。熟成する過程で樽から染み出した古酒とオーク材の成分が、味わいをより深めていた。味に溺れなさいと、艶美な夢魔が囁くかのよう。
今から十年前、当たり年のブランデー〝カルサニッコM一八八〇〟だ。ゼルのお気に入りで、仕事終わりにはかかせない。
肴に用意したのは、薄切りのバゲットにカッテージチーズとドライオレンジを乗せた物。これがブランデーに良く合う。
「これで、美人が隣にいれば言うことなしなんだけどな」
「だったら、今すぐ娼館にでも行くんじゃな」
ゼルの溜め息を拾ったのは、カウンターの向こうに立っている初老の黒人男性だった。ダルメル・メルーザー。ここ、機操剣専門店〝荒廃仁義の大決戦〟の店主である。
ここは娼館どころか酒場でもなかった。
当然、棚に並ぶのは酒瓶ではなく機操剣に関連するパーツの数々だ。
蒸気機関を専門として設計し開発する蒸気ミレージュ連盟の新作、中型六気筒のリレンゼルの雪崩に、確かな品質を約束するベルゾ&カルド&シッシケール蒸気社会福祉補填組合の名作、小型四気筒のガレオンの疾風が、同じ棚で睨み合いをしている。
高位解析機関では高水準の安定性を誇るアマネル社のMバルミデールM一八八五が、流麗な肉体美をあらわにしていた。『今なら
他にも着火用ホイールや、火室、鍔、刀身などが無秩序に店内を占領していた。ともかく、商売にかけて人一倍いや人十倍は貪欲な男なのだ、ダルメルは。
だからこそ、己が城で一銭にもならない時間は息も詰まるに違いない。
ゼルはバゲットに手を伸ばし、片方の手をヒラヒラと振った。
「そう固いこと言うんじゃねえよオヤッさん。こんな深夜に開いている酒場なんて、悪党共の巣窟だぜ? 俺が顔を出してみろよ。連中が飲む酒が不味くなるだろうさ」
なんだかんだで酒と肴を用意してくれたのはダルメルだし、ここで飲むのだって今日が初めてではない。
気恥ずかしさを覚えたのか、ダルメルがそっぽを向いた。
「悪党狩るお前さんが、悪党に配慮するなんざ笑い話にもならんのう」
「世の中には、悪い悪党とそこまで悪くない悪党がいる。俺だって、いちいちトラブルなんざ起こしたくねえよ」
ゼルがバゲットを齧り、ブランデーを一口飲むと、ダルメルが不服そうに眉根を額に寄せた。
「そんな甘いもんで甘い酒を飲む奴は、心構えも甘いのかねー」
ダルメルが飲むのはジョッキに並々と注がれたビールだ。こちらは、ジョッキが雨に打たれたかのように水滴を滲ませるほど冷えている。
肴は燻製されたチェダーチーズに、サラミ、ナッツ。どれも同様に塩辛い。
豪快にジョッキを傾けて顎髭に泡を付けるダルメルを一瞥し、ゼルは鼻を鳴らした。グラスをカウンターに置き、ボトルからブランデーを注ぐ。
「野郎の人生なんざ、苦くすぎて溝鼠だって食わねえよ。なら、甘さを求めるのは当然ってもんじゃねえのかい? オヤッさんこそ、そんな冷えた酒を飲むと内臓を悪くするぜ」
「そこまで年寄りじゃないわい。お前こそ、冷えた酒でも飲むと下痢になるのか? そんな温い酒、馬の小便みたいなもんじゃろう。こびりつく夏を吹き飛ばすのは、こいつが一番じゃ」
「おいおい、やっぱり耄碌してんじゃねえか。ブランデーは冷えると香りが蕾のままなのさ。女の柔肌程度の温度だからこそ香りが花開く。最近じゃ、氷が安くなったからとワインもウィスキーも馬鹿みたいに冷やす連中が増えたが、こいつは舌に温い感じるくらいが適温なんだよ」
言葉こそ棘が見え隠れするものの、本当にお互いのことが嫌いならこんな風に酒など飲んでいない。
本当の喧嘩になる前に、ダルメルが話題を移した。
「ムーシャを〝とめた〟のじゃったな」
「娼婦達から仇を討ってくれって頼まれたからな」
「……時代が悪かった。ムーシャ・エグレバンドといえば、十年前なら名の通った賞金稼ぎじゃった。じゃが、新しい技術を取り込むことに関してはかたくなに嫌うような性格での。そのせいで、現代の機操剣の速度についていけなくなり、落ちぶれてしまった」
「手前が首を狩る側じゃなくて狩られる側になるなんざ、皮肉だよ」
ゼルはブランデーを舐め、グラスを揺らす。
「俺もいつか、時代に喰われるのかねー」
「ふーむ。元騎士団、それも精鋭中の精鋭が揃った《九音の鐘》に所属していた男にしては、随分と弱気じゃのう」
グラスを傾けようとしたゼルの手が、ピタリと止まった。
「それ、他の連中に言うなよ。とくに美人には言うな。ただでさえ機操剣持ちは嫌厭されるんだ。これ以上怖がられると、本気で泣きたくなる」
「おいおい、この街は機錬種と機操剣のために造られたようなものじゃろう。敬意こそあれ、嫌厭されるなんざ筋違いというもんじゃ」
「帝国様が定めた法律なんざ、そこで住んでいる人間にとっちゃ関係ないってことだろうさ」
「だったら、せめてもっとカタギの商売をすることじゃ。企業の護衛に、機導式の開発、探せばいくらでもあるだろう」
ダルメルの指摘に、ゼルはカウンターに立てかけている機操剣を一瞥する。いくつも部品を変えているが、もう十年以上の付き合いだ。
刃に染みた血の濃さが、ゼルの両肩に重くのしかかる。
「権力に従うのも縛られるのも苦手でね。今みてえに気楽な生活が性に合ってんだよ」
「気楽と呼ぶには、あまりにも危険な仕事じゃろうに」
「そりゃあ、美人を護るのに労力を惜しまないのが信条でね」
「その美人に怖がられると、今自分で言ったばかりじゃろう」
「そこは精一杯の努力をする」
ゼルがダルメルの皿からサラミを一つ奪い、口に放り込んだ。流石、塩気を好むダルメルが選んだサラミだ。舌が痺れるほど塩辛い。
ブランデーで一気に洗い流す。
「なかなか美味い。たまには、こういう飲み方も悪くねえな」
ゼルの感想にダルメルは『調子の良い奴め』と呟いた。
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