第49話 『恋は焦らず』と誰かが言った

 夜になると更に寒さは増していた。

 当然砂浜を歩いているのは俺たちの他に誰もいない。


「わ、なんか海の遠くの方が光ってるよ」

「イカ釣り漁の船だな。漁り火という強い光を当ててイカを集めているんだ」

「へぇ。すごい光の量だね」


 浴衣だけでは寒いのでコートを羽織っている。

 それでも肌寒く、玲愛は少し震えていた。


「さ、寒いよな。そろそろ帰ろうか」


 そう言いながら玲愛の手を握った。さりげないつもりだったけど、ちょっとわざとらしかったかもしれない。


「へ!? あ、う、うん……そうだね」


 玲愛はその手を握り返してくれた。


「でももうちょっとだけ歩きたい」

「風邪引くぞ?」

「引かないし」


 ひと言喋るごとに手を握る強さが強くなっていく。

 身体は冷えているのに、繋いだそこだけはやけに温かかった。


 旅館に戻るとそのまま温泉へと向かった。


「じゃあ二十分後にここで待ち合わせね」

「二十分? もっとゆっくりじゃなくていいのか?」

「うん。温まるだけだし」


 寒い外から温かな旅館内に入ったからにしても、玲愛の顔は赤すぎる気がした。


 温泉に浸かりながら玲愛のことを考えていた。


『急がなければ手遅れになることもある』


 兄貴の言葉を気にしていないといえば嘘になる。

 玲愛はまだ高校生だが、四月からは社会人だ。

 そうなれば俺たちの間に障害はなにもない。


 しかしもしかすると社会人になり、あの家を出ていくという可能性もある。

 そもそも働き出したら一人暮らしをしろと言ったのは俺だ。

 あの頃はまだ知り合って日も浅かったし、それが当然だと思っていた。

 意外と人に気を遣う玲愛はあの言葉を今でも覚えていて、本当に出ていってしまうかもしれない。


 それは嫌だ。

 帰っても玲愛がいない生活は寂しい。


 今の生活を続けたいなら、素直に気持ちを打ち明けなくちゃいけない時期なのかもしれない。



「あー、気持ちよかった!」


 風呂から出てきた玲愛はツヤツヤの肌でにんまりと笑っていた。

 決意を胸に秘めているとなんだかやけにドキドキしてしまう。


 部屋に戻ると布団が二式敷かれていた。

 くっついてはいないが、かなり狭い感覚で並べられている。


「並んで敷かれたお布団って、なんかちょっとエッチいよね」

「クリスマスのときは自分でくっつけてたくせに」

「あれは自分でしたから。人に敷いてもらったのが並んでるって、なんかちょっとハズくない? 近い方が都合がいいでしょ? って言われてるみたいでさ」


 玲愛は妙にもじもじして部屋の隅で立っていた。

 相変わらずグイグイ来るときと照れるときの差が激しい奴だ。


 でもここで俺まで照れていたら、いつまで経っても俺たちの距離は縮まらない。


「人に近づけられるのが恥ずかしいなら」


 そう言って俺は布団を引っ張って二つの布団をピタッとくっつけた。


「こ、こうして自分でくっつけたらいいんじゃない?」


 思い切って布団をくっつけたが、玲愛は笑いもしなければ驚きもしなかった。

 ただジーッと俺の顔を見詰めていた。


「どうしたの、茅野さん。なんか変だよ」

「じょ、冗談だよ。玲愛もよくするだろ?」

「お布団のことだけじゃない。今日、なんか変だよ」


 玲愛は疑る目付きで俺の顔を覗き込む。


「車の中でも、仲居さんに彼女様って言われたときも、彼氏っていうのを否定してこなかったし。さっきはいきなり手を繋いできたし……なんかいつもと違う」

「い、嫌だった?」

「ううん」


 否定する割に玲愛は不服そうに首を振る。


「嬉しいよ。でもなんかいつもと違うのが気になっちゃうの」

「そっか。焦ってるのがバレちゃってたか」

「焦るってなにを?」

「四月から玲愛も社会人だろ? そしたらあの家を出ていっちゃうのかなって、不安になって」

「は? 待って待って! なんであたしが出ていくの?」


 玲愛は眉を歪め、驚いたように聞き返してくる。


「俺の態度がなんか煮えきらないというか、どっちつかずだろ? 彼女なのか、同居人なのか、あやふやにしてるし」

「あやふやなんかじゃないよ。きっぱりと彼女じゃないって否定してるし!」

「それなら余計ダメだろ。俺は玲愛に出ていって欲しくない。ずっとあの家にいて欲しい。だけどいまの玲愛は恋人でもないし、もちろん家族でもない」

「あたしにずっといて欲しくて急に焦り出したの? なにそれ。そんなことしなくてもどこにもいかないし!」


 玲愛はちょっと怒っているようだ。


「も、もちろん、その好きだから……そばにいて欲しいっていうのが一番の理由だからな」


 勢いそのままに思いを伝えると玲愛はボッと顔を一気に真っ赤にさせた。


「そ、そんなの知ってるし!」

「知ってたのか?」

「好きじゃない女の子と暮らすほどてきとーな人じゃないでしょ! それくらい分かるっつーの!」


 思っていたのと全然違うけど好きだという気持ちは伝えられたし、ちゃんと伝わったようだ。


「別にあたしはどこにも行かないし。そんな焦った勢いで迫ってこなくてもいいから。もっとちゃんと茅野さんのペースで愛してくれたらいいから」

「ごめん」

「離婚してから恋愛にちゃんと向き合えないんでしょ? 伝わってくるから分かるよ」


 そんな空気も出ちゃっていたのか。

 十歳も年下の玲愛にそこまで見抜かれていて少し情けなくなる。


「でも好きだって言ってもらえて嬉しかったよ。ありがとー」

「なんか、変な勢いで言ってごめん」

「ううん。あたしもぶっちゃけ恋愛とかよく分かんないし、ゆっくり楽しんでいこうよ」

「そうだな。ありがとう、玲愛」


 取り敢えず無理やり密着させた布団を離す。


「あっ! それはそのままでいいの!」

「なんでだよ!? 焦らずのんびり距離を縮めるんだろ?」

「いいの。ほら、もう寝よう!」


 動かされないように、玲愛はさっと布団に潜り込んでしまう。


「どっちなんだよ、もう」


 仕方なく電気を消して俺も布団に入る。

 それを待ち構えていたように玲愛の手が伸びてきて、俺の手を掴む。


「ねーねー。あたしのこと、好きなんだ?」

「さっき答えただろ」

「もう一回聞きたいの!」


 薄明かりの中、玲愛はジィーッと見詰めて来る。

 からかうようで真剣なその表情も愛しい。


「ああ、好きだよ」

「えへへ。あたしも」


 玲愛は繋いだ手をぎゅっと握ってくる。


「今日は手だけ繋ごう。もっとあたしのこと好きになってくれたら、別の場所同士も繋いでいいよ」

「処女のくせにビッチめいた発言するな」

「いーでしょ、別に!」


 玲愛はモソモソと俺の布団に入ってくる。


「ちょ、玲愛。さっきの話はどうなったんだよ」

「静かに」


 玲愛は俺のおでこに自分のおでこをピタッとくっつける。

 オレンジ色の常夜灯の下でも玲愛の顔がくっきり見える。


「あー、またオレンジの光つけてる。見えるから恥ずかしいじゃん」

「恥ずかしいなら離れろって」

「あたしのこと、好きなくせに」

「調子に乗るな」


 玲愛は目を閉じてゆっくりと顔を近づけてくる。

 俺は迎えにいくように唇を重ねた。


 ぷにゅっ……


 わずかに唇が触れるだけのキス。

 玲愛と三回目のキスだが、俺からしたのは始めてだった。


 次の瞬間、玲愛は海老のような速度で自らの布団に帰っていった。


「お、おやすみぃ……」

「おやすみ、玲愛」


 ゆっくりでいい。

 俺たちの速度で気持ちを深めあっていこう。


 俺に背を向けて丸まる玲愛を見ながらそんなことを思っていた。




 追伸


 このあと歯を磨いていないのに気付いた。

 先程のキスの気まずさがハンパなく、俺たちはほとんど目も合わせずに無言で歯を磨いた。





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 気持ちに素直になり、心が結ばれた夜のお話でした!

 身体が結ばれるのはまだ当分先でしょうか?


 クライマックスに向け、物語はまだまだ加速します!

 今後ともよろしくお願いいたします!

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