第一章 春の代行者 花葉雛菊 ⑤

 行く手には竜宮神社へ続く登山道と、もう一本別の道があった。



 本来なら雛菊達は登山道へ行く。だが薺がもう一本の方の道を選択したので、そのまま従った。朽ちた木々が折り重なるように倒れ、その上に粉雪がまぶされた少し不気味な林道だ。

冬の間は来訪者が少ないのだろう。看板も埋もれてしまった駐車場と、周辺のおおまかな道だけは除雪がされて歩けるようになっている。


「なず、な、ちゃん、も、少し、かな?」


 雛菊の問いに薺は嬉しそうに頷いてみせる。


「も、ちょっと」


しかし次の瞬間には目をぎゅっと瞑って苦しげな顔をした。山の中を遊ぶように駆け抜けていく寒風が吹き付けてきたのだ。薺の被っていたニット帽が頭から浮いて飛ばされかける。


「あぶないぞ、そら」


さくらは反射的に手が動いて、帽子ごと薺の頭を押さえた。

薺は目を瞬いて、それから驚いたように礼を言う。


「……おばさん、ありがとう」


 さくらが自分を守るようなことをするとは思わなかったのだろう。


「……おばさんは本当にやめろ。姫鷹さくらだと言っているだろうが」

「じゃあ……さくら、ありがとう」


 初めて薺がさくらにはみかんだ笑みを見せた。少しだけ打ち解けた空気が流れる。


「なずなちゃん、の、その、お帽子、かわいい、ね」

「……本当? これね、お母さん選んでくれたんだよ」


薺の機嫌は更に良くなった。


「なずなもこれお気に入りーっ」


ちょこまかと雛菊とさくらの前を歩いていくが、度々後ろを振り向いて褒められた帽子を触れては笑顔になる。雛菊はそれを見てふふと微笑った。


「小さい子、かわいい、ね。ね、さくら」

「……そうですか? 御身のほうが可愛らしい……それより雛菊様、寒くありませんか?」

「ん、大丈夫」

「山はやはり寒いです。お風邪を召されないか心配です……」

「雛菊、ぽかぽか。さくら、たくさん、着せるん、だもの……さくら、のほうが、薄着……」

「自分は何かあった時に抜刀して動けないといけませんから……」


 二人が話していると、会話に入りたくなったのか薺は速度を緩めて並んできた。


「ねえ、ひなぎくはさあ!」

「おい、聞き捨てならないな。様をつけろ様を」


 せっかく良い雰囲気だったのだが、雛菊至上主義のさくらの一言によりそれは瓦解した。


「もう、さくら……ど、して、そんなこと、いうの?」

「しかしですね……御身はこの国でも最高位の……」

「そんなの、関係、ない。なずなちゃん、に、もっと、やさしく、してっ……めっだよ!」


 雛菊が人差し指を立てて、『怒ったぞ』という顔をして言う。


「めっですか……」


 まったく怖くはない。


「うん。さくら、めっ、です」


 主の愛らしさにあてられてさくらは腑抜けた笑顔になった。


「雛菊様……そんな……もっと言ってください……」


頬を薔薇色に染めて、恥じらいつつも喜んでいる。


「反省、して、ない、でしょ。さくら」

「してますしてます。だからもっと言ってください。小首もかしげてもらえると……」


雛菊は反省の様子がないさくらに『もう』とむくれた。


「なずな、ちゃん、さくら、気にしなくて、いい、から、ね。雛菊、が、なあに?」


薺もぷうと頬を膨らませてむくれていたが、雛菊が聞いてくれたので再度口を開いた。



「あのね、ひなぎくさまは、どうして十年もかくれんぼしてたの?」



 それはなごやかな雰囲気に突然寒風と槍の雨を降らせるような言葉だった。


「……えっ」


 この『ちょっとへんてこな二人』がどうして此処に現れたのか?


 どうして春を知らない子どもがこの国に居るのか。

その失われた十年、雛菊はどう生きていたのか。

そういう暗闇を孕んだ事情を、無遠慮に問い詰めるものだった。


「教科書にはのってないけどみんな言ってるよ。『神様のかくれんぼ』、『神隠し』って。神様なのに『神隠し』されちゃったの何で?」


無邪気な問いかけに、雛菊は優しい顔つきのまま困り顔を見せる。主に語らせることなく代わりにさくらが答えた。


「……雛菊様とてされたくてそうなったわけではない。不幸な事故だ」

「事故……? じゃあ、事故でお怪我して、それから十年病院にいたってこと?」

「詳細は言わない。お前に語るべきことではない。関係者でもないのに話すわけないだろう」

「……か、かんけいあるもん」

「子どもがなにを言っているんだか……」


 呆れたように言われて薺はまたむくれた顔を見せる。


「あるよ! うちのお父さん、観光のおしごとだもん。竜宮は南国の島なのに冬が長くて雪も降るようになったから、困ってるんだって! うち、お金あんまりないのそのせいだもん! 春ないの、なずなにだってかんけいあるよ! 好きなものだって買ってもらえないもんっ」


 その言葉に雛菊はひどく悲しそうな表情を見せた。


「それは……ごめ、ん、なさい……」


 目の前に自分が犯した罪や、傷つけた人達を突き出されてまざまざと見せられたような、そんな罪悪感でいっぱいの顔をする。


「……お前な、人を責めて楽しいか?」


さくらすら辛そうに眉を下げたので薺は少し慌てた。


「なっ……なずな、いじわるで言ったんじゃないよ……」

「……なずな、ちゃん。だいじょぶ、だよ。いじわる、じゃない。わかって、る、よ」

「……いじわるじゃ……いじわるじゃ、ないんだよ」

「……なずな、ちゃん」


 雛菊は更に悲しげな顔をしたが、雑念を追い払うように首を振ると、次の瞬間には穏やかな笑顔に戻っていた。落ち込んだ薺を励ますように明るく言う。


「……なずな、ちゃん、あのね、ないしょ、だけど、教え、ます」

「うん?」

「雛菊、十年、言いつけ、を、守って、たの」

「……いいつけ?」

「雛菊ね、……『耐え忍び、戦機を待つ』を、してた、の。それが、やってた、こと、だよ」

「……たえしのび……? せんき……?」

 薺が首をかしげる。意味が理解出来ていなのだろう。そんな薺に雛菊は柔らかく微笑えんだ。

「うん、これはね……雛菊……の、し、しりあい、の、お母様、に、言われた、こと、で……」


 笑顔の雛菊を、さくらは見つめた。


「……今は、まけていても、たちあがれる、戦うこと、できる、日を待つ、こと」


世にも珍しい黄水晶の瞳の持ち主。春の化身。そんな彼女は当たり前のようにそこに居る。生きている。だからさくらは雛菊の一挙手一投足を見つめる。

 見つめられない期間があったから、喪失を埋めるように傍に居て見る。


「ゲームとか、スポーツの勝負のおはなし?」

「ええと……違くて……もし、いまは、戦えない、困難……が、おきても、ふゆの、間に、冬眠する、どうぶつたち、みたく……その時期を、たえて、たえて、たえるの……」


視線の先の春の少女神は誰にでも優しい。


「……あきらめて、は、だめ」


しかしその優しさは、困難から培われたものだとさくらは知っていた。


「生きていれば……かならず……いつかは、雪が、解けるみたい、に、春が、くるから……」


 傷ついた分、優しくなった人だということを、さくらは知っていた。


――しなくていいのに。


 さくらは寛容ではないので、自分以外に注がれる優しさに嫉妬した。


「けして、投げ出さないで、生きるの。戦える日、は、困難に勝てる日は必ず、くる……」


――私だけでいいのに。 


浅ましくも、そう願った。実際は叶わない願いだ。


「その、お知り合い……のお母様、は、雛菊、にだけ、は、そうして、欲しい、と、言って、ました。それ、とても、難しい、こと……です。できない、人、も……いるの。でも、雛菊は……その、方、が、好き、だった、から、頑張って、守って、る、ん、だよ……」


 一連の雛菊の言葉の意味を、すべて理解出来る者はこの世でも数が限られていた。


「……それを十年してたの?」


 薺の問いに雛菊は苦笑いをした。


「うん、と、それだけ、じゃない、けど、雛菊なりに、戦って、いまし、て……」

「……よくわからないけど、ひなぎくさまも大変だったってことなんだね」

「うん、と……そう、なの、かな……でも、大和の、みんな、に、迷惑、かけた、ぶん、これから、すごく、頑張るから……雛菊、のこと……見てて、ね……」


 力無く微笑む雛菊に耐えられなくなったのか、さくらはこの話を終わらせるように言った。


「さあ……もういいだろ。深いご事情があったのだ」

「何でさくらが口を挟むの」


勝手に会話に入ってくるなと言わんばかりの薺に、さくらは売り言葉に買い言葉で言う。


「竜宮の観光問題はいずれ解消される。もういいだろ、雛菊様にそれ以上喋らせるなっ」

「怒鳴らないで!」

「……怒鳴ったつもりはないが」

「怒ってる声だもん。ちょっと声大きいもん。大人ってどうしてすぐ怒鳴るの……」


 薺は地団駄を踏む。小さな子どもについムキになって言っていることに、ようやくさくらも自覚して声を抑えた。己の振る舞いを恥じ、謝罪を口にする。


「悪かった……あと私は未成年だと言っているだろ。大人じゃない。大和ではな」

「なずな、本当に大人きらい……」

「だから、私は未成年だ。十九歳なんだぞ。おい、無視か」

「おうちのひともおかあさん以外きらい……さくらは大人だよ、いじわるだもん」


 さくらは言われてお手上げというように両手を上げた。子どもの機嫌をとるのは苦手だった。


「……大人、のひと……なずな、ちゃん、に、つらく、あたるの……?」


雛菊が気にするように聞くと、薺は何とも言えない顔をした。


「だって、なずなのこと、かまってくれないんだもん……」

「お忙しい、かた、なの? おとう、さま、おかあ、さま」

「うん……たぶん、そう……」


 薺の顔に少しの寂しさが過った。それを振り切るように、薺は小さい足を機敏に動かし二人より先に行ってしまう。さくらは雪の中をゆく子どもの背中を見て、思った。


――少し複雑な家庭なのだろうか。


 子どもが言っていることなので、全てが真実ではないだろうが、総合すると『無関心な父親』、『忙しい母親』、それにより孤独を強いられる娘、という図が出来上がる。

だから、一人で家を抜け出しても、誰にも気づかれずに歩いて来られたのか。


「……雛菊様」

「は、あ、い」

「別に私はあれがどうなろうが一向に構わないのですが……」

「……」

「……引き渡す時に、少し親に話してやる必要があると思いませんか。我々は迷惑をかけられた立場なのですから、言う権利はあるでしょう。あれが寂しがっている、と」

「……雛菊、さくらの、それ、知ってる、よ」

「え、何ですか」

「さくらの、そういう、の、つん……つんどらって、言うん、でしょ」


 雛菊は『物知りでしょう?』と言わんばかりの顔をする。


「……いやそれ、多分、絶対、違うと思いますよ、雛菊様」


 さくらは冷静につっこんだ。頭の中では樹木も育たぬ凍土の絵が浮かんでいた。


「さくらは、冷たい、ふり、するけど、本当は、すごくすごく、優しい女の子、だもの」

「ち、違いますっ」

「そうです。ちがい、ません。優しい、さくら、が、言うこと、雛菊、さんせい、です」


 さくらは顔を赤くしながら『違うのに……』とつぶやく。


「私が優しくするのは雛菊様だけですよ。……なにはともあれ……雛菊様もその時は加勢してくださいね。自分は、人当たりがあまり良い方ではないので……」

「ん……。それ、に、しても、なずな、ちゃん、は、なにが、目的、なのかな?」

「雪かきと言っていましたね」

「で、も、誰にも、ないしょ、で、すること、じゃ、ないよね……」


 先を行く薺の後ろでさくらと雛菊はこそこそと話し合った。

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