料理苦手な私の事情

千石綾子

料理苦手な私の事情

 私は料理が苦手だ。

 材料を量ったりするのも面倒くさいし、素材を切るにも色々な切り方があって。輪切り? 千切り? 短冊切り? 何それ、本当に面倒くさい。


「自分が食べたいものを食べたい味に食べたいときに食べられるんだよ。お料理、いいじゃないか」


 アパートの管理人の近江はそう言って、エプロンの紐をきゅっと掴んで引っ張った。彼は料理好きで、このアパートの住民の食事も全部作ってくれる。

 もちろんお昼も作ってくれるので、お弁当箱を出しておくと、朝にはちゃんとお弁当が準備されている。


 会社にはそのお弁当を毎日持って行って食べる。友人たちはコンビニ弁当が多いので、私の(近江の)手づくりお弁当はとても羨ましがられる。

 今日もチキンライスに手づくりハンバーグ、ほうれん草のソテーとエビとアボカドのサラダと茹で卵、デザートのイチゴが彩り良く詰められている。キャラ弁みたいな珍しさはないけれど、とにかく味が良い。


「雅のお弁当、いつも手が込んでるわねー」

「ハンバーグとかも冷凍じゃないわよね、それ。いつどうやって作ってるの?」


 友人たちには誰が作ったのかはナイショにしている。自分で作った、とは言っていないが、友人たちはそう思い込んでいて、私は鼻高々だ。


「お料理はね、直感で作るものなのよ」

「へぇー」


 これも近江の受け売りだが、どうせバレることはない。私は得意満面でデザートのイチゴを噛みしめる。



 しかし、甘かった。イチゴがではない。私の考えが甘かったのだ。

 いつの間にか部署内で私の手作りお弁当が美味しそうだという話が広がっていた。


「ねえ雅。いつもお弁当すごいんだってね」


 今付き合っているヒロシくんまでがお弁当の話を持ち出して来たのだ。


「すごいって言っても、普通よ? お母さんが作るみたいな素朴なお弁当だもの」


 できるだけ興味を削ぐように言ってみたけど、ヒロシくんはかなり気になっているみたい。


「今度僕にも作ってよ。……ううん、うちに来て。一緒に作ろうよ」


 ハンマーで後頭部を殴られたような衝撃を感じた。私が、ヒロシくんと、お料理。

 無理無理。私一人じゃ無理。デートに近江を連れていくしかないじゃない。


「来週の日曜日、映画に行くって言ってたけど、その後のランチは自宅に変更しようね」


 ヒロシくんは強引なところがある。優柔不断な私は、そんな所が好きで付き合っているんだけれども。こういう時は本当に困る。



 その日帰宅して私は近江に泣きついた。


「お願い、週末までに私を料理の達人にして!」

「それは無理じゃないかなあ」


 即答か。考える間もなく即答か。まあそうだろうね。私だって無理だと思うもの。私は事の詳細を近江に話して聞かせた。


「うーん、その日だけ取り繕えば良いって事だよね。それなら何とかなるかな」

「ホントに?! 近江先生、近江様、宜しくお願いします!」


 その日から特訓が始まった。


「そうそう、包丁遣いはまあまあ上手じゃないか。人参と大根を千切りにして……いいねいいね」


 近江は褒めて伸ばすタイプらしい。そして私は褒められて伸びるタイプのようだった。


「僕、和食とか家庭料理しか作らないから、お洒落な料理とかは分からないよ」

「いいのいいの。いつものお弁当みたいな内容が好みみたいだから。……でも、何を作ればいいのかな」


 すると近江はちょっと考え込んだ。


「うーん、ほら、『何でもいい』は一番困るよね。後は冷蔵庫とかキッチンにあるものでメニューを組み立てるんだよ」

「あるもので?」

「そう。料理は直観で作るものだからね」

「直感って女の勘、みたいなものでしょ? そんなの本当に料理に関係あるの?」


 すると近江は困ったような顔になる。


「それは直感。僕が言ってるのは直観。積み重ねた経験とか知識を元に咄嗟に判断することだよ」


 なんだか違いが良く分からない。けれど経験が必要なら、料理の経験が浅い私は一体どうすればいいんだろう。


「例えば。ジャガイモと人参と玉ねぎ、お肉があれば、肉じゃがでもカレーでもシチューでも作れるって考えるでしょ? そういう風に食材を見て咄嗟にメニューを決めるんだよ」

 近江は、普通の家庭にある食材で作れる料理のレパートリーを色々と教えてくれた。不安は残るが、このまま本番を迎えることになる。

 デートの前日は、久しぶりに寝付けなかった。


***


 デート当日。映画を見て喫茶店にいった後、私たちはヒロシくんのアパートへ向かった。


「ねえ雅、僕んちまともな食材がないから、途中で食材買って行こうか」

「えっ、食材ないの?」


 これは想定外だ。誘っておいて何も用意してないなんて。そりゃないよ。


「じゃ、じゃあ何を作るか決めてくれる? それで買い物しようよ」

「うーん、そうだなあ。雅の作るものなら何でもいいよ」


 これはある意味想定内だ。最悪な意味で。


「うーん、どうしようかなー」


 頭の中は真っ白。棒読みになった返事。誰か助けて! そう私が心の中で叫んだ時、アパートの近くに見慣れた姿があった。


「近江?」


 クーラーバッグを肩から下げて、近江が所在無げに立っていた。


「あ、雅ちゃん。忘れ物届けに来たよ」


 忘れ物? 何のこと? そう首をかしげていると、近江は私にクーラーバッグを押し付けた。


「ほらっ、今日の仕込みした食材。玄関に忘れていったでしょ」


 そう言って、不器用にウインクする近江。おう、そういうことか。中を検めると、千切りにしたキャベツとコロッケの具、卵液と小麦粉パン粉にトマト、エビピラフ用に炒めた米と具そしてスープ。デザート用なのか、カットフルーツまで入っていた。


「近江……!」


 思わず拝み倒そうかと思った私に、「早く行け」と手を振って近江は人混みに消えていった。


「……誰? 今の、雅の何?」


 ヒロシくんは面白くなさそうだ。


「うちのアパートの管理人だよ。今日この辺に来るって言ってあったから助かっちゃった。私も間抜けだよね、折角準備したのを忘れてくるなんて。あはははは」

「へえ、管理人ねえ。……まあいいや、早く行って準備しようか」


 ヒロシくんのアパートにはよく来ているから、特に新鮮味はない。でも今日はお料理をせねばならないのだから、緊張は隠せない。


 私はクーラーボックスから、近江が準備してくれていた食材を取り出す。全部この一週間で練習したメニューばかりだ。

 コロッケを形成して小麦粉、卵液、パン粉につけて揚げるだけ。ピラフは材料をぶち込んで炊飯のスイッチを押すだけだ。後は付け合わせのトマトをくし切りにしてキャベツとコロッケに添える。


 実に簡単だけれど、目玉焼き一つ作れなかった私にとっては大きな進歩だ。多分。


「へえ、料理ってこんなに簡単なんだね。僕にも出来そうだな」


 ヒロシくんは無邪気に笑っている。人の(主に近江の)苦労も知らないで。まあ、それが彼のいいところでもあるんだけどね。


「うん、美味しい。雅のお弁当が美味しそうっていう噂は本当だったね」

「ありがと。気に入って貰えて嬉しいな」


 お料理、という程の事はしていないけど、楽しかった。これからも近江に色々と教えてもらおう、と心の中で私は思った。


「ねえねえ雅。こんな美味しい料理、僕も毎日食べたいな」

「えっ」


 それってもしかしてプロポー……


「明日から僕の分もお弁当頼んでいいかな」


 ──違った。でも、こういう図々しいところもヒロシくんの良いところだし……。


***


 アパートに帰って私はまず近江に御礼を言った。


「有り難う! 本当に助かっちゃった。近江が神様に見えたよ!」

「照れるなあ。お役に立てて何よりだよ。彼氏とは上手くいった?」


 私はにっこり笑って近江に言った。


「ヒロシ君とは別れたわ」


「へ?」


 近江はぽかーんとしている。


「なんかこう、彼とは上手くいかないって感じたの。直感ってヤツかな。それとも経験を元に決断したから直観なのかな。……とにかく、あの手の男は苦労するのよ。早めに分かって良かったわ」


 そう言って私は近江の手づくりドーナツをひとつ、がぶりと齧った。 



                   了


(お題:直観)

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