第23話

「あはは、馬鹿みたいですよね。忘れてください」


 そういって帰ろうとする岸水の手を、僕は無意識に掴んでいた。本当に無意識だ、その言葉に体が反応したかのように、僕の体は反射反応を見せた。


「もう少し、もう少しだけその話を聞かせてくれないか?」


「……更科さん、何かあったんですか?」


 よく見れば、僕の手は小刻みに震えていて、まるで僕が僕じゃないみたいだ。自分がコントロールできない。


「ごめん」


 僕は彼女の手を離す。僕の手からぬくもりが消え、謎の虚無だけが残った。


「……そうですね、私は本物が知りたかったんです。人の話に合わせる私はきっと本物じゃない。私がしたいことは本当にこんなことなのか。私はいったいどうすればいいのか。分からなくなったんです」


「……」


「でも気づいたんですよ。その時に思っている感情こそが本物なんだって。だってそうじゃないですか、人の気持ちなんて日に日に変化していきます。そんな中の内、一つだけが本物なんて悲しいじゃないですか」


「でも、それじゃあ偽物が無いじゃないか。本物だけの世界なんてあるはずがない」


「はい、その通りです!自分が悩んで考えて苦しんで、それで出した答えが正解、本物なんです。たとえその答えが間違っていても、過程がおかしくても、それでも出した答えに意味があるんですよ」


「そ、それなら……!」


 すると彼女は静かにこう告げた。これが僕の生き方になるとは、この時の僕は気づくことができなかった。


「自分の偽物は本物なんです」


 見方を変えれば世界が変わる。世界を変えれば見方が変わる。なら偽物が無くなった世界はどうなるのだろう。


 彼女の考えならそこには本物だけが残る。偽物も本物も全て一つの答え。誰も傷つかない優しい世界だ。


 でもそれなら僕はどこにいればいい?偽物でも本物でもない僕に居場所は無いのだろうか?


「僕は、僕には偽物も本物も無いんだ。これからどうしたらいいと思う?」


「したいことをするべきですよ」


 岸水は僕の傍まで歩いてくると、


「言いましたよね、私は笑っている更科さんが好きです。だから笑ってほしい、そんな人生を歩んでほしい。私はそんな人生のお手伝いがしたいのです。きっとみんなも同じ考えですよ。忍から何か言われませんでしたか?」


「なんで七夕なんだ?」


「彼女が全てのだからです。きっと彼女なりに更科さんに鍵を渡していますよ」


 僕はひたすら彼女と会った日から今までのことを思い返す。きっと話の中には鍵のパーツがあったはずなのだ。


 彼女はしっかりパーツを散りばめてくれていた。あとはそれを僕が回収できるかできないかだけだ。


「……あ」


―――大丈夫、ちゃんと更科はあってる。


「どうしよう、僕はまだ七夕にお礼を言えてない」


 僕は今まで何をしてきたんだ。僕のことを知っててくれる、それだけで恵まれている。そのことを何で分からなかった。


 密かに僕はたくさんの人の支えがあって生きてきている。それなのに僕は勝手に悲観的になって苦しくなって。


 僕は何も見えてなかったんだな。むしろ見ようとすらしていなかった。


 多分これからもそうなのだろう。はもうどうしようもない癖なのだ。だから僕は自分にできることをやらなくては。


「ありがとう岸水。おかげでスッキリした」


「どういたしまして。顔色が良くなったようで何よりです」


 そういえば先ほどまで気分が悪かったが、今はそんなことは無くなっている。本当に助けられてばかりだな僕は。


「こんどこそ……」


「ん?」


「きっと僕がみんなを助けるから」


 すると岸水は堪えきれないかのように吹き出した。


「え、僕そんなにおかしいこと言った?」


「いえいえ、すごく主人公っぽいなーと思っただけです。それに、本当に自己評価低いんですね」


「?」


 岸水は言い終えると、


「今度こそ帰りますね。お母さんにもお邪魔しましたって伝えておいてください」


「うん、今日は本当にありがとう」


 岸水は微笑むと、自分の家に歩き始めた。


 彼女が言っていた主人公っぽいとは一体どういう意味なのだろう。


 僕はどっからどう見ても、完全に脇役Cだ。少年漫画であるところのモブキャラだ、それも目立たない方の。


 きっとその言葉自体は何かの比喩で使ったのだろう。だがその比喩の意味があまりに離れていたので考える。


 ……やっぱり分からない。おそらく頭の回転で彼女に勝てる者はいないのではないだろうか。


 僕はまたあの感覚を感じた。影のような気配、生理的嫌悪の代表格のようなあの感覚。


 僕だ。最近よく現れるそいつは僕に何を伝えたいのだろうか。


「どうしようもない人間だってことが、ようやく今ので分かったろ?」


 そうだな。僕は人に頼らないと何にもできない人間だってことが分かった。


「それでどう生きていくんだ?」


 救われながら生きていくよ。


「迷惑をかけ続けながらか?惨めだな」


 その通りだよ。全く持ってその通りだ。さすがは僕、的を射た発言をしている。


 でも―――


 本当に大事なことは迷惑をかけながら自分の宝になるんだ。


 この言葉を見つけるために、僕はこれまでを生きてきた。だからまた別の言葉を探すために、僕はこれから生きていくんだよ。


 偽物か本物か。それはまだ分からない。岸水も分からないだろう。


 だから僕が見つけていく。中途半端に踏み出せずにいた、を、僕が本物の正解を見つけるのだ。

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