ダイイングメッセージは暗号だった

護武 倫太郎

問題編

「警部、被害者の上着の内ポケットにこんな手紙が」

 私のもとに、部下の刑事が駆け寄ってくる。手柄を褒めてもらいたいのか、笑顔で駆け寄ってくる様子はまるで犬のようだ。

「どれ、見せてみろ」

 部下が持ってきたのは、三つ折りになった血まみれの手紙であった。手紙は被害者の血がべっとりと付着していたが、ワープロソフトで書かれたであろう文字はかろうじて読み取ることができた。

『電卓 317 逆立ち』

「もしかして、これって被害者のダイイングメッセージってやつですかね」

 部下は、わくわくしている様子であった。実際の殺人事件で、このようなミステリーじみたことがおこることは稀だ。根っからのミステリー好きで通っている彼のことだ。嬉しくて仕方がないのだろう。


 今回の事件は時代小説家が、執筆に用いるために都内に借りている貸しオフィスで刺殺されるというショッキングなものであった。被害者は大久保おおくぼ兼信かねのぶ47歳。死因は背後から鋭利な刃物で刺されたことによる失血死。出血の様子から、刺されて数分で死亡したものと思われる。殺害現場は貸しオフィスの台所で、冷蔵庫の前でうつぶせに倒れていた。凶器は被害者のすぐ横から見つかった包丁で、指紋は検出されなかった。

 また、被害者の周り、それこそ金銭等に手が付けられていないことからも、怨恨による犯行だと考えられた。

 この貸しオフィスに自由に出入りできる人物は、被害者の妻と担当編集の二人だけだったことから、この二人を最重要参考人として捜査が進められることになった。


「では、まずお聞きしたいのですが、奥さんが第一発見者ということでよろしいんですね」

 私は被害者の妻である、大久保理恵りえ氏から話を伺うことにした。

「はい。私は毎晩夕食を作りにこのオフィスを訪ねていました。あの人は集中しすぎると何も飲まず食わずになることがあって。前にもそれで倒れたことがあったので」

「それで、オフィスを訪れると被害者が亡くなっているのを発見し、通報したということですね。ちなみに、オフィスに鍵はかかっていましたか」

「はい。いつも通り合鍵でオフィスに入りました」

 つまり、犯行は強盗目的といった外部の犯行ではなく、合鍵を持っていた人物によるものだと考えるのが自然だろう。ただ、被害者の死亡指定時刻に理恵氏にはアリバイがなかった。

 理恵は被害者に恨みを持っていた。被害者は浮気をしていたのだ。浮気相手は、合鍵を被害者から持たされていたもう一人の人物、担当編集者であった。

「私はあの人に恨みなんてありません。浮気をしていると知ったときはそれこそ、殺してやろうかと思った日もあります。でも、今ではそれを乗り越えました。離婚協議をしたこともありましたが、別れないという結論で落ち着きました。殺すなんてもってのほかです」


「では、奈緒なおさんは、確かに被害者である兼信氏と不貞を働いていたということで間違いないですね」

「はい。隠していても仕方がないことですから」

 もう一人の重要参考人である松井奈緒氏は、被害者との不倫関係を認めていた。堂々としたものである。

「彼と私は愛しあっていました。私には彼を殺害する理由がありません。彼は私と一緒になってくれると約束もしてくれていました」

 奈緒氏も理恵氏と同様に、犯行時刻周辺のアリバイを証明することはできなかった。

「私が奥さんを殺したなら分かります。でも、彼を殺すなんてことはありえません。だって彼は奥さんと別れてくれるってことでしたもの。まだ、離婚協議は終わってないみたいですけど、私は別れるって信じてましたから」 


 今のところ、犯人につながる証拠は何もない。手掛かりといえるのも、部下が見つけたあの手紙だけだ。

『電卓 317 逆立ち』

「警部、この手紙やっぱり被害者のダイイングメッセージですよ。なにせ被害者は、刺されてから数分は息があったんですよね。それと、僕この暗号解けましたよ。実際に電卓を用意したらいいんです」

 この手紙が暗号で書かれたダイイングメッセージになっていて、それが解けたことがよほど嬉しいのか、部下が得意気な顔をしている。

「なあ、質問なんだが、その手紙はパソコンで書かれたものなんだよな。指紋は検出されたかい?」

「はい。キーボードはきれいなままでしたが、被害者の指紋がちゃんと検出されましたよ」

「それともう一つ。パソコンは台所にあるのかい?」

 そんな私の質問に、部下は何を言ってるんだと言わんばかりの顔で答えた。

「パソコンが台所にあるわけないじゃないですか」

 私はその瞬間、この事件の全容が見えたような気がした。暗号の謎と、犯人の正体が。

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