第六話 それはきっと素晴らしいことなのだとしたら
「私の子供の行儀見習いになってみないか?」
予想外の言葉にブバルディアは困惑する。
「まあ、行儀見習いと言っても形だけだけどね。ブバルディア君は貴族の姫君ではないから、立場、性別も違うけど、其処ら辺は俺が適当に何とかするよ」
ルイスは捲し立てるように内容を説明するが、それを遮る者が表れる。その人物とはブバルディア…ではなくルイスの右腕であった。
コンコン。
音と共に緩やかに開かれる応接間の扉。誰かの返事を待たずして、アルフレッドはテーカップなどの用品を載せたワゴンのキャスターを
「旦那様、そしてブバルディア様。お茶のご用意が出来ました」
ティーポットから洩れる湯気と共に漂ってくる目に見えない匂いは、嗅いだ者を歓喜に満たすだろう。
「うーんいい匂い。丁度いいし、ブレークタイムにしようか。…いや本来は最初からあるべきなんだけど…まあいいか!」
余程紅茶が楽しみだったのか、まるで子供みたいに意気揚々となる領主。
(…行儀見習い。本来の意味であるならば先程領主様が仰っていたように、姫君が自分より上位の貴族や、修道院の
ティーポットからテーカップへと紅茶が注がれる音を尻目に、ブバルディアは冷静さを取り戻し、現状の把握を図った。
(まだ話の全容が分からないので推測しかできませんが、立場性別は置いておくとして、行儀見習いとパトロン…いや、旅人との共通点が分かりません。世話をしながら自らを磨くのが行儀見習いであって、行儀見習いが旅をするなどというのは…とても考えにくい)
「ブバルディア様。お砂糖の方はいかがなさいますか?」
「…では一つ下さい」
理解出来ないのを承知で少しでも把握しようとしたのに、把握しようとすればするほど把握が出来なく、思考に
そのせいでブバルディアは自分に向けられた問いに、すぐさま答えることは出来なかった。
「旦那様のはお砂糖を五つ入れていきましょう」
「流石!好み分かってるー!」
テーブルに置かれたティーカップ。
透き通った茶色の液体は、きっと自分が今まで飲んできたモノたちとは比べ物にならないほど美味なのだろう。ブバルディアはそう期待感を抱く。
旅人になればこんな風に見たことないモノ、聞いたことがないモノが沢山見て感じることが出来る。物語が現実になる。
だからこそ、旅をするというのはとても素敵なことなのだ。
「いいよ飲んで。マナーとか気にしないで」
「はい。いただきます」
カップに口を付けて傾ければ、舌先に熱が感じられる。それは勢いよく口内に広がり、茶葉の香りが今までの感覚を否定するように支配しようとし、すっきりとした甘みが更に助力してくる。
「どう?」
ブバルディアは判然と言い放った。
「滋味です」
嘘一つない感想にルイスとアルフレッドは喜んだ。
「それはよかった」
「入れたのは私ですが」
「何?もしかしてお賃金が少なくて不満?」
「どうでしょうか。…ブバルディア様こちらもどうぞ」
テーブルには新たにお菓子が置かれた。色鮮やかで小さなお菓子たちは、紅茶を引き立てることに関しては、他に追従を許さない。
普通なら交わることのなかったであろう二人は、今この時間に愉悦する。交わされる会話は先程までより少ないが、満足度でいえば今であろう。
このまま数十分のブレークタイムを楽しみ、休憩も終わりと全員が思い始めるころ。
「ふぅ…そろそろ真面目な話をしようか。アルフレッド」
「かしこまりました」
名前を呼んだだけであるのに、執事はまるで打ち合わせしたのかのように部屋から退室する。
「じゃあ俺の提案を聞いてもらおうかな」
「はい」
ブバルディアは覚悟を決める。
「行儀見習い…って先程言ったけど、要するに君を俺の配下として雇おうと思ってね」
「…使用人としてですか」
「形式上はそうなるね。ただ、そこに本来の仕事があるかは別さ」
ルイスは手元に置かれたティーカップに手を伸ばすが、既に中は空であった。バツが悪い出来事に、彼は顔を顰めるが、直ぐに表情を直して話を続ける。
「パトロンだと多分立場的に難しんじゃないかな?というのも、パトロンは支援してもらっているだけであって、仕事とは言えないからね。真実の儀で腕に表す模様には出来ないと思うんだ。資金面的な問題ならパトロンで別にいいんだけど、立場の問題は解決しない。それだけじゃ駄目だろう?」
「そうですね」
「だからこその部下としての立場なんだ。俺なんかに忠誠を捧げろなんて言わない。ただ籍を置いておいて欲しいのさ。貴族の配下なら真実の儀で追加の模様を入れざる負えないだろうし、文句を言う人は殆どいないだろう。行儀見習いと言ったのはそういうことさ。君は家から給料としてお金を貰えるし、旅人として世界を回ってもらって構わない。まあ、安全は自力で確保してもらうけど」
大体の話は見えてきた。しかしブバルディアには理解できない部分があった。
「では何故行儀見習いなのでしょうか。配下になるだけなら、行儀見習いという形ではなくてもよいのでは?」
「うん。仰る通り。ぶっちゃけ配下の立場であるのなら何でもいいね。…彼女も似たようなものだし。まあでも行儀見習いというのにこの話の肝があるんだ。流石にこちら側からも要求をさせてもらおうとね」
どんなことを要求されるのだろうか。旅人して世界を回るのなら、出来る仕事は限られる。ブバルディアは何か特別な力を持っている訳ではないので、特殊なことをすることも出来ない。
「俺の嫡男の世話をして欲しいんだ。一応言っておくけど、長男だね」
「…
「まあまあ、世話と言っても付きっきりで身近の世話をするわけではないよ。…息子にね、世界を見せてあげて欲しいんだ」
雰囲気が少し暗くなる。先程よりはましだが、やはり何かあるのか、決して今まで通りとはいかなかったようだ。
「名前は『デルフィア』。『デルフィア・エラスタ・ムサンナブ』。心優しくて、頭脳明晰な子なんだけど、生まれつき身体が弱いんだ」
「それは…」
それはきっと悲しいことだ。身体が弱いのが悲しいことに結びついているのではない。物事を考えるときは短絡的ではいけないのだ。
悲しいことだとなるのは、貴族の子供、更に直径の長男という点だ。
「君なら想像できているだろうけど、貴族の子で身体が弱いのは致命的なんだ。遠出することは厳しいから、舞踏会の時期になっても行くことが出来なかった。友好関係は狭く、勘当しろだなんで声もある」
酷いことをいう、と思うかもしれないが、これが現実だ。貴族に生まれるというのは良くも悪くも立場が余計に付きまとう。面子を考えれば、追放するのが一番手っ取り早く問題因子を消す方法に違いない。
公に追放するのは他の貴族にいい攻撃手段になる。そのため病死、事故死などと適当に理由を作らなければいけないが、直径の長男であろうとも、ムサンナブ家からいなくなることの方がメリットになると考える人もいるということだ。
「正直な話、解決方法は見つかっていない。身体を鍛えようと運動も出来ないし、魔法や神聖術を使っても無理なそうだ。息子を処分したりする気はない。自身で望めば別だが、少なくとも他人言われてどうにかする気はさらさら出てこない。例え病弱であろうとも、俺の子供に違いないのだから」
輝かしいほどの親子愛だが、ブバルディアが聞いて思ったことは、この男は貴族らしい考え方ではないということだった。礼儀作法や言葉遣いの段階では、まだ自分の認識違いの可能性も十二分にあったが、同じ時間を過ごせば過ごすほど、自分ではなく、彼がおかしいのだと分かる。
ブバルディアにはこのような貴族と出会えて、功を奏しているのかを理解することは出来なかった。
「息子は物語が好きでね、本をよく読んでいる。話を聞いてみれば、自分が知らないことを知ったり、恰も別の人生を生きている、と感じられるのが楽しいそうだ。君にも同じような感覚があるかい?」
「そうですね。といっても完全に同じとはいきませんが」
「似た者同士という訳か。ならなおよし。俺はね、息子に少しでも世界を知って欲しいんだ。いいこと悪い事。楽しい場所、辛い場所。笑える出来事、泣ける出来事。なんでも感じて欲しいんだ」
「…」
「そんなことを思っていれば、君が来た。今日、君が自らの夢を叶えるためにやってきた。そしてその夢は、俺の望みと相利共生。こんなに都合のいい話はないだろ?」
そうだ。こんなに都合のいい話はそうそうない。創作か現実か。神すら知りえないことが今、彼らの人生を交じらせたのだ。
今この場で一番渇望をし、興奮している男ルイス・アルトワ・ムサンナブ。彼は息子のためを思ってと言ったが、それは正確ではない。この話は決して二人だけの話ではないのだ。
「君が旅をして体験したことを日記に記して、息子に届けて欲しい。それが私の願いさ」
けれどそのことを彼は語ろうとはしなかった。
この日から僕の旅人としての生活が始まったのでしょう。今思えば、いや当時も可笑しい行動だと思いますが、可笑しい行動は成功したら可笑しくなくなるのです。狂人と天才は紙一重。功績さえ残せば、狂人は天才と言われます。
こうやって思いふけっていたら、クードに帰りたいと思ってしまいます。正確に言えば、実家に帰りたいと言えばいいのでしょうか?物心ついた頃からずっとクードの孤児院に住んでいたので、こうやって旅をする生活には慣れたものの、同時に懐かしさを感じるようになりました。旅は東に向かっているので、クードに帰るとしたら、北へ上って西に戻り、南を向かって戻る必要があります。だから当分先ですね。もしかしたら何年、何十年先かもしれません。そのころには身長も伸びているでしょうか?
いつかの日記
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