番外編
不憫な領主様のその後の話(1)
※ご無沙汰しております。
他サイトにてジェフリーのその後のお話のリクエストをいただきましたのでお届けします!
フェリシアの祭日にティナがサディアスに別れを切り出そうとしているのは、なんとなくわかっていた。
それがティナの本意ではないこともまた知っている。
だから俺はサディアスが王都に帰ろうとしていると、ティナに嘘をついた。
その結果、俺の言葉を信じて疑わなかったティナはサディアスを追って、目の前から消えてしまった。
◇
ティナが過ぎ去った方角を見つめていると、不意に人が近づく気配がした。
「ほんと、うちの領主様は何やってるんだか」
「え……?」
振り向くと赤い髪を靡かせた女性が俺の顔をじとりと睨んでいる。
《魔女の隠れ家》の店主、アビーさんだ。
今日は視察する時のように変装していたのにも拘わらず、彼女にはバレてしまっていたらしい。
「ティナに告白もせずにオネエに譲るなんて、いつか後悔するわよ?」
「……見ていたのか」
「ええ、あなたたちが深刻そうな顔をしているからずっと見ていたのよ。ティナを泣かせるのなら殴り込もうと思っていたけれど、機会を逃しちゃったわ」
腕を組み睨み上げる姿には年長者らしい凄みがあって思わずたじろぐ。
さすがは魔女と言うべきか、榛色の瞳は心の内まで見透かしているらしい。
「あの子の事、好きなのに他人に渡しても満足なわけ?」
「満たされはしないな。おまけに喪失感があるけど、後悔はしていないさ」
それが言い訳がましく聞こえたのだろう。
胡乱げな眼差しで訴えかけられてしまい、苦笑が漏れる。
何をやっているのだろうかと自分自身でも呆れている。
おまけに胸の痛みは確かに喪失が招いたものだけれど、それでも後悔はしていない。
俺はこうするべきだったのだとわかっているから。
ティナの一番の幸せを知っているから、後は行動するのみだったんだ。
「いいや、これでいい。これが俺なりの愛し方だ」
サディアスと俺とでは違う。
何が何でも自分が幸せにしなければならないサディアスとは違い、俺はティナが幸せのためなら他人にティナを託すのも厭わない。
まして相手がティナの想い人であるのならばなおのこと。
相手がいるのに無理にでも自分の方に振り向かせたりすれば、ティナの本当の幸せは手に入らないだろうし。
「ふぅん、なるほどね。わからなくもないわ」
果たして俺の言葉から何を考えていたのかはわからないが、隣から小さな溜息が聞こえてきた。
振り向くとアビーさんが人差し指を宙で回している。すると微かな光が現れるとともに二つのグラスが姿を見せた。
手渡されたグラスの中身は酒なのだろうか、傾けると細かな気泡が浮かぶ。
しげしげと観察していると隣からアビーさんが手に持つグラスを合わせられて軽快な乾杯の音がした。
「領主様、こういう時は飲みましょう!」
「お気遣いに甘えるとするか。これは何酒だ?」
「満月が沈む夜の湖に浮かべた葡萄のお酒よ。仕入れ業者の伝手でもらったの」
「へぇ。血眼になって買い求める貴族もいるような逸品をいただけるとはついているな」
「ふふ、領主様がお酒が好きでよかったわ」
グラスを傾けて希少な酒を堪能していると、ドンと大きな音がして夜空に色鮮やかな光の花が咲く。
あちこちで歓声が上がり、誰もが足を止めて見上げている。
きっと今頃、ティナとサディアスもこの花火を見ていることだろう。
微かに燻る失恋の痛みにほろ苦い気持ちになっているところ、突然背後から抱きしめられる。
頭をぐりぐりと押し付けられ、全体重を掛けられてしまい、思わずよろけた。
「アビーさん?!」
「なによ、大きな声で叫ばないで」
「いやだって、アビーさんがいきなり抱きついてくるから……」
体を捻り犯人の顔を見ると、幼い子供が親に甘えるようにぴったりとくっついている。
表情は見えないが、どこか頼りなげな雰囲気で心配になる。
「……大丈夫か?」
「大丈夫じゃないわよ。フェリシアもティナも騎士に盗られてしまったもの。むしゃくしゃするから騎士団に納品する回復薬には禿になる薬も混ぜておこうかしら」
ろれつの回らない舌で怨嗟の言葉が紡がれている。
迫力はないが内容はぞっとするものだ。
「よせ。とばっちりを受ける騎士が可哀そうだ」
「むぅ。二度も可愛い娘を盗られた私の身になってよ」
顔を上げればすっかり目が据わっている。
いつもの強くしたたかな光を宿した目ではなく、弱り切った子どものような目だ。
「……アビーさん、もしかしてお酒弱い?」
「いいえ、私は弱くなんてないわよ。なんたって、私はひとりでもお店を切り盛りしてきたんだから!」
「うん、弱いみたいだね。こらこらこら、おかわりしないでその辺で止めよう」
ふにゃふにゃとしているアビーさんはもう寝かせた方がいいだろう。
これ以上飲酒したらまずそうだし、第一外に置いておくと何をするかわからない。
暴れるアビーさんを宥めつつ抱き上げて《魔女の隠れ家》に送り届けた。
◇
「ほら、着いたぞ。今日はこのまま眠ってくれ」
「は~い」
素直に従ってくれたアビーさんを地面におろすと、彼女は上機嫌で俺の頭を撫でる。
わしゃわしゃと撫でれられる感覚は随分とご無沙汰だったもので、久しぶりにされると不思議な心地がする。
アビーさんが微笑んでいるからなのだろうか、安心感に似た何かがじんわりと胸の内に広がった。
しかしそんなアビーさんの手がふわりと離れる。
「ちょっと待ってて」
店内に消えたアビーさんはすぐに戻って来て、掌に小瓶を押し付けてきた。
「いつも私たちのことを気にかけてくれている領主様には感謝しているけど、たまにはゆっくり休みなさい。自己犠牲もほどほどにね」
「……っ」
手の平に感じるずしりとした重みにアビーさんの気遣いを感じて頬が緩んだ。
領主としてこの地に戻って来てからと言うもの、ジェフリー・ブラックウェルにこんなにも遠慮なく接して心配をしてくれる人に出会ったのは久しぶりだ。
「ありがとう。よい夢を」
「領主様もね」
アビーさんが家の鍵をかけるところまで見守って、邸宅に帰る。
握らされた薬瓶には今日の夜空と同じ穏やかな淡い紺色の液体が入っており、傾けると金色の細やかな粒子が光を放つ。質のいい回復薬の特徴だ。
「いつかアビーさんもフェリシアの祭日を共に過ごす相手ができますように、だな」
なんとなくその薬を飲むのは勿体ないと思い、机の上に置いた。
この時はまだ、アビーさんとの交流が続くことになるとは、思ってもみなかった。
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