第6話 買い物(SIDE耕平)

 ホームセンターの衣料品コーナーで女性用のエプロンを眺めながら、耕平は悩む。

 耕平の家には女性用の物など置いていないから、彼女が家事をする時身に着けているのは、耕平のエプロンだ。

 小さな彼女がサイズの合っていない物を身に着けている姿は、はっきり言ってかわいい。

 耕平が使っていた物を纏って家の中を動き回る様は、なんだかこう……クるものがある。だからこそ、捨てがたい。


「耕平くん?」


 背後から聞こえた声に、大きな体がびくりと跳ねた。


「……エプロン? そっか。買った方がいいよね」


 彼女の持つカゴの中には、日常で使う消耗品が数点。

 ほっそりした手が迷わず伸ばされる。

 手に取ったのは、無地のベージュのエプロンだった。

 思わず、彼女に似合いそうだと眺めていた物と取り替える。ピンクの小花柄。きっと似合う。絶対かわいい。


「ピンクかぁ。自分じゃ選ばないけど、雇い主様の要望には答えないとね」


 彼女は照れて、笑った。


「買うの、これだけか?」

「うん。だって、耕平くんの家って結構何でも揃ってるんだもの」

「女が使うような物はないぞ。シャンプーとか、俺と一緒じゃ嫌だろ」

「耕平くんは、私が同じ匂いだと嫌?」

「い、や……じゃない」

「なら買わない」


 レジへと向かう彼女の手から、カゴを奪う。


「支給品ってことで」

「では、お言葉に甘えます」


 困ったように目を伏せた彼女。

 彼女の貯金の残額は知らない。だが増える目処が立っていないのなら、減らさない方がいいだろう。

 今の彼女はきっと、簡単に生を手放せるほどに儚いのだから。


「夕飯、何食べたい?」

「餃子」

「あ、いいね。耕平くんはどんな餃子が好き?」

「パリパリの羽付きのやつ」

「餡は? 野菜よりもお肉の比率が多い方がいい?」

「だな。ニラとニンニクもたっぷり」

「オッケー」


 隣の店で食料品の買い物もしてから、車へ戻った。


「耕平くんはさ」


 暖房を全開にした車中。助手席に座った彼女が、言葉を紡ぐ。


「どうしてこんなに、良くしてくれるの?」


 耕平自身、何故だろうかと己へ問う。

 ガス欠で困っている誰かがいれば助けるのは、耕平にとっては当然だ。

 吹雪の夜に宿がないなら、一晩ぐらいなら寝床だって提供する。

 だが見ず知らずの女を、己のテリトリーへここまで踏み込ませたのは、何故なのか。


「生きるのを諦めるためじゃなく、生きるのを諦めないために来たんだって、知ったから。袖振り合うも多生の縁。……あんたはもう、他人じゃない」


 彼女は何も、言わなかった。



 帰りの車中でも、会話がなくなるということはなかった。

 耕平の家の暖房事情がずっと気になっていたようで、常に暖かい上に寒い部屋が食料庫以外存在しないのは何故かと聞かれ、耕平の返答に彼女は感心していた。

 北海道では、暖房は一度付けたら春まで消さないのが基本だ。その方が暖房費の節約になる。


「セントラルヒーティングってやつ。各部屋にパネルがあるだろ?」

「あれが暖かいのはわかってたけど、スイッチどこだろうって、謎だった。あの薪ストーブは使わないの?」

「もう少し寒くなれば使うよ」

「これ以上、まだ寒くなるの?」

「あんたが見たいって言ってる流氷が来る時期が、ヤバい」

「最低気温は?」

「マイナス二十度」

「ヤバい!」


 彼女の反応がおかしくて、耕平は笑う。

 彼女も笑っている。


「あ、ねぇねぇ。ここに来る前、札幌通って来たんだけどね。なんか、四角い家が多かったの。あれはどうして?」

「隣の家の敷地に雪が落ちないようになってるんだ。あの屋根、実は平らじゃない」

「そうなの? なんで?」

「溶けた雪水が排水口に向かうように、中央に向かって勾配がつけられてるんだ」

「へぇ! この辺は、三角の屋根が多いよね?」

「札幌みたいに、隣家との距離が詰まってないからな」

「なるほどねー」


 耕平の家は、相続してから建て替えた。

 祖父が住んでいた家は古くなっていたし、印税収入が結構な額入っていたから、思い切って自分好みにしたのだ。

 三角屋根の山小屋風。かなり気に入っている。


 家に着き、買った物を運び入れてから、耕平は仕事をするため書斎へこもる。

 テレビは二階にあるのだが、彼女がテレビを見ている気配は今の所ない。設置場所が耕平の寝室だから入りづらいのだろうとは思うが、テレビの音は仕事の邪魔になるから、一階へ移動させる気にはならない。

 

「いっそもう、嫁にくればいいのに」


 無意識にこぼれた、願望。


「てか、今更名前、どう聞けばいいんだよ……」


 嫌われてはいないと思うのだ。だが表に見えるその好意は、世話になっているからという意味合いが強い。

 耕平個人を、彼女はどう思っているのか。

 流氷を見るという目的を果たせば、あっさり東京へ帰ってしまうのか。それともこちらで職を探すのか。


 名前を知らずとも、結局こんなに、気になっている。


 パソコンへ向かいはしたものの、しばらく耕平の頭の中には全く文章が浮かんでこなかった。


   ※


 空腹を抱えて書斎から出ると、花柄のエプロン姿の彼女が、キッチンに立っている。


「似合う。かわいい」


 真顔で感想を告げたら、彼女の白い肌が真っ赤に染まった。


「かわいいなんて言われるの久しぶり過ぎて、どんな反応すればいいか、困る」


 何故か怒った口調になった彼女。

 もう餃子を焼いてもいいかと聞かれ、耕平は頷く。

 彼女は照れると怒ったようになるのかと、耕平は心の中で、かわいいなと感想をこぼす。


「なぁ」


 名前、教えて。


「……ビール、飲む?」


 言えず、違う言葉を吐いた。


「飲む! 皮が余ったから、餃子が焼けるまでのおつまみも作ったよ」


 トースターを開けた彼女が何かを指でつまみ、耕平の口元へ差し出してくる。

 迷わず口を開け、放り込まれた物をパリパリ咀嚼してから、グラスに注いだビールを煽った。


「餃子の皮チップス。おいしい?」

「うまい! チーズと、胡椒?」

「そう。パリパリ羽付き餃子も頑張るよ!」

「これ小麦粉? 餃子のパリパリ部分って、片栗粉じゃねぇの?」

「間違えたんじゃないからね!」

「へぇ。自分だと冷凍の餃子しか焼かないから、楽しみ」

「そうなの? 料理好きなのかなって思ってた」

「好きってほどでもないかな。一人なら冷凍餃子で十分」

「私はそれすら面倒くさい派」


 元々まともな物を食べていなかった彼女の食は、かなり細い。

 だけど耕平と共に、三食食べるようになった。徐々に、食べられる量も増えていっている。


「不思議だよね。耕平くんとだと、料理も食べるのも、すごく楽しい」

「有り難きお言葉」

「いえいえこちらこそ」


 彼女が作った羽付き餃子はあまりにもおいしくて、あっという間に、二人で完食してしまった。



 昼間遊んだ分、夜に仕事を進めていた耕平は、喉が乾いて書斎の扉を開いた。


 耕平が起きているからか、常夜灯の柔らかな明かりが、リビングとキッチンを包んでいる。

 彼女は自分の寝床で寝息を立てていた。

 薄明かりといえど安眠妨害になっているのではないか。

 心配になり、足音を忍ばせ近付く。


 寝顔が見たいという下心もあった。


 胎児のように丸まって眠る彼女はまるで、外敵から己の心を守ろうとしているように見える。

 ここにあんたを傷付けるものはいないと伝えたくて、そっと、頭を撫でてみた。


 彼女が寝返りを打ち、慌てて手を引っ込める。


「もっと。撫でて」


 夜の空気に溶ける、甘えた声。


「起きてたのかよ」


 布団の上で身を起こした彼女からは、寝起きの気配が感じられない。


「だって、耕平くんが仕事してるから」

「うるさかった?」

「全然。ただ、悪いなって」

「気にしなくていいよ」

「お仕事、終わった?」

「締め切りはまだ先なんだ。書きたくて書いてただけ」

「書くの、楽しい?」

「楽しいよ」

「もう、触れてくれないの?」

「その言い方、なんか嫌だ」


 静かに、彼女は笑った。


 手を伸ばして子ども相手にするように、彼女の頭を撫でてみる。


「ちょっと違う。嬉しいけど」


 言葉のとおり、彼女は嬉しそうに見えた。


「……えっとね」


 彼女の手が動き、頭の上に置かれたままの耕平の手に触れる。

 抵抗せず彼女の動きを見守れば、彼女は両手で、耕平の右手を握った。


「握手」

「よろしく?」

「うん。よろしく」


 ふふっと彼女が笑った直後、よいしょという少し間抜けな掛け声と共に、右手が引っ張られる。

 布団の前で屈んでいた耕平は、呆気なくバランスを崩した。

 彼女に覆いかぶさるような体勢で、左手を布団につく。


「……何?」

「いやちょっと、ブランクがあり過ぎて男性の誘い方を忘れた、というか、そもそも経験値があまりなくてどうしたら良いものかと思いまして」


 耕平の下で真っ赤になった彼女は早口で、盛大に視線を泳がせている。


「俺は、誘惑されていると?」

「いや、あの……ちょっとあの……その腕に、抱き締められたいななんて思ったり思わなかったり、思っていたり」

「思ったんだな?」


 羞恥心で涙目になった彼女が、小さく頷いた。


「では遠慮なく」


 潰してしまわないよう体を起こし、胡座をかいた脚の上に、抱き上げた彼女の体を乗せる。

 そのまま背中へ両手を回せば、細い女の体はすっぽりと、腕の中へと収まった。


 これはもう、さっさと自分のものにしてしまっていいということだろうか。

 邪な思考が、脳内に満ちる。


「き、キスは、今日はちょっと。餃子が、ニンニクが」

「同じ物食ったし」


 今日はということは、キス自体は構わないという意味だ。


 小さな耳へと唇を押し当てる。


「同じ匂いの女って、そそる」


 彼女の髪から香るのは、耕平と同じ香り。

 肌の匂いも、確かめたい。


「……耕平くんの香り、すき」


 一度深く口腔を味わえば、彼女はもう、抵抗しなかった。

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