KAC2021のお題をでたらめに遅れてこなす個人メドレー

岡本紗矢子

おうち充【テーマ:おうち時間】

   【新型××ウイルス感染症緊急事態宣言】

  新型××ウイルス感染症拡大防止のため、緊急事態宣言が発出されています。

  国民のみなさまにおかれましては、感染拡大の防止のため、不要不急の外出を

  控え、できる限りご自宅で過ごされますよう、ご協力をお願いします。

                  ――内閣官房新型××感染症対策推進室


「あなた、いったいどうしたの?」


 私は思わず声を上ずらせた。

 私は還暦をとうに過ぎた高齢者だ。茶飲み友達の彼女も、私と同世代。なのだが、スマホの画面上に現れた彼女の姿はまるで探検家で、その背後には鬱蒼としたジャングルが広がっていた。ベージュのシャツに同色の帽子を身に着け、ザックを背負った彼女は、カメラに向かい、にこにこと楽しそうに手を振っている。

 今までの好みだった、きれいめのワンピース姿はいったいどこへいったのやら。いやそれ以前に、彼女はいったいどこにいるのか。

 何十年も使いこんできた脳みそで、私は一生懸命状況を整理する。

 私たち、何をするんでしたっけ。

 そうそう、お茶会。リモートお茶会をするはずだったんですけれども。


 2020年に始まった厄介な流行といえば、新型コロナウイルス。そこに、何をどう相談したものか、他のウイルスらものっかることにしたらしい。ロタウイルス、ノロウイルス、アデノウイルスにエンテロウイルス。ごくごく身近にあったウイルスが、なぜか入れ代わり立ち代わり新型を送り出し始めたものだから、以来私たちは、終わりの見えないおこもり生活に突入することになってしまった。

 政府はずっと「緊急事態」を宣言し続けているが、私たちにとって外出せず家のみで完結する生活は、もはやただの日常だ。高齢者の私たちも機械が苦手だなんて言っていられず、今では買い物はインターネット、手続きもインターネット、おしゃべりはスマホのビデオ通話を使ってリモートで――なんてことが普通になっている。

 だから私には、今見た画面の向こうの光景が、よくわからないのだ。

 リモートお茶会といったらば、それぞれ自宅でくつろいで、のんびりやるものと決まっている。それなのに、久々にお茶会しようとあちらから誘ってくれた友人が、まさかジャングルにいようとは。どうなっているのだろう。


「ねえ、本当にいったいどうしたの。あなた今、どこにいるの? このご時世に、まさか旅行なの?」

『あらやだ。違うわよ、家の中よ』


 彼女はけらけらと答える。


「嘘、そうは見えないわよ。あなたの周り、完全に森の中じゃないの。何なの、その日本にないようなにょろにょろした木は? それにツタみたいなのが絡んで垂れてるし、画面の下の方からツンツン葉っぱが突き出しているし」

『ああ、これ? これねぇ、全部部屋の装飾なの。すごいでしょう、私が作ったのよ』

「つくった??」


 彼女はふふんと鼻を鳴らして、こころもち胸を張った。


『そうよ。ほら、おうち時間が長いでしょう? ちょっと家の中を面白くしてみたくって。まあ、新しい趣味ってところね。あ、探検家の格好はやりすぎかしら? でもちょっと気分を出したくって。ふふふふ』


 そう言われてよく見ると、前の方を覆う木や草には確かな立体感を感じるものの、後ろの方はどこか平板にも思えるような、そうでもないような。しかし、少なくとも画面越しでぱっと見る限りは、言われなければ作り物とは思えない出来だ。


「でもあなた……ずいぶん手が込んでるわね。これを作るのって、時間も手間も相当かかったでしょうに。なんでまたこんな」

『おうち充』

「おうち充?」

『そうよ、この時代を生きる新しい価値観として某女史が提唱して、今、急速に広まっているのよ。知らなかった? 家の中でやれることに徹底して凝る、凝りに凝って世界を作る、それでおうち時間を充実させる、それこそが良い生き方だって。確かにねぇ、どうせ外出なんてしないんですもの、自分を飾るより今はこっちよね』

「そ、そう……おうち充……ねぇ」

『そういうこと。つまり、私の場合は、家の中をまるきり外に見えるように装飾することが、おうち充という価値観の中に生きる道だったというわけ。ああそうそう、あなたインスタはやっているかしら? 実は私の部屋って、けっこう人気なのよ、あなたも見に来てくれるとうれしいわ。一ヶ月前は南国のビーチ風に作っていたので、そっちの写真もあるわよ。きっと気に入るわよ、アクセス数はジャングル風になってからの方が上なんだけど。――あら? どうしたの、大丈夫? あなた静止画像みたいになっているけれど。機械のトラブルかしら?』


 私はあわてて、画面越しでも分かるように大きくぶんぶん手を振った。


「ち、違うわよ、さすがあなたねと思って、ちょっと驚いていただけ。いえ、まあ、元気にやっているようで、良かったわぁ……そ、それじゃあごめんなさい、ちょっと今日はこれくらいで」

『あらあら、まだ始めたばかりじゃない。もう切っちゃうの?」

「ごめんなさい、ゆっくりお茶したかったんだけど、さっきから急に頭が痛くなってきたの。お薬を飲んで横になるわ、ごめんなさいね」

『あらまあ、そうなの。お大事にね。じゃあまたね』


**


「……なによ」


 荒々しく足を踏み鳴らしながら私は寝室に向かい、かぶっていたおしゃれウィッグをはぎとって壁に投げつけた。ブランド物の上品なスーツを脱いで放り出し、画面に写りもしないのに用意していた同ブランドのバッグはベッドにたたきつけて、上でピョンピョン跳んで足蹴にしてやった。


 ――そうよ、この時代を生きる新しい価値観――

 ――どうせ外出なんてしないんですもの、自分を飾るより今はこっちよね――


「何よ何よ悔しい、それは私がおしゃれしていたことへの当てつけなの!? 『おうち充』が何よ、それで私に勝ったとでも思っているの!?  むきいいいーっ!」


 負けるもんですか。


 私はさっさと服を着替えると、スマホに指を走らせて、猛然と検索を始めた。目的は、彼女の部屋装飾以上の『おうち充』ネタを見つけ出すことだ。

 あっちが部屋の装飾なら私は料理かしら。たとえば、家を手作りパンで埋め尽くしてみるとか。それとも仮装にでも凝ろうかしら。毎日ロココ調のドレスと小山のように結い上げた髪で生活してみるとか。それとも――?

 負けるもんですか。そうよ、負けないわ。


 高齢になってから、私は、開き直るようになった。こんなふうに生活様式が変わっても、あるいはどんなに年をとっても、ある人間がこの世に持ってきた性分というものは、結局変わりはしないのだと。

 彼女という人は、新型ウイルスにつかまらなくても「世間の流行」というウイルスにだけは自ら罹患しに行く人間なのだし、私は私で、見栄と自己顕示欲と負けず嫌いという不治の病を持っている。そうして今日も競い合い、相手よりちょっとは上を行ったと悦に入り、つかのまの優越感を抱きしめながら明日を生きていくのである。

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