想いに区切る節はない

Planet_Rana

★想いに区切る節はない


 恋煩い、という言葉がある。

 煩いという言葉の通り、相手を思うことによって何も手につかなくなる状態を指す。


 大昔の男女が詠み交わした短歌、本として残っている物語や詩、演劇、舞踊、そして歌。


 世界には「ラブ」が溢れていて――世界には「ラブ」が足りていない。


 愛の証明、愛の不足。


 そもそも、人が人を好きになるにはどういうプロセスが必要なのか。

 身近に性格が良い人が居たら、それは好意を持たない理由にはならないだろう。

 軋轢はあっても、お互いを理解し合えると信じる長年の経験が好意に変わることもある。

 顔が良いから、スタイルが良いから。声が好みだから。信念に共感できるから。

 はたまた知り合いが推しているから嫌いではないだけ。などなど切っ掛けも様々だ。


 それこそ創作の世界において、投稿する道中に「遅刻遅刻~」などと吹き出しで焦りながら曲がり角で衝突するような出会いをした美少年に。見目麗しい深窓の令嬢に。


 相手の姿を見て、瞬間的に遺伝子の優劣をつけ、直観的に好意を持つ。それが。


「それが、ひと目ぼれの真実だと、いうのだろうか」

「知らんわ」


 瞬で返された返答に、対面する男子はしゅんとして机に突っ伏す。まるで叱られた犬の様な反応だと思った。


「何。心理学を少し齧ったからって愛や恋を科学的に説明しようとかしてるわけ? 無粋極まりない」

「返しのついた棘が刺さる心地だよ」

「ガンガゼ? それともアンボイナ?」

「棘を提供する役の選出にもの凄い殺意を感じる……」


 脳内を舞い踊る漆黒のウニと色鮮やかなイモガイ。


 男子は顔を上げ、対峙する女子の顔立ちを観察する。眉間に刻まれた皺、固く結ばれた唇、目鼻立ちもそこまで整っているとは思えない。忖度無しに褒められそうなのは肌質ぐらいだろうか。


 常日頃からメディアや雑誌で美しいとされる顔の形状を刷り込まれて来た身とすれば、彼女の顔立ちが美人と呼ばれる世界線も確かにあったのだろうが――そうでないことが、少しばかり惜しいように思った。


「今、超絶失礼なことを考えたりした?」

「いいや。時代って残酷だと思って」

「……いつだって現実は残酷だよ。別に、つい最近始まった事でもない」


 手元の本を捲る手を止め、女子は言う。きつい口調ながら、目の前の男子の話を聞く気はあるらしい。そういうところが気に入っている。


「それで、この『古生代レスラー』の新刊より面白い話題があるというなら、聞いてあげないことも無いけれど」

「何それ……表紙でむさくるしい研究者がプロレスしてる古生物学の雑誌……?」

「出土した標本の中でも単体で出るものとは別に、その時代の共生関係や補色関係を示唆するように、異なる種が同時に出土している物に関して専門に集められている研究雑誌で」


 噛み砕いて理解すると、琥珀の中に閉じ込められた蟻と花粉の関係を調べる様なものだろうか。説明は徐々に専門用語が混ざり始めてちんぷんかんぷんになってしまったが、男子からすればその語る口元が小鳥のさえずりのように見えて仕方がない。


「――以上の理由から学内の図書館にはおかれていない上に館内用の雑誌を読む貴重な時間を貴方に割いている現実が残酷だと思うんだけど……何、興味が沸いたりした?」

「ん? ……ああ、まあ現実は残酷みたいだしね」

「返しがざつっ」

「鳥が鳴いてるみたいで面白かった」

「今の会話の何処に鳥の要素が」

「只の客観だよ。気にしないで」

「はぁ、……別にいいけどさ」


 女子は呆れたように呟いて、視線を雑誌に戻す。男子のことを追い払おうとする様子はないが、相手にするのは二の次とでも言わんばかりだ。

 黒くて長い睫毛の震えを、目で追いかける。


「……愛だ恋だって、歌ったり踊ったりさぁ。そういう平和な時代に生まれた人間って、幸せだったんだろうか」

「……」


 本棚は倒れ、辺りには沢山の書籍が散らばっている。

 窓ガラスにはひびが入り、利用者はおろか受付にも人の姿がない。

 無事な机はこれ一つ。


 雑誌が閉じられる。発行された年数は、西暦2000年代だ。

 女子は無言のまま窓の外を見やった。青いコバルトの世界が広がっている。

 ――空から降って来た、質量の無い、ウミ。


 青魚が群れを成しているのを、無気力に男子は目に映す。


「この図書館に閉じ込められて結構経つ。そろそろ、覚悟が必要だと思って」

「はぁ、覚悟」

「……道中でタコに見つからなければ、装備も壊れなかったんだろうけどね」

「タコなぁ。図体と比例して縄張りが広いんだよなー」

「そうそう。おかげで貝や虫にまで追いかけられるし。たまったものじゃない」


 備蓄は図書館に残っていたものを、少しずつ消費して来た。ウミに呑まれようが出まいが、待っているのは死である。


「なあ」


 女子はかけられた声に振り返る。


「直観って、大事だと思うんだよ」

「直観?」

「愛とか恋とかを、生物的本能だけじゃなくて、経験から選び取るって話」

「……」


 椅子から立ち、無言のまま機材を取りに行く。潜水服を極端に軽量化したような、想像力の無さが浮き彫りになるアイテムを身にまとう。

 男子は、無言のままこちらを見ている。それだけだ。


「……俺は、君が直観的に好きなんだ」

「そう」

「でも、ここを出たとして。君は君が愛する人の元へ帰るんだろう」

「そう。産まれて育った家に帰る」

「けれど、一人では突破できない」

「貴方がいる」

「……俺が、君に協力する保証がどこにあるの」


 男子は席を立たない。女子は金魚鉢をひっくり返したようなフェイスガードを被ると、冷たい視線を投げつけた。


「ここを出ようとしたら。ここを出たら。悲しいことしか待っていない」

「――ずっと言ってるでしょ。現実が残酷なのは、今に始まった事じゃないって」


 自動扉が開いて、寒天の様に固まったウミに彼女が潜っていく。

 白く濁って、泡が立って、何もかもが歪に思えて。


 すると、彼女が何かを腕に抱えて戻って来た。自動扉越しに、開けてと言う。

 戻ってきた彼女は腕に貝を抱えていた。ホタテだ。


「もう少しだけ、一緒に待っていてあげる。備蓄はあるの」

「……貝を保存するのって難しくないか?」

「足りなくなったらまた探しに行けばいい。今度は、貴方も連れて行くからね」


 湿気で蒸れた黒髪が落ちた。

 小さな唇がさえずる。


「辛くなったら、ここでまた会おう」







 時計の針の音。

 点けっぱなしにしていたテレビのサイレン。

 目覚まし時計の音で、夢が覚めた。




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