第22話
「ただいま」
「おかえり、今日は警察の人とは帰ってきてないのね」
母さんは皮肉交じりで僕に話しかける。だが仕方のないことだ。さすがに夜遅くまで家に連絡もせず帰らなかったせいだ。
さらに言えば、一緒に帰ってきたのが父さんではなく、警察官だったのだから、何をしでかしたのか気が気でないのだろう。
昨日は一応近くであった事故の証拠人として呼ばれたとごまかしているが、いずれバレるかもしれない。まあその時はその時だ。
「ああそうだ母さん、今日友達が一人お菓子を届けに来てくれるから」
「え!?」
母さんが急に大声を出したので、僕は背筋がビリビリした。
「あんた友達いたの!?」
「最近ね」
「嘘!?どんな子?イケメン?スポーツ万能?高身長?」
「イケメンでは無いな、女子だから」
「はあ!?」
再び母さんは大きな声を上げる。今度こそ僕の背筋はイカれてしまった。なんだかずっと痺れている。
「あ、あんたに女の子の友達が……、咲ちゃん以来じゃないの?」
「別に僕の友達はそいつだけじゃないよ。いつ来るかは分からないけど」
「そう、楽しみねえ」
なぜか母さんは一人で盛り上がっている。いつ来るかは分からないが、おそらくもうすぐ来るだろう。
さすがに夜遅くに一人で来るとは考えにくいし、それにあの家のことだ。家のルールも厳しそうだ。
僕は自分の部屋に入って、鞄を適当に地面に放ると、手を洗いに洗面台に向かった。
手を洗ってうがいし終える。自分の部屋に戻ろうとした時、母さんに呼び止められた。
「学校は楽しい?」
その質問が一番困る。それは一体いつの僕に対しての質問なんだ。
「誰のこと?」
「何言ってるの。今家にいるのはあんたと母さんだけよ」
「僕が楽しいか、か……」
今考えているこの思考はいったい何なのだろうか。誰が考えているのだろうか。この思考は僕のものだ。間違いない。でも、
この感情は本当に僕が感じているものなのだろうか。
僕は気分が悪くなり、ふらふらとした足取りで階段を上る。母さんが何かを話しているようだが聞き取れない。
視界が歪む。前に進んでいるのかすら分からない。
距離感覚が失われる。ドアノブに手を伸ばしても手が届かない、空を切る。
思考が揺らぐ。自分が何をしたいのかどこに行きたいのかが分からなくなる。
「うっ……おええ……」
僕は洗面台に倒れこみ、口からは胃の中身が零れ落ちる。喉は胃酸で焼けるようにひりひりする。
「ちょ、大丈夫!?」
ようやく聴覚が戻ってきた。母さんの慌てた声が耳に入って来る。でも僕はなぜか動けなかった。
すぐそばには誰かの気配がする。
櫻花?
悪い、いろいろあって見舞いに行けてない。さすがに二日連続で行かなかったのはまずかったな。
ごめん。あの時僕が死んでいれば良かった。そうすれば周りの人が悲しむこともなかった。
僕は鏡を見る。そこには母さんはおらず、櫻花ではない別の人物が映っていた。僕だ。
「そうやって逃げるのか?」
うるさい、逃げて何が悪いんだ。
「そうやっていつも人のせいにするのか?」
うるさい、仕方ないじゃないか。周りが僕をこうしたんだ。
「櫻花も巻き込むのか」
黙れ、今の僕には関係ない。
「なんで僕が君だって気が付けないんだ」
僕が……お前?
「全部君のせいじゃないか、何で責任を転嫁して独りで逃げてるんだよ」
黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ。
「うあああああああああああああああああああ!」
「ちょっ、どうしたの!?」
僕が再び鏡を見ると、そこには母さんが映っていて、僕の残影なんて映っていた形跡はなかった。
僕は洗面台の中を水で流し、コップに水を汲んでその水で口をゆすぐ。
「……母さん、僕は更科夏樹だよね」
「当たり前じゃない、正真正銘母さんの息子よ。……本当にどうしたの?」
「いや、何でもないよ」
僕は顔を上げて鏡を見つめた。やっぱりそこには僕と母さんだけが映っている。
ひどい顔だ。僕の顔は何かおびえるかのように震えているように見えた。
その時、家の中にチャイムの音が響き渡った。
「……出てくる」
「ふらふらじゃない、大丈夫なの?」
「うん、もう大丈夫」
僕はしっかりとはしていない足取りで玄関へ向かう。扉を開けると、そこには私服姿の岸水がいた。
「更科さん、これです」
「ありがとう」
僕は岸水から紙袋を受け取る。中をちらっと覗いてみると、たくさんの菓子袋が入っていた。
「わざわざ悪いな、きっといつか何か返すから」
「ほんとホント。初めまして岸水さん、夏樹の母です。すごい美人さんねー」
「出てこなくていいよ母さん」
母さんはいつの間にか僕の後ろでにやにやと玄関に立っている。
僕は玄関の扉を閉めると、岸水と向かい合う。
「楽しそうなお母さんですね」
「楽しすぎるくらいだけどね」
「でも……きっとそれくらいの方がいいんですよ」
それは七夕の家のことを指しているのか。それとも彼女の家のことを指しているのか。
岸水の家庭に関して、いや、ほとんどの家庭のことについて僕は知らない。それでも僕は知って行かなくてはならない。
それが今の僕にできることだ。
「私の親はすごくいい人で、私にも優しくしてくれました。お父さんもお母さんも、それぞれが仲のいい夫婦です。でも仕事柄上、あまり家にいる事はありませんでした。話し相手と言えばお手伝いさんたちくらいのものでした」
彼女もきっと寂しい思いをしたのだろう。七夕のように直接嫌がらせをされているのならきっと嫌悪感を抱ける。離れられる。
それはそれでかなり苦しいことなのだが、彼女は逆だ。親に愛されていたからこそ離れられない寂しさがあった。
僕はそれに近しい感情を持っている。自分はまだ好いていたのにも関わらず、あっという間にいなくなってしまった人がいる。
「でも私は幸せだったんです。でも両親と並んで歩いていたりしている同級生を観たりすると思うんですよ。この幸せは本物なのかって」
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