第24話 ガトーショコラ(SIDE耕平)

 昼前に帰宅した千波の様子がおかしい。

 何かあったのかと聞いてみても、久しぶりに新しい人たちと交流して疲れただけとしか答えない。

 それなら共にいたはずの智之に聞いてみるかと、スマートフォンを取りに書斎へ向かおうとした耕平を、千波が呼び止めた。


「過保護過ぎやしませんか?」


 ギクリと立ち止まる。


「私の様子がおかしいと思うなら、抱き締めて」

「やっぱり、何かあったんだろ」

「耕平くんにぎゅーっとされたら、たぶん全部が大丈夫」


 両手を広げ、千波が待っている。


「早く。ぎゅーって」


 愛しい婚約者の望みは、叶えるべきだろう。


 耕平は回れ右をして、台所へ向かう。

 すっぽり包み込むように抱き締めれば、千波の口から、ほぅっと安堵の息が漏れた。


「今度はキス」

「ん」


 チュッと触れるだけのキスを落としたが、千波の眉根が不満げに寄せられる。


「そういうのじゃなく」


 爪先立ちとなった千波に合わせて身を屈めれば、柔らかな唇が耕平のそれへと押し当てられた。

 愛らしい舌先が入口を探り、耕平が唇を緩めると、淫らなキスをせがむように絡めてくる。

 爪先立ちの足が震えだし、つらいだろうと身を離そうとしたが、千波は抗議の声を上げた。


「もっと。耕平くん、抱っこ」

「まだ昼間だって、いつもなら怒るだろ?」

「お腹空いた?」

「空いた」

「お昼食べたら……続きがしたいな。でも仕事、忙しい?」


 確実に、千波は何かをごまかそうとしている。


「千波」


 真剣な声と表情で呼び掛ければ、千波は拗ねた子どものように視線をそらした。


「…………自己嫌悪中なの」

「何に対して?」

「人間のクズが、頑張ってる子を傷つけたらダメだと思うの。もっと大人な対応ができなかったのかなぁって」

「詳細」

「……とりあえず、お昼にしよっか」

「パスタ?」

「うん。カルボナーラ」

「好きだ」

「だから作るんですよ」


 千波がまた背伸びをして、キスをねだる。

 今度は触れるだけのキスでも文句は言われなかった。

 幸せそうに笑った千波は、調理を再開する。


「私ってどうやら、自覚以上に嫉妬深い、面倒くさい女みたい」


 ダイニングテーブルで、完成したカルボナーラをフォークへ巻き付けながら、千波がこぼすように告げた。


「あのバカ男の浮気が発覚した時は、確かにショックだったけど、私の価値ってやっぱそんなもんだよねって納得したんだけどね」

「……話が見えない」


 千波の価値についての発言に物申したくはあるが、今追及すべきはそこではないのだろう。


「九年だよ。付き合って九年。なのに私は縋り付かなかった。泣いたのは、夜中にお酒飲みながら一人でだったな。淡々と、部屋に残ってた荷物を捨てて、写真も思い出も、全部捨てた」

「うん」

「でも、もしそれが耕平くんだったら……ダメだ。想像だけでつらい。泣く」

「俺はそんなことしない」

「うん。君は奇跡のように素敵な人」

「どうしてそんなことを考えたんだ?」

「……若くて、健康的で、真っ直ぐな子だったから」

「誰が?」

「福ちゃん」


 やはり何かはあったのだ。だがそれ以上千波は語りたくなさそうだったから、無理矢理聞き出すことはやめにした。


「千波の仕事、金土日で休みだろ? だからゆったりした日程の旅行がいいかなって、予定を組んでみた」

「流氷堪能ツアー?」

「そう。千波がそれでいいってなったら、宿を取る。流氷が近くに来るかは、賭けになるけど」

「紋別と、網走と、知床でしょう? 知床までは、車で七時間ぐらい?」

「途中で一泊しよう」

「ふむ。まずは総額いくら必要なのかから、聞きましょうか」

「そう言うと思って、プレゼン資料を作ってみた」

「何面白いことしてるの! 見る見る! すっごい見たい!」


 明るい表情になった千波と共に、旅行の相談をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る