第9話


「ミナ、使ってみてどう?」


 洗い物をしているミナの背中に尋ねると、肩越しからホワワワワワワ、と泡がたくさん出てきた。


「レ、レイジさんー、これ、これ、泡が、たくさん出てきて……た、助けてくださいーっ」

「洗剤使い過ぎなんだよ。……どれだけ使ったんだ」


 おれが手元をのぞくと、渡した小瓶の中身全部がなくなっている。思った通り使い過ぎだった。

 休みの日、いつもミナが洗い物に異常に時間がかかっているのが気になって、訊いてみた。


『そうですねえ。キレイにするのに、いつもだいたい一時間ほどかかっていますけれど、それがどうかしましたか?』


 ミナがのんびりしているとか、そういうことではないらしく、消臭液を買いに来た主婦のおばちゃんたちに訊いても、やっぱりそれくらいは時間がかかっているそうだ。


 三人分の食器を洗うのに一時間って……しかも三食あるんだから、全部で三時間かかる計算だ。

 恐ろしいくらい時間を無駄にしている。そんなこともあり、食器洗い用洗剤を試作してミナに使ってもらっているのだ。泡まみれのミナが声をあげた。


「あぁーっ! レイジさん、すごいですよ! すごいですー! お皿が真っ白です~」


 ふふん、そうだろうそうだろう。


「キュッキュッのキュ、です~」


 白い皿をキュコキュコとこすりながらミナが感嘆をあげる。これで、ひと皿あたりにかける時間が短縮されて、洗い物に費やす時間が減るはずだ。家事は効率よく。そして、どれだけ楽にこなすかが大事だって、誰かが言っていた。


「全然こすってないのに、こんなに真っ白だなんて……魔法みたいです~」


 ちなみに、ノエラは寝室のおれのベッドでお昼寝している。ミナが蛇口に手をかざすと、適量の水がじゃーっと流れ出した。


 この世界には、生活石という数種類の魔力に反応する石があり、それに自分の持っているごく少量の魔力を流すと、水を流せたり、火をつけることが出来たり、明かりを灯すことが出来たりする。その魔力っていうのは、体力や精神力を合わせたようなものなので、異世界人のおれでも、使うことが出来た。


「これなら、洗い物も楽しくなりそうですー」

「そう言ってくれるんなら、作ったかいがあったってもんだ。ちょっと、試作品の余りをご近所さんに配ってみるよ」

「はい。行ってらっしゃいませー」


 小瓶を数本バッグに入れて、店を出る。ご近所さん、とは言ったものの、一般家庭よりもこういうのは飲食店のほうがいいのかな。一般家庭より皿を洗う量は多いんだし。


 おれは一番近くの酒場兼食堂へやってきた。店内には、屈強な体つきの人たちがいくつかのグループになって食事をしていた。


「こんにちはー。キリオドラッグの者ですが」

「あー。ええっと、薬屋さん!」


 奥から見かけたことのある女の子の店員がやってきて、思い出したように言った。

 そうそう、薬屋なんだよ。錬金術師とかエクソシストとか、革命児とかなんとか言われたけどやっとちゃんと言ってくれる人と出会えた気がする。


「消臭液、すごく助かっています。お掃除しても、においが消えないことが多かったので」

「そうでしたか。それは良かったです。今回、新しい薬を作ったんですが、試してみませんか?」

「新しい、薬ですか?」

「はい。皿洗いがすごく楽になる薬です」


 ほぇー、と感心する看板娘に、おれはあれこれ説明していく。すると、ガタリ、と食事をしていた男が席を立った。


「おい、アンタ。あのポーションを作った人か。ちょっと話があるんだが――」


 おれに話? ……何の話だろう。

 ガタイの良い強面にそんなことを言われると、ビビらずにはいられない。


「……ドズ、やめな」


 隣に座っている赤毛の女が言うとドズと呼ばれた男は首を振った。


「ですが、姐(あね)さん」

「このアタシがやめろって言ってんだ」


 アネサンが言うと、大男のドズは大人しく座った。おれはこそこそ、と看板娘に尋ねた。


「……あの人たちは?」

「あの人たちは赤猫団と言って、この町の警備を領主様に任されている傭兵団の方たちです。赤い髪の毛の女性が、団長さんなんですよ」


 傭兵団……。荒っぽい人たちの集まりだろうか。言われてみれば、警備兵として見たことのある人が何人かいる。


「薬屋、済まないね。仕事中に」

「あ、いえ。お構いなく」


 団長さんは、赤い髪をポニーテイルにしている、目つきの鋭い美人さんだった。おれは軽く会釈をして店を出る。


「ああ、もう我慢ならねえ――」


 ドシドシドシ、と足音が近づき、おれは肩を掴まれた。振り返ると、ドズという傭兵がいた。


「薬屋――いや、薬屋さん。ポーションを半額で毎日五本、オレらの兵舎に届けてくんねえだろうか」

「え。ポーションを?」

「この通りだ」


 ドズさんはおっきな体を折って、勢いよく頭をさげた。半額で五本か……。

 最近は、高騰したポーションの値段も落ち着いて適正価格の一二〇〇リンで売っている。


 これは卸している雑貨屋でも同じだ。半額となると、こちらは完全に赤字。ううむ、どうしたもんかなぁ。団長さんがこっちにやってきて、ドズさんの後頭部をスパシーン、と叩いた。


「テメ、余計なことを言うんじゃねぇ――」

「ですが姐さん! ……姐さん、もうあのポーション無しじゃ、生きていけない体じゃないですか!」


 え……。ポーション無しでは……? 徐々に体力が減る呪いか何かを受けて、ポーション飲みながら誤魔化してきたってこと? 団長さんは困ったように頬をかいた。


「そ、そんなこと、ねえよ……」

「あります! オレ、知ってんですから。いや、オレだけじゃねえ。みんな知ってる」


 ……その病気のことを隠してたのか、団長さん。みんなに心配させまいと……。


「夜、常備しているポーションをこっそり飲んでいるでしょう? いつも二本、酷いときには五本全部なくなってる――毎朝、オレ、数えてんですから――!」


 チ、と団長さんは舌打ちして顔をそむけた。


「……飯食ってる最中にする話じゃねえよ。こういうことは、帰って……」

「いいえ! 今させてもらいます。……姐さん、もうやめましょう、そういうの」


 何やら妙にシリアスなので、おれも看板娘ちゃんも心配しながら見守っている。


「酒も呑まない博打もしない姐さんが、唯一ハマッたモンなんでしょう。それに、あの革命ポーションは悪魔的な美味さがある。オレもそれは知ってます。けど、あれはお薬なんです――! そう毎晩こっそりゴクゴク飲まれちゃ、金がかかって仕方ない。あまり安いもんじゃなんだ。この際、ハッキリ言わせてもらいます。常備している革命ポーション、勝手に飲むのをやめてください! あれは、怪我人用に置いてるモンなんで!」


 あれぇー。思っていた話と違う。

 団長さんはバツ悪そうな顔で、ポニーテールをくるりんくるりん、と指で弄んでいる。もにょもにょ、と口を動かして言った。


「アタシ、飲んでねえし……」


 声ちっちゃ。悪さがバレた子供みたいだ。


「隠すの、もうやめましょう。オレら、みんな知ってんですから。それで、こうして今薬屋に安く買えないか交渉してるんじゃないですか。姐さん用ポーション」


「傭兵団の物は、団長であるアタシの物。アタシの物はアタシの物だ。文句言うな」


 出たー! ジャイアニズム! この世界にもあった! ただ、言い草がすごく子供みたいだった。


「資金難っていうのは知っているでしょう? 誰のせいだと思います?」

「決まってンだろ。報酬がしょぼいからだ」


「「「「あんたのせいだよ!!」」」」


 団員全員からツッコミが入って、う、とひるむ団長さん。こうして外食するのもずいぶん久しぶりなんだとか。田舎だから、警備料もあまり高くないんだろう。それでもどうにかやりくり出来ていたのに、ここにきて、団長さんの安くないポーションの暴飲がはじまって困っているそうだ。

 見かねておれは口を出すことにした。


「わかりました。毎日五本、別に作ってお届けします。それに関して、料金はいただきません」

「薬屋……」


「え。この人神様……?」

「薬屋は神なのか……?」

「ここに神がおわすぞ……」

「ま、別にアタシは要らないんだが。それでいいってんなら、もらってやんよ」

「やんよ、じゃねぇんですよ、団長! 薬神(くすりがみ)がヘソ曲げたらどうするんですか」

「フ、そんときはそんときさ」


 シニカルに笑ってみせる団長さん。


「薬神、すんません、団長が素直じゃなくて。こう見えて実は喜んでいるんです」

「…………す、素直だし、別に喜んでないし」


 声ちっちゃ。にしても、また変なアダ名がついたな……なんだよ、薬神って。


「あ。でもひとつだけお願いがあります」


 この傭兵団のみんなは、町の警備兵だ。てことは、それなりに町のみんなに信頼されていると思っていい。


「新しい薬を作ったとき、試供品をお渡しするので、使ってみた感想を町の人に宣伝して欲しいんです」

「なんだい、どんなお願いかと思えば、そんなことでいいのかい?」


 団長が拍子抜けした顔をする。


「はい。見慣れない薬だとみんな警戒して買ってくれないんです。効果を言ってもなかなか信じてくれないことも多いですし。だから、使った感想を町の人たちに伝えて欲しいんです」


 ポーション五本で傭兵団のみんなは団長の暴飲を止められるし、おれは新薬の宣伝をしなくてすむ。宣伝の手間を考えれば、ポーション五本をタダで渡すなんて安いもんだろう。うん。誰も損していない。団長以外が片膝をついて顔を伏せた。


「薬神の仰せのままに――」

「「「「仰せのままに――」」」」


 変な宗教みたいに見えるからやめて欲しい。


「ええっと……じゃ、さっそくなんですけど――」


 おれは試薬品の食器用洗剤の効果を実感してもらうため、厨房へ移動した。

 食事が載っていただろう皿が、今は油の浮いた桶の中に何枚も浸かっている。


「じゃあ、団長さん、この液体を一滴、食器洗い用の布巾に垂らして洗ってみてください」

「お。おう……」


 隣では、看板娘ちゃんにいつも通り皿を洗ってもらっている。団長さんが布巾をニギニギすると、フワワワワワワ、と泡立った。


「っ!?!? な、ななななん、なんだよ、これぇ――!?」

「大丈夫です、そういうモンなんで、続けてください」

「おっ、おう……」


 目を白黒させながら、団長さんは皿を洗う。団員たちも固唾を呑んで見守っている。


「だ、団長に洗い物をさせるなんて……背徳感があって、ちょっと興奮すんなあ……」


 変態も混じっていたが、おおむねみんな見守っていた。


「あのー、団長。皿、もうキレイになってませんか」


 ハン、と団長さんは鼻で笑う。


「はっ。笑わせんよ。こんな短時間で皿がキレイになるわけ――――あるぅうううううう!? キレイになってるぅうううううう!?」


 目ん玉飛び出さんばかりに驚く団長さん。良いリアクションするなあー。


「えぇぇぇぇっ。こっちはまだ全然キレイになってないのに……すごい……」


 隣の看板娘ちゃんも驚いていた。団長さんが水で洗い流すと、キラリーン、と輝く皿が出てきた。

 おぉ~~! と、団員たち。


「団長が、魔法を使わずして魔法を使った……?」

「いいや。団長は何もしてないはずだぜ……」

「となれば――薬神か! 薬神の御業かっ!?」


 ばっとおれに視線が集まる。


「はは……。そういう薬なんで。御業がどうとかじゃなくって。この洗剤を使えば、ずいぶんと洗い物が楽になるでしょ?」


 ふんふん、と看板娘ちゃんが大きくうなずく。


「これで、手がふやけることもなくなるねっ!」

「……これなら……アタシにも、出来っかも……」と団長さんがちっちゃい声で言う。


 ヤンキー娘はじめての家事、みたいな感じで、ちょっと微笑ましい。


「団長が、家事に目覚めた、だと……?」

「いいや。団長は、あのおかしな薬に皿洗いを『させられた』に過ぎない……!」

「おそるべし……薬神の新薬……」

「となれば――薬神の御業かっ!?」

「というわけで、この薬の効果を町の人たちに広めてくださいね?」

「薬神の仰せのままに――」

「「「「仰せのままに――」」」」

「だから、それやめろってば」


 その日、おれは他にいくつか店を回って試薬品を渡して効果を説明した。

 みんなの驚く顔とお礼でお腹いっぱいだ。

 翌日、約束した通り、ポーションを配達するため店を出ようとすると、店先に団長さんがいた。


「おはようございます。ちょうど、今むかうところだったんです」

「お、おう……ちょうど、通りがかったんでな……」


 にしては、朝早いような。そんなに待ち遠しかったのか。

 おれがポーションを五本渡すと、うん、と団長さんはうなずいた。


「団長さん、好きなんですね、ポーション。ウチにも好きな子がいて、よく飲ませろってせがむんです。けど薬なんで、あまり飲みすぎないでくださいね?」

「お……おう……。アナベル……て言うんだ、アタシ……」

「あ。おれ、レイジって言います」

「そ、そうか。これから、アタシが毎朝取りにくるから。……じゃあな」


 それだけ言って、アナベル団長は逃げるように去っていった。


「? 配達するって言ったのにわざわざ来てくれるなんて、良い人だな」


 なんとなくガサツそうな印象だったけど、そうじゃないらしい。

 感心しながら、おれは今日もキリオドラッグを開店させた。





 ※

 毎週水曜夜にアニメが放送されています!

 本日は第三話です。

 どうぞご覧ください!


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