未登録迷子と童話世界

おきゃん

さいしょのおはなし「失くした名前は何か」

 ――落ちている。これは夢だろうか。


 ✕✕✕は頭を下にして、空から文字通り落っこちている。青い空に何故か大きな扉が浮いていて、✕✕✕はどうやらあそこから落ちたらしい。


 このままでは地面にぶつかって死ぬのでは、というか自分は自宅のベッドで眠ったはず……いや、何かを追っていたら穴に落ちたんだっけ? ……どうだったか記憶が曖昧だ、やっぱりこれは夢……?


 そんな事を考えているうちに地面はどんどん近づいて、そして、どっしーん! というけたたましい音と共に着地した。音ほどの衝撃はなかったし、痛みもない。✕✕✕はゆっくり立ち上がってあたりを見渡した。

「……ここは、どこ?」

 見渡すかぎり、木、木、木。どうやら森のようだが、✕✕✕の自宅付近にこんなところはないし、見覚えもない。夢は記憶の整理システムだと云う人もあったけれど、幼い頃にでも行ったのだろうか。

「やぁ、凄い音がしたからやってきてみれば。こんにちは、何かお困りかな?」

「わっ!? だ、誰……?」

 気配なく現れたのは、紫がかった黒い長髪に、それと同じ色の猫の耳と尾を生やした人物だった。独特な風貌に思わず身構える。

「質問を質問で返すやつにはロクデナシが多いと聞いたことがあるなあ。ま、僕が愉しければ何でもいいけれど。僕はこの世界の案内役さ。キミは?」

 一度肩をすくめる素振りをしたものの、切り返しが早いのか、案内役は✕✕✕に尋ねた。

「名前……名前……は……。ど、どうしよう、思い出せない……!」

「『どうしよう、思い出せない』? 変わった名前だね」

「違う! そういうことじゃなくて……。自分の名前がわからない……」

 案内役は少し考えて、一冊の分厚い図鑑のような本を取り出して✕✕✕に翳した。……何も、起こらない。

「……キミ、未登録迷子Unknownなのか。 見ない顔だなと思ったけれど……なかなか珍しい」

「アン……ノウン…?」

「……何も知らないみたいだね。Unknownっていうのは、未登録の迷子ことさ。キミみたいな、ね。……じゃあ案内役らしく案内をしよう、この世界を。名前さんと喧嘩したりしてないかい? 家出かもね。もしかしたらどこかに遊びに行っているだけかもしれないし、住民たちがキミの名前を知ってる奴がいるかもしれないし……どうかな?」

「名前が家出とか遊びに行っているなんて聞いたことがない……きっと記憶喪失とかそういうのだよ。……でも家とか学校の記憶はあるし……ここは右も左も分からないし……わかった、案内してほしい」

 そしてふたりは歩きだした。深い深い森の中話しながら、ね。

「キミはここがどこだかは知ってるかい?」

 ✕✕✕――未登録迷子Unknownは首を左右に振った。案内役はそれを見て実に愉快だと云うように笑みを浮かべた。

童話世界フェアリーファンタジア。この世界の名前だよ。そしてここは童話世界フェアリーファンタジアの最初のエリア。人喰いの森」

「フェアリー……ファンタジア……? 人喰いの森……? 聞いたことがない……」

「『誰もが知ってる物語』の世界なんだ。世界の住民たちは童話人どうわびとと呼ばれているね。童話人たちはすべてのエリアについての物語を知っている。例えばこの人喰いの森だけど、頭巾をかぶった女の子と、人を食べる狼が出てくる物語で……女の子は病気のおばあさんのところにお見舞いに行くことになって……」

 未登録迷子Unknownはポンと手を打った。自分が住んでいた世界でも似たような有名な童話があるのだ。

「それは、知ってる!」

「お、じゃあ、せーので題名を言ってみようか?」

「いいよ。題名は………だい、めい……は……?」

 未登録迷子Unknownは混乱した。内容はわかるのに、なぜか題名と、その主人公の名前が思い出せない。どうやら失くした名前は自分のものだけではなかったらしい。

「…………貴方たちは誰? 人喰いの森に入るなんて命知らずね。……片方は案内のようだけど」

 ふたりが振り向いた先には赤い頭巾をかぶった銀白の髪、黒い目隠しをした少女が立っていた。


 ――この少女は主人公の……?


「おおっと、待っておくれ、白頭巾。森を荒らしに来たわけじゃないんだ。落とし物をしたらしいから話を聞きたい」

「……おおかみさん!」

 木がざわめく。森が哭き、大地が震えた。動物たちが警戒の色を強めて、少しのあと、しん……となった。


 黒い巨体は2メートルを超え、赤く鋭い瞳がギョロリと動く。巨大な巨大な狼だった。四足で走ってきた身体をぐっと持ち上げ、二足で立ち上がる。鋭い爪で傷つけないように"白頭巾"と呼ばれた少女を守るようにその手に乗せた。

「おおかみさん、この人たちから嘘のにおいはするかしら」

「……………ガァァァウ!」

「……そう」

 少女は静かに案内役と未登録迷子Unknownの方を見て、そっと目隠しを外した――。

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