第13話 電話(SIDE千波)

 耕平が出掛けて、すぐのことだった。


 仕事用に置いているという固定電話の子機が鳴った。

 耕平からは、もし電話が鳴ったら仕事かもしれないから出て、名前と用件を聞いて欲しいと言われている。もし無理なら、留守電になるから出なくても構わないとも言われたが、電話ぐらいなら千波にも出られる。


「はい。森野でございます」


 職場の電話に出る要領で応答すれば、電話の向こうの誰かが、息を呑む音がした。


「もしかして、千波ちゃんかしら?」


 年配の女性の声だが、千波には聞き覚えがない。村の誰かだろうかと思った。


「はい。耕平くん、今出掛けていて。お名前を教えていただけたら、掛け直すよう伝えますが」

「あの子の携帯に掛けたけど出ないのよ。どうもぉ、はじめまして。耕平の母の森野文子です」

「え? あ、は、はじめまして! 及川千波と申します! 息子さんには、それはもうお世話になっておりまして、あの」

「突然電話なんて、びっくりさせちゃったわよね。ごめんなさいね。古本さんの所のよっちゃんから、耕平が内地からお嫁さん連れてきたなんて聞いたもんだから、もうびっくりしちゃって。今日はちょっと出掛けていてね。さっきよ、ついさっき、よっちゃんから電話頂いたもんだから、慌てて耕平に電話したのに繋がらないし。こっちならどうかしら~ってね」

「耕平くん、ついさっき出掛けたので。今は運転してるんだと思います。伸行くんの所に行っていて」

「あぁ、伸行ね。みんな元気かい」

「はい。昨日、慎太郎くんや智之くんにも会いましたが、元気そうでした」

「千波ちゃん、お正月はどうなさるの?」

「えっと、こちらで、ご厄介になる予定です」

「耕平のことだから、きっと札幌にも旭川のほうにも顔を出さないつもりなんでしょう?」

「どうなんでしょう? 予定は、まだ聞いていなくて」

「私とお父さんは毎年、年末年始は旭川に行くのよ。ほら、あの子の祖父母や伯母さんもいるから。そのついでにね、ちょーっと足を伸ばして、会いに行ったらご迷惑かしら?」

「いえ! あの、全く! 本来ならこちらからご挨拶に伺うべきですのに、あの、私」

「なんもなんも。ちょっと顔が見たいだけだから。お土産のっこし買って行くわね。若い女の子なら、甘い物がいいかしら?」

「あの、どうぞお気遣いなく。甘い物は大好きですが」

「うふふ。お会いできるの、楽しみにしてるわね。行く日が決まったら、耕平に伝えるわ」

「はい。私も、楽しみにしてます」


 相手が受話器を置いた音を聞き、千波はずるずるとその場に座り込む。

 どうしよう、と思った。

 耕平からは、プロポーズはされている。今はまだ、返答を待ってもらっている段階で。千波の実家にも、現状の連絡は何も入れられていないというのに、恋人の親に会うなんて。


「どうしようどうしようどうしよう! 耕平くんに、電話する? でもきっと、お母さんからの着信に気付いて掛け直すよね?」


 千波にできるのは、耕平の帰りを待つことだけだ。

 耕平に心配を掛けないよう、一人でも夕飯を食べるつもりでいたが、すっかり食欲はなくなってしまった。


 手早く風呂を済ませ、テレビを観るため、二階へ向かう。途中いいことを思い付き、書斎の扉を開けた。

 耕平は基本暑がりだが、朝は寒いのか、よくカーディガンを羽織っている。今朝着ていたカーディガンは洗濯カゴに入っていなかったため、ここにあるはずだと思ったのだ。

 思ったとおり、デスクチェアの背もたれにブラウンのカーディガンが掛けられている。

 それを手に取り、千波は袖を通した。


「バレないように、車の音がしたら急いで戻せばいいよね」


 少しだけ気分が浮上して、軽い足取りで階段を上がる。

 千波一人では大き過ぎるベッドの上で膝を抱え、風景と音楽が流れている番組を見つけて、そのチャンネルを眺めることにした。


 ほんのり耕平の香りのするカーディガンに包まれた腕に頬を付け、いつの間にかうとうと、目を閉じてしまう。


「千波。寝るならちゃんと横になれ」


 耕平の声がして、目を開けた。

 無意識で両手を伸ばせば、大きな温もりに包まれる。


「おかえりなさい。さみしかった」


 いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。

 何かを伝えなければならなかったはずだが、思い出せない。


「寂しくて、そんなかわいいことしてたのか?」


 何のことだろうと思ったが、突然の深いキスに、翻弄される。


 耕平の舌は、歯磨き粉の味がした。


「どうして俺のカーディガン着てるんだ? 寒かった?」


 キスの合間に、やたら嬉しそうな声で聞かれて千波は、一気に目が覚める。


「ちが、やだ! おかえり、いつの間に、あれ? お風呂入ったの?」


 寝間着姿の耕平は、服の隙間から手を差し入れ、千波の肌に直に触れ始めた。

 キスで口を塞がれて、寝起きの混乱した状態の中、体の熱を上げられる。

 羞恥心で涙目になりながら、千波は耕平の肩を軽く叩いて注意を引く。


「あのね、あの、話すことがあって」

「だぼだぼカーディガン、なまらかわいい」

「これはあの、車の音が聞こえたら、本当は脱ぐつもりでっ」

「寒いなら、俺が千波を温めるから」


 火が付いた耕平を止めることは叶わず。

 結局話ができたのは、千波が耕平の熱を受け止めて、くたくたになった後だった。

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