第19話 キス

 玲愛と共同生活をはじめて1ヶ月半。

 慣れというのは恐ろしいもので、最近では玲愛がいる生活に違和感を感じなくなってきていた。

 いや、正直に言おう。

 玲愛がいる生活が心地いいとさえ感じている。


 もし玲愛がいなくなることがあれば、きっと俺の心には大きく穴が空いてしまうだろう。

 それはもちろん恋愛感情が生まれたという意味ではない。

 共に暮らしていて楽しいという気持ちだ。


 食事が終わり、俺たちがいつものように二人でゲームをしているときだった。


 ピンポーン


 インターフォンが鳴る。

 時刻は夜九時過ぎだ。


「こんな時間に誰だろう?」


 インターフォンのモニターを見ると、なんとそこには別れた元嫁、舞衣の姿があった。

 不快な気持ちが込み上げ、それがそのまま声に出た。


「……なんの用だ?」

「ちょっと話があって」

「二度と俺の前に姿を見せるなって言ったよな?」


 インターフォン越しに話すのも不快感を覚えるレベルだ。

 俺の隣で玲愛が不安そうな顔をしていた。

 心配ないという意味で玲愛の頭をポンっと撫でる。


「……ごめん。色々謝りたくて」

「謝ってもらわなくて結構。今すぐ立ち去れ。そして二度と来るな」

「玄関から出てきてくれるまでここで待ってる」


 別れてまで迷惑な奴だ。

 そんなところに立たれていたらご近所さんにも不審がられる。


「はぁ……」


 モニターを切り、玲愛を見る。


「ちょっと行ってくる」

「…………うん」

「そんな顔するな。追い返してくるだけだよ」

「分かった」


 もう一度玲愛の頭をポンポンっと撫でて、玄関を出た。


「なんの用だ?」

「元気そうだね」

「なんの用か訊いたんだ。関係のないことは喋るな」

「そうだね。ごめん。私、陸に迷惑かけてばっかりだよね」

「現在進行中でな」


 舞衣の機嫌を伺うような卑屈な笑みに冷たい視線を向ける。


「実はあの男のところから逃げてきたの。毎日暴力振るって来て、口が開けばお金をくればかりで」


 横を向いて殴られた頬のアザを俺にさりげなくアピールしてくる。

 そういうところも不快だった。


「あんたの近況なんか興味ない。そもそもそんな男だって分かってたろ? その上であの男と浮気してあんたは出ていったんだ」

「……そうだよね。ほんと、私ってバカだよね。離れてようやく陸の優しさ、素晴らしさに気付いたの」

「変わらないな。そういう独りよがりのドラマチック演出。人に不快感を与えるだけだから本当にやめた方がいいぞ? まあ離婚も成立して今は赤の他人だからどうでもいいけど」


 舞衣と対峙しているだけで吐き気を催すほど不快な気持ちになってくる。

 よくこんな女と一年半も夫婦生活を送ったものだ。

 過去の自分の精神力の強さに尊敬の念すら抱いてしまう。


「本当にごめんなさい。私が間違ってました。許してください。私ともう一度やり直してください」


 舞衣は地べたに土下座して懇願する。

 躊躇わずにしたところを見ると、はじめから土下座をしようと決めていたのだろう。

 そうすれば甘い性格の俺は許してくれるとでも思っているのだ。


 でも込み上げるのは同情ではなく、嫌悪感のみだ。


「あんた、自分でなに言ってるのか分かってるのか? 俺はあんたの顔を見るだけで吐き気がするんだ。いいか、もう一度言うぞ? 二度と俺の前に姿を現すな」


 言うことはそれだけだ。

 踵を返して玄関へ向かう。


「じゃあせめてお金を貸して! お願いします! 必ず返すから! お財布も取らずに逃げ出してきたからお金がないの!」

「これ以上居座るなら警察呼ぶぞ? さっさと失せろ」


 ギロッと睨むと舞衣はよろよろと立ち上がって去っていった。

 プライドの高い舞衣が土下座をするなんて、よほどあの男にひどい目に遭わされたんだろう。

 まあ俺には関係のない話だ。

 どうだっていい。


 玄関を開けて家に入ると玲愛が走ってきて、俺に抱きついた。


「玲愛?」

「ダメ。なんも言わないで」

「どうしたんだよ?」

「いま絶対ムカついたり、イラついたりしてるでしょ? あんな人のせいでそんな負の感情にならないで」


 玲愛は力一杯ぎゅーっと抱きついてくる。


「嫌なことを思い出したり、口に出してもなんにもいいことないよ? 楽しいこと考えよう。今年のクリスマスどうしようかとか、年末に旅行でも行こうかとか」


 俺の心の中の毒を吸い出すかのように、玲愛は強く俺を抱き締めていた。


「玲愛……」


 大人ならもっと遠回しに、気を遣って慰めてくるのだろう。

 だがそのあまりに直接的で不器用な玲愛の優しさが心に響いた。

 彼女の体温を感じ、俺の中の鬱屈とした気分が和らいでいく。


「私は優しくて明るい茅野さんが好き」

「ありがとうな、玲愛」


 少し躊躇ったが、俺も玲愛を抱き締め返した。

 恋愛感情ではなく、感謝の気持ちで。

 でも胸の中の温かさが本当に感謝なのか、恋の初期衝動なのか、俺にはよく分からなかった。


「もっとギュってして」

「骨折れそうで怖いな」

「折れてもいいよ」

「いや、よくないだろ」

「いいの。あ、でも出来れば折らない方向で」


 俺の胸に顔を埋めながら玲愛は笑っていた。

 まったく。玲愛とは二分と真面目な話が出来ない。

 でもそれが嬉しかった。


「こうか?」

「ちょ!? ギブ! ギブ!それ、折りにきてるでしょ?」


 玲愛は俺の背中をポンポン叩く。

 腕の力を抜くと、玲愛はするりと俺から逃れる。


 そして軽く背伸びして──


「ッッ!?」


 いきなり俺にキスをしてきた。


 ちょんっと触れただけなのに身体中に痺れを感じるほど衝撃が走った。


「ちょ、玲愛!?」

「じゃあね、お休みなさい!」


 玲愛は顔を真っ赤にして階段を駆け上がっていく。


「バ、バカなのか、あいつ……」


 心臓がバクバクとうるさい。

 小娘ギャルの気まぐれなキスごときでこんなに動揺するとは、俺もまだまだ人生修行が足りないな。


 拭えない唇には、まだ玲愛の唇の柔らかさが残っていた。




 ────────────────────


 遂にキスをしてしまう二人!

 自分の胸の高鳴りがなんなのかも分からなくなる茅野さん。

 果たしてどうなってしまうのか!?


 ここで描かれなかった玲愛メモ

 玲愛ちゃんはインターフォンのモニターをオンにして二人の会話を聞いてました。



 どうでもいい話ですけど、夜中に誰もいないと分かってるのにインターフォンのモニターをオンにするとなんだかホラー映画っぽい映像に見えて怖いですよね!

 本当にどうでもいい話ですけど。



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