交通事故【KAC2021】

えねるど

交通事故

「お客さん、どちらまで?」

「どこでもいい。ここではないどこか遠くへ」


 どうしても今はまともな思考ができない。

 少しでも考え出すと、アイツの顔が浮かぶ。


 私が大好きだったアイツ。


「どちらの方面がよろしいでしょう?」

「どっちでもいいわ」

「そう言われましてもね、一応そういう商売なもので」


 小うるさいタクシー運転手。

 どこでもいい、ただ遠くに離れたいだけなのに。


「じゃ、北で」

「かしこまりました。シートベルトだけお願いしますね」


 ここにいたら私はきっと――。

 顔を見てしまったらきっと――。


 迷惑を掛けたいわけじゃない。

 でも今の私ならもしかしたら。




「お客さん、何かあったでしょ」

「……」


 探りを入れてくるようなタイプの人種は好きじゃない。

 誰かに話す、そんな気分でもない。


「もし、私で良ければ聞きますよ?」

「……」

「まあ、話したくなったらいつでも言ってください。長い運転になりそうですからね」


 バックミラー越しに見える運転手は、髪が薄い割に髭の濃い、いかにもなおじさんだった。

 調子のいい声音こわねの割には真面目そうな表情で、安定した運転捌きを見せている。


 目を反らし、少し考えようとしただけでアイツの顔が浮かんだ。

 同時に、どうしても溢れて止まらない憎悪。


 ――俺達、今は別れよう。


 そう言って私を振ったアイツの秘密を私は知っている。

 アイツが知らない女の家に出入りしていたこと。


「お客さん、どこかで休憩しますか?」


 いつの間にか息が荒く苦しい顔をしてしまっていた私を、ミラー越しにみてくる運転手が心配そうに声を掛けてきた。


「大丈夫です。だからどこか遠くにお願いします」

「……」


 赤信号で停車中、運転手は今度は直接私を見てきた。

 眼だけはキリっとしていて若さを感じさせるおじさんだった。


「うん、そうだ、それがいいですね」

「……なんですか」

「直観ってやつですかね。行き先を私が決めてもいいですか?」

「……はあ、どうぞ」


 よくわからない事を言う運転手はニカリと笑い、ギアを動かし車を発進させた。

 まあ、この際どこでもいいの。あの人から遠ざかれば。


「こうね、長年こういう仕事やっているとね。いろんなお客さんがいるもんでしてね」


 唐突に運転手は正面を向いたまま話し始めた。


「まず、人間ってのは後悔を残すのが一番よくないと思うのですわ。私もそろそろいい年齢ですが、お客さんはまだ若いのに」


 おじさん特有の説教ってやつか。

 嫌悪感が湧いてくるが、この際どこかに行ければどうでもいい。


「一番よくないのが、知らないままってことですかね。様々なことを知っておくことで、後悔しないで済んだり、新たな事実で人生が変わったりするもんでしてね」


 何を偉そうに。

 私は、知りたくもない事実を知ってしまったことで、大きく後悔をしてここまで苦しい思いをしているというのに。

 それこそ、相手を呪ってしまいそうなほど。


「だから、お客さんみたいな人には、どうしても見て欲しいものがありましてね」


 運転手は安定した運転のまま淡々と言う。


「どこに行くんですか」

「まあ、それは着いてのお楽しみってことで。強いて言うなら人生の先輩のおせっかいってやつですかね。へへへ」


 小気味悪く笑う運転手。

 流れる景色を見ていて気付いたが、どんどんと来た道を戻っている気がする。


 十分もしないうちに、元の私が住んでいた街に戻ってきてしまった。

 やめて、私はここから離れたいのに。

 アイツには会いたくない。


「そろそろです、お客さん」


 運転手は徐々にスピードを緩め、住宅街のある場所で停まった。

 その場所に、私は動悸が激しくなった。


「いいですか? 絶対にタクシーから降りないでくださいね。そして目を逸らさないで全てを見て、聞いて、知ってください。後悔の無いように、ね」


 着いたのは、アイツが私と恋人関係だったころによく出入りしていた女の家だった。

 濁りきった憎悪が沸々とこみあげてくる。

 どうしてこの運転手はピンポイントにこの場所を知っているのだ。


 まもなくして家から女が飛び出してきた。

 あの女だ。あの女が、アイツを!

 誑かしたのか? それともアイツに唆されたのか?


 女はきょろきょろと辺りを見回し、私が乗るタクシーとは逆の方向に何かを見つけたようだ。

 視線の先には――


「あ……アアア……」


 アイツがいた。

 全身黒い服のアイツが、あの女のもとに向かって歩いている。

 私を振って、気兼ねなくあっているというコトカ……。


「お客さん、落ち着いて、ちゃんと知るんですよ」


 運転手が何か言っているが、イマの私は憎悪と恨みの感情が支配シテいる。

 どうしてワタしを振った、許せナい。


 とぼとぼと歩くアイツが、あの女に気づき、顔を上げルノが見えタ。

 どういうわけか、アイツは見たことのない泣きソウな顔をしテイた。


「おかえり」


 あの女が、アイツに声を掛けた。

 おかえり? フザケルナ! モウお前たチハソコマデノ関係ナノカ!!


「ああ、ただいま、姉ちゃん」


 エ……。


「お疲れさま。ほら、塩撒くから、後ろ向いて」

「ああ」


 お姉ちゃん……?


「残念だったね」

「ああ……本当に……うう……」

「ほら、いい歳した男が泣かないの!」

「だってさ……。俺、自分の小さな意地で別れを告げちゃったからさ。すごい悲しませたまま行っちゃったって考えたら……」


 小さな意地って何? どういうことなの?


「そりゃ姉ちゃんだって、いつまでも恋人がフリーターやってたら嫌よ。その点、ちゃんとした職に就くまでよそ見をしないってケジメをつけたあんたは立派だとは思うわ。その、あの子にとっては辛かっただろうけど」

「せめて、ちゃんと理由を言ってから別れるべきだったよな……」

「それは、そうね……でも、きっと、どこかで聞いてくれているはずよ」


 フリーター? ちゃんとした職?

 そんなの私はどうでもよかったよ。あなたさえ一緒にいてくれるなら……。


「こんなことになるなんて、本当に、ごめんよ、春香……うう……」

「こら、道路で大の男が泣かないの! そんなにめそめそしていたら、春香ちゃんも安心していけないでしょ」

「……そう、だよな」


 そう、そういうことだったの……。



「お客さん、どうですか? 真実を知ることが出来ましたか」

「ええ」

「途中、少し危ないところでしたね。でも、我々にできるのは、残してきてしまった人たちの、幸せを願うことです。決して呪ったり恨んだりしてはいけない。その大半は、知ることで解決できるんです。人生の先輩のおせっかいも、たまには役に立つでしょう?」

「運転手さん、人生ってのはもう違うでしょ」

「へへ、こりゃやられましたな。それに直観ってのも嘘でした」


 私と運転手は笑った。

 ――さて。


「はい、それじゃ、お客さん。いえ、春香さん。そろそろ目的地に行きますよ。どの方向で?」

「ふふふ、それじゃ、上で」


 アイツに、これからたくさんの幸せがあらんことを。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

交通事故【KAC2021】 えねるど @eneld_4ca

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説