目覚める

宵野暁未 Akimi Shouno

目覚める

 その能力に気付いたのは、阪神・淡路大震災があった年だったと記憶している。

阪神・淡路大震災は、1995(平成7)年1月17日午前5時46分52秒に発生した。

 当時、田舎の古い社宅アパートに住んでいた。古いとは言え鉄筋3階建てで頑丈だった。


 深夜にふと目が覚め、あれ? どうして目が覚めたんだろうと不思議に思っていると、室内の柱にムカデが這っていたことがある。田舎なのでムカデはベランダの植木鉢の下でも発見することがあったが、まさか、室内の柱に張り付いているとは。

 音も立てずにじっとしているムカデ。目覚めたのは不思議でならなかったが、ともかくも私はムカデを退治することが出来た。


 また別の深夜には、ふと目覚め、なぜか台所が気になって行ってみるとゴキブリが居たので退治した。この時も、寝室から離れた台所にゴキブリが居ることを察知できたのは不思議でしかない。


 阪神・淡路大震災の発生時も、日頃から朝が弱いのに、何故か早朝から目覚めた。不思議に思っていると揺れが来た。

 昔から、熟睡していても弱い地震でも目が覚めていたのだが、揺れの直前に目覚めるようになったのは、その時からではないかと思う。


 あの日以来、私は、地震で揺れが始まる直前に目覚める。深夜や早朝、なぜかふと目が覚めて疑問に思っていると、やや間があって地震が来る。日頃は中途覚醒などしないのだが。

 やがて、寝ている時だけではなく、起きている時でも感じるようになった。日常生活の中で、ふと「もしかして地震が来る?」と感じると、やや間があって揺れが始まるのだ。

 何かを感じ取って目覚める、これは直観の一種、いや直感の方か。


 手近の広辞苑で見てみると、直観とは「一般に判断・推理などの思惟作用の結果ではなく、精神が対象を直接に知的に把握する作用。直感ではなく直知であり、プラトンによるディアレクティケー(問答法)を介してのイデアの直観、フッサールの現象学的還元による本質直観等」とあった。難しくてよく分からない。

 ちなみに、直感は「説明や証明を経ないで、物事の真相を心でただちに感じること。すぐさまの感じ」とあった。

 直観は無意識下の判断で、直感は感覚的なもの?


 どちらにしろ、地震から身を守るにはあまり役に立ちそうにない。ほんの数分前に「もしかして今から地震?」と感じても、せいぜい身構えることくらいしかできない。それに、テレビが点いている時なら緊急地震速報が知らせてくれる。


 直観と言えるかどうか分からないが、私はテレビドラマなどを見ていると、この登場人物はこの後死ぬ人物だな、これこれこういう状況で命を落とすな、とか分かってしまう。無意識に先読みしてしまうのだ。ミステリードラマも、劇中の名探偵がヒントに気付かないのでウンザリしてしまう。演出家の意図も見え見えでつまらないから、私は殆どドラマを見ない。

 たんに私が小説を書くから分かるのか?

 私は異常なほどの記憶力がある為に、多くの映画やドラマや漫画や小説が頭の中にあり、その気になれば脳内再生できる。だから、無意識下で様々な情報が勝手に繋がり合って勝手に予想して、答えだけが頭に浮かぶのだろう。

 そういう無意識下の働きを直観と言うのかもしれない。


 随分前の話になるが、或る日の午後、天気も良く母は沢山の洗濯物を外に干していた。私はその日仕事が午後からだったので、昼食後、早めに玄関から出たのだが、庭に出るなり感じるものがあった。考えるより先に言葉が出ていた。

「お母さん、雨が降るから直ぐに洗濯物を入れたほうがいい」

 空に雲は出ていなかった。微妙な空気感といか言いようがない。

 洗濯物を取り込んでいると、西の山の方から一気に黒雲が沸き、突風と共にこちらに迫ってきた。洗濯物を取り込み終えた途端に激しい雨となった。


 後に分かったことだが、私は自閉症スペクトラムで五感全てに感覚過敏がある。無意識のうちに周囲の情報を一気に取り込んでしまうので疲労が激しいのだが、そうして取り込んだ情報は、無意識下で直観と言う名の解答を出すことがあるのかもしれない。

 私の天気予報は、TVやネットの気象情報より早くて正確だったりする。TVやネットの気象情報は一定の範囲内の情報なので、スポットでは全く当てはまらないことも多く。気象情報では雨となっていても晴れたり、洗濯日和となっていても雨が降ったりするので、あまり当てにはならないのだ。

 私は子供の頃から空や周囲の自然をよく眺め、雲の形や動き、風や匂いや気配にも敏感だったので成し得るのかもしれない。


 苦学生だった頃、アルバイトで費用を工面して大学生協の海外旅行に行った。友人を誘ったが、部活で忙しいなどと断られ、結局一人で参加したのだが、ツアー参加者と街を歩き回って迷子になった時、私の直観を頼りに無事に集合場所に戻れたこともあった。

 道路の信号機など気にしない旅行先の人達に慣れて道路に飛び出した同行者にトラックが迫ったのを察知し、身体を引っ張って助けたこともある。周囲も驚き、何より本人が一番有難がっていた。本当にヤバかった。死んだかと思ったと。

 

 無意識下の判断で私自身が命拾いしたこともある。


 昨年の1月7日火曜日、隣の市の病院を受診した帰りの交差点だった。

 直進が赤信号となって右折信号が緑になり、右折待ち3台めの私が右折しようとした時、目の前の2台めが右折したと同時に私の目に入ったのは、対向車線の直進車線を走る赤い普通乗用車。女性ドライバーは目を見開いて前しか見ておらず、一瞬で「ヤバい、あの車は停車せずに突っ切るつもりだ」と分かった。その瞬間から時間が止まって見え、驚異の反射神経で急ブレーキが間に合った。

 赤い普通車は直進赤信号を無視し、私の軽自動車のすれすれを猛スピードで走り去った。

 3台め右折車の私は、2台め右折車に続いて既にハンドルを切って右折体制に入っていたのに、直進車が停止せずに突進してくるのを認識できたのは、視力や視野だけでは説明が難しい気がするし、普通なら、とっさの急ブレーキも間に合わずに大事故になっていたはずだった。

 直進が赤信号で右折が緑だから、停止しなければならなかったのは直進車だった。あの赤い普通乗用車を運転していた女性の、何が何でも停車せずに突っ切るつもりな必死の形相を、私は忘れることができない。

 事故を回避でき、心臓がバクバクしながらも、私はそのまま右折して帰宅した。

 しかし、その恐怖体験はトラウマとなった。

 事故は回避できたのだが、あの時に回避できなかった場合の映像が、私の頭にはありありと浮かんでしまうのだ。不運にも、その2週間後の通院の帰りに事故現場に遭遇し、私はひとりでワンワン泣きながら、横転したままの事故車の横を警察の指示に従って徐行した。


 車を運転すること自体が恐怖となり、私は極力車を使わないようになった。コロナ禍で外出自粛しているから、車無しでもあまり困らないが、それでも、地方暮らしゆえ車の運転を全くしないで生活するのは難しい。

 車を運転していて次に何かあったら……そう考えるだけで恐怖なのだが、こうも考える。

 何かあったら、次も無意識の直観が助けてくれるに違いない。


 人間には五感が備わっているが、視覚・聴覚・触覚は物理的刺激の感知で、味覚・嗅覚は化学的刺激の感知らしいが、ある研究によると、渡り鳥その他の生物に備わっている六感目とも言える地磁気を感知する能力が人間にも潜在意識下には残っているらしい。

 実は私は、どうやら高低差を感知できるらしい。

 中学生までは姉と部屋を共有しており、昔の二段ベッドの下段で寝ていたのだが、家をリフォームして私は4畳半の部屋に移ることになり、ベッドは分離させてそのまま使用した。数か月はそのまま使用していたが、狭いのに収納が皆無の部屋だった為、ベッドの足のネジの位置を高くして下を収納スペースに変えた。すると、ただ高さが30cmほど高くなっただけだというのに、数週間、私は眠れない夜を過ごせことになった。身体が宙に浮いているような感覚で落ち着けなかったのだ。


 最近も地震があった。TVやネットの正確な情報は必要だが、きっとそれだけでは生き残れない。全ての感覚を研ぎ澄ませ、理由は分からないけれど自分の中に湧き上がってきた無意識の判断=直観も、生死を分けることになるかもしれない。


 潜在意識の奥底、無意識の深い所に眠る能力を目覚めさせ、直観を鍛えて、私は生き延びたい。痛いのも苦しいのも嫌だから。

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