竜は墓標を捧ぐ

砂夜

序章

 凶風、鋭い穂先が顔面に迫った。

 ゼル・クランベルを串刺しにせんと投擲された槍は、直撃する寸前で火花を散らした。呆気なく砕け散り、破片が石畳みの地面に転がる。

 闇夜にとけた鋼の残照を、街灯が攪拌した。

 標的と得物の間隙を生めたのは、一枚の壁だった。最初からそこにあったのではなく、たった今、地面から生えたのだ。背後から奇襲した殺人は失敗に終わる。安宿のドアよりも薄い壁に阻まれた事実に、攻撃を仕掛けた側の人間が、信じられないと足元に視線を落とす。左手が握る機操剣は、正しく地面に突き刺さっていた。

 人気のない歩道、彼我の距離、約二十メートル。

 それはすでに、生死の境界が失われる距離だった。

 ゼルは、首だけを後ろに曲げた状態から、完全に振り返る。

 口元を飾るのは、皮肉気な笑み。

「機導式の練り込みが足らないね」

 歳は今年で二十五歳、身長百八十七センチ。細身ながらも鍛え抜かれた肉付きである。黒い髪は短く切り揃えられ、肌は白い。双眸は濃い緑、深く精気を飲み込む森の色だ。

 トップハット、いや、絹製なのだからシルクハットと呼ぶべきか。黒い帽子の位置を直し、大袈裟に一礼する。

 同色のスーツとコートが合わさると、酷く礼儀正しかった。

「〝オーレム通りの七人殺し〟であるムーシャ・エグレバンドだな? 夜道を歩く人間だけ狙う卑怯者に出会えて光栄だ。お近づきの印に、ちょっとばかし説教してやるよ。道徳的に、人道的に、物理的に」

 ゼルが背中へと手を伸ばす。腰と両肩のベルトで三重に固定された鞘から、ずるりと剣が引き抜かれた。

 ただの刃鉄ではない。

 無論、刃渡りだけで八百八十八ミリもある直線の両刃である時点で異様の代物だが、真に象徴するべきは刃の根元にあった。

 本来なら車や機関車に内蔵されるべき蒸気機関が、我が物顔で空間を占拠していた。さらには無数の歯車から構築される機構が組み込まれている。刀剣というカテゴリーを、蒸気と歯車が侵していたのだ。

 殺人鬼が持つ得物と同じく、機操剣だった。違うのは、サイズだ。ゼルと比べれば、ムーシャの機操剣は玩具に等しい。

 殺人鬼が、柄を握り直した。頬に汗が滲んだのは、残暑を滲ませる初秋の熱気だけのせいではない。

「……まさか《墓標の黒金》殿に目をつけられるとは。この私も、随分と偉くなったものだ。だが、捕まるわけにはいかん」

 ムーシャの右手が鍔の根元にあるトリガーを引いた。

 歯車の集合体・高位解析機関が、蒸気機関の動力によって演算を開始する。刀身を伝って地面へと機導式が挿入された。

 疑似的に石畳みを形成していた極小の機械部品〝機錬種〟が構築を解き、再構成、槍へと変形する。その数、さっきとは桁違いの十二本、空気圧とスプリングによって亜音速の世界を与えられた。

 真正面から同時にゼルを狙う。

「三階位には届く戦闘力だ。だが、言っただろう。機導式の練り込みが足りねえってな」

 ゼルが機操剣の刀身を己が展開した壁に押し当てた。鍔を回し、保存済みの機導式を選択、トリガーを引く。

 大型の蒸気機関から、咆哮のごとく蒸気が吐き出された。高位解析機関が演算を開始、刀身を伝い、壁に新たなる機導式が追加される。

 壁が、さらに一回り大きくなった。

 投槍が束になって激突するも、ことごとく弾き落とす。必殺をいとも簡単に防がれ、ムーシャが息をのむ。

 ゼルは、さらに鍔を回した。

「あと、一つ言っておく。この街じゃ一人でも殺した悪党の賞金は〝生死問わず〟だ。捕まえるなんて高尚なことは言わねえよ。このまま、街の肥やしにでもなるんだな」

 ゼルの言葉が、ムーシャには届いていたか。頭一つ分身長を縮めた殺人鬼が、想い出したように緩慢な動作で倒れた。首と永久に袂を別けた頭部が三度だけ転がり、空を見上げて停止する。

「あの世で、被害者に詫びてこい。地獄に落ちる手前が会えるとは想えねえけどな」

 帝国領第十三試験的機械化構築経済都市〝ラバエル〟。ゼルは、街に巣食う悪を撃つ仕事で飯を食う機導使いだ。

 この程度は、ゼルにとって日常の範疇だった。

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