春夏秋冬代行者 秋の舞 外伝 帰路~秋~②


 その晩、撫子は結局目覚めることはなかった。




 秋の里の本殿に着いてもすやすやと寝ているので、竜胆が抱きかかえて布団まで運んだ。


「おやすみ、お姫様」


 彼がそう言って額に口づけを落としたことすら彼女は知らない。


 眠りは深く、撫子を誘う。


 気がついたらまた例の夢の中に居た。

 今回は秋離宮ではなく、秋色に染まった山野だ。見知った場所ではない。

 

――此処、何処。


 黄色に染まったイチョウの葉が、空から雨のように降ってくる。


「りんどう」


 撫子は当然のように彼の人の名を呼んだ。


「りんどう」


 すぐに出てきてくれない。

 撫子は不安になって駆け出す。

 もっと小さな頃、夜闇の中、山を走った時のように。


「りんどう、りんどう」


 何処に居るの。ひとりは嫌。

 そう思ったところで応答があった。


「撫子、こっちです」


 彼の声だ。


「こちらです。すみません、貴女にこれをあげたくて」


 声をする方に顔を向けると、何のことはない。すぐ近くに居た。

 今日の竜胆はどこか物憂げな顔をしている。

 彼はイチョウのブーケを手に持っていた。

 出会ってから、毎年彼が作ってくれるものだ。

 イチョウを幾重にも重ねると、まるで花束のようになる。

 それを王子様から貰うのが、撫子にとっては季節顕現のご褒美だった。

 世界を秋にしたら、この素敵な贈り物を受け取れることが出来る。

 撫子の手に、竜胆は手作りの花束を握らせる。


「イチョウのぶーけ……」

「ええ、貴方がいつも喜んでくれた。もう嬉しくないですか? いまは何時なんでしょう。貴女は俺が思うより歳が上の可能性もあるから」

「わたくし、八歳よ」


 言ってから、撫子は自分の姿を確認する。今日は大人ではなかった。


「ああ、では黎明二十一年ですか」

「うん。りんどう、いつもそれを聞くのね」

「カレンダーを覚えるのが苦手なんです。夢の中の俺はね」

「現実のりんどうはなんでもできるのに」

「買いかぶりですよ。あいつはただのガキです」


 自分のことを『ガキ』と言うなんて。


――なんだか変だわ。


 そう思いつつも、撫子は夢でも竜胆に会えた喜びのほうが勝る。


「きょうはね、橋国から大和にかえってきたのよ」

「……大変でしたね」

「うん。すごくたいへんだった……。でもりんどうが助けにきてくれたから……。あのね、がれきの中でわたくしを見つけてくれたんですって」

「でも貴女を助けられなかった」

「でも見つけてくれた。ちゃんと探しにきてくれたの」

「……大して役に立たない護衛官が好きですか?」


 撫子は目をパチクリと瞬く。


「なんだかきょうの夢のりんどうは、りんどうにいじわるだわ」


 眼の前の竜胆を責めたくはないのだが、ついそう言ってしまう。


「意地悪したくなる時もあるんです。貴女にはしません……」

「りんどうにいじわるしないで。それはわたくしが悲しむことよ……おねがい」

「その【りんどう】を好きになるほうが貴女が悲しむことに繋がるとは思わないんですか?」


 撫子は頷いた。ちっとも思わないからだ。


「思わないわ。りんどうが好きよ。それが幸せなの」

「……」

「大好きよ」

「……撫子、いつまで?」

「いつまでも、いつまでも大好き……」


 そこまで言いかけて、撫子の言葉は止まった。

 竜胆が撫子を強く抱擁したからだ。

 声が出なくなった。


「……りんどう」


 やっとのことで出した言葉は、宙に浮かんでどこにも届かない。

 竜胆は撫子を抱きしめたまま黙り込む。


――何か悲しいことがあったのかしら。


 そんな雰囲気を感じて、撫子は竜胆の頭を撫でる。精一杯、背伸びして。


「りんどう、大丈夫よ」

「……」

「何かつらいの? わたくしができることがある?」

「…………」

「夢のなかのりんどうも大好き。りんどう、大丈夫よ」

「……何が大丈夫なんです」

「りんどうのぜんぶが大丈夫よ」

「………………」

「わたくしがぜんぶぜんぶ、大丈夫にする……大丈夫よ、りんどう……」


 しばらくそうしていると、竜胆がくぐもった声音で言った。


「撫子」


 一呼吸置いてから彼は苦しげに語りかける。



「俺がどんなに馬鹿をしでかしても、俺を好きでいてくれますか」



 それは、お願いというよりかは、神に乞い願う祈りに近かった。


「もちろん」


 撫子はすぐに頷いた。


「本当に変わらずいてくださいますか」

「変わらないわ。しんじて」

「ずっとですよ。もっともっと、未来でも?」

「大丈夫。わたくし、未来でもぜったいにりんどうが好き」


 撫子も祈るように返事をした。


「……りんどうもわたくしを好きでいてね」


 すると、竜胆は彼女から身体を離し、くしゃくしゃの笑顔を見せた。




「ええ、もちろんです。俺の秋よ」




 それきり、夢はパチリと幕を下ろすように終わった。


 目を開いた時には帰路に就いた日の翌日で、撫子はたくさん寝たことを真葛に褒められた。

 幼子の記憶からこの日の夢はぼんやりと消えていくが、言われたほうはいつまでも忘れないだろう。




 それがどれくらい先の阿左美竜胆だったかは、まだわからない。

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春夏秋冬代行者 暁 佳奈/電撃文庫・電撃の新文芸 @dengekibunko

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