第19話 新たな道へ向かう(SIDE耕平)
フェリーが苫小牧に着いたのは、次の日の昼前。
運転手と同乗者は別々の下船となるため、耕平が車を運転して、先に下船していた千波を同乗者乗り場まで迎えにいく。
助手席に乗り込んだ千波が発した一言は、「気持ち悪い」だった。
天候不良で、フェリーはかなり揺れたのだ。酔い止めの薬は飲んでいたが、千波は朝食も食べられないほどだった。
「どこかで休憩してから行くか?」
「胃の中空っぽだし、寝たら治る気がする」
「後ろで寝るか?」
「助手席のほうが酔いにくいから、ここで、このまま寝ててもいい?」
「何かあったら、すぐに言えよ」
「うん。ごめん……」
すっかり顔から血の気の失せてしまった千波を乗せ、有料道路を使って札幌市内へ入る。
耕平の実家の駐車場で車が止まると、助手席から降りた千波が、冷たい空気の中でしゃがみ込んだ。
「吐くか?」
「文子さん、お家にいるんだっけ?」
「今日はいる」
「ダメな嫁だって、呆れられるよね」
「んなことねぇよ」
東京へ向かう道、函館から大間までの九十分の船旅では、千波はじっと船室で横になっていた。
乗り物酔いとは無縁の耕平は、休息を取っているのだろうとしか考えなかったのだが、あれはもしかしたら船酔い対策だったのかもしれないと、今更ながらに気付く。
蹲る千波を抱き上げ玄関へ向かうと、母の文子が、ちょうど顔を出したところだった。
「あら、あらまあ! 千波ちゃんなーしたの?」
「船と、多分、車にも酔ったみたいだ」
「布団敷くから、服緩めて横にならせてあげれ」
「文子さん、こんな状態ですみません……」
「なんもよ。きっと体に疲れがたまってたせいもあるんでないかい? だからここに車置いて、飛行機にすれと言ったでしょや」
「体力的に楽になるかもと思って、仙台からフェリーにしたんだけど、失敗だったな。ごめんな、千波」
「いや。案外船いけるじゃんって、過信した」
吐きそうなのだろう。言葉少なに返答した千波はそのまま、気絶するように眠ってしまった。
千波を客間の布団へ寝かせてから車に荷物を取りに行き、耕平は居間で、母が淹れてくれた緑茶をすすって一息つく。
「母ちゃん。これ東京土産。千波オススメのなまらうまいらしいチョコと、東京駅でいろいろ買ってみたさ」
「あら! このチョコレート高いのよー。何とかさんっていうショコラティエよね?」
「何とかさんって。千波に名前聞いたけど、忘れた。箱になんか書いてない?」
「耕平とじゃつまらないから、千波ちゃんが元気になったら一緒に食べようかね」
土産の包装紙を破って中身を確認し、いくつか取り出した物は、今食べるようだ。
母と共に耕平も、東京で買ってきた土産の菓子を食べる。
「千波ちゃんのご実家は、どうだったの?」
行きがけに札幌に寄って耕平の実家に一泊したため、千波と耕平の母は、初対面ではない。
「結婚に反対はされなかった。むしろ大歓迎って感じ。両家の顔合わせについて相談したいって仰ってた」
世間一般的な家庭という印象だったが気になったのは、家族と接する千波の様子だ。
兄の海晴相手ではそれほどでもなかったが、両親といる時の千波はどこか気を張っていて、まるで弱みを見せないようにしているかのようだった。
「男側の親がご挨拶に行くものよね? お母さん、あそこ行きたいわ。スカイツリー」
「千波のお兄さんの子どもが小学生だし、こっちから行くほうが身軽だよな」
「そう思うわよ。でも、あちらが北海道観光したいってこともあるかもね。その辺は聞いてみたの?」
「まだ。……顔合わせせずに籍を入れるのは、まずい?」
「良くはないんでない? 何よ、耕平ったら、そんなに早く千波ちゃんを自分のものにしたいのかい」
「そうだよ。行きに、札幌で注文した指輪も届くまで時間かかるし。結婚って簡単じゃないんだな」
「籍を入れるだけなら簡単さ。だけど後々のことを考えれば、ここでしっかり手順を踏むのが二人のためだと、母ちゃんは思うよ」
「結婚は二人だけの問題じゃないってやつ? したら、千波はいつ、森野千波になれるんだ?」
「今年中にはなれるしょや」
「今、まだ一月さ」
「けっぱれ、息子よ」
お昼ごはんまだでしょうと言いながら母は、台所へと向かう。
テレビを付けてぼんやり画面を眺める耕平に、母の声が告げた。
「結婚ってのはさ、他人との間に結ぶ縁だから。便利な世の中にはなったけど、どうやってもやっぱり、人間は一人じゃ生きられないしょ? だから、これから僕らは縁を結びますって挨拶することで、何かの時に助けてくれる味方を見つけるというか、お願いするというかさ。そういう意味合いがあるものだと、母ちゃんは思うよ。例えば万が一耕平に何かがあった時に、この北の大地で千波ちゃんが孤独にならないために必要なことだって、考えてみたらどう?」
「……うん。確かにそれは、必要なことだな」
千波の体調が良くなったら、母から聞いたこの言葉を伝えて、二人だけの問題じゃない結婚について話してみようと、耕平は思った。
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