彼方の結実
──魔素は生物の記憶を保存し再現する。また、時には自身を取り込んだ生物に影響を与える。
とある世界には双子や三つ子ばかり生まれる村があった。それは、その村の中心にあった高密度魔素結晶体から漏れ出した微量な魔素が影響を与えた結果。双子の妹に対し憤る大いなる女神の記憶が、その結晶の中に保存されていたから。
別の世界では、一人の魔道士が三つの大陸で三つの戦争を起こし、似たような状況下に魔素適合体を投入してそれぞれにどんな差異が生じるかという実験を行った。
そして、ここでは──
一日の授業が終わり、教室の一番後ろ、しかも窓際という“定番”の位置に座っている少女がため息をつく。
今日も退屈な一日だった。憧れていた高校生活からは程遠い、何も代わり映えしない平凡な日常。これでは何のために日本まで来たのかわからない。
(必死に日本語を勉強をして留学したのに、なんなんデスか、この学校のコたちは!!)
誰も彼も外国人の自分を敬遠して関わり合いになろうとしない。こっちから話しかけても結果は同じ。慌てて逃げ出して行ってしまう。
(何が『アイキャントスピークイングリッシュ』よ! ワタシ、日本語話してマス!)
そんなこんなで留学してから一週間、まだ誰ともロクに会話できていない。日本人はシャイだとは聞いていたが、不幸にも自分は特に大人しい学生ばかりの学校に来てしまったようだ。
もちろん、話しかける以外にも努力はしてみた。部活の見学に行ってみたら、軽音部は胸ばかり見るスケベな男子の集まりでしかなく、他の様々なジャパニーズコミックを見て憧れた部活も、現実は空想とは全く違う世界ばかりだった。その落差に耐え切れず、結局はいくつか体験してみた部活のどれにも属さず暇を持て余している。
自慢じゃないが頭は良いので、高校で習うようなことはもう母国で全部学習済み。日本語もそこらの日本人より深く理解している。だから本当にやることが無い。
(小説でも読んでみようかな……)
また空想の世界に逃げるのかと、頭の中で妹ががなる。まったく腹立たしい。元は友達だったのに親同士が再婚した途端ガミガミガミガミと口うるさくなって。だから家にはすぐに帰りたくないし、かといってそのへんで遊ぶ気にもなれない。
街に出るとナンパされてばかりで気が滅入るのだ。日本人の男にはこの彫りの深い顔立ちと赤い髪がひどく魅力的に映るらしい。あと、やたら重いだけで邪魔でしかたないこの胸も。
そんなわけで、今日は初めて図書室に足を運んでみる。
「と、図書室ですか? えと、あ、あそこの階段を上がってから左に行けばすぐです」
「サンクス。ところでアナタ、お名前は?」
「え? ち、千絵です」
「千絵、ワタシと友達にならない?」
「と、ともだっ──あの、その、す、すいません!」
「アー……」
また逃げられてしまった。どうして日本人は日本語で会話していても安心してくれないのか。同じ人間なのに。
(取ってクッタリしないよ?)
可愛い子だから、友達になれたら少しは憧れのコミックの世界に近付けるかと思ったのに、なかなか上手くはいかないものだ。
まあ仕方ない。今日は予定通り本でも読んで過ごそう。そう思って言われた通りに階段を上がり、左へ曲がって図書室を見つけ出す。防音のためか他の教室のような引き戸ではなく分厚いドアが取り付けられていた。それを引いて入室すると、中はしんとしている。
(オー……何人も生徒がいるのに、誰も喋ってない。日本人のこういう真面目なところは好き)
普通の教室の倍はある広さ。ただし、いくつも並んだ本棚とぎっしり詰め込まれた本。そして勉強をする生徒のための机や貸し出しを受け付けるカウンターのおかげで狭苦しくその空間に、そっと踏み込んで本棚の方へ移動する。
漫画ならなんでも読む彼女だったが、小説の場合はSFが好きだ。特に宇宙を舞台としている作品。これはきっと天文学者の父の影響だろう。
本はきちんとジャンルごとに仕分けられていた。SF作品の並んでいる棚を探し出し、おそらく図書委員だろう、たくさんの本を抱えて一つ一つ棚に戻している少年の横を通り抜ける。
「ちょっとゴメンよ」
「あ、はい、どうぞ」
いい子だ、すぐに横にどいてくれた。軽く頭を下げて棚の一番上の方からピンとくる作品が無いかを探し始める。特に読みたい本があるわけではないので、こういう時には直感に頼るのが一番だ。
SFを好む理由はもう一つある。単純に退屈しないからだ。息もつかせぬハラハラドキドキの展開が多く、退屈している暇なんか無い。それがいい。
退屈は大っ嫌いだ。何故かは知らないけれど、昔からずっとそうなのだ。
「よっと」
(うお?)
すぐ横で、棚の一番上まで手が伸ばされた。そこでようやく、さっきの少年が自分より背が高いことに気付く。
(珍しいな君)
母国でも女子としては背の高い方だった自分は、日本に来てからは男子と比べても相手を見下ろすことが多かった。バスケ部だとかの運動系の部活ならともかく、まさか図書室で自分以上の高身長男子に出くわすとは。
「えっと、次は……」
彼はすぐに背を向け、他の棚に本を差し込み始める。なんとなく気になるその背中を見つめながら、彼女は今しがた彼が棚に戻した本はなんだったかなと半ば無意識に手を伸ばした。
その時──
「あっ」
注意力散漫なまま動いたことがいけなかった。棚に手をぶつけてしまい、本棚がぐらっと揺れる。慌てて支えようと体の向きを変えたら、今度は足首をひねった。
「わあっ!?」
「ぐえっ!?」
派手にすっ転び、棚の下の方に本を差し込もうとしていた図書委員の少年の上に背中から落下してしまった。さらに本棚が倒れ、大量の本が二人の上に崩れ落ちて来る。
(ぎゃあーーーーーーーーっ!?)
「な、なんだなんだ!?」
「大丈夫!?」
図書室にいた他の生徒達が心配して駆けつけて来て、本の山に生き埋めになった二人を救出してくれた。
「怪我してない!?」
「ダ、ダイジョーブ……本棚、倒しちゃってゴメン」
メガネの女の子に助け起こしてもらう。たしかこの子はクラスメートだ。初めて会話できた。とんだトラブルだったが、これを機に仲良くなれないだろうか?
「キ、キミもゴメンね。痛かったデショ?」
「いえ、このくらいなら平気です」
彼女の尻の下から返事する少年。彼がクッションになってくれたからこそ、自分は全く怪我をせずに済んだのだと思う。
背中の上からどくと、彼は自力で起き上がってきた。逞しい背中だったなと、加害者らしからぬ感慨を抱いた時、彼が振り返る。
「……え?」
「あれ?」
何故──互いの顔を見合わせた、初めて目が合った、その瞬間に二人同時に涙が零れた。どっちも、何故そうなるのかわからない不思議そうな顔。
「伊東君、怪我したの!? オズボーンさんも、やっぱりどこか痛めたんじゃ?」
クラスメートが心配してくれたけど、その言葉が頭に入って来ない。
今は他の誰にも意識が向かない。ただ、目の前の少年のことだけが知りたい。
「アナタ、名前は……?」
「伊東……旭、です……」
ああ、本当にどうして? この瞬間、彼女──ドロシー・オズボーンは恋に落ち、同時に確信する。
憧れていたジャパニーズコミックのような高校生活は実現しないかもしれない。これからも退屈な日々が続くのかもしれない。
だけど彼がいる。彼さえいれば、自分はきっと“退屈”すら愛せるだろう。
──魔素は生物の記憶を保存し再現する。そして時に自らを取り込んだ生物に影響を与える。
この世界では遥かな昔、一度だけ別の世界に繋がる扉が開いた。ほんの短い時間だけだったが、そこから微量の魔素が流入した。
あまりに僅かな量だったので与えた影響も小さなもの。ただ、この惑星に生命が生まれるきっかけにはなったし、それによって今日の歴史がある。
その長い長い数十億年の歴史の果て小さな小さな影響が積み重ねられた結果、ここに一つの奇跡が結実した。
彼と彼女は再び出会い、そしてまた、ここから二人の物語が動き始める。
人竜選史 秋谷イル @akitani_il
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