第38話

「渡利……!」


 そこには、白衣を着こなし、眼鏡を掛けた細身の男、渡利英修がいた。


 何となく予想はしていた。彼がここにいる事、この火事の根本にかかわってあろう人物。


 渡利はにやりと不気味に笑って僕の方に近づいてくる。


「やあ、遅かったじゃないか。おかげで死にそうだ」


「やっぱりお前が元凶か、なんでこんなことしたんだ?」


 僕はもう分かり切っている。ここでこいつが適当な言い訳をする男でないぐらい。だから僕はこの質問をした。


 だが渡利は馬鹿ではない。きっと何か策があるから、こんなところで自殺にも見える行動をとっているのだろう。


 だが渡利に死ぬ気は無い。僕の勘が告げていた。


「なんでこんなことをしたのか、か。それは一番君が分かっていると思うが?更科君」


 渡利は僕の前で足を止め、優しさのない、乾いた微笑みを浮かべた。その目は、確実に僕に敵意を持って向けられている。


「君に一矢報いたかったのさ。自分で言うのもあれだが私は一応天才でね、自分よりも一回りも小さい子供に追い詰められるのは正直憎たらしい」


 こいつはまさかただ自分の私怨だけでこの病院を燃やしたのか?多くの人を危険にさらして?自分の私財を手放してまで?


「そんな人間が次は私の宝物を傷つけようとしてきた。なら私はそれを守るべきだ、そうそれが。違うか、更科君!?」


 合ってるさ。


 おそらく渡利は病的に正しさを貫いたのだろう。


 櫻花一人より、病院関係者の多数を救うため。家族を危機から救うため。そういった理由で彼はを貫いた。


 それ自体事は悪いことではない。僕も元々はその考えの持ち主だったからだ。

 だが……。


「そもそも君のせいなんだよ、こんな事態になっているのは。君があの時あの子を守っていれば、私を追い詰めるようなことをしなければ!どんなに平和だっただろう」


 正しいかそうじゃないかは決めるのは自分じゃない。他人が決めることだ。


 人とは第三者の目線があってこそ存在できる。だから何事においても、個人の行動は自己完結できない。


「分かってる、僕が悪いことくらい。でも教えてくれ、?」


「無い。自分が死んでしまっては元も子もないからね」


「そうか、そうだと思ったよ。安心した」


「もちろん警察対策も済んである。この火事は偶然を利用した私の策略だからね。窓ガラスがあるだろ?ガラスは光を集めることができる。まあそれも微弱なものだが、その集まった光の先に燃えやすいものを置くのさ。それで完全犯罪が可能になる」


 ペラペラと手の内を明かすということは、絶対に捕まらないという自信があるのだろう。


 そして彼は僕に苦しみを与え、復習を果たし幸せに暮らしていく。彼の描いたシナリオはこんな感じか。


「それじゃあ私は行くよ。ここじゃ本当に死んでしまうからね。あの子にもよろしく頼むよ」


 そう言うと渡利は僕の横を通り過ぎ、炎の先へと消えていった。


 きっと渡利のことだ、どこかに隠し通路でも仕掛けているのだろう。


 僕はポケットに忍ばせていたスマホのを停止させる。


 僕だってただで負けてやるつもりは無い。勝てなくとも、せめて相打ちにすることくらいはたやすい。


 僕は扉の目の前にまで来ると、慎重にスライドドアに手をかけた。鍵については心配ない。渡利がきっと開けている。


 右に力を籠める。案の定、スライドドアは開いた。熱気によって開きにくくはなっていたが、開けば問題ない。


 部屋の中に入り、スライドドアを閉める。部屋の中は、まるで外の火事が嘘のように静かでいつも通りだった。


 いつもと変わらない置物、いつもと変わらない備品、いつもと変わらない眠る櫻花―――


 櫻花の眠るベッドの傍まで歩く。そこにはやはり変わらずに眠り続ける櫻花がいた。


 いつまでもそうしていたかった。だが……


―――終わりだよ、俺もお前も。


 後ろに強い人影。昨日ぶりか。


―――何もできないのに突っ込みやがって。自殺願望か?


「そうかもな」


―――……お前、別人みたいになったな。それより俺になんか言うことあるだろ?


「そういやそうだった。ありがとう」


―――気持ち悪りい、一体どういうつもりだ。


「お前はもう一人の僕、いやもう一つの僕か。君がいなければ今の僕はいない。君のおかげで僕は君から一歩進めたんだ。だからありがとう」


―――吹っ切れたか。


「まあね。でもどこまで行っても僕は僕だし、それは永遠に変わることは無い。僕が君だったころの僕は消せないし、逆に君が僕だった時の僕も消せない」


―――ようやくか。長かったな。


「確かに。でも僕は一つだけ言いたい」


―――なんだ?


「ありがとう、君のおかげで僕はまっすぐ歩けた。ふらふら頼りない僕だったけれど、君のことは忘れないよ」


―――……ハハッ、まあ俺も忘れねえよ。じゃあな、俺」


「うん。さようなら、僕」


 そうして僕のは姿を消した。


 僕は今まで何回もあいつに苦しめられ続けてきた。


 でもそのおかげで僕は存在できている、考えられている、動ける、話せる、自分の存在証明ができる。


 もう二度と会うことは無いだろうが、僕は彼に精一杯の感謝と恨みを投げかけた。

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